イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~ THE LAST SONG:第22話『巨神たちの時代』感想

生きることの罪が世界を炎に巻き込む原罪の哀歌、今週は人吉爾郎の罪と罰、そしてその先。
電子化され量産化されたクロードにより暴走した『正義』が都心の真ん中で破裂し、すさまじいテロルが吹き荒れる中、その被害を食い止めたのもまた組織の垣根を超えた超人たちだった。
爾郎は喪われていた記憶と己自身の罪に向かい合い、未だ泣いている子供の自分を乗り越えようと歯を食いしばる。
それはそれとして、東京駅の真ん前で八人死んで負傷者多数か……里見としても予想外の事件とはいえ、超人排斥の動きは狙い通り決定的かな……。

今回の話は帝告のプロパガンダ映画に爾郎の過去回想、現在のNUTS防衛戦と、虚実と時間軸が複雑にカットアップされた話でした。
その全てが爾郎に覆いかぶさりつつ、同時に爾郎の内部で終わりきらない超暴力性を有していることも、非常に厄介です。
原爆の子供(アトムボーイ)として生まれた爾郎が、普通の子供のように正義(もしくは正義の味方)に憧れそれを己の生き方と定めつつも、ただ存在しているだけで不幸を生み出す過剰な力そのものでもあるという、非常に哀しい事実が確認される回だといえます。

爾郎はクロードの仮面によって過去を思い出し、自分の犯した罪と向かい合うことになります。
大量破壊兵器そのものとして生を受け、孫竹と笑美によって軟禁され、知らない間に巨大怪獣の素体にされ、子供らしく遊ぼうと思ったら路面電車が燃え上がり、憧れた天弓ナイトは自分の手で燃やし、姿を変えた親友は自分で殺して古巣は悪の組織。
こうして整理してみると、ハードモードってレベルじゃない人生を送っています。
孫竹も笑美もジャガーさんも、この重荷を知っていたからこそ爾郎を過去の記憶から遠ざけていたわけですが、同時にそれに向かい合わければどこにも進めない事件でもあったのでしょう。
『早く教えておけよ』って意見もないわけじゃないけど、爾郎が精神的に動揺すると具体的に人が死ぬからな……そら慎重にもなる。


そんな過去の重さに押し潰され、暴れ狂う巨神に己の姿を垣間見て、爾郎はこれまでと同じように立ちすくんでしまいます。
もともと爾郎に似た要素を持っていて、しかし爾郎ではない『シャドウ』が多数登場するアニメではあるんですが、東崎もまた『超人』の持つ絶対性に憧れ、半端な人間の論理を超越した絶対正義を求める爾郎の影だったわけです。
NUTSという神にも悪魔にもなれる力を手に入れ暴走し、『倒すべき悪』を見つけることで『絶対の正義』を手に入れてしまう危うさは、『正義が存在しないなんてイヤだ!』と吠えて天弓ナイトを燃やした少年爾郎にも、超人課時代の頑なな爾郎の姿にも重なります。

そんな爾郎の迷いは一人ではけして抜けられない深い妄執であり、超人課の面々、そして超人課を飛び出してから出会った人々の支えでなんとか前に進めたという描写は、説得力があり納得できるものでした。
今回の東京駅騒乱を『みんな』で収める展開には、バラバラだったものが一つにまとまるカタルシスがあるし、同時にそれがこの一瞬だけの幻ではないかという、悲しい現実認識も込められています。
それぞれの『正義』が『正義』であるが故に、お互い譲りあうことなく衝突を繰り返す様子はこのアニメずっと捉えてきたし、そこを乗り越えて未来を示せる開き直りの危うさも、しっかり描いてきました。
だから『みんな』の助けを貰ってようやく手に入れた爾郎の『それでも』は万能の処方箋ではありえないし、今回組織の垣根を超えて協力した超人たちもまた、今が行き過ぎれば否応なく対立する。
それでも超人たちが皆、自分なりに『世界を良くしよう』という善意のもとに行動し、奇跡のような一瞬それが束ねられ結果を出したという事実は、僕には希望だと思えたわけです。
それが現実の嵐と闇の中で消えてしまいそうな幽き光だとしても、むしろ、だからこそ。

過去と向かい合い、現在を肯定した爾郎が、己のカルマを制御し何らかの未来に向かうことが出来るのか。
彼は『大人』の『正義の味方』で在り続けることを許されるのか。
今回、そしてこれまでの物語で示された神化世界のシビアさを考えると、簡単には首肯できません。
しかし僕もまた(おそらくはアナタと同じように)『世界を良くしたい』と願いつつそれを達成しきれない爾郎のシャドウである以上、彼の切ない『それでも』が世界に愛されてほしいと願います。
今回のお話が爾郎の迷いと答えを上手く集約していただけに、彼が迷い路の末に見つけた一つの答え(もしくは開き直り)を世界に厳しさで踏みにじって、ハイおしまい……というニヒリズムに満ちた終わり方は、あんまして欲しくねぇなぁ……。


