イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ユーリ!!! on ICE:第12話『超超超がんばらんば!!! グランプリファイナルFS』感想

氷の上にあるすべてのものに捧げる賛歌、ユーリもついに最終回です。
OP/EDはおろか提供枠までフル動員し、決勝にまつわる全ての人生をどうにかして描ききる、渾身のファイナルでした。
これまで話の中心にあったヴィクトルと勇利、ユーリの三角形を全力で描ききるだけではなく、彼らに寄り添いつつも己の人生を滑るスケーターたちもしっかり描き切り、余韻を残してエキシビジョンに繋げる。
競技の作画と綿密な構成、ぶつかり合う感情と生き様。
全てがみっしりと詰まった、まさに"ユーリ!!! on ICE"の集大成と言える最終話でした。

と、言うわけで!
ぶっちゃけ収まりきるか危うぶむほど、沢山のものを準備してたどり着いた最終回、色々駆け足の部分はあれど全てを語りきり、見事に完走してくれました。
勇利とヴィクトルの関係を最大級に見出して引いたので、ここの処理だけで時間を使ってしまうかなと危ぶんでいましたが、このアニメらしい巧妙な語り口で、立派に語りきりました。
これだけ心をかき乱した上で、これまでの物語を思い返しながら馥郁と味わいきれる新規作画のエキシビジョンをしっかり用意し、満足感と穏やかさでエンドマークを見つめることが出来るのは、まさに神業。
素晴らしい最終回でした。


勇利がこの滑走を最後と思い詰めているのは、第4話あたりで既に明らかになっている思いです。
トップアスリートだからこそシビアに感覚できる、年齢の残酷な傷跡。
それと同時に、己が憧れた『神』としてのヴィクトルが『愛と人生』の中で鈍麻し、『ヴィクトルらしさ』を失っていってしまう痛み。
ヴィクトルとの絆が深まれば深まるほど、己に注がれる愛が強まれば強まるほど、勇利は追い込まれていったのでしょう。

それが最悪の形で爆発するのが、FS直前での別れ話なのですが、あのシーンはこのお話がヴィクトルをどう変えたか、最後の確認をするシーンでもあります。
物語冒頭に圧倒的なパフォーマンスを見せ、無敗の『美の化身』として、勇利に憧れの視線で見上げられていたヴィクトルは、今回涙を流す。
心底意外そうにヴィクトルの涙を見つめていた勇利は、実際にコーチをしてもらった一年だけではなく、スケートに全てを捧げてきた人生をも背負ってくれた『神』がその実、血も涙もある、弱い一人の人間だということを実感します。
そこには一種の失望があって、そう感じることが出来るのも、ヴィクトルに手を惹かれ『神』の領域まで上がってきたから、そして愛を交換しあい弱い部分を見せる資格を勇利が手に入れたからこそなのですが。

滑走直前、勇利一年間共有してきた、人間としての、コーチとしてのヴィクトル・ニキフォロフではなく、かつて憧れ今も憧れている、傷つかない『神』としてのヴィクトルを求める。
それに答えて、序盤で見せていた冷静でシビアな視線を再度演じてみせるヴィクトルの姿に勇気づけられ、勇利は世界最高得点を更新してみせます。
これまで展開された、ヴィクトルが『神』から『人間』に下降していく物語の中で、体温のある『愛と人生』から見えてくるものは、強く評価されてきました。
それがあればこそ、『人間』は『人間』のまま喜びを感じ、滑走の中で表現し切ることが出来る。

しかしそれと同じくらい、人間の世界を遠く離れた『神』の領域への憧れが、『人間』を『神』の領域まで引っ張り上げることも(作品内部の、そして多分人生の)真理でしょう。
その冷たさは『2つのL』が持つ暖かさと打ち消し合うものではなく、お互いを引き立てて、融和していくものであり、同時に冷厳に存在しなければいけない才能の高みでもあります。
少年の頃に憧れたままの、勇利の残忍な願いを聞き入れて、ヴィクトルは瞳を揺らしつつも『冷たくて天才的で、ナルシスティックでエゴイストなヴィクトル・ニキフォロフ』を演じ直す。
それは抑えてきた本音と、愛する人を奮起させたいという願いと、勇利が突きつけてくれた世界の真実を認め直す姿勢が、複雑に入り混じっています。

