読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第17話『アマンダ・オニール・アンド・ホーリー・グレイル』感想

硝子の靴を探して空を飛ぶ魔女たちの物語、今週はアマンダ個別回。

言の葉と聖杯を探してパブリック・スクールに潜入! ……と思わせておいて、やり場のない青春のモヤモヤを抱えていたアマンダが、つまらない毎日を少し肯定できるようになるまでの探求譚でした。
親友と一緒にドタバタ走り回って、男の子相手に大立ち回りを演じて、素直にごめんなさいと言える気持ちが、一番大事な聖遺物。
言の葉探しの本筋からすると『ボール』なんですが、アマンダとアッコの関係性としてはど真ん中に入れてくる、このお話らしい外伝でした。


いつものブライトンベリーを離れ、エイプルトン校を舞台に展開する今回。
軸になっているのはやはりアマンダとアッコ、二人の問題児の友情です。
物語開始当初はおなじように反抗的で、やりたいものの具体像を見つけられなかった二人ですが、話が17話まで進展してみると、アッコは『言の葉集め』というクエストを見つけ、溢れる青春の血潮をぶつける対象を見つけています。
主役ではないアマンダはエピソードに置いてけぼりにされて、楽しいこともなりたいものも見つけられないまま、『こんな学校、すぐにもやめてやる!』とやけっぱちな態度。
同じスタートラインから始まっても、途中経過で色々と差が出ています。

伝統に貞淑であること、騒動から遠ざかること、既存の価値観を重視すること。
ルーナノヴァがアマンダに押し付けるベーシックはどれも窮屈で、天性のパンクスである彼女はそこには収まりません。
今週の舞台がエイプルトンなのは、秘密結社に聖杯の伝説、決闘の伝統に燕尾服といった『パブリック・スクールあるある』をやるための道具立てであると同時に、この作品のベーシックである『女たちの世界』ではアマンダの個性を存分には発揮できないからだと思います。

ルーナノヴァもエイプルトンとおなじように、歴史の重みを子供に押し付け、行動を規定します。
アマンダは魔法の力で男を装いつつ、ネクタイは細身の挑戦的なラインだし、スーツのラインも乱暴に跳ねている。
敵対するルイスが父親の権威や、悪い意味でのエイプルトンの伝統に支配されているのに対し、アマンダはブライトンベリーでそうであるように、権威に反抗するパンクスであることを貫きます。

反抗者であることは疎外されるということで、権威と伝統に馴染めないアマンダは社会の中での居場所を見つけられず、自分の価値を軽く見ている。
『アタシが退学になればいいよ』という自己卑下の言葉を、アッコは『そういう冗談笑えない』と拒絶していますが、アマンダの中のパンクス(こう言ってよければ『男らしさ』)はルーナノヴァでは収まる場所を見つけられなかったわけです。
翻って『男の世界』であるエイプルトンには、『男』の属性(とされている)たる暴力性や対立を決闘システムによって解消する伝統があり、賭け事や権力結社を学生時代から楽しむ気風がある。
おなじように伝統を押し付けてくる檻でありながら、無骨で暴力的なアマンダの個性は、エイプルトンにおいては(おおっぴらに認められなくても)社会的な価値と結びつきます。

アマンダが賭博を好み、暴力を支配できる『男らしい』女の子であることは、ルーナノヴァにおいては疎外の原因ですが、エイプルトンでは恐れられつつ一目置かれる、不思議な輝きの源泉足りうるわけです。
ここら辺、アッコが性別以前に種族を書き換える形で変身しているのとは、なかなか意味深な対比だなぁと思います。
普段の隙だらけの立ち居振る舞いを見ても、アッコが己の性に無頓着な『子供』であり、『女(あるいは『男』)』であることにほとんどアイデンティティを感じていないからこそ、アッコはガンバっぽいネズミになったのでしょう。
そう考えると、アマンダとアッコは同じアウトローのように見えて、精神成熟度では大きく違うんだろうなぁ……スーシィと同じだな。


