ダーリン・イン・ザ・フランキスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
硝子の天蓋から、涙の雨が降る。一つの節目を乗り越え手に入れた平穏と、迫り来る死。強制された支援なき孤独な公と、自閉の重力に引き寄せられていく私的な愛情は、番うことなく別れていく。
高雄統子の映像詩が、ロボ戦のない谷間を残酷に引き裂くエピソード
開始から一ヶ月、いい加減変な期待感とそれを勝手に裏切られたと思い込む高慢と暴走、それへの反省と自己嫌悪からも抜け出なければいけないタイミングだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
自分的に波長の合わない部分に、今回の静かな展開、各キャラクターの細密なスケッチ、心理と社会性の図象学がするりと滑り込んで来てくれた。
今回描かれていたのは不自由の中の自由(あるいは自由に見えても二重の天蓋が空を覆っている事実)、ミーイズムの身勝手と失敗する公、溢れる心の水をどう処理していいかわからない子供たちと、その対処を教える存在の不在であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
それは多分最初から話の真ん中にあるのだが、なかなか見えにくい。
ロボットアニメの引用が数を減らし、代わりに水と花と光、画面を区切る一線と踏み込む足、描かれない視線と触れられない手を使い倒す高雄心理主義が表に出て、少年少女のナイーブな心とその孤立が、クリアになった感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
詩は時に、写実(として流通するもの)より巧く世界を斬るのだ。
天蓋のあるクローズな領域と、天の無い開けた領域。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
ミーイズムを相互に交換し、特別な共犯関係を加速させていくヒロとゼロツーの閉じた物語と、彼らを側に置きつつ交流が難しい少年少女の『社会』は、非常に危うい接触を繰り返しながら、様々な領域でコミュニケーションに失敗する。
ヒロの持つ(かつての)英雄主義に惹かれつつ反発するミツルは、ヒロが陥った不能に苦しむ。パートナーの苦痛に(当然)イクノは気づいておらず、そこに無邪気に接触するのは優しいココロだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
ミツルの苦悶は温室の中で行われる。そこにはストレリチアもデルフィニウムもクロロフィッツも行儀良く並ぶ
寄せ集めの花たちが、定められた規格の中で窮屈に、生命を維持するだけの栄養を与えられ生存している温室。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
それが子供たちが押し込められている世界(それが革命されるべき世界か確信は持てないが)の縮図であるのは、ラストでヒロが脱出したいと願う空と、それを覆う天蓋を見ても判る。
ミツルにしてもヒロにしても、苦痛に気づく存在はいる。そういう意味では少年たちは優しいわけだが、その優しさをどう機能させ、どう扱っていいかはわからない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
感情の水は蛇口から、天から、温室にココロが持ち込んだ如雨露から溢れるが、受け止めるべきシステムを社会は教えないし、子供は持たない
社会を構築し、その恩恵に預かる代表者たちは、顔を隠した規格品であり、子供たちの私室にも食堂にも顔を出さない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
かつて子供だったナナとハチを冷たい代理人にして、搾取のための臍の緒を繋ぐだけ繋ぎ、利益だけを奪い取っている。人のあり方を教える責務は、この世界の大人にはない。
死地に子供を追いやり、エネルギー搾取の反動としての虚竜を追い返させ、
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
使い潰す。顔は見せない、言葉はかけない、理想は与えない、道は示さない。
卑怯者が卑怯であるという事実すら、温室の中の子供たちには遠い。それでも、子供たちは子供たちだけの社会を有し、なんとか駆動させようとする。
イチゴは子供たちだけの社会(”十五少年漂流記”やそのカウンターとしての”蝿の王”、あるいはそれを援用した”銀河漂流バイファム”や”無限のリヴァイアス”や”エウレカセブン”を想起しても良いだろう)を、社会の支援を受けないまま『リーダー』として維持しようと頑張って、当然失敗する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
なぜ、社会は連帯し機能しなければいけないのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
