URAHARAを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
さよなら私たちの夢、さよなら運命の姉妹たち。じゃれ合いの時間は終わり、妄想が終わる。そして現実は、夢の果てにある。
クリエイティブと青春とKAWAIIをたっぷり詰め込み、その臓物までしっかり写した快作は、自分の身の丈にしっかりあった終わりにたどり着いた。良いアニメだった
というわけで最終回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
極限的に緩い序盤から、じわりじわりと各キャラの内面を彫り込む中盤、第7話での大転倒があって自作の綻びをしっかり彫り込み、美しい夢と友情へ帰還する最終盤へ。
思い返してみると、必然性のある構成でここにたどり着いた気がする。いや、ユルユルな所は極限的にユルユルだが
テーマとエモーションは十分照らしているので、後はまとめをしっかりするだけ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
見ながら2つのことを、ずっと念じてきた。一つは『エビフリャーを殺さない』こと、もう一つは『原宿のPARKにお客さんが来る』こと。両方叶えられるエンディングで、非常に良かった。
元々エビフリャーとの戦いは遊戯的で、追いかけっこからごっこ遊びへと移り変わりつつ、コミュニケーションは閉ざされず続いていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
味も素っ気もない『殺し』は、さゆみん妄想殺人事件だけで十分だ。どす黒く身勝手だったけど、あのエビフライもPARKの仲間だったから。殴られると気持ちが痛かった。
今回の戦闘において、URAHARAは暴力の隠蔽力を取り戻す。かつてはお菓子として書かれていた暴力の血は、今回はスーパービーズネコちゃん(マヌケでチャーミングでグッドな名前だ)の腹から溢れる、百万のビーズとして描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
だが、それが血であり臓物であることを、第8話を体験した僕らは知ってる
パステルカラーのコンシーラで、剥き出しの暴力(やどす黒い情動、理不尽)を隠蔽しつつも、その奥にあるリアリズムにこのアニメは存外、意識的だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
今回も、エビフリャーを殴る拳は歩道橋の上の看板娘に、ちゃんと及ぶ。暴力は常に、方向性無く乱反射するのだ。
エビフリャーを殴る拳は『正しく』ないので、その暴力はURAHARAも壊す。力を押し付けて結論を略奪する行為は、常に付随被害をもたらす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
だから、一次避難のために有効だったとしても、最終解決は対話で行うべきだ。みさは小さくなったエビフリャーを許し、ともに旅立つ。クリエイティビティは感染する
そういう結末にたどり着けるように、クライマックス戦闘がどこかユルくて、スカッとしなくて、ダラダラと日常の延長線上にある描き方だったのが、僕は嬉しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
あれは殴り合いという非日常で、同時に迷って再獲得した日常でもある。そういう場所に彼らが帰還してこのアニメが終わるのが嬉しかった
戦いの中で、りととみさの間で伝授が行われていたのも、とても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
それは出会ったときからずっと続いてきた師弟関係であり、シスターフッドであり、物語が描いてきたものを回収して終わるべきクライマックスに、非常に相応しい情景だからだ。それやってくんなきゃな、やっぱ!
最終的に彼女達がたどり着いた境地は、やっぱりセリフで説明される。でも最後の最後は、そのゴツゴツした取り回しは『アリ』だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
今時珍しいほどにど真ん中に、テーマを語り続けたこのアニメ。しかしそこには、冷えた文字のテーマだけではなく、マニアックに画面を埋め尽くすメッセージもあった
『まだ語り足りないッ!』とばかりに、URAHARAを埋め尽くす看板、チラシ、アドバタイズメント。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
そこに書かれているのは『希望』『好き』『またね』…このアニメが終わりまでたどり着いたことへの、ポジティブで不格好な幸福感と感謝だ。こっちが受け取れないほど過剰に、思いを画面に埋め込むスタイル
それは全くもって剥き出しで、深夜アニメっぽくなくて、このアニメっぽい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
その画風でずっと走ってきたこのアニメが、最後までそのスタイルで走ったこと。みさが変身ヒロインっぽいバンクを、やっぱり使わないこと。僕はその期待外しが、やっぱり妙に心地よかった。
じゃれ合いが終わり、少女たちは最後のデザートを食べる。身にならない、甘くて冷たいパルフェ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
『完璧』を意味する甘味を、アイスとかフレークとかの役割を組み合わせて自分たちで造り、食し、空に輝く妄想の塊を砕きに行く。
