イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

舟を編む:第1話『茫洋』感想

リアル系アイドル青春アニメの金字塔"少年ハリウッド"のスタッフが挑むのは、まさかの『辞書編纂』!!
2016秋アニメ戦線のラストランナーは非常に地味な題材を、偏執狂的ですらある生々しさとどっしりとした話運びでアニメーションに仕上げてきた、とんでもないお話でした。
オッサンとオバサンとジジイとババアしか出てこない、ビームもバトルもお色気もない淡麗な展開を、それ故醸し出せる『匂い』で満たし、辞書編纂という題材の魅力を様々な場所から照射する、意欲的な第一話となりました。

今回のお話は主人公・馬締さんが天命に出会うまでの物語であり、身近にありながらまじまじと見つめられることのない『辞書編纂』というメインテーマを様々な角度から掘り下げるお話です。
思春期の輝きも、異世界の誘惑も、闘争の血潮もない、僕等がよく知っているはずの場所の、僕らがよく知っているはずの、ありふれた物語。
しかしそこにはみっしりと、驚きや生活感や独特の『匂い』が詰まっていて、実は『ありふれた物語』など何処にもないのだという驚きを、いい具合に叩きつけてくれました。

身近なテーマだからこそ、まずはパブリックイメージの虚飾を剥ぎ取り、そこに隠されている以外な魅力で視聴者の横っ面を殴りつけることが、このアニメでは必要になります。
そのための武器として、様々な手法が動員されているのですが、まずは休みなく動き続けるカロリーの高い動画が強烈。
『まるで実写』というのはアニメにおいて褒め言葉ではないと思いますが、僕らが行きている世界よりも生々しく、『老い』すら濃厚に感じ取れる蕎麦屋のシーンは、視聴者を奇襲するのにうってつけの初弾でした。
初老の男性二人による穏やかな会話の中に、辞書編纂にかける熱意や誇り、諦めや不屈がしっとりと匂ってきて、『派手さはないが、このお話は面白くなりそうだ』という期待を高めてくれる、良い出だしだったなぁ。

『飯を食う』という行為は人間であれば誰もが経験する、最も身近な行為でして、しかしそれが異質なリアリティを込めて動き、芝居をし、また動く。
『食』の分解能を極限まで高め、二次元のキャラクターが身を置く作品世界をこちら側にぐいと引きつけるために、細やかでありながら重みがある芝居は、凄く良い素材だったと思います。
モニタの中の彼らも、我々と同じように『食う』存在であり、非常にコンパクトで手触りのある悩みや、迷いや、熱意を持って物語に切り込んでいくのだと感じられること。
それはキャラクターと物語を手近に感じ、『ああ、俺の物語だ』と思えるための、非常に有効な足場となり得ます。

これは馬締さんが身を置く日常の風景でも同じで、書店の景色や公園の風、『早雲荘』のレトロな魅力が、妥協のない背景と細やかな芝居でグッと身近に迫ってきました。
エキセントリックで営業としては居場所がないが、松本先生が蕎麦屋で嘆いていたようなレアな資質を秘めた、不思議な青年……物語に待ち焦がれられている存在としての馬締さんが、蕎麦屋のやり取りを受け継いでグッと立ち上がってくる運びで、奇妙なのにとても楽しい。
タケおばあさんとの飾り気のない『食事』を見ていると、真面目さんあまり一般的ではないけども不思議と充実した人生に取り囲まれていることが感じられます。

あの食事シーンから感じる『異質な親近感』『不思議だが、手にとって見たくなる魅力』というのは確実に、仕草や環境を切り取る筆の細やかさ、動画と美術の細密さが生み出しているものであり、クオリティを作品世界の魅力に見事に転じる手腕を示しています。
世界観的にも話しの題材もキャラクターの配置も『地味』なこのお話において、どのように視聴者をフックするかというのは難しい課題だと思いますが、その『地味さ』をむしろ力に変え、『俺はこの空気を知っている。俺はこの匂いを嗅いだことがある』という『親近感』を生み出しているのは、やはり凄いことだと思います。
一度も見たことがないはずなのに、何処か懐かしく、ふらりと立ち寄ってみたくなる人々と世界……『匂い』のあるアニメーションとして、このお話はまず僕らの前に立ちふさがってきます。

各キャラクターを掘り下げる筆も決して焦らず、自然なシーンを積み重ね、モノローグを多用しながら尺を使い、彼らの『日常』に分け入っていきます。
人間としての自然な呼吸に合わせて進行する掘り下げは、僕らを取り巻く『日常』と同じテンポをしていて、緩やかに、しかし力強く『コイツはこういうやつだ』と教えてくれる。
主人公としてお話を背負う馬締の奇矯さと誠実さを、彼を取り巻く衣食住をじっくり見せることで感じ取らせる見せ方には、自信と余裕を強く感じることが出来ました。
エキセントリックだけど名前のとおり真面目で、不思議な可愛げのあるキュートな青年。
これだけガッチリと人物を見せてもらうと、それを足場に期待や想像をドンドンと伸ばすことも出来るし、そのゆったりとした描画それ自体が面白いので、退屈ということもないですしね。


