イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ブブキ・ブランキ:第12話『宝島の少年』感想

奇っ怪なオーラをまといつつ迷い路を突っ走ってきたアニメもラストエピソード、最終回のブブキでございます。
いかに続編があるとはいえ、『最終話だけど、開始15分位主人公が出てこない』という前代未聞の構成をぶっかます、非常にブブキらしい前半戦終了となりました。
しかも、礼央子様の過去話超面白い……脇役が魅力的といえば聞こえは良いけど、その魅力に主人公が食われてるってことだしなぁ……。

というわけで前半は『なぜ礼央子は汀に怒っているのか』を説明する過去編でしたが、これまでの要素で大体想像できる範囲に収まった、良いブブキ・ゼロでした……それ自体は。
思い返せば第3話位から礼央子と四天王は輝きを増し始め、『あ、この人たち相当まともな大人だな。今子供たちとキャイキャイしてんのも鍛える一環だな』と、善人オーラが透けてしまって憎みきれない存在であり、今回のネタばらしもそこを補強する感じ。
望まず不死となった経緯といい、四天王とともにクソみたいな国家中枢に反逆する理由といい、今まで気になっていた部分にちゃんと理由が付く、良い過去エピでした。

問題があるとしたらやっぱ汀の描き方でして、今回の話見て『あー、汀にも色々事情があったのね』と心広く見てくれる人は、ほとんどいないと思う。
余命宣告を受けて暴走した礼央子を止める所は良いとして、なんの相談もなく一人で炎帝をボコにして不死の呪いをかけたり、座敷牢に八年監禁したり(なんで姿見置いたの……自分の罪を数えろってことなの……)、妊娠したら即座に旦那と空に上ってサヨナラしたり、突然の心臓停止で世界が大混乱したり、汀の説明不足は相当に致命的である。
これまで汀(とその息子である東)ではなく、礼央子の行動や信念はしっかり描けていただけに、『そらー礼央子様も恨むわ、魔女だわ』という納得の仕方を、やっぱするのではないか。

汀はブランキを機能させるのに必要な『仲間との絆』を完成させられなかった心臓として描かれていて、ここらへんは炎帝と王舞の決戦の描写において、礼央子を信頼する四天王と伽藍堂の王舞のコックピットに対比されている所だ。
これが最終的に礼央子四天王の結束と、一言も相談なく地上に取り残された主人公の親たちとの差異に繋がること含めて、汀の空疎(と礼央子の充実)の対比は、珍しく台詞に頼らずテーマを描写できている、良いシーンだった。
『東の主人公性は汀の才覚と、礼央子の友誼を合わせて継承しているところにある』っていうところまで睨んでいるんだろうが、礼央子四天王のほうがたっぷり苦難を乗り越えた分、主人公たちの繋がりより遥かに堅牢かつ信頼できる関係に見えてしまうのは、狙ってやってるんだろうか。
ガキの弱いつながりより、オッサン達の実績を伴った感情のほうが気持ち乗っけれるっていうね。


東は『何が大切で、何をされたら許せない存在なのか』という、フィクションのキャラクターとしては最も大事な部分が、かなり致命的に見えてこない主人公だった。
今回汀の過去が明らかにされたことで『ああ、魔女の息子だからこうも良く分かんねぇのね』という納得は出来たけども、だからといって東(とその母親である汀)の不器用な天才っぷりに共感できるようになるわけではない。
『東は汀の息子だから、直感的に最善手を測る才能と、それを他人にわざわざ説明しない性格を受け継いでいますよ』というロジックが見えた所で、それを背骨に描かれる(描かれない)東のフックの弱さが解消されるわけではないのだ。

これの何が悪いかというと、東の行動に説得力や期待を感じなくなるのが良くない。
憎しみのままに暴走する礼央子は誰かが止めなければいけないんだが、主人公だけに許されているはずのその資格を、東に感じなくなってしまうのだ。
抑えこんだ感情の迸るままに、ブランキを世界に暴き、仲間たちと触れ合い、不正を正して世界のために戦い傷ついた礼央子にこそ僕の共感はあるので、それを憐れむ東には世代を超える必然性よりも、『え、お前がその台詞言うの?』という違和感が先に立った。
ここら辺は、礼央子を主人公としてその情や論理を描写する過去編が、この話数だけではなく上手く仕上がっていればこそ感じる機能不全だろう。