真実を隠した社会で便利なコマとして使い潰される真っ只中のイチゴ(たち)は、その問いに答えを持ち得ないし、そもそも疑問に思うこともない。
非常に素朴な同胞愛と、複雑怪奇で名前のない愛憎でグチャグチャにされながら、イチゴは偉そうに振る舞う
隠蔽。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
青い死の傷を私室で隠す(ふりをしつつ、そこはゴローと共有された小さな社会である以上共有されてしまう)ヒロにしても、リビングで仲間が造る小さな輪から離れて顔を強張らせるミツルにしても、みな平気で物分りの良いふりをして、強さを演じる。
そういうときは、お父さんやお母さんや、お友達に助けてもらえば良いんだよ、と教えてあげる当たり前のヒューマニズムを、隠蔽と搾取に満ちたドーム都市は当然持っていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
セックスの姿勢で破壊ロボットのパーツとして機能されつつ、キスも食事を与え合う睦み合いの意味も、子供たちは知らない。
不器用に社会を維持しようとして、その外側にあるゼロツーに手痛い一発を貰ったイチゴは、温室の外で雨と泥に塗れる。グチャグチャになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
そんな心に手を触れようとすることすら、人間としての当たり前の接触すら、ゴローにとってはタブーであり、未知の感触…恐怖に満ちている。
子供たちの温室と、それを覆う硝子の天蓋。小さな社会ですら、その成員はお互いを知り得ず、抱きしめ得ず、愛することに失敗している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
それは子供たち個人の未熟さに当然由来するが、それを導き育む社会の責務を、ドーム都市が完全に放棄していることにも、大きく由来している。
ヒロインレースに勝つの、負けるの。ロボットプロレスがどうの、こうの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
そこら辺には、正直僕はあまり興味がない。
今回非常に怜悧に、残酷かつ象徴的に描かれた多層的な社会の接合と無関心、そこで交換される情報と感情の行方…子供らが真っ当に生き残れるのかが、第一に気になっている。
英雄の資質を失ってしまったかつての(であり、現在も)憧れであるヒロの代理として『リーダーでいなきゃ』『社会を駆動させなきゃ』と、建前を不器用に振り回すしかないイチゴは、とても可愛そうだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
個人の感情に名前を付けれず、兵器に不要な付随物と切り捨てる世界でも、彼女は公たらんとしている
個人的な敬意と愛情が、身体の成長とともにねじれて、出口を見つけられなくなる。添え木も株分けも、庭園の主はしてくれない。勝手に育って、ダメなら枯れろ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
顔のない大人はそういうばかりで、私的感情と公的責務の間に橋をかける方法を、誰も教えてくれない。
暗闇の中、グチャグチャなイチゴに手を伸ばそうとした(あるいはルームメイトであり幼馴染であるヒロの傷に触ろうと気遣った)ゴローも、自分の領域を出て別の人に触れようと、内側からあふれるものを適切に外に出そうともがく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
しかし、触れ合うことにどんな価値があるのかを、世界は教えない。
檻から半歩出て、お仕着せを捨てて赤いドレスをまとったゼロツーは、教父(パパ)へのお祈りはしないし、ハニー(ダーリンに食べてもらうもの)をたっぷりかけて好きに飯を食う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
触れ合うことに躊躇いはなく、接触に伴う痛みを独占し、私的領域に抱え込むことを楽しみさえする。
フトシが無邪気に、ココロと愛の技法を真似してはしゃぐ姿が、たまらなく苦しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
そこにはすごく複雑な感情と独占があって、交換されているものは形通りではないのに、優しい子供たちはその意味も知らないまま憧れ、真似をしてはしゃぐ。多分、そのうち幾人かはそのまま死ぬ。
それがとても、嫌だなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
不器用に公たらんとするイチゴの努力は、ゼロツーには『偉そう』と受け止められる。