『違和感の中の親近感』を使いこなしているように、このお話は知っているつもりで実は全く掘り下げていない『親近感の中の違和感』を、強烈な武器にして殴りかかってくる。
その最大のものはやはり、最大の作画カロリーを使って描かれた『馬締を探す荒木』のシーンでしょう。
荒木の一人称をアニメーションならではの表現で長回ししたあのシーンは、辞書編集者の職業病として活字が浮かび上がって見える荒木の特殊な世界を追体験させ、馬締と荒木(つまりは辞書編集という仕事)との出会いが運命的であることを、猛烈に感じさせてくれる。
常に言葉が保つ意味に深く分け入り、常人とは違った認識回路を鍛え上げた男が、未だ目覚めざる同類を見つける運命の瞬間を、あのシーンは一切の説明なしに描写しきっていたと思います。

そもそも、アニメーションとしてしっかり切り取られ動かされた『地味』な世界は、僕らが認識する世界に親しくはあるけども、同時に全く異質でもある。
僕らが見知った現代日本の景色だからこそ、それを圧倒的なクオリティを持ったアニメーションという手法で捉え直したとき、『俺の知ってる世界と違う』という新鮮な驚き、『親近感の中の違和感』が生まれるというのは、まさに驚きの演出方針でした。
なんとなく過ごしている現代日本の風景はあんなに綺麗で、あんなに動いていて、あんなに『匂い』に満ちているのだと、改めて思い直させられる猛烈な異化作用。
それは創作物が持っている最も原始的で激烈なパワーであり、ストーリーやキャラクターが乗っかる『アニメーション・メディア』という土台にそれが満ちていることは、この『地味』な物語が視聴者を引き込む源泉足り得ると思います。

知っているはずの物事の裏側を見せつけ、ハッと意識を吸い寄せてくる不思議は、作画だけにとどまりません。
運命的な出会いを果たした荒木さんが、馬締の資質を試すべく「"右"を定義してみろ」「"島"を定義してみろ」と投げかける問いかけ。
それは僕らにとっても身近であるからこそ、馬締のようには明瞭に即答できない、相当に難しい行為だとすぐさま分かります。
このやり取りであらわになる『言葉を使いこなしていると思ったが、言葉について案外知らない』という驚き、その難しい行為を馬締がそつなくこなしているという驚きこそが、『辞書編纂』という作品の中軸の難しさと面白さを、視聴者に感じ取らせる入口になっているわけです。
『地味』な世界を壊すことなく、自然で魅力的なやり取りの中で主題を一気に視聴者の中に入れてしまうダイアログの切れ味も、このアニメの強さだと思います。


『違和感の中の親近感』『親近感の中の違和感』に揺さぶられる驚きと快楽だけではなく、地道な滑り出しながらパワーの有る人間のドラマも、強く期待を煽るところです。
荒木さんと松本先生が嘆く『滅びゆく種族』としての辞書が、今後どうなっていくのか。
営業としては無用の存在である馬締が、辞書編纂という運命と出会うことでどのように己を見つけ、発揮していくのか。
逆に辞書編纂という場にしっくり来ていない風味の西岡が、馬締という同年代の異分子と触れ合うことでどう変わっていくのか。
これまた『地味』ながら、今回巻かれたお話の種はどれもこれも『ここからどう伸びていくのか』という期待を煽る、いい導入だと思います。

僕らが知っている東京に似た場所で展開する、僕らに似た人たちの、しかし僕らを取り巻く世界とは全く違った色合いを見せる物語。
これに血肉を通しているのが、穏やかながら色彩豊かな、声優さん達の演技だと思います。
辞書編纂に確信と誇りを抱く荒木さん、変人ながら誠実で知的な馬締、いかにも若造ながら可能性を感じさせる西岡、穏やかなプロフェッショナルのオーラを感じさせる佐々木さん。
みな『地味』な作風に合った、抑揚の効いた演技をしっかり乗せてくれて、ハイクオリティな映像に人間の体温を与え、身近に感じさせてくれる大事な仕事をしてくれています。

今回は出会いまでの物語なので、彼らがチームとしてスクラムを組み、辞書編纂に立ち向かっていくのは次回以降になります。
じっくりと時間を使って、個々人がどういう男たちなのかが見れたので、彼らがどう向かい合い、どう掛け合って難事を乗り越えていくか、既に期待が高まってしまいます。
彼らが挑む『辞書編纂』がどんな魅力と難しさを持っていて、何を要求する行為なのかも一話でしっかりと描写されているので、キャラクターとテーマを組み合わせて先を想像する楽しみが、強く刺激されるのでしょうね。
頭でっかちな先読みというよりは、目の前に出された魅力的な材料を思わず組み合わせ、ありえる物語を思い描いてしまう引力がお話にあるってのは、やっぱ良いですよ、凄く。
それをこの『地味』な材料でしっかり仕上げてしまったのは、本当に力のある第一話だと思います。


というわけで、2016秋アニメのラストランナーは、とんでもない実力者でした。
少ハリで見せたナイーブで生活感のある描写力を、黒柳監督とZEXISは思う存分発揮して、素晴らしいスタートを切ってくれました。
この『匂い』……やっぱ好きだな、俺。

走り出した『地味』な物語がどうその芽を伸ばし、魅力的なキャラクターたちはどんな科学反応を見せるのか。
まだまだとんでもない種を隠し持っている予感が、ビリビリとしています。
話がさらに進展するであろう第二話、非常に楽しみです。