イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

12歳。:第7話『ハジマリ』感想

女の子はトキメキと砂糖とスパイスで出来てることを証明するアニメ、今週は12歳・ゼロ。
凡人カップル結衣&桧山の一年前を描くことで、『人間関係は他人を思いやるところから』というメッセージを届けるエピソードでございます。
不器用ボーイ高尾が語彙の少なさに悩みつつも、結衣のナイーブさにどうにか寄り添おうと努力する姿が、とても良かった。
あらゆる状況で100億点出す高尾先生の恋愛スーパープレイも好きだけど、やっぱ70点平均の出来ないマンが頑張って95点取ろうとする歩み寄りは、人間味があって素敵だ。

今週は一年前と現在を行ったり来たりする、結構ややこしい構成。
デザイン面でわかりやすい区別付けてくれれば判別もしやすかったんだけど、正直分かりにくかったのは否めんね。
ともあれ、恋人になる前と恋人になった後、両方の時間軸で問題にされているのは『感情の表出』だと思う。

結衣が母親を失った哀しみを押し殺しつつ、元気な小学五年生を演じている事実をうっかり桧山が見るところから、今回のエピソードは始まる。
一般的な女子(なるもの)のように涙で自分を特権化したりせず、男子に物おじしない対応ができるハンサムな女の子はしかし、当然弱さや繊細さもしっかり持っていて、その上で笑顔を作っている。
彼女のことが好きな男の子はそういう演技が耐えられなくなって、しかし高尾のように自分の気持をコントロールする語彙を持たないので、『お前は笑うな』と言ってしまう。
真心とその表現のすれ違いがモヤモヤする展開だが、表現が不器用なだけで、桧山が他人の心を慮る知恵と優しさを持った優しい子だということは十分以上伝わる。

以来一年間、出逢えばゴツゴツぶつかる関係を続けてきた二人は、二話で見たように彼氏と彼女になった。
それは『俺の前ではないてくれ』という私的な言葉が通じる仲であり、寝ている恋人にジャケットを掛けてあげるような優しさが価値を持つ関係でもある。
母親の喪失というプライベートな事柄を抑えこんで、学校という社会に適応した自分を演じ続けていても、結衣は本当の意味で幸せにはなれない。
私的な感情を適切な場所で開放すること、そういうナイーブな自分を認めてもらえる特別な関係を恋というのなら、桧山はこれ以上ないほどに彼氏の資質を持っているわけだ。

その表出は不器用ながら、『他人の痛みを思いやる』という一番大事な部分をしっかり抑え、より適切な言葉を探してもがく桧山は、誠実で成長を期待できる青年でもある。
ここら辺は毎回共感能力を机の中に忘れてきたモブ男子が、人間としてアウトな行動を無神経に取り続けることで確認されるポイントだ。
凡人が出来ないことを主人公は達成できると、やや図式的ながら分かりやすく見せる仕事をモブに割り振っているのは、お話が伝わりやすくなってとても良い。
桧山がうじうじ悩んでいる所を一気に飛ばして常時正解し続ける高尾と、禽獣以下の共感能力しかないフツーの男子の中間で、ナイスボーイ桧山は誠実に悩み、大切な人をより大切になろうと常に考え、努力している。
モブ男子-桧山-高尾が構成する人間的発達の遠近法が上手く出来ているのは、複数カップルを主役に据えた意味が大きく出ているポイントだと思う。
努力で埋めるべき距離感がはっきり見えればこそ、その姿勢と尊さが分かりやすくなるからね。

今回桧山は結衣への共感を結局うまく言葉には出来なくて、『アタシのどこが好きか言ってもらう』というカレカノときめきシュチュエーションは達成できない。
高尾先生の完璧な答案を同時に提出することで、彼の個性は強調されるわけだが、言葉にしなくても結衣は桧山の真意をしっかり理解しているし、それが『好き』の源泉なのだ。
結衣ちゃんも他人の心を思いやることが出来る、人間力高いガールで良かった……本当に良かった……。
カレカノのときめきに浮かれつつも、『他人の心を思いやる』、一言で言えば『仁』という基本的な人徳にお話をまとめる作りが中々骨太で、とっても良かったです。


