URAHARAを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
加速するりとの摂食と暴走。あまりに本気でぶっ千切る親友に、ドン引きして洗脳が解けるまり&ことこ。描くこと、見られること、破壊することが渾然一体に渦を巻く中、蘇るPARKのオリジン。
URAHARA力全開でドンドコ進む、幻想との決別回。
これでいいのか? いいんじゃないかな。
今回かなりURAHARA力高い展開で、正直いろいろ混乱している。途中のロジックのトビ方というか、呆気なさというか、『いやお前らりとの説得拒絶してたし今りと説得してるのおんなじ理屈じゃん!!』みたいな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
途中で切り取られる象徴性と、女の子の関係性が気持ちいいのもいつも通り。
今回は『食べる』行為に過剰に固執する、露骨に過食症(あるいは薬物依存症)的な描写が延々ドライブし続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
掴んで、食べて、掴んで、食べて。与えられるままに咀嚼するスピードは、りとの渇望を反映して速い。あるいは、彼女のオリジナルな才能を。
回想シーンではポジティブに噛み合っている、りとのオリジナリティ、まりの要領の良さ、あるいはことこの発想力。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
それはスクーパーズに毒された世界ではお互いの断絶になって、そっぽ向いたまま三人は『食べ』続ける。ただ、毒の回るスピードは圧倒的にりとの方が早い。
エビフリャーから与えられる強制的な『食』が一体何なのか。なぜりとだけが過剰に食べ続け、まりとことこはアッサリ『傷ついている自分』への酩酊から覚めるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
他の部分は(いつも通り)ガッツリ台詞で説明するのに、ここら辺は『お前ら頑張って読め』と投げ出されている感じだ。URAHARAだなぁ。
ここら辺は視聴者各人投影=読解するものが違う部分で、そこに何を見るかでこのアニメの大きなテーマも変わってくるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
自分としては、りとが過剰に食べ続けるのは彼女が天才だから、な気がする。他人の評価ばっかり気にするまりちゃんが隣りにいる分、彼女の本物っぷりはより際立つ。
ことこもある意味天才ではあって、状況を腑分けして分析する能力は高い。だがそれを手触りのある表現に落とし込む能力に極端にかけているので、思いつきを絵にすることは出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
それは『本物』であるりとの特権だ。それが彼女を孤立させていたのも、見ての通りだ。
突出した才は己を食いつぶす。りとは寡黙な職人面の奥でずーっと寂しくて、ずーっと『見て』欲しかった。ここら辺の孤立はことこも同じで、『みんなと同じスタイル』を発掘し、それに同化できるまりは、天才と社会の橋渡しが可能な偉大なる凡人、なのかなぁ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
りとの強い自傷性は外側に溢れ出して、建物をバッタバッタとぶった切り始める。裏原宿ご当地アニメなのに、主役がURAHARAを破壊し始める所が、マジでアナーキーだなぁ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
創造的行為が破壊的行為へとネジレていく。それはスクーパーズの毒の影響であり、りと自身の性質…天才のような気もする。
巧く凡俗に溶け込めるまりと違って、好きなものを好きなように描いたりと(あるいは好きなものを好きなように語ったことこ)は、社会と接合できていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
PARK初日の出会いにしても、コミュ障気味の二人をまりPが巧く繋ぎ合わせて、会話が成立している。天才の崩れたバランスを、凡人が取り直している
社会からはじき出されPARKに流れ着いた三人は、お互いに欠けているものを補うことでPARK(りと曰く『みんなの憩いの場所』)にい続けることが出来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
お互いがお互いの才(それは凡才であることも含む)を伸ばすことで、傷ついた心を穴埋めし、治療することが出来た。
冒頭、みんなでもっしゃもっしゃスクーパーズ飯を食っている時、三人の視線はバラバラだ。お互いの渇望だけに目が行って、それを埋めてくれる相手を見ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
りとが暴食を始めて、ショックを受けた二人はハイライトを取り戻し、ようやくりとを見る。先週の必死の説得に比べ、かなりあっけない。
このドン引き洗脳解除は凄くURAHARA的で、アニメっぽくなくて不思議で、かつ生っぽい。個人的には、思春期の悲劇に酔っ払ってる感じと、それがあっという間に醒めるスピードが描けてて、結構好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
とまれ、二人はりとの現状を見るようになって、必死に追いかけて止める。
先週りとが必死に投げかけた言葉が、まりとことこから山彦されるこの流れ。『先週あんなにりとちゃんないてたのに、どの面下げて説得してんだテメー!』とも言えるし、りとが投げかけた言葉が自分に返って来ている展開とも言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
ここら辺の解釈が固定できない所が、このアニメの難しいところだ。
エビフリャーの望むままに、食べて、壊して、描いて。メディアや広告や常識や倫理という、あらゆる強制を駆使して『子供』を『悪い大人』に変えて、良いように使い潰そうとするエビフリャーは、やっぱ『悪い大人』の具現なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
食事は身の養いであり、食べたものは身体と精神に変わる。心と体は食べたものから出来ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
何を食べて、何を造るかを自分で選ばないことは、、自分を良いように作り変え得られてしまうこと。スクーパーズ食とスクーパーズ化の間には、ここら辺の関係が投影されている、のか。自信がねぇ。
とまれ、二人の説得によりりとは(エビフリャーの望むままに)『食べる』ことをやめ『描く』のもやめる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
