イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

舟を編む:第5話『揺蕩う』感想

その小さな船は、私が人生を預けるには狭すぎた。
恋に仕事に悩める青年たちの、真っ赤な血潮に溢れた混迷の記録、今週は西岡正志の迷いと決意。
部署異動という落とし前を突きつけられた西岡が、迷いながら世界をじっくり見つめ、自分に出来ることを出来る限りやりきるという決意にたどり着くまでを、このアニメらしい粘り腰でしっかり描いてくれました。
迷いや怯え、疎外感といったネガティブな色合いも含め、西岡が心に秘めたものを映像でじっくり、饒舌に描いていくスタンスは、彼のプライドを最大限大事にしてくれる優しい筆で、文句なしに素晴らしかった。
アクセントとして挿入される馬締の恋文もどうにも可笑しく、しかし本気の恋のシリアスな手触りもちゃんとあって、次回に繋がるネタフリとしてもよく出来た回でした。


というわけで、今回は徹底的に西岡でした。
辞書編纂部という変人の巣窟は、馬締にとってはようやく行き着いた己の居場所なのですが、西岡にとってはどうしても馴染めない異国。
しかしそこは、現実的な計算や演技をすべて切り捨てて、己の全てを文字に投げ打つ本気の人々の聖域でもあり、たとえそこに入る資格を手に入れられなかったとしても、西岡にとって愛すべき、愛したい、愛されたい特別な場所です。
言葉になって出てくるのは、現実対応能力の高い西岡らしい諦めの言葉なのですが、心の底には諦めきれない『居場所』への愛情と、それを諦めなければいけない痛切な痛みがある。
そういう複雑な視線を丁寧に追いかけながら、西岡が覚悟を決めるまでの物語が、今回のエピソードとなります。

辞書編纂という『よく知らなかってけど、紹介されてみると不思議で面白い』テーマを扱う以上、そこにどっぷりと肩まで浸かり、文字の海に溺れることを天職と受け止める馬締が主人公になるのは、当然のことです。
しかし同時に、視聴者の大半はそういう情熱に憧れつつも、現実の蹉跌に信念を捻じ曲げられ、折れ曲がりつつ現実を受け入れている者がほとんどだと思います。
印刷見本だけで二時間語れてしまう変人たちと、外回りで気持ちを整えなかえれば前に進めない西岡との間に空いた時間的・空間的な距離は、キャラクターが感じた疎外感というだけではなく、視聴者とテーマの間にある距離でもある。
西岡は辞書編纂をよく知らない僕らの窓として、奇妙で愛おしい人たちのドラマに感情を乗せていく代理人として、やっぱ最高の仕事をしていると感じます。

現実の空気を吸う西岡という鳥は、文字の海に潜る変人たちとはどうやっても同じ場所には立てず、同じ飯を食うこともなく、『会社の利益』という抗いようのない圧力に押し流され離れていってしまう。
これまで『食事の場所』を同じくすることに大きな意味を込めてきたこのアニメが、初めて『一緒に飯は食えない』と演出することで、西岡が決意の意味、尊さがグッと胸に迫ってきます。
それは生き方の差異であり、人生にはよくある理不尽であり、その違いを飲み込んでなお、愛する場所、愛する人のために自分ができることを見つけ、貫こうとする。
その決意を恋人以外には見せなかったこと含めて、今回切り取られた魂の変遷は凄く尊くて、同時に特別ではない体温の宿る、ありきたりの人生の物語でした。
そういうものをしっかり描いてくれることこそ、この地味なアニメ最大の魅力であり、楽しみであると、再確信できるエピソードでしたね。


疎外感に流されるだけはなく、どうやっても文字に溺れることが出来ない、現実の空気を吸うしかない西岡がそれでも抱く、文字の海に住む奇妙な生き物への愛情を丁寧に映像にしてくれたのは、凄く良かったです。
愛があればこそ、そこを離れる未来を簡単には口に出来ないし、消して海には潜れないという事実を受け止めることは出来ない。
左右に揺れる彼の視線を丁寧に追いかけることで、こういう局面になったら誰もが感じるだろう西岡の葛藤をより身近に感じさせ、それが段々と定まり、一つの決意にたどり着く結末に満足感も覚える。
地道な物語進行ゆえに、キャラクターの細やかな心情、その変化にじっくり時間を使い、細やかな表現で切り取れる。
地道な物語だからこそ、生まれ伝わる感情の波を丁寧にアニメに載せ、独特の盛り上がりを作っていくスタイルは、やっぱ大成功だなと思います。

疎外感と愛情だけではなく、辞書編纂に潜っていく人たちと、それを商売として成り立たせる外交能力の対比も、今回は鮮明でした。
西岡の現実対応能力は、海に潜る生き物たちには持ち得ない彼特有の強さであり、彼がいなければ大渡海プロジェクトは暗礁に乗り上げていたということを、教授との交渉シーンは巧く伝えてくれました。
その能力ゆえに、より適切な『居場所』へと彼は引き抜かれていってしまうわけですが、それでも焼け鉢にならず、差異や劣等感や疎外感を飲み込みながら、奇妙で尊い仲間たちを守るために、己の能力を活かす。
西岡の苦境と決意を追いかけることで、変人たちの愛すべき楽園が誰に支えられ、何を基盤としているかも、より鮮明になっていきます。
色んな人間がいて、色んな『居場所』があって、その違いを拒絶するのではなく、むしろより豊かな方向に進むための推進力として称揚していく視線は、前向きだし優しいなと感じました。