やっぱ東は最後まで優等生すぎる主人公で、その行動を理解は出来ても納得はできない。
今回で言えば、スーパーブブキ人として本気を出した母の死を物分かりよく受け止めて、自分は炎帝と宝島を両方止めに行く所とか。
あそこはもうちょっと矛盾に悩んだり、試練に苦しんだりして良いと思うのだが、思い返せば東は常にそういう泥臭い悩みとは縁遠かった。
むしろ今回全然台詞のない柊とかの方が、オーソドックスな試練でキャラクを磨かれる経験はしていたし、礼央子一派に至っては過剰なほどに彼らがどれだけ苦しみ、どれだけの覚悟で戦っているのか描かれてきた。
つまりこのアニメ、『試練が物語を面白くする』という基本原則を把握していないわけではなく、何故か器用に東だけ避けてその原則を適応しているのだ。
話の真ん中ちょっと前辺りで感じたこの違和感は、結局補正されることなく最終話までやって来て、僕は最後まで東をあんまり好きになれないままだった。

ここら辺の引っ掛かりのなさ、凡人の苦しみとの隔絶された感じは、汀や静流といった『天才』キャラクターを描写する際の共通項で、製作者が『天才』を描くときの一つの型なんだと思う。
確かに卓越した才は人を遠ざける側面もあるが、そこにこだわり過ぎて物語の役割を十分果たせないのは、やはり本末転倒だと思う。
主人公である以上時には感情をむき出しにし、痛みに吠え、踏みにじられた理想のために怒って欲しいわけだし、その表現は的確かつストレートであって欲しい。
そして、その願いは脇役である礼央子では非常に気持ちよく叶ってしまっているのだ。
しかし如何に彼女が魅力的でも、物語全体の運命はあくまで主人公である東が握りこむわけで、作品全体の評価もどうやったところで、主人公である東の肩にかかる。
視聴者の代理人として、物語の中心として設定されるというのは、そういうことだ。
そんな彼が作中一番魅力がない(と僕が感じた)キャラクターなのは、やはりこのアニメ最大の不幸だろう。


そこら辺の事情はさておき、一気に動いた事態はすさまじい加速度でスピードを上げ、四天王は散華(どーせ生きているだろうしそれは嬉しいが、あんたらは一旦退場しないと目立ちすぎる!)し、新キャラは顔を見せ、島は無事着水する。
どんなにかっ飛ばしな無理筋だろうと、ひとまず起きた事件を収束させて文字通り着陸させたのは、なかなか良かったと思う。
それに必要な無意味な勢いも、いい感じの3Dアクションと大盤振る舞いされる『核』の説得力で生まれてたし。

宝島が大地に落ち、色んなキャラが一時退場したとはいえ、事態は収束するどころか拡大している。
米露の両チームに加え、黒人執事と車椅子お嬢の組み合わせがまた楽しそうなイングランドとか、謎の刺客とか、謎の黒幕とか、キチの遺伝子を無事継承した妹とか、キャラはどんどん増える。
二期になるか映画になるか、はたまた特別編になるかはわからないが、まだ物語全体が終わらない以上この膨らまし方は強みだと僕は思う。
『こいつら一体何者なんだ……』というワクワク感はあるし、アメリカもロシアもそこら辺はいい塩梅にクリアしてくれたしな……ホント主人公チームが弱いな、こうして思い直すと。

そんなわけで、終わったといえば終わったし、まだまだ続くといえば続く、ブブキらしい最終話だった。
『前半全てを礼央子に回す』という今回の構成自体が、思えばこの物語の魅力とエンジンがなんであったか、如実に表しているようにも思える。
世界観や3D表現を含めた魅力的で、そいつらの先を見たくなるパワーが有る脇役と、それを支えきれない主役陣という、非常にアンバランスなキャラクターたち。
ダンドリ感が半端無く、『どーでもいいから先に進めよ!』と苛立った前半戦と、キャラの魅力とお話が噛みあい加速しだした後半(ただし主人公はお話の真ん中に立ててない)の不格好な非対称。
描きたいテーマを絵で見せることを可能にした映像のパワーと、わざわざそれを取り逃がしてしまう説明ゼリフの併用。
つくづく、変なバランスのアニメだったと思う。

しかし、嫌いなアニメではなく、最終回を迎えて思うのは『俺、案外このアニメ好きだな』ということだ。
ビジュアルデザインの独自性は凄い魅力だし、キャラクターたちが背負う感情や宿命を視聴者に伝える努力も機能してくれたし……主人公チーム以外はね。
こうして終わってみると、『無理くり世界観に無知で感情をクールに処理できる東を主人公にするよりも、素直に汀と礼央子の愛憎を時間軸どおりに追いかけ、その因縁を東世代に引き継がせる物語から始めてよかったんじゃねぇの』と思わなくもない……ホント『ブブキ・ゼロ』だな。
しかしそういう感想を抱いても、出来上がった作品に変化はないし、色々出っ張ったり足らなかったりしていても、このアニメが結構愛すべき作品なのには違いがない。
続編では東が、文句なしの主人公として仕上がってくれると良いなぁという願いも込めつつ、ありがとう、ブブキ・ブランキ。
『良い』アニメかどうかは首をひねるが、俺は好きだぞ!