ヴィクトルに時間の巻き戻しを要求する勇利もまた、ヴィクトルを長谷津に引き寄せた第1話の滑走を繰り返すように、模倣に似た滑走を滑りきる。
しかしそれは、これまでの物語で脆弱さを削り取られ、甘えたモノマネではなく心の底からの愛を込めた、ヴィクトルの滑りであると同時に勇利自身の滑走でもあるような、世界一の表現になっています。
『神』を目指したからこそ頂点まで来れて、『人間』が隣りにいたからこそ頂点を超えられる。
あの滑りの中で勇利は過去と未来、幻想と実像を見事に融和させ、模倣でありながら模倣ではない、ヴィクトル・ニキフォロフを愛する勝生勇利だけの滑走を、見事に完成させました。
その結果がヴィクトル超えの世界新記録というのは、まぁ当然だといえます。

これまで展開されていた物語曲線は、『神』に憧れて上昇していく勇利と、『人間』に手を引かれ下降していくヴィクトル、二人が描く十字架でした。
しかし今回、勇利の身勝手な願いによって、己が『神』であることをヴィクトルが思い出し、競技者に復帰することで、『神』の領域と『人間』の領域は一気に接近し、混じり合います。
地上に下がっていたヴィクトルは、『2つのL』が持つ暖かさを忘れないまま、世界記録更新によって傷つけられたプライドを燃え上がらせ、再び上向きに飛び始める。

それはあくまで『神』としてのヴィクトルを求める勇利の願いに答えると同時に、『人間』でありながら『神』でもある稀代の天才、ヴィクトル・ニキフォロフの本性に答える決断でもあります。
そうすることで、『人間』として涙したりカツ丼食ったり風呂入ったり愛したりするのと同じくらい、あらゆる人の望みを背負って『神』として飛び続けることが尊いことなのだと、しっかり証明することが出来る。
どちらが上でも下でもなく、ただあるがままの自分を生きた結果、ヴィクトルは2つの領域両方を体験し、両方を活かす決断を示した。
お話の最後に、背負ってきたテーマ性をキャラクターのドラマと完全に融合させ、興奮と納得をもってしっかり示すことが出来るのは、本当に強いと思います。


かくしてヴィクトルは勇利の滑走の段階で己の決断を定めるわけですが、勇利の気持ちはここから変わっていく。
変えていくのは3人目の主人公、もう一人のユーリです。
ヴィクトルにとって、己の背中を見上げながら滑る勇利の姿が本心に火を付けてくれたように、ユーリが闘争心剥き出しで滑る表現は、勇利の気持ちを動かし、変化させていく。
ヴィクトルのように完璧な『神』ではなくとも、便所の中で情けなく泣き散らす『どこにでもいるスケーター』であっても、その滑りに憧れ、そこを目指して己を叩きつける若人がいる。
ユーリの滑走を見ることは、勇利もまたヴィクトルと同じく、誰かにとっての『神』なのだと気づかされることを意味しています。
ヴィクトルが勇利に答えて『神』の演技をしたように、勇利もまた、15歳のユーリ・プリセツスキーの情熱に答えるべく、一度たどり着いた結論を捨て去る。
己の中で激しくうごめく『エロス』と、誰かの為を願う『アガペ』が一つに融合した愛を滑りに込めたからこそ、ユーリは僅差でゴールドメダルを獲得し、引退撤回という奇跡を掴み取ったのだと思います。