顔を見せない親の身勝手な教えに支配され、理由もわからないまま『リーダー』をしているイチゴの振る舞いは、そこから離れた『オニ』の02には、それは面倒だろう。
赤いアウトサイダーである彼女は、不格好な公には従わない。リビングには顔を出さず、食事は勝手に取り、お祈りはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
ヒロがかつて英雄だった時代と、それを剥奪されてもなお仲間と思う個人史の重たさに、砂をかけて省みることはない。自由で、危険で、身勝手で。
そういうスラットな仕草が、凄く残酷でかっこ悪いものなのだよと、当然誰も教えはしない。それを伝えるシステムがあのドーム都市にはないし、ゼロツー自体が気付くこともない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
キッシングによってマグマ燃料は交換されても、思いやりと情報、蓄積されるべき倫理は、街と子供からは遠い。
ゴローやイチゴの接触を拒絶し、私的な覚悟で繋がるヒロとゼロツーは、多分魂の波長が良い。それはそれとして強いものなのだろうけども、仲間が死んじゃうのは嫌だという素朴な気持ちを、重荷として置き去りにして受け取らないスタンスは、やはり寂しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
それが悲しいことなんだよと、教える人はない
ヒロとゼロツーがストレリチアで繋がって、青い傷を愛撫しながら飛んだとしても、行けるのはせいぜい硝子に塞がれた天の果てまでだ。それは明瞭に描写されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
そこを超えるためには、二人が拒絶したゴローやイチゴの『公』、なんの支援もないまま形だけ展開する偉そうな優しさに目を向ける必要が
あるのか、ないのか。正直そこら辺を、全く僕は掴みかねている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
一応の人権民主社会に身を置き、様々な権利を(不完全ながら、『桜』の代紋背負ったあの街の子供よりは遥かに)保証された異世界人としては、子供たちには幸せになって欲しい
ガラスの天井の存在を知って、それを壊す方法を掴んで欲しい
私的感情を他者と共有し合う様々な方法を独習(あるいは教示)され、尊厳と個性(数字を名前に変えるヒロの洗礼は、まさにその象徴だろう)を獲得し、より苦しくない生き方をして欲しいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
ミーイズムと不格好な公平性の間に橋をかけ、親愛なるキスを果たして欲しいと思う。
そういう感情をすくい取る話ですよ、というサインは、やっぱりさっぱり出ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
このアニメの中での光は、無条件に善きモノとしては描かれていない。
開かれたモノ、輝くモノ、公的なモノの価値を保証する大きな社会が機能不全に陥っている以上、それを無責任に保証は出来ない、ということかもしれない
個人的で他者を鑑みない薄暗い闇。その中で自分と対話し、見つけた狭い狭い真実。それを共有できる…死に至る傷を撫でさすれる自閉した繋がりだけが、強烈に真実なのだという段階に、今回ラストのヒロとゼロツーはたどり着いてしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
そしてそれが、一時の止まり木なのか終着点なのかは判らない。
それはそれで、世界の真理を物語化する一手段だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
ただまぁ、寂しいのだ。
ヒロもゼロツーも、恋人だけでなく友達や恋敵と巧く交流してくれれば、もっと善く飛べるのになと、安全圏から身勝手に思ってしまうのだ。
水は無駄に溢れるだけでなく、心と唇を潤すためにも使えるのに、と。
人は無条件に、そういうモノに繋がれるわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
震えて涙を流すパートナーの肩を、どう抱くか。角の生えた身勝手な女を、どう社会の成員にしていくか。
それは個人の責任と努力で解答されると同時に、社会や歴史や倫理によって補助されなければ、到達できない高い目標なのだ。
僕らが当然視しているそういう補助が、強烈に剥奪された世界。セックスする権利も、硝子のない天も、勝手に降る雨の意味も、誰も教えてくれない世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
繋がろうとして、巧く繋がれない今回のエピソードは、個人の中にある失敗の原因と同時に、そういう後輩を美しく切り取ってきた気がする。