その切っ掛けになったのは、PARKで一番最初に作った飴、そこに描かれた猫である。ポーザーであるまりにも、表現手段に乏しいことこにも造れない、オリジナルの表現。PARKの青い鳥。
元々答えがスタート地点にあったことは細かく示唆されていたし、このトンチキなアニメは『行きて帰りし物語』というベーシックな類型を丁寧に踏んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
なので、三人の出発点が正気に戻り、与えられた(偽装された)特別さと暴力を放棄する決断に繋がるのは、非常に筋が通っている。
スクーパーズ色に染まった現実のおぞましさと、回想シーンのパステルな可愛さの対比がエグい。ここ二話、ずーっと破壊され薄汚れた原宿しか見てなかったからなおさらである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
思い出にしか存在しない、綺麗で優しい場所。それはずっと一番近い場所にあって、しかし実際迷ってみなきゃ見つからないのだ
短い出番ながらも新しい服と髪型がバンッバン出てきて、あっという間に蕩尽されるのは、『ファッションの街』原宿を舞台にしている作品ぽくて好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
可愛い自分を、あっという間に着替え倒す贅沢さ。KAWAIIの最先端を、全速力でダッシュ出来る特権が、原宿と少女たちにはある。
ことこの髪型が結構コロコロ変わって、お菓子とか服とかにも興味津々なのは、なかなか面白いと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
コミュニケーションに難アリの天才ナードだからって、可愛いものに興味ないわけじゃないよね。まりが上手く興味を通訳して、プロデュースした結果かもしれんけども。
物語開始以前の、ただの平凡な女子高生店員だった三人をこのタイミングで描く。特別な力を捨てて自分に戻る展開と合わせると、結構大きな意味があると思う。単純に可愛いしな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
戦闘ユニットになる前から、やっぱり三人はお互い支え合い、補い合った。今回の決断はそこに帰還し、新しい道に進むことだ
すんげぇザックリと台詞で追認した『真似しかできないまりも、知識しかないことこも、みんなクリエイティブだよ!』という叫び。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
それ単品だとペラッペラだが、PARK以前の良いトリオっぷりが追いかけることで、ギリギリテーマとしての分厚さを確保できた気がする。いやどーかなぁ…描写だけで良くね?
でも、暴走したりとが二人に『好きだよ』と言ってもらって正気に戻ったように、あそこでお互いの特質を肯定してもらったから真顔になった気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
言葉を見つけるのが不得意なりとは、それが特異なまりに『可愛い。凄い。好きだよ』と伝えてもらうことで、自分を肯定できた。同じことをやった感じか
これは想像だけども、三人娘はお互い凄くコンプレックスが強くて、自分にないものを持っている仲間が好きで嫉妬もしてて、楽しい時間を過ごしつつ複雑な気持ちを持っていたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
スクーパーズ化して表面化した気持ちは、黄金時代に確かに存在していた影が表に出たものなのだろう。嘘ではないのだ。
そういう歪みと四つ相撲を取った結果、自分の意志で三人はアマツマラを捨てる。エビフリャー/悪い大人/他人に与えられた『特別な証』ではなく、手の届く大事な友だちに認めてもらう『当たり前の特別』を選んだわけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
そうすると、スクーパーズ化していた身体が元の人間に戻る。難しいなオイ。
スクーパーズは人間的であり、人間はスクーパーズ的である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
その相互侵犯性は、単眼お菓子を『食べ』てスクーパーズする少女、あるいは『人間ぶっ壊れたら、また造ればいいじゃん!』という最悪のクリエイティビティを発揮するエビフリャーから、今回も見て取ることが可能だ。
僕はその、なんとも白黒つけがたい曖昧さが結構好きで、だからスルッと『人間』に戻ってしまった描写がちょっと拍子抜けだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
来週以降どう転がすか、また露骨にお姉さんたちを心配しまくってるみさがどう動くか次第だが、人間とスクーパーズをすっぱり切っちゃうのは、ちともったいない感じがする
確かにスクーパーズは略奪だけしか出来ない、創造を切り捨てた種族だ。コピーと侵食とだましばっかりやって、ボコボコ街をぶっ壊す悪いやつだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
でも、それが自分たちにどこか似ていることを、他ならぬことこがかつて言っている。身体がスクーパーズ化したのも、心が暴走したのも、どっか似てるからだ
造るものと奪うもの。その断絶をスパっと切り離してしまうのではなく、橋を造って第三の答えにたどり着いてくれると、僕としては嬉しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
あんだけひどく騙されて、なお妙に軽快なやり取りをやって敵対しきらない辺り、そういう展開になると思うのだが…そういう並の読み、このアニメ弾いてくるからな
んで、そのトンチキな返答が予想外で、とても面白かったりもするのだ。りとが描いた不思議な絵を、まりが『可愛い!』と受け止めたように、普通じゃないからって拒絶するのは寂しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
バックリ皿まで食ってみて、独特の味わいを楽しむのも、なかなか乙なもんだと思う。
『んじゃ食ってみるか』って気にさせる愛嬌が、やっぱこのアニメにはある。ヘンテコだけど、好きで面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
過去編の異常なテンポの掛け合い聞きながら、そこら辺がビリビリと僕のアンテナに届いて心地よいことを確認させられた。俺やっぱ、このアニメ好きなんだな…。
なので、古臭い善悪二元論で割り切らず、そこを突き抜けた新しい景色が今回の決別の先に広がってると、いいなぁと思う。エビフリャーのことは嫌いになれないし、みさちゃんがクリエイティビティに目覚める瞬間も見たいんだよ僕は!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
来週も、とても楽しみですね。