ユーリの滑走は己の感情を乗せた激しいものであると同時に、ヴィクトルとの関係性の中で閉じていた勇利の矛盾を鋭く貫く、正しいスケートでもあったと思います。
ヴィクトル相手には『僕がこの人を独占していてはいけない。もっと広い世界に返してあげなきゃ』と願っているのに、自分自身が世界トップのスケーター、誰かにとっての『神』であることを忘れて、身勝手に退場しようとしている。
引退を決断した勇利はいわば、他者への対応と自己への処断が釣り合っていない、アガペとエロスのバランスが取れていない状況にあります。
ヴィクトルもそういう身勝手に怒り、涙し、ドSな態度で密かに指弾したりしてますが、彼はあくまで勇利から見つめられる側であり、引退を撤回させるパワーは持たない。
勇利の心にどっしり根を張った自虐心を蹴り飛ばし、『お前は凄いスケーターなんだ。俺の憧れなんだ。止めるな、戦え、俺と滑れ!!』というメッセージを伝えるのは、やはり15歳の怪物しかありえないわけです。
何が正しいとか一切考えてないのに、結果として非常に公正で清廉なメッセージを伝えられるあたり、やっぱユーラチカは生まれついての聖人だと思う。

無論、ユーリの滑りは勇利だけに向けたものではなく、己の激情を激しく乗せたエゴのスケートでもあります。
リリアから与えられた『プリマドンナ』という形を一度は受け入れつつ、より激しく、より強い『ユーリらしい』滑りに生まれ変わらせた今回の滑走は、勇利と同じように原点回帰の滑りで、到達点としての説得力が強くありました。
それはヤコフやリリア、お祖父ちゃんや長谷津の人たち、リンクメイトといった『他者』と共有された物語-作中の言葉で言えば『アガペ』-がなければたどり着けない『自分らしさ』であり、ユーリもまた、これまでの物語を背負って、高い場所にたどり着いたのです。

勇利にとっての原風景が『ヴィクトルへの憧れ』であり、ユーリのオリジンが『剥き出しの闘争心』にあることは、第2話の段階で巧妙に示唆されていました。
二人のユーリが長い迷い路を必死に歩き、最後に辿り着く場所が出発点だというのは、物語の形として非常に美しいし、形を超えた熱もまた、しっかり篭っていたと思います。
お互いの背中を見つめ、滑りの中でしか伝えられない願いを込めて、人生を動かしていくスケーターの生き様。
それが究極に達したからこそ、ヴィクトルの世界記録は更新され、彼はコーチとしての自分を捨てないまま、競技者としての己を取り戻す。
主役全てがしっかりと迷い、傷つき、己を見失ってまた見つけ直す物語がしっかり語られたからこそ、今回の大団円が熱く、僕の胸に届いたのだと思います。
いいアニメだ、本当に。


滑走の中で大切な誰かに向かってメッセージを届ける姿は、主役二人だけではなくファイナル進出者、全てに共通していました。
『大切な誰か』には己自身も当然含まれていて、ショートでの惨劇を乗り越えて自力で表彰台に登ったJJは、皆の声援で滑りきった前回と対比するように、己を取り戻すために滑った。
リンクに放り出された裸の子供ではなく、19歳にして才気奮発、世界の『王』として君臨するに足りる実力を持った"キング"としてのJJがいればこそ、六位からのブロンズメダルという偉業は達成できたのでしょう。
お話のテーマを背負う主役三人だけではなく、脇役であるJJにも己を取り戻す物語をしっかり背負わせ、滑走表現の中で見せてくれる公平な視点が最後まで維持されていて、とても良かったです。

届くメッセージもあれば届かないメッセージもあって、クリスがヴィクトルに抱く片思いは彼のペースを乱し、勝因ではなく敗着となってしまいました。
『勇利と出会って初めて『2つのL』を知ることが出来た』というヴィクトルの発言は、考えてみればずっと競い合ってきたライバルたちは『人間』の魅力を教えられなかったということであり、選ばれない残酷さをサラッと、しかし、しっかり描くなぁと思いました。
たとえ袖にされても、クリスがヴィクトルに向けている視線の熱さ、俺は好きだよ……。

