イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ラブライブ! サンシャイン!!:第2話『転校生をつかまえろ』感想

女神たちの神話のかけらが新たなる女神を目覚めさせるアニメーション、今週は特定外来種攻略戦。
自身を失った音ノ木からの転校生と向かい合うことで、主人公・千歌も大切な何かを見つけていくというお話でした。
切れ味鋭いコメディあり、エモさで全てを押し流す心の繋がりあり、将来の攻略キャラクターの伏線描写ありと、手際良くいろいろやってるのは一話と同じかな。
現実世界での『ラブライブ!』とキャラクターを重ねあわせる、私小説的な目線も感じ取れて、シリーズ全体の膨らみを感じられるエピソードとなりました。


賑やかにいろいろ起きた回ですが、なんといってもメインはちかりこ。
二人が反発したりくっついたりしながらお互いを見つめ合い、相手を鏡にして自分を見つめる青春あわせ鏡が今回のお話の主軸になっています。
『全く見知らぬ所から運命の出会いを果たし、心の柔らかい部分を触り合って特別な存在』になるっていう物語は、シンプルだけど猛烈なエモーションを宿してるね、やっぱ。

常時エンジン全開の千歌が自体を支配しているように見える今回ですが、実は二人の影響は相補的です。
千歌のしつこいアタックに巻き込まれることで梨子がトラウマから一歩踏み出したように、最初は『作曲が出来る人』としてしか梨子を見ていなかった千歌も、触れ合いの中で『一緒にスクールアイドルをしたい人』、そして『自分が後押しをして、勇気の一歩を踏み出してほしい人』へと、梨子への認識を変えていく。
梨子がトラウマに向かい合う切っ掛けは千歌の輝きなんだけど、それを引き出したのは梨子の『ラブソングは書けなくても、スクールアイドルの詩なら書けるんじゃないの?』というアドバイスであり、その状況に梨子を引っ張ってきたのは千歌の積極的なアタックで……という風に、相互的な影響が積み重なっていってクライマックスに繋がる構成は、なかなか見応えがありました。
臆病さに縮こまった状態、ありのままに相手を見ていない状態から触れ合いを通して、お互いをより良い場所に引っ張りあげていく動きを見ると、千歌は直感的に真実を認識する主人公ではなく、周りを引っ張りつつ自分も支えてもらう、末っ子型のリーダーなんだなという思いを強くします。

二人の関係は『手』の芝居を通じて濃厚に描かれていて、『作曲が出来る人』時代は身体接触のない彼女たちが、海岸で向かい合った時初めて両手を取り合い、ベランダ越しに一線を越えて手を繋ぎ合うことで、二人の関係が一つのクライマックスを迎える。
海岸で『逃げていく梨子の手を、千歌が強引に引き寄せる』形だったのが、ベランダでの逢瀬では『千歌が差し伸べた手を、梨子が危険を背負ってつかみとる』形に変化していることで、二人の間の主導権や積極性がどう変化していたのか、非常に上手く表現されていました。
千歌と梨子は既に関係が出来上がった幼馴染ではなく、今まさに出会いの運命を紡いでいる最中なわけで、『手』にクローズアップすることで二人の動的な関係を切り取る演出は、非常に鋭く刺さりました。

鍵盤というフェティッシュを上手く使うことで、梨子個人の描写においても『手』は大きな仕事をしています。
かつてステージという戦いから逃げてしまったトラウマは、閉ざされた鍵盤に反映されていて、それを前に戸惑う『手』も、スクールアイドへの恋慕に目を輝かせる千歌に刺激を受け、もう一度鍵盤に向かう勇気に満ちた『手』も、印象的に描かれていました。
顔の表情や台詞といった直接的なシグナルだけではなく、手や足、仕草や目線といった暗示的表現をうまく盛り込むことで、感情表現の分厚さを太らせているのは、気持ちこそがすべてを動かす起因になるエモーショナルな青春物語の構造と、良く咬み合っているように思います。


この物語が多分に精神主義的だというのは、ダイビングのシーンでもよく分かります。
暗い思い出に支配されている最初の段階では、梨子は下を向き空も曇っているのですが、千歌と曜からヒントを貰い前向きになる瞬間、天から光が降り注ぐ。
青春の物語は常に可能性の物語であり、何も知らず何者でもないからこそ、何かになりたいと願えば何にでもなれてしまう、世界すらも変えてしまえる希望に満ちた物語です。
希望に満ちた青春の季節を舞台とし、"期待の波へと身を任せ"て何かを"きっと追い続けたら 君と僕にもトビラが現れる"と歌うラブライブにおいては、心理的状況が即座に環境に反映される印象主義的演出ははとても正しい。

特に今回は『新しい可能性に飛び込む勇気』の物語が展開されていたので、進むべき未来は常に明るく描かれるべきだし、そこに広がっている断絶は危うく恐ろしいものとして描かれなければいけなかったのでしょう。
何時落ちるかわからないベランダ越しの逢引も、梨子と千歌が感じている戸惑いや恐怖を強調するシチュエーションとして用意されています。
冷静で物理的な判断をすれば、わざわざ危なっかしい真似をしてベランダから体を伸ばし、手を差し伸べる理由なんてありません。