大量殺人犯である自分が、傷ついて泣いている過去の自分を癒やす資格を持っているのか。
贖罪の資質に思い悩んで立ちすくんだ爾郎を先に進ませたのが、永遠に子供であるはずの風朗太だったのは、とても示唆的だったと思います。
無邪気な子供だったはずの風朗太も、様々な経験をして、今はお酒を出すお店のマスターになっています。
無垢さ故に大量殺戮の片棒をかつぎ、マウンテンホースというカッコいい大人に憧れ、超人化の活動の中で現実を知り、己の罪の重さを突きつけられて涙し、それを乗り越えて人を救う。
物語が始まってからの風朗太の道のりは、今回爾郎が思い悩んだ問題を先取りし、頑張って乗り越える物語でもあるわけです。
……そういう意味では、風朗太もまた爾郎のシャドウだったんだな。

たとえ身体がけして大人にならないとしても、呪われた存在だとしても、罪を背負っているとしても、泣いている子供を守るために立ち上がり、喪われる命を少なくすることには、人生をかける意味がある。
大鉄が自分を取り戻すための手助けをし、爾郎も真っ直ぐな言葉で原点を思い出させ、懐かしい風船姿で立ち上がるすべを失ったエクウスを支える風朗太の姿は、二話で泣きながら願った『なりたい大人』そのものだった気がします。
『ずっとこのままでいてくれ』という身勝手な願いを投げかけた風朗太は、一足お先に揺るがず人を踏みにじりもしない、バランスの良い自分なりの『正義』にたどり着いちゃったけど、爾郎はそこに追いつけるのかなぁ……俺は彼ら二人共大好きなんで、追いつき、追い抜いて欲しいもんだ。


幼児期の爾郎を取り巻く三人の大人-里見、孫竹、天弓ナイト-それぞれの肖像も、今回回想と現在を織り交ぜつつ描かれていました。
昭和という『正しい』未来を引き寄せるためにアトムボーイをアメリカに引き渡そうとする里見と、爾郎をあくまで人間として扱う孫竹、そして己の罪と向い合うように子供を助けようとした天弓ナイトは、それぞれ己のやり方で『大人』たろうとしていたように思えます。
孫竹が爾郎を人間として扱わなければ爾郎は超人への憧れも抱かなくてすんだし、あくまで爾郎を兵器として扱う里見の立場も、爾郎が暴走して引き起こした惨事を考えると全て間違いじゃないんだけど、爾郎をモノ扱いして起こるのが罪のないエテ公二回もぶっ殺し事件だと考えると、里見を肯定する気にもなれない。
爾郎を血も涙もない兵器ではなく、人間として扱い悲しい記憶から遠ざける優しさが逆に爾郎を不安定な立場においている皮肉も、今回ちゃんと描かれていて、相変わらず簡単に結論を出させてくれないアニメだなと思いました。

一切特殊な力を持たず、己の信念だけでギガントゴンを倒し子供たちを助けようとした天弓ナイトですが、他でもない爾郎自身によって殺されていたのが判明しました。
『正義』の不在という残酷な現実に耐え切れず自分を殺してくる爾郎に、『そうだよな……嫌だよな』と教官を示してしまう優しさは、現実見ていない愚かな仕草であり、人間を超えてあまりに英雄的な態度でもあり、やっぱあの人別格だわッて感じ。
迷いも後悔もしてるんだけど、歩みを止めず自分で定めた原則に忠実であり続けるブレなさは、作中屈指に超人的だ。

爾郎の影で大鉄くんも迷いを脱し、『権力の走狗になるのではなく、自分の判断で力を振るう』という境地にたどり着いていました。
大鉄にとって爾郎は自分を助けてくれたヒーローであり、理想像であり、年経て現実を知る中で反発していった『クズ』でもあり、その人格形成に(ともすれば天弓ナイトより)大きな影響を受けた『超人』です。
彼を歪めていた『クロードのマスク』の中にいるのが長川神ではなく、ジンが憎み憧れた『理想化された爾郎』であるてのは、理想像への愛と歪みが二重構造になっていて、なかなか面白かったです。
風朗太の助けを受けつつ、自分だけの能力を駆使してマスクを脱ぐことが、そのまま超人としての迷いを抜ける契機になっているのは、絵的に分かりやすい演出でしたね。


『クロードのマスク』は情報化され、電子化され、量産化され、概念化された独自の存在でした。
ジンという正体がある『怪剣クロード』ともまた異なり、被った本人のエゴと理想を強化するスタイルは、ユーザーの求める理想を手助けするという、機械的・道具的存在の無垢さと危うさが強く出たものです。
ジャッキーの前にエンジェルスターズが、アキラの前にIQのメンバーがそれぞれ現れる姿は、彼女らもまた輝かしい過去に縛られ、正しいことばかりは出来ない『大人』なのだと思い知らされるようで、なんとも哀しい。
それぞれ取り戻したい理想も、それを共有している相手も死んでしまっていて、イノセンスは絶対取り戻せないからこそ切望されるという認識は、爾郎のみならずこの物語全てと共鳴するところです。