そしてあくまで堂々と滑りきるオタベックくんと、独特の存在感と世界観を崩さないピチットくん。
ヴィクトルの『お前このタイミングで言うのかよ!』という現役復帰≒勇利引退宣言で揺れたユーリが、己を取り戻し強い滑走が出来たのは、オタベックくんが滑走の中に込めたメッセージが、しっかり届いたからだと思うんですよね。
10話という最終盤での登場だったけども、ユーリとの関係を力強くコンパクトに纏めた結果、オタベックくんは存在感と存在意義のある、良いキャラに育ったと思います。
しかしあの師弟、感情が高ぶっちゃったら他人の都合考えなしにぶっ放すところは、ホントそっくりだな……。

ピチットくんは最後まで天真爛漫、エスニックなコリオを取り入れた独特の滑りを崩さず、誇り高くやりきってくれました。
将来の夢がアイスダンス系であるところを見ると、アスリートというよりはエンターテイナーなんだろうな、ピチットくん。
競技者と表現者、魂の色はそれぞれ色々あれど、そういう個性全部を氷の上に載せ比べあい、高め合うことが出来る。
ピチットくんとオタベックくん、両対象な選手がファイナルに残ったのは、フィギュアスケートという競技の豊かさを示す上で、結構大事なことだったと思います。
まぁあと単純に、可愛いボーイ達が元気に滑ってくれると、俺が幸福。


かくして一年間の旅路は終わり、男たちはそれぞれの答えを見つけ、未来に向けて走り出しました。
いいアニメだった……本当にいいアニメだった。
(同)性愛の領域まで踏み込み、それとの戯れを刺激剤として活用しつつも、愛に答えを出さず様々な諸相を切り取っていくテーマとの取り組み方。
短い時間で見事に人物の核を表現し、その魅力で思わずみんなを応援し、好きになってしまうような豊かなキャラクター表現能力。
残酷な時間制限、傷ついていく体と心という、競技の薄暗い部分にもしっかり踏み込んだ腰の強さ。
様々な要素を贅沢に盛り込みつつ、その全てを表現し切る構成力の高さと、有無を言わさない説得力を与えるハイクオリティな作画。
個々の強みが見事にまとまって、ドラマの熱さ、テーマの強さをしっかり支えてくれる、立派なアニメでした。

個人的には、ヴィクトルと勇利、ユーリが惹かれ合う三角形の描き方が、圧倒的に見事でした。
第1話でしっかりと『神』の高みを見せ、そこに勇利が引き寄せられると同時に、勇利が『神』を愛で引きずり込んでいく構図。
そこから爪弾きにされたように見えて、様々な人たちとのふれあいの中で己を高め、最高の舞台で勇利とヴィクトルへの愛を伝えたユーリ。
フィギュアという審美競技をテーマにする上で、絶対に描ききらなければいけない部分を三人の男のドラマとしっかり重ね合わせ、複雑な曲線をドラマに込めて高く飛翔させた話運びは、凄まじく熱いものでした。
お話の屋台骨になる主人公たちの関係性、そこに込められた競技への真摯さがしっかり表現できていたことが、様々な要素を盛り込んでも作品が潰れなかった、最大の理由だと思います。

セクシュアリティに対する姿勢も非常に誠実なもので、ネタとして茶化すでもなく、過度にシリアスに頑なになるでもなく、創作物の中の大事なテーマの一つとして、良い角度から描いてくれました。
このくらい考えて性のあり方を描いてるアニメは、現行作だと"プリパラ"くらいだろうなぁ、マジで。
作品の盛り上がりを作る上で、ホモ・セクシュアリティへの耽美な接近は強烈な燃料になっていたし、精査を超越しうるフィギュアの競技性を鑑みると、踏み込んでよかった部分だと思います。
ロマンスが重ね合わされているから、勇利とヴィクトルの物語の温度があそこまで上がったってのは、確実にあるだろうしね。

他にも勝ち負けのドラマの作り方自体が巧すぎるとか、孤児の前に現れた母としてのリリアの描き方が好きすぎるとか、色々褒めるところはあります。
兎にも角にも、パワフルで誠実で、いいアニメでした。
"ユーリ!!! on ICE"というアニメに今出会えたのは、とても幸せなことです。
本当にどうもありがとう。
お疲れ様、ありがとう、素晴らしかった。