今回軸になっているのは、西岡を主役とした揺らぎと決意なのですが、一人称的表現を突き詰めていくことで、彼を取り巻く人々からの愛情もしっかり切り取られ、世界がそうそう捨てたものではないと感じられるのは、非常に良かった。
お調子者で、でも愛情満載で、軽い口調の奥に決意を秘めた男が報われないなんて、そんなシンドいことはないわけですが、馬締が恋文を渡す時の、思わず笑ってしまうほど強い信頼感も、それを無碍には出来ずちゃんと受け取る西岡の姿勢も、このアニメは誠実に描いてくれます。
一人で悩み、一人で決めた西岡ですが、その合間には様々な人との触れ合いがあり、それが後押しとなって尊い決意が促される運動も、高潔な孤独と並列してしっかり描かれており、深さと広さが両立していたと思います。

同僚には弱いところを見せたくない、愛すべき意地っ張り男、西岡正志。
そんな彼の弱さをしっかり受け止め、無言で抱きしめてくれる三好さんへのありがたさも、天井ぶっ壊してた。
いやマジ、『ありがとう三好さん……西岡を抱きしめてくれて……ありがとう』ってなったもんマジ。(アニメに入れ込みすぎて保護者ズラのオッサン)

携帯電話で連絡を入れたけど本題に切り込めない三好の逡巡は、編纂部を愛すればこそ移動を切り出せない西岡と綺麗に重なっていて、優しくて不器用な愛情を抱える、似合いの番だなぁとしみじみ思った。
そんな不器用なメッセージを西岡がしっかり受け取って、自分から三好に切り出す所、一人で重すぎる荷物を抱えず共に預けられる相手がいる様子も、最高に素敵だった……幸せになってくれマジ。
二人の家のシーンも非常に細やかで、帰ってこない西岡を気にかける三好のそぞろな様子、タフな営業を終えて倒れ込む西岡と、そんな弱さを受け止め抱きしめる三好の優しさ、全て切れ味鋭く演出されていました。
良いなぁ……このアニメの恋の描き方は、やっぱ良い。


西岡と三好の恋はそんな感じで演出されていましたが、まだ始まってすらいない主人公の恋は、どうにも笑いを誘われる強張りに満ちていて、非常に面白かったです。
『15ページに渡る漢文混じりの恋文』は、西岡が言うとおり馬締らしい本気にみっしりと満ちていて、彼が香具矢との交際をどう考えているのか一発で判る、いいアイテムだと思う。
こういう上品な笑いを取り混ぜつつ、テーマやキャラクター性をしっかり飲み込ませ、物語が手近な距離にある実感を作れているのは、このアニメの強みだなぁ。

馬締の恋文はいかにもやり過ぎで、突き抜けすぎて冗談の域に達してしまっているのだけども、それもまた『馬締らしさ』であり、真剣に受け止める価値のある、愛すべきメッセージです。
辞書編纂部を離れる己の辛さに押し流されそうになりつつも、馬締の不器用さをしっかり受け止め、それを解読していく過程で心がほぐれて行く西岡を活写する意味でも、恋文はいい仕事をしてくれました。
馬締と西岡、同年代の二人をこうも気持ち良い対照として描き、お互い相互に惹かれ合っていく様子も生き生き演出してくれているのは、アニメ全体に爽やかな風を通していて素晴らしい。

果たし状のように正座で手渡される恋文は、このお話が扱う『よく知らなかってけど、紹介されてみると不思議で面白いもの』、その精髄でもあります。
辞書編纂というメインテーマ、馬締というキャラクター、彼が恋に向かい合う姿勢が一つのアングルで統一されていて、一貫性のある価値観で物語が作られていくことで、揺るがないオリジナリティが作品に宿る。
西岡という視聴者の代弁者が、そういう価値に引き寄せられ、距離を認めつつもしっかりと愛情を言葉にして行動していくことで、その陰影はより濃くなっていく。
馬締の恋文を次回につなげる今回の扱い方は、アニメ自体が何をどう語るかも巧く象徴化していて、色々と感慨深いものがあります。
勿論、馬締の本気を西岡が軽んじるようなやつじゃなかったことや、本気をまず西岡に預ける信頼感が馬締に生まれていることも、凄くシンプルに嬉しいんだけどさ。
テーマや作品の運び方と行った抽象的な次元と、作中展開される具象的なやり取り、両方に楽しさを見いだせるのは、活力と思弁性を同時に達成できる、非常に豊かな劇作だと思います。


というわけで、西岡メインのお話をきっちり掘り下げ、一つの決意にたどり着かせたエピソードとなりました。
俺達の西岡が『居場所』に悩み、どうやっても文字の海に潜る魚にはなれない、軽妙に現実を飛ぶ鳥としての自分を認めるまでの、丁寧な旅路でした。
愛されるべき意地っ張りがどういう男で、何を愛し、誰に愛されているかもしっかり見えて、非常に気持ちのよい話だったなぁ。

これで西岡を巡る物語には一つのケリがついたと思いますが、さて目の前に広がっているのは馬締の真面目すぎる恋愛。
奇妙な、しかし愛すべき青年のこれまた奇妙な恋が一体どこにたどり着くのか、非常に楽しみです。
いやー、やっぱほんとにおもしれぇなァこのアニメ。