少女終末旅行を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
かくして、旅は続く。終わるまでは終わらない。
物語の冒頭と同じように雪が降り、温やかな闇の中をさまよいながら進む最終話。群れとしてのヒトの営みは戦争の道具の胎内で残響し、少女たちは取り残される。
超越種すら去りゆく星に、たった二人の少女終末旅行。
このアニメ自体が巨大なフォトエッセイみたいなもんで、目の前の具象は全て何らかのメッセージであり詩であり続けたわけだが、最終回へのこちらの思い入れもあって、今回は特にその色が濃い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
カメラに蓄積されていた人類のアーカイブ。武器を喰らって育つ茸。切り離されて初めて切開される寂しさと愛
いろんなものがみっしりと詰まり、虚しさとしぶとさ、旅立ちと継続する旅が描かれるエピソードであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
画面のあらゆる場所から『これまで』が漏れ出し、同時に限りなく終わっている『今、ここ』を照らしもする。それはまさしく、このアニメがいろんな道具立てで描いてきたものだ。正に最終回。
象徴性にマウントを取られ、エモさで延々殴られるような(特に)詩的な回だったが、ファースト・パンチたる人類アーカイブがまず強い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
ここまで輪郭でしか語られなかった、人類の歴史。その結果である終末世界がいかにして生まれたのか、その土台には何が埋まっているかを、最後の最後で見せてきた。
戦争、愛情、日常、死。人間の諸相を様々に切り取るムービーを見た時、動物敵人間であるユーは少し、チーちゃんのノスタルジーに接近する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
魚やぬこで育んだ共感が、知的レベルを乗り越え、ブリッジを架けた形か。過去は彼女たちを包む日々とは違うが、同じように生き死にに満ちた、もう一つの影だ。
イメージの奔流を高速でモンタージュする中で、巧妙にカット・インする蝶、イルカ、あるいは魚。それは『群れ』としての生命を印象づけ、後の展開への布石、あるいは『二人きりの群れ』が破綻する直後の展開を補助している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
『群れ』でいる贅沢は、少女たちからは圧倒的(あるいは悲劇的)に遠いのだ
世界最後の『群れ』として、たった二人で歩いてきた日々。それはカナザワから貰った写真の中に閉じ込められ、そのカナザワもまた『群れ』だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
過去形なことを悲しむべきか、知の封印を開けて今知ることが出来た幸福を寿ぐべきか。その感傷は、滅びの真っ只中にいる彼女たちには、余計なお世話だ。
僕らはユーとチトの終わった世界を、遠くから哀れに思う。『群れ』の中で暮らす憂鬱に心を軋ませつつ、持続不可能な『二人きりの群れ』になってしまったあの動物たちの未来に、勝手に思いを馳せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
そういうメランコリック・ノスタルジーは、世界の終わりと同じように少女には『どうでもいいこと』だ
そういう冷たい距離感、終わるまでは終わらないしぶとさを、このアニメはとても大事にしてきたと思う。凝ったカメラアングル、巧妙なレイアウトが生む絵的な距離感は、物語との間合いを冷徹に焼き付けた結果でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
その上で、遠く離れた距離には時折、橋がかかる。
今回アーカイブを見ることが出来たのも、ぬこと出会って一緒に来たからだ。戦争の道具でしか無い潜水艦が、失われた記憶を再生する奇跡の箱になるのも、一つのブリッジだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
そういう奇瑞に囲まれつつ、彼女たちの終末旅行は続く。それは一瞬きりの弱々しい幻で、同時にとても大事なものだ。
戦争の道具の中で平和と繁栄を、あるいは戦争と滅亡を見た後は、少女達が離ればなれになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
これまでユーが担ってきた動物的な強さ、銃を握り闘う意志は、謎の生命体に飲み込まれてチーちゃんから奪われる。唯一の友が食われたのに、呆然と動けない人間的立ちすくみ。考えすぎるのは弱い。
チーちゃんが生来の弱さを補強して、この終末世界を生きてきたのは、ここまで物語を見てきた視聴者ならば皆察しているだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
過去への興味も、情報を収集する志向も、目の前をただ流れ続ける現在に適応し、絶望と仲良くなれない『考える人』の弱さを補う、必死の抵抗だ。
チーちゃん最大の抗体は当然ユーで、それは彼女の動物的な強さ(バカさとも言う)と役割を分担すること、そしてそういう打算抜きで、ただ隣りにあり続けることで生まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
『二人きりの群れ』として歩いてきた日々で、初めて分かたれた時、チーちゃんは涙に震え、うずくまり、ユーを思う。
それは彼女の弱さであり、同時に強さでもある。今まで握らなかった武器を握り、震えを押し殺して奪還に赴く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
一人でいることに耐えられないと思い知らされて、二人になることを追い求めて、彼女は鉄砲を杖に立ち上がった。動物的な強さを自分のものにした。それは、とっても偉いことだ。
潜水艦のアーカイブから(あるいはこれまでの旅で出会った、様々なイベントから)、ユーが過去への共感に近づいたように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
唐突に訪れた別れが、チトの動物的な強さを奮い立たせる。それはユーが背負ってきたものに接近し、もうひとりの少女とより近くなる、ということでもある。
最終話で確認されるこの、『群れ』に特有の接近運動。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