ではアマンダが『男』になれば、彼女の自己実現が完成するのかといえば、無論そういうことはない。
燕尾服を着込み、スカートではなくズボンを履くのは、あくまで魔法が用意した迂回策であり、『男』の目をごまかす戦略でもあります。
スカートを脱いだことでアマンダが解放されたのは間違いない事実であるけども、彼女は魔女であること、女子校の生徒であることに最終的には帰還し、一時の仮宿から居心地の悪い家へと帰っていく。
どれだけ気に食わなくても、魔女として積み上げてきた時間(私的な伝統?)が彼女の力であり、彼女自身でもあることは、最初の決闘に勝利した時オールバック(男の装い)が乱れ、いつもどおりの髪型に戻っていることからも見て取れます。
『男の世界』に属する尋常の勝負で、相手の想像力を上回るカポエラ剣術で勝利した後、そこを飛び越えた『魔女の世界』の戦闘で鎧の怪物を倒し、魔女としてルイスを開放するところからも。

いわばモラトリアム内部のモラトリアム、魔法の中の魔法として、アマンダは自分が自分らしくいられる『男の世界』に旅立ち、そこで暴力と陰謀、賭博と冒険をたっぷり堪能し、鎧の怪物に魔法で打ち勝つことによって、少しだけ自分を肯定して帰還していきます。
アマンダが異郷で学んだのは、スカートを脱ぐと気が楽になる自分の個性と同時に、魔女だから、エイプルトンにいたから出会えた、東洋の親友の価値でもあるでしょう。

何がしたいか、何になりたいか、何でありたいか。
アッコのように追い求める星を見つけられなくても、友がそばに居てくれることで、自分に価値を見いだせる。
戦うことや勝つこと、物理的な聖杯を追い求めることよりも、なにも手の中には残らなくても心のなかに輝くものを見つけられた冒険こそが、アマンダに己を肯定できる足場、『こんなつまんねぇ場所、やめてやるよ!』と言わない理由になる。
冒険譚の奥に一少女の小さな、しかしだからこそあまりに大切な変化が輝いているのは、とてもこのアニメらしいと思いました。


今回の話の軸はアマンダなので、アッコは第4話のように聞き役、導き役としての仕事が多くなっていました。
しかし『女の世界の中の男の子』としてこれまでも出番があった(そしてこれからもあるだろう)アンドリュー相手には、ガッツリ四ツで向かい合っていました。
アンドリューもまた、魔女が異物にならざるをえない『男の世界』の中で、アッコ達をあるいは助け、あるいは公平なジャッジを用意する助言者として、良い立ち回りを見せていました。
アマンダの精神的聖杯探求譚の裏側で、主役とヒロインの交流が行われているのは手際が良いですね。

日本から流れ着き、土地に根ざした歴史も血縁の期待も持っていないアッコは、これまでとおなじように『やりたいことをやる!』と胸を張ります。
しかし伝統に束縛されたアンドリューは、『やるべきことをやる』ことを大事にし、自分に言い聞かせる。
『やりたいこと』と『やるべきこと』(そして『やれること』)の対立関係は、どちらかが根本的に優越するという類のものではありません。
ベストな答えとしては『やりたいこととやるべきことが重なる』ことなんですが、そんな銀河美少年になって世界の声が聞こえそうな運命的瞬間は、なかなかやって来ません。
逆に言えばその瞬間こそが、青春を扱うこの物語のクライマックスになるのでしょうけども、立場も性別も背負う歴史も文化背景も違いすぎる二人は、この段階では和解できない。
しかしアンドリューがアッコの自由奔放さに惹きつけられていることは、面倒事を背負い込んで羽ばたかせてくれたこと、不正義を見逃さず密室に飛び込んでくれたことからも朗らかです。
こういうロマンチックさがね、僕は好きなの。