さようならURAHARA、さようなら活劇。
ぶっちぎりで夢っぽいURAHARAから、廃墟の原宿へ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
やっぱりその瞬間、妄想のコンシーラははげて、破壊の生々しさが無言でスッと差し込まれる。KAWAIIに酔っ払いつつ、それを現実の麻酔剤ではなく、酔い覚ましとして使うスタイルは、最終話でも健在だ。
そこで猫が出てくる。物言わぬ彼(彼女?)はずっとURAHARAにいて、しかし猫らしく本筋には一切かかわらず、気ままに彼自身の生活を続けてきた『他者』だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
全てが妄想でできた夢の国にも、身勝手な他者はいた。妄想を共有しつつ、自分の歩みを続けていた。
その意味もセリフでダーッと言っちゃうところが、やっぱこのアニメって感じだが、それが刺さる仕掛けは無言で積み立てられてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
あの猫はPARKのペットではないし、アマツマラの娘の被造物でもない。でも、画面にずっと写ってきた。内部にいた外部と出会い直すことで、妄想の価値を改めて認める。
誰かに受け入れられる妄想は、もはや夢と呼ばれる。過剰な意味とポップさに埋め尽くされたこのアニメもまた、あなたの夢足り得たのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
少なくとも、僕の夢にはなった。いいアニメだ、面白かったと胸に刻まれて、大事に保存される位置に滑り込んだ。誰がなんと言おうと、この夢には意味がある。
それぞれの現実に帰還する娘達にも、URAHARAでの妄想大冒険は、大きな意味を持つだろう。そこで手に入れた思い出、切開された薄暗い感情は、得難い財産だろう。確かめた友情、
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
愛に満ちた思い出が、ちょっとくすんだ色の原宿(あるいは母星開拓)で闘う、大きな武器になるだろう。
みさがちゃんと自分の星に帰っていくのが、僕は凄く好きな終わりだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
PARKは物語の開始以前に、三人娘が苦労して獲得した現実だ。そのシェルターに入るより、自分が新しいPARKを獲得する道を、みさは選んだ。それはお姉さんたちの働きぶりから、彼女が学んだものだ。
いやまぁ、原宿大破壊の後始末は全然ダメダメなわけだが、ここらへんも破壊への冷徹な視座ゆえかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
妄想の外で行われた破壊は、取り返しがつかない。その罪からUFOで逃亡する形になっちゃったけども、俺的にはOKな感じだ。そっちは地球人が頑張っから、な?
クリエイティビティが模倣から生まれ、全ての人の胸に育ちうる種であるなら、あの滅茶苦茶な原宿を新たな文化都市に変える担い手、脂ぎった政治家や土建のオッサンたちもまた、PARK三人娘と同じキラキラな存在だ、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
それは皮肉ではなく、多分真実なのだろう。
このアニメは基本、美しいモノ、KAWAIIアイテムだけを繋げて夢を描いてきたけど、そこで捕らえられたコアは現実に帰還可能だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
このアニメを見て手に入れた絵筆で現実を書き直すと、見慣れた風景がちょっとファンタジックになる。それって、凄いことだなぁと思う。
俺にも貴方にも、アマツマラがある。
そんな風に帰還した現実で、りとはさゆみんと再開する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
妄想の中で甘やかされ、あるいは殺してしまった他者(あるいは大人)。彼女は櫻の猫とはまた別の立ち位置で、自分の道を勝手に歩いて、妄想のとおりに善人だった。傷ついた人のために、お菓子を配る人だった。
あそこでりとが何を感じたか、そこは語らなかったのが最高に良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
取り返しの付く殺人。取り返しのつかない破壊。あそこはURAHARAと原宿の接触面であり、頭の中と外、妄想と現実が交錯する一瞬なのだ。
『ありがとう』は夢と現実、二人のさゆみんに。そして去っていくURAHARAに言ったのだろう。
妄想の中の都合のいいさゆみんは、現実でも都合のいい行動を取った。それは三人娘の妄想が、実は現実にかすってもいた証明だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
人は身勝手に他人を思い込み、頭のなかで動かす。でも、それは現実の写し絵であり、一種のクリエイティビティでもある。
だから、繋がらないはずの夢と現実が繋がる。
りとが甘え、裏切られたと思いこんで殺した、さゆみんの善性。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
それは身勝手な押し付けであり、同時にさゆみんの内面から溢れ出る真実でもあった。
あの人は、URAHARAでも原宿でも、崩壊した世界を立て直そうと頑張る人にはクレープを手渡してくれる人だったのだ。
