イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~ THE LAST SONG:第16話『花咲く町に君の名を呼ぶ』感想

コンクリートの森の中で人間が人間の定義を探すアーバンアクションアニメ、今週は日の丸飛行隊と失われたカムイ。
"大江戸ロケット"の中島かずきを脚本に迎え、普段のサツバツテイストを少し緩めたお話が展開していました。
作中で一人の死人も出ない話は久々だなぁ……バンドの話ですら死人出てたからな、會川脚本だと。
毛色の違ったお話しながら、『超人はその出自や能力故に、超人足りえるのか?』という前回のテーマは引き継いでいて、シリーズ全体を別の角度から照らす、面白いエピソードだったと思います。

頭にお花が咲いちゃう絵面からして、今回のお話しは暴力の臭いが薄い、柔らかなムードが徹底されていました。
バチバチぶつかり合う爾郎とジャガーさんを前に雨戸さんが言ったように、ただ一つのゴールを目指し一心不乱に進むスポーツには、競技以外の夾雑物を廃する純粋性が確かにあると思います。
人造超人化を認めた『不純』なスリーバードメンと、人間であることに甘んじた故に神に届いた『純粋』な雨戸さんの対比も、そのピュアネスをクッキリさせるための処理でしょう。

個人的には『手術=人工=超人=不純』『手術拒否=自然=人間=純粋』というシンプルに過ぎるな二分法はどうかなぁ……とも思ったんですが、ピリカッピのお花診断を見る限り、人造超人は人間の範疇なんですよね。
ピリカッピがいかに神とはいえ、その基準も(例えばアースちゃんの正義診断のように)一つの価値判断でしかないとは思いますが、前回明らかにされた天弓ナイトの真実含めて、超人の定義を視聴者に考えさせる揺さぶりとして、なかなか面白い所だと思います。
雨戸さんがバードメンを押しのけメダルを貰うわけではなく、あくまでジャンプ台を整備するテストジャンパーの領分を全うするオチも含めて、『超人溢れる世界の中で、人間に出来ること』を軸に据えた、ちょっと変化球な話でしたね。

国家の威信に関わる『光の森シャンツェ使用不能事件』は、常人である雨戸さんとスポーツの持つ『純粋さ』が突破し、超人課や爾郎の持つ『暴力』ではなんともならない事件です。
いろいろ主張をぶつけつつも、政治力含めた『力』だけが(良くも悪くも)事態を変化させていく神化のルールとは、かなり異なった解決法だったなぁと思います。
同じゲスト脚本回である第9話では、『暴力』それ自体は存在しつつ、それを受けてもダメージがない、神化世界のルールを超越した超・超人が描かれていましたが、今回は通常のルールとは違う解決策をゲストにやらせた感じですね。
この例外を超人たちがどう受け取るかが、本筋に反映されると個人的に面白いんだけど……『人間と超人』の問題は、天弓ナイト絡みに集約していくところかな?


一応敵役のピリカッピも、すごくピュアで暢気でした。
オリンピックに沸く祭りの雰囲気に呼ばれて出てきて、誰も傷つけない『稲妻』を人に宿し、森を復活させ人間の偉業を奉納させて、満足して消えていく。
人間の理屈を超えて身勝手に振る舞いつつも、人間の身近にあったカムイ最後の奇跡を自由に楽しんで去ってった彼女は、結構好きなキャラクターです。
本筋だと焼け付いた感情に始末を付けれず、色々グダグダ他人に迷惑かけてキャラクターばかりなので、こういう行動理念のキャラクターは目立つね。

作品の真ん中にあるテーマ性から外れたお話しである以上、お話の主役は雨戸さんやピリカッピであり、メインキャラクターは脇役に下がります。
札幌にやってきた超人課の面々もどこか家族旅行みたいな空気を漂わせていて、サツバツとした本編では中々見れない、しかし是非とも見たい表情でした。
俺はこの話のキャラクターが既に凄く好きになっているので、過酷な運命に翻弄されて苦しい表情を浮かべるだけではなく、ゆったりのんびり楽しそうにしている姿もまた見たくなるのだ。
こういう変奏が出来るのも、ゲスト脚本家を呼び入れて、多様性をシリーズの内部に取り入れようとする運動の副産物かなぁ。

と言うわけで、ゲスト脚本をわざわざ呼んだ意味のある、主旋律とは大きく異なるお話でした。
人を殺さない話が神化に生まれたのは喜ばしいんだけど、それが『人間』から出てくるのはちょっと寂しくもあり……時代に先駆けてV字を飛んだ雨戸さんも『超人』であるって読んだ方が良いのかな?
本筋でも取っ組み合ってる『人間と超人』の問題に、別角度から光を当てるエピソードでしたね。