ジンもまた爾郎という失われた理想を強く思い、憎んだからこそ、死後もマスクの中に妄念を焼き付けられた。
そして爾郎が超人課を離れてから六年間、確固たる地位を選択し得なかった背後には、一つの道を定めて突き進み、多くの人を不幸にして滅んでいったクロードへの悔恨と愛惜がある。
彼らは単純に能力や立場が近いというだけではなく、片割れが死んだ後もなお惹かれ合う強烈な絆があるわけです。
『クロードの仮面』が見せた過去の幻影が、爾郎が過去の真相と罪を把握し現在に立ち向かう足場になったことを考えると、彼は常に爾郎の敵であり味方であり、親友であり支援者でもあり敵対者でもあるという、大事なキャラクターなのでしょう。


里見が創りだしたプロパガンダフィルムは絵空事ですが、爾郎はそれを真正面から見据え、大人たちの優しさを認めつつも逃げることはしません。
それはクロードのマスクによって記憶が戻っていたことも理由の一つでしょうが、何よりもそこに真実があるからこそ否定できなかったのだと、僕は思います。
悪趣味な演出で強調されてはいますが、映画に捉えられた陰謀は実際超人課が裏で糸を引き、沢山の人(と猿)を不幸にしてきたという事実は、一期の物語を見てきた僕らには周知のものです。
ほんとなー、猿モチーフの映像が出るたび心のどっかがズキズキズキズキして、『コバヤシくんどんだけお猿好きなの』って感じだったわ。

お話が進み、超人課の面々が『人間』としてどんな感情を持ち、過去を背負い、何を望んで他者を傷つけているか見えてきても、何も知らなかった時代に描かれた陰謀の事実と、その時感じた憤りや反感は消えてなくなるものではない。
それを踏まえてなお、その背後にあった複雑な事情に思いを馳せることは出来ても、目をつぶってなかったことには出来ないからこそ、爾郎はあの映画をしっかりと見たわけです。
ショッカー然とした悪の組織『超人課』に慄く観客は、情報を段階的に開示され、製作者の手のひらの上で反感をつのらせていた、かつての(もしかすると今の)僕達視聴者の姿なのかもしれませんね。

そういうノスタルジーも孕みつつ、里見のプロパガンダ政策は確実に効果を出しています。
センセーショナルな『真実』で記憶が書き換えられ、世論が特定の方向に自発的にネジ曲がっていく過程も、コンパクトながら恐ろしく描かれていました。
八人の死亡者を出す一大テロ(おそらく元ネタは三菱重工爆破事件)に発展したのは予想外でしょうが、証拠となるNUTSも事故を装って隠蔽したし、首相とウルティマを蹴落とす下準備はできてるし、彼の望む『超人がいない、正しい世界』を実現する謀略は、着実に結果を出しつつあります。
今回事態をコントロールしきれなかったことで、『事態全てを握りこむ、神にも等しい謀略家』とはいかなくなりましたが、里見顧問が強力な『超人』であることには代わりはないわけです。
NUTSとクロードのマスクという『人間を超人化する技術』を失った彼が、どういう手を打ってくるか気になるところですね……そういや、この人も爾郎や天弓ナイトと同じく『己を非超人と規定する超人』か。


と言うわけで、これまで秘められていたカードが色々明らかになり、決定的な事件も起き、希望と不穏さが渦を成して加速していく回でした。
爾郎が過去を認め今を生きる足場を手に入れたとしても、神化世界の現実はいつでも厳しくて、すぐさまその様相を変えてくれるわけではない。
今回組織を乗り越え手を組んだ超人たちも、明日にはいがみ合っていることでしょう。
それでも、微かで確かな希望の手応えが残る、コンクリートレボルティオ最終盤・序章でした。

今回の事件を受けて超人を取り巻く世界も、個々の超人の理想も激化していくと思います。
次回は今回触れられなかったこのアニメもう一つの軸、『消え行く古き存在と、迫り来る新しき存在との相剋』がメインで進む話のようです。
古き妖怪と新しき人間の混血として、優しさと謀略の間を泳いできた笑美という女が次回予告をしていましたが、彼女は一体どこに行き着くのか。
今回輝子のこと心配している姿とかむっちゃチャーミングなわけで、あんまひどいことにはなって欲しくないけど、そういう願いが叶うほど神化世界も優しくはねぇよなぁ……。

理想を抱けば世界が変わってくれるほど優しくはなく、理想を抱かず生き延びていられるほど甘くもない神化世界を描いてきたこのアニメも、残り二話。
傷つきやすい少年が正義に憧れた長い道の先に、今回ようやくたどり着いた『それでも』がどこにたどり着くのか。
楽しみであり怖くもあるけど、これまで22話僕(もし宜しければ、『僕達』をと言い換えたいところですけどね)を楽しませてくれたこのアニメを信じて、来週を待ちたいと思います。