イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ダンジョン飯:第17話『ハーピー/キメラ』感想

 生と死、禁忌と願い、人と怪物。
 様々なモノがぶつかりあって入り交じる、人間関係の大鍋。
 そんなダンジョン征くか戻るか、人生の交錯点に生命が瞬く、”ダンジョン飯”アニメ第17話である。

 

 というわけで、1クールを費やした大冒険の結末は、ファリンを人と魔物の混ざった”狂気の魔術師”の走狗へと書き換え、その異形の手のひらを血に汚させるという、なんとも残酷な色に塗り替えられた。
 ここまでも顔を出しつつ致命的な事態にはなっていなかった、ライオスの人間下手くそっぷりがシュロー相手に最悪の発火を遂げたり、一箇所に集った3パーティーがそれぞれの道へと進み直したり、まー色々あった回である。
 ドズドズド迫力で逃げていく様子含め、キメラ・ファリンの苛烈な戦いぶり、容赦のない殺戮がライオス達の選択が何を生み出したのか、説得力ある描き方で大変良かった。
 あんだけ血みどろの怪物になってしまうと、シュローのマトモな公平さも、カブルーの正しき殺意も道理にかなったものと認めざるを得ず、ではそういうマトモさから遠いライオスの私情は全否定されるべき間違いかと言えば、そうと言い切れぬ情も滲む。
 人と魔物が混じり合ったキメラとの対峙は、何が正しく間違っているのか、狂気の迷宮で人が人として生き抜くにはどうしたらいいのか、入り交じる難しさも描く。

 ここら辺、人の間を泳ぐ器用さ、不器用さにグラデーションがある男三人が一同に集ったことで、解りやすく可視化された部分でもあろう。
 激昂したシュローに冷水を浴びせるように、『ファリンを正しく殺す』という選択肢を言語化し彼に否定させることで、ギリギリ対話を維持させるカブルーの対人視力は、そのままキメラの膂力に鎧は無意味と、不意打ちの邪魔になる金物を脱ぎ棄て急所を刺し貫く腕前に繋がってもいる。
 しかしもはや”魔”の存在であるキメラ・ファリンの生命はそこにはなく、人間を殺すのがどれだけ上手くても、魔物を打ち倒しダンジョンを踏破する力……人間下手くそなライオスが得意とする領域には、なかなか手が届かない。
 生真面目に張り詰めすぎて、眠りも食べもしなかったシュローもまた、生きて何かを掴み取る逞しさとは上手く付き合えていなくて、三者三様、様々な正しさと難しさを抱えている。
 転移の掛け軸を抜けて、人の理屈が支配する地上へと戻る者たちと、無惨な失敗に終わった旅の先に、『迷宮の主を倒し、愛する者の魂を取り戻す』という目的を見つけ突き進む者。
 その別れが近いうち、またぶつかることを人をよく見るカブルーは確信していて、ぼんやりライオスは再会の約束に、全然ピンときてない。
 そういう幕引きも、また印象的な回だった。

 

 ライオスとマルシルが禁忌と知りつつ選んだ、ファリン復活の道。
 そこには未知の力学が働いていて、火竜の肉体を素材にしたことで彼女は”狂乱の魔術師”の下僕となってしまった。
 その存在がどれだけ強力で凶暴か、死力を尽くした大決戦……そこであっけなく死んでいく連中の血しぶきが、鮮明に教える。
 1クール、その苦労も笑いも特等席で見させてもらったライオス一行に肩入れしたくなる気持ち、彼らの私情に同調する心は見てるこちらにもあるけど、あんだけ大暴れされるとカブルーの『いい加減にしろよ……』が、上から目線の正しさの押し付けだけではないことも、認めざるを得ない。
 認めた上で、怪物の中に確かに滲む愛妹の涙に剣を取り落としてしまうライオスの甘さを、彼の人間味も、また否定できない僕らも、無明ながらも面白い”ダンジョン飯”のど真ん中へと、既に引き込まれているのだろう。
 シュローやカブルーがライオスの背負う価値観や特徴を相対化することで、主役に限定されていた視点が大きく広がり、多様な決断を飲み込む迷宮の複雑さ、面白さが、一気に際立った形だ。

 シュローに見えているライオスも、ライオスに見えているシュローも、二人の間にぼんやりと立ち上がり共有されていた”現実”とは大きくズレていて、妹と想い人、方向性は違えど大事なファリンの死と蘇生を境にして、激しくぶつかっても行く。
 1クールライオスの旅路に付き合ってきた僕らとしては、シュローが耐え難くイラつく程ヘラヘラエイリアンみたいな顔で生きているわけじゃないと擁護も……いやまぁ、やっぱヤベーんだけども。
 何しろ妹が自分の決断の結果怪物に成り果てての第一声『マジかっけぇ……』だからな……。
 しかしまぁ、あの魔物マニアにも情があり人間味があり、それが世間一般の常識と噛み合いにくく、極めて伝わりにくいものだということは解っている。

 

 そしてライオスは自分がそういう、社会に馴染みきれない異物である事を心底理解は出来ていなくて、島での初めての友達と思っていた男との間にある、越えがたい断絶と摩擦を理解しないまま、ある意味甘えた共感を押し付けて跳ね返される。
 この視力の悪さは、地獄を背負って魔物と闘っているカブルーに、魔物食を勧める意味を全く理解しないまま『すっごくいい人!』と思った(思わされてしまった)在り方と重なっている。
 人間の形をしたコミュニケーション不能な魔物と、切り捨てられかねない他人から見た危うさと、魔物への”好き”を隠すことなく、結構ナイーブな感性とどっかぶっ壊れた鈍感さを無理なく共存させている自己認識の、危ういキメラ。
 そんなライオスの現状も、またこの衝突から見えてくる。