『やりたいこと』を見つけられずアッコにおいて行かれたアマンダと、父親に過剰に癒着し『やるべきこと』の悪しき奴隷になっていたルイスが、ともに『悪かったよ、すまなかった』と謝罪して今回の話が終わっているのは、なかなかに示唆的です。
少年も少女も、己を探しているものは皆何かにとらわれているわけですが、冒頭『強い政治(≒『男らしい』政治)』を求めていたルイスは女に敗北し、助けられた経験を経て、『謝る』ことをで父に反抗します。
自分の非を認める『女々しい』行為はしかし、真実をあるがままに認める『強い』行為でもあるわけで、ルイスは父親という檻、『強い/弱い』『男らしい/女々しい』という二項対立から飛び出し、自分らしさ(『やりたいこと』と『やるべきこと』の融和点)を見つける、第一歩を踏み出したのでしょう。
親友を振り回したこと、自分を大事にしないことで愛する人を傷付けたことを謝罪したアマンダもまた、同じような聖杯を見つけたのではないかと、今回の話を見て思いました。


このアニメにおける『魔法』が常に『心の強さ、正しさ』であり、物理的な実力ではないということは、これまで幾度も描写されてきました。
アクション多めな今回もこの指針は貫かれていて、変身魔法は『男の世界』に異物を紛らせるものだし、アッコの魔法は鎧の落下から命を守ったし、アマンダの一撃はルイスを鎧から(そして父親という檻から)解放します。
こういう表現が徹底されることで、人間が自分らしくあること、命が守られることが『魔法』なのだ、というメッセージに温度が通うわけで、今後も維持してほしいなぁと強く願いますね。

魔法の話をしますと、決闘で用いられている剣(スペード)、開始を告げた硬貨(ダイヤ)、探求された聖杯(カップ=ハート)、魔女の力を宿した杖(クラブ)と、小アルカナの4スート全てが出てきたのは非常に面白かった。
スートは地水火風四属性に対応する魔法的アイコンであり、時代が下ってトランプに取り入られてたりしますが、そもそもは魔女の領域のパワーです。
これを集めてアマンダが魔女に戻り、同じ魔女の陰謀に打ち勝ってルイスを開放するってのは、なかなか隠喩が効いてて好きだなぁ。
ポップな外見しつつ、オカルトの伝統と智慧を一切ないがしろにしていないのは、本当に凄いと思う。

自体の背後にはクロワ先生がいて、二人をエイプルトンに送り込んだのも、逆転のパワーになった魔法ルーターも、鎧の大暴れも彼女のものってのは、なかなか面白いところです。
彼女が研究し悪用しているのは、『魔法の技術・可視・物質化』であり、『感情のエネルギー化』……ひとまとめにすれば『精神の物質化』です。
これも錬金術の秘奥であり立派な魔術なんですが、アマンダとアッコは物質としての聖杯を損壊し、『二人の友情』という形のないものを持って帰還しています。
目に見えるものと見えないもの、どちらに価値があるかはとても難しい問ですが、今回聖杯を追いかける中で、このお話がそこに足場を置いていること、将来的に何らかの答えが出ることが、それとなく示された印象を受けます。
言の葉集めの裏で、クロワ先生の印象を強めることには(謎のカップラーメン推しも含めて)成功していると思うので、今後が楽しみですね。


というわけで、アマンダとアッコの聖杯探求譚でした。
力を失った聖剣を持ったアッコと、男の装いに身を包んだアマンダは、エイプルトンという異邦の地で、聖杯も言の葉も見つけられませんでした。
でも旅を終えてみれば、アマンダは『今、ここにいる自分』を肯定できるようになっている。
シャリオやグラン・トリスケルという大きな物語は見つけられないままだけど、そばに居てくれる親友の暖かさ、暴れまわれる自分らしさを見つけて帰還している。
アッコが歩むものとはまた違う物語、違う答えを彼女が見つけた今回は、物語全体の価値体系に奥行きを出す、とてもいいお話だったと思います。

序盤サラッと流されていましたが、ダイアナの実家の方も大変みたいです。
伝統にまつわる第五の言の葉は、おそらく彼女の物語で開示されるのでしょう。
俺は必死に優等生をやって、重たすぎる荷物を背負いながら独力で高く飛んでいるダイアナのことが大好きなので、そのお話にも今回みたいな輝きが宿ればいいなぁ、と思います。
来週も楽しみです。