でもあの瞬間において、梨子は『スクールアイドルをやるのが怖い』『本気じゃないから申し訳ない』という心理的障壁を乗り越え、破滅への予感を乗り越えて決断的に千歌の手を取る、劇作的必然性を背負っています。
そこで問題になっているのは物理的判断ではなく、未来の可能性に飛び込んでいく勇気であり作品のメインテーマである以上、「届かないね」と諦めかけた梨子に千歌は過剰に食い下がり、まるで人生最大の決断であるかのような真剣さで手を伸ばす。
BGMと芝居の濃厚さを最大限生かして、梨子が果たした決断の重さを(素面になってみれば、わりとしょーもない)握手で表現するラストも、このアニメの表現主義が最大限生きたシーンだと思います。
少女たちの心の襞を無言で丁寧に描写し積み上げることで、ラストの盛り上がりを必然だと誤解させる、一種の作劇的麻酔がしっかり効いているのは、俺凄く強いことだと思うのね。
エモーショナルなものとして受け止められるべき瞬間を、たとえ勢いだけで押し流しているとしても、しっかりそのように受け止めさせられるパワーがあるってのは、やっぱ表現としては強力な武器なんじゃないかと。


ラストシーンの盛り上がりを生むためには、梨子と千歌と曜が過ごす楽しい日常の穏やかさとの対比、シリアスさを際立たせるコメディの切れ味が大事だと思います。
Aパートは特に元気で小気味良いコメディ要素に満ちていて、とても楽しく見ることが出来ました。
おバカで可愛い女の子がポンポンポーンと小気味良く暴れるコメディの上手さは、花田先生お得意のシーンって感じですね。
『笑える』ってのは表現においては強いことで、思わず笑ってしまえば視聴者の心理的障壁は下がり、キャラクターが過ごす世界はするっと心に滑り込んでくる。
彼女たちの青春を身近に感じさせ、その心の揺れを自分のものとして受け止めさせる意味でも、梨子が怪奇伊勢海老人間になるシーンが面白いってのは、大事なことでしょう。

コメディーシーンはシリアスの対比として、もしくは視聴者の心に滑りこむ劇的毒として機能しているわけではなく、サブキャラクターたちの見せ場でもありました。
自己紹介で事故って引きこもるヨハネ、飴で餌付けされるルビィ、面倒くさいμ'sキチとしての本性をむき出しにするダイヤと、将来的にメインの物語がやってくるだろう女の子たちを、楽しくて可愛い存在として印象づけるシーンがテンポよく挟まれていました。
ルビィといいクラスメイトといい、千歌は女の子に抱きつくのが好きだなぁ……あと美少女にびっくりするのも好きだな……。

堅物生徒会長かと思っていたダイヤお姉ちゃんがスーパー厄介ラブライバーだったのは意外でしたが、同時にちょっと気になるシーンでもあって。
お姉ちゃんがただのファンなら、μ'sは『スクールアイドルの伝説』とは形容しない気がするんですよね。
あの発言の主語は『スクールアイドル』であって『スクールアイドル・ファン』ではないわけで、ただのμ'sキチだから異常に詳しいという所から、ちょっと踏み込んでいる気がするんですよね。
まーただのμ'sキチでも、μ'sに憧れて何かをしようと願う千歌とは響きあう部分が生まれるわけですが、千歌が『見ているだけでは収まらない』『自分も輝きたい』キャラクターとして描かれている以上、ダイヤもかつて同じ願いを抱いていた(そしてそれに失敗した)過去を持ってんのかなぁ、とか妄想します。

それを加速させているのが意味深に挟み込まれる果南ちゃんの描写で、ダイビングを楽しむ二年生を見つめる視線には、どっか陰りが見える気がする。
今はバラバラに描写されている三年組が、かつては手を取り合った時代があったからこそ、今まさに出会い繋がり合っている二年組を、眩しく懐かしく寂しく見ているんじゃないかなぁってところまで、憶測は広がっちゃう感じです。
まぁこれは、僕の願望が多大に入っている読みで、『三年組にも濃厚な因縁があったらこの見出し面白くなるだろうなぁ』って希望が、色眼鏡をかけさせていることは否定しません。
でもさー、ダイヤお姉ちゃんと果南ちゃんとマリーが、今の二年みたいにキラキラ繋がってた時代があって、それがもう遠くになってしまっているんだけど(からこそ)強く引かれている、そしてそれを隠しているって状況には、ヤバいくらいドラマの爆弾が埋まってる気が済んだよなー。
三年がどう描かれるかはこれから先の物語なので、僕の妄想があたってるか外れているかの採点も含めて、楽しく待ちましょうか。