 そんなライオスこそが状況打破の鍵だと、冷静に俯瞰で睨んでいるカブルーであるけど、他人の懐に入り込むためには何でもする底知れなさは、”コミュ強”とかいう耳障りの良い長所を飛び越して、彼なりの秘めたる怪物性ですらある。
 個人的な感情を押し殺し、複雑怪奇な絡み方をする人間の感情と関係を興味深く見通して、悲惨な過去から生まれた悲願を達成するためなら、どんなことでもやってみせる。
 それはライオスとはまた別の、人と魔物……感情と理性の混ざったキメラであり、そんな彼がダンジョンに適応した魔物になれないからこそ、迷宮探索の先頭にはライオスが立っている。
 そしてそんな現実を、別に悔しい顔もせず静かに見据えて、この物語の主人公がどんな人物であり、彼が踏破していく道の先に何が待っているのか、主役ではない自分がそこにどう食い込めるのか、急所を観察し言葉の刃を突き立てるタイミングを、冷静に測っている。

 

 そんな雄体のキメラ達の複雑さに対し、シュローは強さも弱さもどこか真っ直ぐで、結構分かりやすい印象がある。
 良くも悪くも一本気、正しさと私情の間に揺られつつも”マトモ”な選択を選び取り、寝食を忘れて大願に邁進しても届かない、冒険ロマンスの主役になりきれなかった青年。
 彼はファリンとの再開に激昂し揺らぎつつ、だからこそライオスとの関係を(致命的な傷を生む太刀ではなく)拳で作り直して、マイヅル手作りの食事で魂を潤し、自分なり納得できる道へと堂々進み出していく。
 不良が河原で殴り合って解り合う、オールドスクールな友情バトルをダンジョン味に変奏したガキの喧嘩は、血みどろの惨劇(あるいはハーピー相手の激闘の真っ只中)とは思えないくらい爽やかで、実りが多い。
 クソムカつくライオスと殴り合い、結果勝てないことで、彼は過剰な精神主義に呪われ、食べなきゃ弱る生身を置いてけぼりに突っ走った過去を乗り越えていく。
 生家の地位をかさにきて振り回していた仲間にも、頭を下げれるようになる。
 『負ける=死ぬ』という魔物相手のルールが崩れて、殴り合うかからこそ解りあえ、そこから同じ釜の飯を食うことだって出来る人間の道が拓けていくのは、緊張感漂う展開の中、一筋の光に思えた。

 シュローは迷いも弱さも不器用さも人間的と言うか、解ろうとして解り会えないコミュニケーションの難しさを、体現するようなキャラだと思う。
 やり過ぎ感溢れる愛情の高まりっぷりとか、ライオスのヤバっぷりを認めた上で上手くやれなかった未熟さとか、白い魔物マニアと褐色の人間マニアに比べると、”魔物”の混合比率が少ない感じがある。
 そんな彼だからこそ、黒魔術を忌避し厳しい裁きを強いる地上のマトモさにも順応できているわけだが、果たしてそれは誰のための法であり、正しさなのか。
 死を否定し、人間の在り方が魔物と混ざって変容するこの迷宮において、長命種優位な政治力学を反映した倫理と正義は、どれだけの有効性をもっているのか。
 ここら辺は混じり合った3つの道が、一旦ダンジョンの奥と拓けた地上に分かれた後、問われ直す部分なのだろう。

 シュローもまた正しさの奴隷というわけではなく、思い詰めて視野が狭くなっていた自分をぶん殴られ、苦手意識と背中合わせ、確かにあったライオスへの友情を飲み干す素直さを、ちゃんと持っている。
 それは嘘偽りのない本当で、でもそれだけで何もかもうまくいくほど万能でもなく、混ぜ合わせてどうにか美味しく消化していくべき、ややこしい青春の食材だ。
 調理法はずいぶん荒々しくなったが、そういう子供じみた相互理解を許してくれる仲間(’パーティー)に助けられて、シュローは法を遵守しつつ私的な逃げ道を用意するという、自分だけの答えをライオスに手渡すことが出来た。
 あのある意味半端なケリの付け方は、飯も食わずに正しさに思い詰めていた時間が終わって、三食食って寝るからこそ戦える”人間”へと彼が戻ったからこそ選べる、もう一つの道だ。

 

 形や表れ方は違えど、迷宮に挑む人皆に譲れないものがあり、ぶつかったり混ざったりしながら形を変えて、新しい可能性へと繋がっていく。
 キャラを一気に増やして展開したこの数話は、そういう”ダンジョン飯”の描くべき物語を、より深く豊かに面白く料理してくれる、とても良いエピソードだった。
 臆病で手前勝手な我利我利亡者に見えるミックベルが、クロの死闘と散華を目の当たりにしてマジでパニクってるのとか、パッと見の印象以上のものが”人間”には必ずあるのだと教えてくれてて、好きな描写だ。
 マスコットに見えたクロが猛烈な闘志を剥き出しに、果敢にファリンに挑む様子とかも、色んな連中が色んな顔を持っているからこその”キメラ”な面白さを、良く描いていたと思う。
 こういう感じで、新キャラ投入して視座を増やす挑戦が意味をもってくるのは、話数重ねた物語だからこそ紡げる豊かさって感じで、やっぱ良いわな。

 そらーチルチャックもメチャクチャ文句言う、運命に導かれてのダンジョン踏破。
 『火竜を倒し、ファリンを救う』という物語開始時の大目的が最悪の形で破綻し、八方塞がりに思える状況を『”狂乱の魔術師”を倒し、ファリンを救う』という目的に書き換えて、ライオス達の旅はまだまだ続く。
 導くように、誘うように口を開けた下階への階段を進む四人を、待ち構えるものはなにか。
 新展開も、とっても愉しみですね!