それはアーカイブが加速する内、二人の物理的な距離がくっついて、肩と肩を触れ合わせながら見ているシーンにも秘められている。再び走り出すケッテンクラートの上で、寄り添った手と手の細やかな描写にも。
冷たく遠く、巨大な廃墟の中を彷徨う、『たった二人の群れ』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
周囲が寒々しいからこそ、唯一の灯火としてお互いを求め、支え合う距離感は、これまでもひっそりと、あるいはびう回のようにおおっぴらに描かれてきた。
最終話で二人を切り離し、喪失の中でその温もりを確認するのは巧いと思う。
ぬこも一瞬の寂しさを埋めるが、終末世界を歩いて行く相棒はやはり少女でなければダメなのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
でも、チーちゃんは疑心に支配されて銃弾を放つことはない。無駄にぶっ放して、残響音が音楽に聞こえるようなヘタクソさ、震えつつ一緒にいることを選ぶ善良さが、僕はやっぱ好きだ。
そんなぬこはメットに乗っかって『群れ』にたどり着き、自分の旅に帰っていく。カナザワやイシイが、あるいは自死する機械達がそうであったように、一瞬触れ合って何かを残し、立ち去っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
エリンギのセリフで、二人共死んだのがわかったのは、知ってたがショックだった。
暴力の道具でしか無い兵器を食って、文明の後始末をして旅立っていくエリンギ。彼らはこれまでも神像として顔を見せていて、しかしその本性は全く別だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
アーカイブによって過去の歴史が見えるように、奇妙な隣人の顔が最終話で見える。面白い趣向だ。
人が死んでも兵器のエネルギーは残り、エリンギはそれを食べ終えて旅立っていく。残ってれば先週みたいな大破壊がバンバン起こるのだから、彼らは優しい存在とも言える。『ありがとう』も言ってくれたし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
でも多分、根っこの部分で違う存在なのだろう。だから別れていく。見捨てられていく。
分かり合えないこと、一緒になれないこと。それは寂しいと同時に摂理で、その寂しさを前提にヒトは進んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
世界を火で包んで地球を終わらせてしまった戦争も多分、分離されている人間のサガがどこまでも加速した結果なのだろうけども。でもそれは、悲しい結果ばかり引っ張ってくるわけじゃない。
チーちゃんが自分の中のユーを確かめれたのは、今まで12話ずっと一緒だった相手と離れたからこそだ。バラバラでも橋はかかっていて、手繰り寄せれば触れ合える。いつか去りゆくとしても、一瞬触れ合って交わした情報には、想いと思い出の温もりが宿っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
二人ぼっちで歩きつつ、色んなヒトやモノと出会い、話し、手渡されたこの物語は、そういうものを確認して終わった。それは凄く良いな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
ユーとチトの歩みを総決算するものであり、遠い未来の終わった世界を眺める僕とこのアニメの間合いも、綺麗に縁取ってくれた気がした。
いいアニメだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
終末と少女と旅行。タイトルに込められたミニマルな構成、その小さなフェティシズムを徹底的に掘り尽くし、ディープでシンプルな物語をたくさん作ってくれた。
統一されたテーマがありつつ、色とりどりの変奏が見事だった。
人間が少ない物語を、廃墟そのもの、終末世界の情景をキャラクターとして立たせることで埋めて、寂しさと楽しさを見事に同居させた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
それが可能になるように、撮影と音響、カメラワークとレイアウトに凝りまくって、ハイ・クオリティを追求してくれた。油断がなく、ペーソスのある廃墟行だった。
太いテーマを入れて24分使い切る回も、テンポよく短く弾む回も、どちらもしっかり造って魅力を出していた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
終わってる世界でも、色んな楽しみがあることを描写と形式で伝えてくれた。そのエンタテイナーの姿勢は『旅行』を見せるのに相応しいスタンスだったと思う。
寒々しく美しい世界を背景に、少女たちのノッタリノッタリ危うい生活を、丁寧に描いてくれた。歩いて食って眠る動物として、体温と血潮があった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
去りゆきものへの哀切と、そんなノスタルジーを蹴っ飛ばす少女たちのタフさを大事に進めていくアニメだった。SFと少女と廃墟に、リスペクトがあった。
作品全体のポジションを冷静に見極めつつ、『終末を少女が旅行する』物語に真剣に挑んだ結果、近いようで遠い不思議な間合いが明瞭に書き出され、色んな感情を引き出された。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
親しいんだけどベッタリしない、寂しさと喜びの入り混じった読後感を、全身全霊で引き出していた。
死の匂いを世界に充満させ、それに囚われかけつつ引きちぎって必死に生きる『群れ』の叫びを、小さく小さく木霊させていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
そんな彼女たちが出会う過去に、あるいは未来に輝く小さな希望を、忘れずしっかり切り取った。まんじゅう顔のトンチキデザインなのに、二人共生きていた。
『終わるまでは終わらないよ』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月24日
ED冒頭で宣言される言葉通りに、終わりに辿り着くまで必死にあり続けようと足掻く道のりを、丁寧に丁寧に見せてくれた。
綺麗で、詩的で、穏やかで、とても良いアニメでした。ありがとうございました。とても楽しかったです。