クソニワカである千歌と厄介ヲタたるダイヤの対比は、愉快なコメディであると同時に、現実の写し絵でもあります。
読者企画から伝説となり、沢山のファンの心を奪った"μ's"という伝説。
それを引き継いだこのアニメに向かい合う視聴者には、色んな立場があります。
μ'sの生き様に魂を揺さぶられ、その衝撃が大きすぎてサンシャインを認められないファンもいれば、社会現象となった『ラブライブ!』に今まさに出会って、胸を躍らせてスクールアイドルの物語を見守っている者たちもいる。
二人が見せたμ'sへの対象的な反応は、彼女たち個別の物語であると同時に、そこより広いレンジを捉え現実まで到達してしまうような、欲張りな投影でもある。
そんなメタフィクショナルな読みをしてしまうのは、劇場版を貫通する私小説的な視線、現実のラブライブという現象を冷静に観察しつつ物語に織り込んだ方法が、まだ脳裏から消えていないからかもしれません。

しかしこのような形でファン≒僕たちとキャラクターを重ねあわせ覆い焼きにすることで、今まさに目の前で展開されている『ラブライブ! サンシャイン!!』という新しい物語への没入性は、大きく上がります。
ラブライブ』という物語=現象を体験する僕たちにとても良く似た存在が、作品内にいることで、『この物語は僕達の物語だ』と強く感じる足場を造る効果が、サンシャインで繰り返されるμ'sの物語にはある気がするのです。
物語とは、物語の内部で展開するキャラクターの現実であると同時に、物語の外部に飛び出し、僕らの現実の一部を構成し侵食する体験でもある。
あまりにも大きな成功を収めた『ラブライブ!』の名前を冠するものとして、その構造に意識的である(ように僕に思える)ことには、結構大きな意味があるんじゃないかなぁと感じます。

メタ的な目線というのは常に冷静かつ離人的なもので、下手に入れ込めば作品への没入を妨げる毒になります。
現状サンシャインでなされているメタ的言説は、上手くその影を現実に伸ばしつつ、あくまで作品内部の出来事、キャラクターの体温を帯びた個人的な体験として描ききれている気がします。
それは自分たちが作っている物語が社会的にどのような立場にあり、どのような部分が共有され楽しまれているのか、冷静に分析する視点をしっかり持っているからこそ、生まれるもののような気がします。
それがあればこそ、時に前作の物語構造を繰り返し、時にやっていなかった物語を埋め込む自在の調整がうまく行っているのではないかとも、ぼくは思うのです。

千歌の思い描くラブソングが『スノハレっぽい曲』であるように、サンシャインはまだμ'sの物語を追いかけ、μ'sの影に取り込まれて展開しています。
しかしμ'sの物語はこれ以上ないほど完璧に終わってしまっているし、彼女たちはどれだけ願っても『秋葉原のμ's』にはなれず、『沼津のAqours』として自分たちの物語を展開しなければいけない運命を背負っています。
『どんなに望んでも自分以外の自分にはなれないのだから、ありのままの自分を肯定し、そこから歩き出す』という真理もまた、青春の物語においては重要なテーマで在り続け、例えば今回梨子が立ち返った場所も、そういう場所でしょう。
あまりにも偉大なμ'sの長い影を意識しつつ、その残響を振り払ってAqours独自の物語を展開すること。
それもまた、千歌達が物語内部で必死に立ち向かう彼女たち個別の物語であり、物語の外側でサンシャインが達成しなければいけない重責でもあります。

今はまだ『μ'sっぽいこと』『スクールアイドルっぽいこと』という形式を追いかけている千歌が、もしくはμ'sへの過剰な愛情に支配されているダイヤが、自分だけの詩を見つけた瞬間。
それこそが、"ラブライブ! サンシャイン!!"がラブライブの続編から、人間の真実を描き出す独孤の物語として輝き出す、決定的な一瞬になるのかなと、僕は思っていて、願ってもいます。
そしてそれを描くためには、μ'sの偉大さやそこに感じる尊敬、影響力をしっかり描くことが必要なわけで、ダイヤと千歌の問答(っていうには面白すぎましたが。全校放送されて、お姉ちゃん明日から学校来れるのかな……)にはしっかりとそれらが投影されていると、僕は受け取りました。
このメタ的言説の冷静さと的確さは、色々立場が難しいサンシャインを語っていくうえで、非常に強力な武器になると思うんですよね。


と言うわけで、色んな要素がたっぷり詰まった第2話となりました。
あまりにも千歌と梨子の運命の出会いをエモく描きすぎたせいで、曜ちゃんの影がちょっと薄くなってる気もするけど、大丈夫……一発逆転ホームラン展開マジあるからこれから……。(ちかよーを諦めないマン)
実際の話し、暴走末っ子気質のクソニワカをしっかり理解して支えつつ、アキバから来た特定外来種とも仲良く出来る辺り、よーちゃんは出来た子ですよマジ。

とりあえずこれで梨子との運命作りは一段落だと思うので、他のメンバーを掘り下げていくか、はたまたAqoursという存在を前にすすめるのか。
来週どう言う展開になるかは全然読めませんが、どう進めても楽しそうで胸が踊ります。
つーか、メンバーの1/3が学校通ってないってのも大問題だからな……とりあえずヨハネの社会復帰からかな……。