今回面白いなぁと思ったのは、モブ男子が『女子はすぐ泣く』『面倒くせぇ』と煽っていた所。
ナイーブな自分を学校という社会で表現し、涙に結実させるのは女の特権であり、モブ男子はそれを不自然かつ不当なものとして捉えている、ということだ。
これはモブ男子が人間の心がない発言をぶちかまし、ナイーブな気持ちを踏みにじるマチズモこそが男性性の発露であると胸を張るのと、面白い対照を成している。
メソメソ女をガミガミ男が叱り飛ばし、女達は陰口を叩きまくるという地獄絵図があってこそ、そこから離れた主人公たちの思いやりはショウアップされるわけだ。

無論特別素敵なボーイ達は、男の子なのに細やかな気配りと人の痛みに共感する能力を持ち、女の子と付き合う特別な価値を持っている。
このアニメで主人公の彼氏役を射止めるためには、女性を踏みにじる形での男性性の発露ではなく、『女性的』なナイーブさを兼ね備えたケア能力こそが重要なのだ。
まぁ男女の別なく、気を配るべき所は気を配らんとイカンけどね当然。
粗雑なのはモブ男子だけで、女子は常に傷つけられる存在として話が展開してるのは、客層考えるとおもしれぇなぁとも思う。
そういう意味では、結衣が『男子に言い返せる男性性を持った女の子』なのは、花日が子供っぽい『如何にも女の子』なのとも対比的で、興味深いポイントだな。

女子におけるナイーブさは、心愛とまりんの描き方でも面白く表現されていてる。
名前と顔のある女子で唯一、他人の心がわからない動きをする心愛と、桧山に隠された真実を伝え、ナイーブな結衣を常に気にかけているまりんの描き方は、常に対照的だ。
心愛ちゃんが圧力をかけてくれないとお話が転がり出さないし、まりんが適切に状況を整えてくれないとお話が収まるべきところに収まらない。
恋にたどり着くことがない女の子たちはそれぞれ、かなり的確に物語内部で割り振られた仕事を果たしている。
個人的な好みを言えば、その巧妙さから半歩踏み出して自分の物語を始めるとなお面白いと思うが、まぁ"12歳。"はそういう話ではないわな。


と言うわけで、不器用ボーイが自分なりにマイ・ガールを守ろうと頑張る、ハートウォーミングストーリーでした。
凡人が半歩背伸びしてより良い自分になろうと頑張る話は、天才が全てをコントロールするお話とはまた違った趣があって、二組のカップルを主役に据えた意味がよく出ている。
個人的な好みで言うと、桧山&結衣の物語の方が恋愛のときめきで足を止めず、より広い人間的価値にアプローチしている感じがあって素敵だと思うね。
……『スローにソフトフォーカスに例のBGM』というキメ演出が出番少な目立ったのも、比較的ファンタジーから遠ざかった恋を描いているからなんかな。

来週は名前呼びイベントっぽいですが、これまた甘酸っぱいときめきを心臓に叩きつけそうなエピソードの予感。
ときめき心☆停☆止とならないように、しっかり準備運動をしてから視聴したいと思います。
いろいろ変化球も投げつつ、美味しいイベントはきっちりクリアしていく卒のなさは、このアニメの強いところよねぇ。


・追記
『他人の心を思いやる』ことの大切さは、ともすれば外面を取り繕い異物を排除することで共同体の平穏を維持しようとする、危険な行動と結びつくだろう。
『私の気持ちをわかって』という私的な言語が社会化する時、『空気読めない奴は死ねよ』という強圧に変化するのは、往々にして良くあることだ。(悲しいことだが)
だからモブ男子が無神経なまま存在できていて、心愛ちゃんが調子に乗りつつ時々ビンタされる"12歳。"の健全さは、実は"いじめ―ひとりぼっちの戦い―"の陰画なのだろう。
『他人の心を思いやる』ことを他人に強要する暴力性はこのアニメにはなく、それは主人公を主人公たらしめる特別な資質としてショウアップされ、共有されない。
『他人の心を思いやる』資質を持たないし、持てないだろうモブ男子や心愛ちゃんを、暴力装置に変えることなくラブストーリーを維持するためには、その一線こそが大事なものなのかもしれない。