イヤーな世界だ。全部ぶっ壊しちまえよと心の底から思うが、今のところメインで切り取られているのは子供たちの未熟であり、世界の不誠実は輪郭にとどまる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
たしかに、ガキどもがバカで身勝手で小狡いから、彼らは苦しむ。それは自分で、あるいは仲間内で乗り越えなければいけない障害だろう。
だが繋がり方を教えるどころか、命と真心を剥奪する世界の輪郭が、子供たちがより個として、その集合体の社会として機能する条件を奪っているのもまた、事実だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
その手の届かないまどろっこしさを、高い高い硝子の天上に乗せているなら、それは見事な詩情だ。自信ないけど、この読み。
26プランテーション『クリサンセマム(こちらは『菊』。菊と桜、随分皇道史観なディストピアだな…)』の子供たちと、寄せ集めの花たちは邂逅し、情報を交換する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
『壁になって死にます』と額に描かれたモブたちには、個性がない。装置に魂などいらんでしょ、と言わんばかりの扱いだ。
フランクスが並ぶハンガー(3つめの温室)を前に歩くシーンは、13チームのチグハグさと、26チームのお行儀の良い規格品っぷりが対比された、非常に鮮明なシーンだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
主役は規範から外れ、大人たちの都合の良さを浴びつつ、個性を発芽させるチャンスを持てる。
それを悲劇的に彩るだろうありふれたスタンダードは、背筋を伸ばし、都合のいい歯車として使われるままに傷を受け、包帯を巻いている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
背筋を伸ばしてお仕着せを着て、唯々諾々と死の運命を前に顔色一つ変えない。
嫌だなぁ、と思う。その対比も嫌だし、対比を是とする作品世界も創作姿勢も嫌だ。
そんな彼らも、ゼロツーの身勝手さにパートナーを略奪された過去を思い出して憤る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
仲間が死ぬのは嫌だ。
そういう最もシンプルで、多分最も尊い感情を、個性のないスタンダードだって、この荒廃の街でちゃんと持っている。ただ、それが報われるかは、判らない。
ダーリン以外はどうでもいい。ダーリンすらもどうでもいい。迫害され、角を持ち、人間じゃないと罵られた自分を持て余しながら、『弱いやつは死ね』と言い捨てるゼロツーは、多分死んでしまうだろうあの灰色の青年を、捨て去ったまま今後も進むのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
それはやっぱ、嫌だなぁ、と思う。
蜘蛛のように愛を啜り、鬼女のように男を食いつぶすしかないゼロツーは、お仕着せのヒューマニズムを拒む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
『お前らのいう、人間ってなんなの?』
デカい問いだ。人間性を支える社会が破綻してるこの作品世界では、誰かが問わなければいけない問だし、それにゼロツーが最適なのも間違いない。
ゼロツーの起源が伏せ札な以上、男を食いつぶさないと生きていけない彼女のヒューマニティがどんなものかは、まだ不明なままだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
だとしても、イチゴがこの荒廃した世界で不格好に押し付けようとした、みんなでいることの意味、ヒロに死んでほしくはないという気持ちまで、切り捨てて良いもんじゃない
僕はまぁ、そう思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
イチゴの無様な横恋慕は、そらヒロとゼロツーの世紀の恋には遠く及ばんだろう。ヒロの傷にも、イチゴの震えにも手を伸ばせないゴローの足踏みは、当然なものだろう。
でも、彼らの当たり前の不格好さが、特別な主役を光らす燃料になってほしくはないのだ。
化物だと言われたくないのは。命を捨て、命を繋いでほしいと願う他人の思いも捨てて、ロボットパイロットという特別でありたいと願うのは。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
異物も落伍者もひっくるめて許容してくれる、甘っちょろくて恵まれた理想郷を諦めていないからこそ生まれる感情ではないかと、二人を見ている僕は勝手に思う。
運命のダーリンとハニー。社会規範からはじき出されてしまった青い傷と、生まれたときから怪物だった赤い角が交わる絵は、とても美しい。蠱惑的でセクシーだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
