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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第47話『生け贄』感想

いつか夢見た栄光が、血まみれの地平線に沈んでいく瞬間の赤く、美しい光。
オルフェンズ第47話です。
火星に帰っては来たものの、金無し家無し夢も無し、何もかもなくなってしまった事実を認め、誇りをスコップにして自分の墓穴を掘るような、うら寂しいお話でした。
ジャスレイの『情けない命乞い』を無視し、死地に追い込まれても鉄華団の旗は降ろさなかったオルガが、仲間を生き延びさせようと必死に頭を下げ、マクギリスと自分を売り飛ばす算段を付ける姿は、とても辛かった。
半裸で死んでいく運命しかなかったネズミたちが夢見た、自分たちの名前が衣装に刻まれ、世界に対して胸を張れる未来。
それがもうないことを、思い知らされる話でした……多分。


というわけで、ホームたる火星に帰ってきたおかげで逆に、状況がマジでどん詰まりだと分かる今回。
教育と尊厳を背負って学校に行ってたはずのクッキー&クラッカは心無い揶揄の対象になり、メディアの首根っこを押さえたアリアンロッドにより英雄は犯罪者扱いに。
『人殺し』も『犯罪者集団』も『テロ組織』も、あながち嘘ではないところがどうにも哀しいところですね。

クソ以下の状況の中でも、誇りと根拠のない夢だけは輝いていたのが鉄華団の物語であり、お話を見るための足場だったと思います。
少なくとも僕は、オルガが人間らしい弱音を吐きつつ、なんとかツッパっている姿は、良いもんだなと思ってみてた。
オルガ自身の手でマクギリスを売り飛ばし、誇りを切り売りし、自分自身の命に安値をつけさせる今回の展開は、そういう足場をまた崩された感じがして、非常にしんどかったです。
このしんどさもまた計算の中で生み出された感情のうねりで、あんま振り回されないほうが良いんでしょうけども、まぁしんどいものはしんどい。

仇討ちを金看板に、手打ちを求めてくる敵をバンバンぶっ殺してきたのはオルガも同じで、今回のラスタルの対応はある意味因果応報とも言えます。
ビスケットを殺したカルタを、名瀬とラフタを殺したジャスレイを、鉄華団がケジメのためにぶっ殺してきたように、(身内から見れば)忠義の士であるガモンを殺した鉄華団に、ラスタルが復讐するという構図でもある。
『家族』の枠組みを維持するために、『家族以外』を『殺してもいいやつ』に認定する想像力の欠如。
それを武器にしてここまで来た鉄華団とオルガが、同じように『家族』を維持しようとするラスタルに殺される。
そういう構図も透けて見えます。

『基地を取り巻くアリアンロッドのMS』
『守るべきヤバい荷物を、売るか売らないか』
『ネズミのまま死ぬか、誇りを掲げて死ぬか』
状況は一期第一話、物語が始まったときにも似ていて、あのときは何が何でもクーデリアを守り、ネズミではなく人間として生きた証を立てようとしたオルガが、誇りを売って生き延びようとした大人と同じ選択をしようとするのも、とても悲しかった。

それは結局、鉄火団殲滅によりギャラルホルンの権威回復を狙うラスタルと、オルガに生き残って欲しいと願った仲間たちによって止められます。
『オルガがいる場所が、俺達の居場所』
『三日月がいる場所が、私達の居場所』
美しい家族の肖像と見るべきか、独り立ちできるだけの自分を確立できず、家族共同体の安楽さに飲み込まれた結末と見るべきか。
どっちにしても、一切の誇りなく生きながら死んでいる生き方よりも、一時の夢に麻酔をかけられながら崖に向かって突っ走る死に方を、少年たちは選ばされるようです。


そういう状況の中でも、ザックが沈むべき船から出ていったのは、バランスの良い描写……なのかなぁ。
彼が悪態つきつつもまっとうで、同調圧力に飲み込まれず勇気を持って船から降り、それでも船に残る仲間たちへの愛情を持っていたと描いてくれたのは、結構良かったと思います。
『死のう死のう』の狂熱に侵されながら、みんなで一斉に崖にオチていく『だけ』なのは、見ててしんどいですからね。