そんな景色を再確認して、PARKでの日常が再び回り出す。URAHARAほどピカピカしてないけど、綺麗な夢のお城。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
そこに『お客さん』が訪れることで、このアニメは終わる。頭から溢れ出した妄想を、夢として共有してくれるかもしれない他者は、原宿に溢れている。
いつか必ず、PARKは批判されるだろう。他者と衝突し、傷ついていくだろう。URAHARAではオブラートに包まれていた世知辛さが、過去と同じようにあの子達に襲い掛かってくるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
それは哀しいが『普通』のことだ。妄想で切り離した世界に閉じこもらない限り、他者の刃は常に突き刺さってくる。
でもそれと同じくらい、妄想を夢と認め、褒めてくれる『お客さん』もいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
三人娘以外にもPARKのクリエイティビティに共鳴し、別の役割を持って創作に加わる『仲間』もいるだろう。美味しいお菓子を用意してくれる人も、何の関係もなく行き過ぎる人もいるだろう。
あれだけ狭くて歪んだ、閉じた金魚鉢の物語をやってきたのに、終わった後にそういう想いが広がっていけるのは、なかなか大したことだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
凄く歪な物語を、歪な絵で作り上げつつ、そこから飛び出して正しさや真実や他者や風通しや、全く描いていないはずの様々な形に接触できるお話の終わり。
それは徹底的に己の歪さ、個性を信じて語りきったからこそ可能な、嘘のない綺麗事だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
ヘンテコで、トンチキで、ユッタリしていて、マヌケで可愛いお話を語り続けたからこそ、PARKとスクーパーズの未来は明るいと、無限に接続されていると信じられる強さが、しっかりあるのだ。
というわけで、このヘンテコなアニメも終わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
いいアニメだった。
初見で頭を殴ってきた奇妙でチャーミングなビジュアルは、最後まで徹底して画面を埋め尽くした。カット割り、レイアウト、色彩。全てがアニメっぽくなく、同時に作品をアニメーとする大事な武器だった。
キャラクターはチャーミングで漫画的で、でも人間臭い泥を内側にちゃんと溜め込んでいて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
それが世界に溢れ出し色を変えていく展開も、鮮烈なショックに満ちていて面白かった。あの瞬間、ダルかった前半が一気に意味を持って立ち上がってくる構成に、心が震えた。
セリフで言い過ぎるのは困ったところだったが、それが捕らえていたテーマはとにかく真っ直ぐで、血が通っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
作ること、真似すること、奪うこと。揺れやすい青春を金魚鉢に閉じ込めて愛で続ける、バロックな欲望。そこに風穴を開ける、現実の暴力と魅惑。色んなものが、可愛く入り混じっていた。
妄想と夢が持つ魅力をブーストしつつも、それが持っている危うさ、都合の良さへ冷静な批評眼を持ち続け、それをドラマとヴィジュアルの中で回転させていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
自分たちが何を語って、何を作っているかに非常に自覚的だった。徹頭徹尾、青春とクリエイティビティとシスターフッドの話だった。
深夜アニメの外側にいる監督のセンスを、内側にいるスタッフが支え、膨らませ、奇妙で幸福なマリアージュが生まれていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
アニメならここで油っこくキメる! という予断を巧く外して、独自の表現にたどり着いていた。このアニメに変身バンクがないのは、猛烈なメッセージなのだ。
変身と暴力、夢と妄想の関係を掘り下げて、『魔法少女』というジャンルに猛烈な一発を入れていたのも、個人的には楽しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
”まどか☆マギカ”が離れようとして結局とらわれてしまった引力を、外部ゆえの特異性で振り切り自分を語りきったアニメかな、と思っている。
チャーミングで、大好きになれるアニメだった。女の子はみんな可愛くて、当たり前に惨めで無様で、そこから立ち上がるタフさとシリアスさをちゃんと持っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
自閉症スペクトラム障害をあたり前のこととして、ことこのキャラ描写に組み込んでいたことは、俺もっと評価されて良いと思ってる。
奇妙で、トンチキで、面白いアニメでした。URAHARAは妄想でしかないんだけども、それは原宿への愛情と感謝があって初めて生まれる夢で、ローカルアニメとしても凄く良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月21日
良い御伽噺で、良いアニメでした。ありがとうございました。
全人類URAHARA見ろ!!!!!!!