アイカツスターズを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
選ばれるもの、選ばれないもの。ランキング決勝を前にそれぞれの場所で、歯医者の涙が拭われる。S4としての晴れ舞台も終えて、さぁ、決戦の舞台へ。
やってないこと一気に片付けるエピソードだった。蓄積を語るのに蓄積がなく、優しさを描くのに優しくない。スターズらしい回
とにかく山盛りの回である。決勝に残るメンバーの発表、負け犬の感情整理、S4の帰還と節分、新S4のラストステージ、エルザの揺らぎ、闘いへの決意。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
片付けるべきものを全部消化して、物語リソースを最終決戦に回すための整理であり、色んな要素の総決算…と受け取るには、色々弱くて唐突である。
ローラやきららの惨めさを切り取るのは良い。大事だし、そこを見落として勝者の話だけされてもそら困る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
困るんだが、解決策がいちいち弱い。VA潰して『この先のアイカツ』の足場をぶっ壊しにかかってるエルザが、不器用な優しさを見せきららを部屋の外に出す。矛盾であろう。
ローラの涙にしても、それを最も受け止めるべき(だと僕は思う)ゆめは扉を開けて踏み込むことも出来ず、解決は旧S4が人間力で受け止める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
デッカイ真理を言って、迷える後輩を受け止める立場は、赤服来てるS4の仕事だと思う。だが、彼女たちは未だ『後輩』のままだ。
それなのに、武道館という大きな舞台で、S4として大きなステージを創る。それが一期第一話につながって、夢見ていた少女が夢自身になる構図を回収する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
そんな大きなものを背負えるほど、現S4は連帯していないし、それを表す実際的な描写もなかったと、僕は思う。
虹野ゆめは夢の体現者なのか、現役の挑戦者なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
一期でS4という夢を達成させ、二期でエルザがそれに変わる高みとして機能しなかったことが、彼女(と彼女が主人公として支える作品全体)の輪郭をとても曖昧にしている。
両方真実、という欲張りをいうには、それを支える描画は弱い。
素敵なドレスを着込んでも、華麗にショーアップされデカいステージをこなしても、魂の根っこを成長させられなかった結果として、旧S4が出て来る形になる。(ファンサービスの必要性かもしれないが、結果として現S4の不甲斐なさが際立つ)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
ローラの強がり一つ壊せない、踏み込んで心の壁も破れない。
安全圏から負けの悔しさを覗き見て、自分にも火の粉が飛ぶ領域に踏み込まない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
ゆめが身をおいている場所と、エルザが遠巻きに孤立している(させられている)場所が同じなのは、狙ってやってるのか結果として共通したのか、よく分からない。
どっちにしても、尊敬できるトップの立ち姿ではない。
それは別に、エピソード・ソロの伝統よろしく、今回急に生まれたわけじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
個別に切れ味のある話はありつつ、それを引き継ぎ膨らませ、キャラクターの人格を育む説得力を積み重ね損なった結果として、あの世界に漂う寒々しさがある。心配していると言葉で言いつつ、遠巻きで見ている停滞が。
それを高度に圧縮して、1エピソードにまとめ上げたような話だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
ステーキ食わせる優しさ一つで、エルザの孤立とエゴイズムが出口を見つけるわけじゃない。欠陥だらけのエルザに向かい合い、NOを叩きつけたゆめとの接点も弱い。現S4が一期でゆめが目指した『アイドルの天井』だという描写は細い。
それでも終わりはやってきて、あたかも『てっぺん』であったかのようにステージといい曲が流れてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
赤服に相応しい貫禄を積み上げられなかった少女たちは、慌てふためきながらもステージを完遂して、現S4が終わる。終わったことになる。
ある意味アイカツスターズに嘘をついていない、総決算の回だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
至らなさは自分たちが描いてきたものだから、最後の最後でもそれが抜けないのは必然の描写だ。だが、至らないままここに辿り着かざるを得なかった歩みを見ると、不遜ながら『もうちょいなんとかならかった?』と言いたくなる。
ならなかったからこうなってるのであり、なって欲しかったからこんなことを書いている。非生産的でクラい。しかし、今降りるのもまた違う…気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
どっちにしても決勝が始まり、物語は終わる。エルザの身勝手の当然の帰結として、VAで叛乱が起こる。騎﨑レイのナルシシズムは、沈む船を救うか。
エルザに直接愛された子供たちは、エルザの思いを信じフォローする。その構図が、母に見捨てられつつ母を求め、そのために非才の他者を、自分含めた全てを思い切り踏みにじるエルザに繋がってるのは、好きなところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
その邪悪ないびつさをそのままに破綻させて欲しい所だが、そうはならんのだろう。
優しさと夢が麻酔剤になって、現実の惨めさや歪さを覆い隠していく。今回のふわっとした展開と決着が、顔のない民衆の起こすVA叛乱に敷衍されるだろうことは、例えば第66話や第80話のモブの使い方からも判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
教師という立場にいながら木の陰から見守るだけの連中、敗北者達の涙の扱いからも。
すごーく傲慢で偏ったことをやっているのに、それを開き直らず公平さと接合していく、あたかもプレーンで平等な場所に立っている仕草を取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月1日
そこのズレが、自分の中で一番キツい所かなと思わされる回だった。残酷な格差を描くなら、そこに寄り添えない主役の高慢も掘り下げればいいのになぁ。