ただ同時に、現代日本の倫理的・経済的基盤を背負い、鉄華団のどん詰まりがどうしても遠い世界の物語である視聴者の代弁者を作品内において、公平さを偽造する計算が、どうしても透ける。
これは一期のステープルトンさんが担当していた部分なのですが、彼女は鉄華団に居残るために『家族』と同質化し、その言葉は状況を変ええない、外野の声のままでした。
ザックもまた同じで、帰るべき場所のある彼の言葉があくまで安全圏からの寝言であり、帰るべきホームを持たない子供たちは、夢を見ながら死んでいく決意を変えることはありません。
ただ、ザックが空気読まずに『やめます』と言わなければ、あそこで踵を返せず『家族』に飲み込まれた人も何人かいたと思うので、彼の決断はやっぱり良かったな、と思います。
嫌われる上に、正論言い過ぎて仲間を救っては元も子もない無力な役を、よく担当してくれました。

今更『オルガに考えさせずに、俺達も自分を持って、自分で考えるべきなんじゃねぇの?』と発言させている辺り、やっぱりこのアニメの鉄華団への視線には冷静な距離があって、入れ込みすぎていない感じがあります。
そういう冷静さが風通しを良くもしているのだけども、手に入れたはずの尊厳を剥奪され、狂熱か離反かしか道がないところまでキャラクターを追い詰める正当性にも、どうにも風が吹いてしまっている感じを受ける。

どうしようもなく世界は残酷で、他に選択のしようもなく彼らはこう生きていくしかなくて、そのように死んでいくのだ。
『要素が巧く積み重なって、最終的にうまくいく』というポジティブ(で、おそらく基本的)な物語構造に背中を向ける以上、負の方向に物語が落ち込んでいくこと、都合のいい奇跡が起こらないことを飲み込めるくらいの、冷静な観察眼と話運び、悲惨な境遇に落ちていくキャラクターへの痛みを込めた優しさ(もしくは圧倒的にクレバーな冷笑)は必要だと思います。
今回のザックとオルガ、鉄華団の追い込み方からは、(これまでと同じように)そういうものを感じきれなかったです。


クーデリアも三日月と生殖していましたが、バルバドスのへその緒に囚われたままの三日月という胎児が、その子宮の中で女とまぐわい父になる暗喩が、最高に性格悪くてグロテスクでした。
コードが邪魔してクーデリアに寄りきれず、『こっちに来てよ』と告げる絵面は、どうあがいても『家族』で他者を食い殺す以外に生き残る手段がなかった三日月に似合いの求愛すぎて、濃いめのため息が出ました。
オルフェンズとして生まれたもの、オルフェンズに落とされてしまったものは、一生死ぬまで孤児。
三日月が唯一たどり着けた恋を、不自然だとかグロテスクだとか指弾するような感想を抱くこと自体が、キャラクターと物語に寄り添えていない証拠なのかなぁ。

僕はアトラの生殖感にどうにも納得行かない部分があって、生まれてくる命をそれ自体無条件で祝福するのではなく、『三日月との子供』『帰ってくるべき約束』という付加価値を付けてしか肯定できないことが、なんとも嫌な感じです。
そういう祝福や願いなんてなくても子供は生まれてくるし、生まれてきた結果が今の火星基地のどん詰まり感なんだよ、と言われてしまえば、返す言葉はないけれど。
自分自身が『何かの役に立つこと』を期待され、それに反すれば殴打されるオルフェンズとして生まれてしまった以上、親になることもまた、一種の『清廉なる打算』を背負わざるをえない。
そういう生まれつきのレールの強さをこのアニメが重視しているのは、守り育む『まとも』な生き方を知らなかった三日月が草木を枯らし、上流階級として生まれたクーデリアが花開かせたことからも感じられます。

生まれのレールから出ようとして、オルガも三日月もアトラもあがいていたはずなのに、結局そこから出られない。
ザックが『まとも』なことを言うのも、『家族』に途中から横入りし『家族』になりきれなかった、『まとも』である贅沢を許された社会の上層だから。
生まれや社会階層、教育や収入の格差という『生まれつき』の一線はとても堅牢で、超えることが出来ない。
『楔』として『役に立つ』子供を無邪気に求め続けるアトラからは、そういうやるせなさを感じます。

三日月に抱かれ、アトラと姉妹になることを決めたクーデリアは、その一線を越えたのではないか。
そういう見方もできるんでしょうけど、三日月が代表する側に待っているのはコードで紐づけされたバルバドスであり、戦争であり、『死』です。
クーデリアが代表する側に鉄華団を引き込む試みは、ビスケットによって、ステープルトンさんによって、あるいはザックによって、アリバイを積み重ねるように幾度も試みられるけども、死や離別や愛情によって破綻して、結局は『家族』が他者を吸い込んでいきます。

クーデリアは『鉄華団のような、フミタンのような哀しいオルフェンズを出さない』という理想のために、アドモス商会を打ち立てました。
ここで鉄華団と行動を共にすれば『死』によって理想は半ばで潰え、見捨てれば理想とクーデリアの心に大きな傷がつく。
なかなかキツいジレンマを、クーデリアは三日月への恋慕をテコにして、一つの結論を選び取りました。
その選択は彼女自身のものであり、尊重されるべきだと思います。

しかし同時に、想像力の荒野たるこの作品の中で唯一、縁もゆかりもない他者へのアプローチを地道に続け、断絶を乗り越えられる可能性を背負っていた彼女がこの後たどる道は、彼女個人の理想よりも大きなものを作品がどう扱うか、その証明にもなります。
クーデリアの生死(それは肉体だけではなく、精神や社会的地位もひっくるめたものです)によって、『恋と家族愛のために、個人を超えた巨大な理想や善を、犠牲にしても良いのだ』というメッセージが飛び出しかねない。
『三日月のいるところが、私の居場所』という結論が、地獄の中で『家族』への強い絆を輝かせる助けになるか、自己と理想を放棄し尊厳に砂をかける遺言になるか。
僕個人としては、このあとの展開の中でとても大事かなと思っています。


鉄火団主軸で回っていたエピソードですが、イオク様が前線に出ることが決まったり、ラスタルがみんなぶっ殺す宣言したり、マッキーがニヤニヤしてたり、周辺も忙しかったです。
『力に溺れたバカの末路を看取って、今後の反省材料にしたいです!』と言い切るイオク様は、相変わらず『家族』以外への想像力が底をついていて面白かったけども、彼が前線に出てきてどう使われるかは気になる。
凄く意図的にヘイトを溜め、勝ち船に乗ったおかげで『オルフェンズではない』恵まれた子供代表みたいな位置に、いつの間にかなっていたイオク様。
彼に、どういう物語的な仕事をさせるのか。
そういう見取り図はないアニメなのかもしれないけども、良くも悪くも凄くオルフェンズっぽいキャラなんで、使い方は気になります。

ラスタルはネズミの退路を積極的に絶って追い込んでましたが、最後に噛みつかれるためのフラグなのか、『大人』として世の中の道理を説教したかったのか。
悪辣な策士なら『おお分かった分かった、手打ちにしよう』と誘い込んでおいて、逃げ場がない状態でぶっ殺すくらいのことはしてくれてもいいかなと思いましたが、まぁそうしない事情があるんでしょう。
正義の偽造コストが異常に安い世界だってのは、今回鉄華団を犯罪者集団に仕立てた流れから分かる気がするけど……イオク様に、経験値と晴れ舞台用意してあげたいのかな。
丸男のデビュー戦として湘北を使おうとした堂本監督みたいだな。(唐突なスラムダンク比喩)

マッキーは相変わらず『死ぬまで全力疾走。それが鉄火団イズムだろ!?』と的確な煽りをぶっこみつつ、基地に居場所がないのか火星をウロウロしたり、あわや売られかけたりしていました。
最後の不敵な笑みはなんか策を仕込んだ結果だと信じたいけども、バエルとアグニカへの無邪気な信奉加減を見るだに、理由なく笑ってても納得はする。
クソ親父に虐待の事実を全世界公開され、ただでさえクチャクチャに踏まれた尊厳を泥まみれにされたのには、同情もするよ。
『行動理念にも実際の行動にも同意は出来ないけど、同情はできる』っていうマッキーのキャラは、なんかトンチキなオリジナリティがある気がする。
クソ外道のサイコ野郎なんだけど、不思議な憐れみがあるというか……まちがいなく大器ではなくなってしまったが。


そんな感じで、墓穴への道を自分たちで舗装するような、寂しい故郷の夕暮れでした。
『ID改ざんで心機一転一発逆転! 先立つものも隠し講座からゲットだぜ!!』という細い希望を見せておいて、すぐさま叩き潰す流れとか、ダレがなくて良かったです。
ホント、感情を揺さぶる手腕は巧みなアニメです。
ID変えるのも窮地の弱々しい希望で、蒔苗が手伝ってくれる保証、変えたところで逃げ延びれる確信もないんですが、ここまで追い込まれるとすがりたくもなるね……カンダタの糸だね。
揺さぶった感情の振幅をどこに収めて、どう使って、何を作るかに関しては信頼感が薄いですが。

さておき、少年たちは物語が始まった時と同じ状況に追い込まれ、死地を抜けるしかなさそうです。
あのときは夢の始まりだった火星の荒野は、夢の残骸と赤い血をたっぷり吸って、最後の輝きを見せるのでしょう。
あんまり見たくはないですが、それが終わりというのなら。
来週も楽しみですね。