でも、その構図が持つ強さに溺れきらず、自分たちが描いている硝子の天井を認識し、ぶっ壊すところまでキャラを引っ張って欲しい。
そう思うのは、その息苦しさを描く筆、切り取るために選び取った詩情とメタファーがかなり有効で、いろんなことを僕に思わせるからだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
なんだかんだ、引き寄せられているのだ。所々(で済まないが)違和感は覚えつつ、見ているもの、描いているものに共鳴する部分が、僕の中に沢山ある。
それが身勝手で醜い片思いで、ゼロツーが知らずイチゴに叩きつけ真実の泥に塗れさせたようなあんま綺麗な感情ではないことを、綺麗な映像を見ているうちに僕も思い知った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
それでも、好きになったら報われて欲しいという欲動が判るから、僕はイチゴに甘いのかもしれない。
物分りの良い寝取られ亭主ヅラぶら下げていたゴローも、今回ですごく好きになった。建前ですまない個人的な震えがあり、優しさがあり、それが出口を見つけられないもどかしさと、純粋さとは裏腹にそれを受け止めてもらえない悲しみがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
ごくごく当たり前の、ただのガキだ。
そういうガキ達が、それぞれ個別に抱えた愚かさと身勝手さに少しでも道を見つけて、他人の中で流動する感情や尊さを受け止めていく物語に、この話がなればいいなぁと、僕は勝手に願っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
結構な部分叶わない、保守的で古臭いお祈りだ。でも、そう思っちゃうんだから仕方がない。
特別な英雄の、恋人たちの特別な物語。それを力強く追いつつ、カメラの端っこで的確に切り取ってしまった凡俗達の無様さにも、何らか答えを出してあげてほしいな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
ゼロツーのパートナーさんにしてもナオミにしても、舞台装置の切り捨てがはえーんだよなこのアニメ。
でもまぁ、繋がり方も解らず、流れるものを的確に伝えられない今回のエピソードを見ていると、それがいつか繋がって巧く潤いあえると良いな、と思ってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
乾いて孤独でいるより、繋がって補い合えたほうが、やっぱ良いと思う。それ抜きで生きれるほど、霊長は優秀でもなかろう。
まぁ、動き出した物語を動かす特権は、常に製作者側にある。僕らは勝手に見て、感じて、文句を言ったり心を動かしたりするだけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
それもまた、流動するものと接続して、巧くやり取りできたり出来なかったりするフォルムの、一形態なのだろう。今回描かれたように、それは失敗続きの無様な行動だ。
『戦いと戦いの合間』という意味しか持たない平和が終わって、またロボロボな争いがやってくる。幾人か傷ついて、幾人か死ぬだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
嫌だなぁ、と思う。
そういう厳しさ、無知なる子供を燃料に駆動するしかない社会をわざわざ描くことでしか、問えない探求を見て、僕は早く納得したい。安心したい。
しばらくか、物語が終わるまでか、はたまたそういう身勝手な望みが軋んで折れて視聴を止めるまでか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
そういう欲求不満はずーっと続くんだろうな、と思う。ロボアニメの外装を無理にまとわない今回みたいな描き方のほうが、個人的な感性としてはしっくりきた。僕が高雄信者なだけでもある。
歪な世界の成り立ちとか、大人たちが隠している秘密とか、虚竜とフランクスの起源とか、まぁ色んな謎も『読んでくれ』と置かれているけども、そこら辺は個人的には結構どうでもいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
自分が物語に何を求め、何が勘所なのかを確認する意味では、けっこう稀有な視聴体験なんだろうな、このアニメ。
しかし世界の成り立ちと少年少女の不自由、哀れさが密接につながっている以上、かなりしっかりと残酷な世界の成り立ちを紐解いてくれないと、わざわざガキどもを地獄(という自覚のない地獄)にぶち込む悪趣味な作品編む理由を納得するのは難しかろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
そういう意味で、設定は大事になる。
今後も欲求不満と閉塞感を加速させつつ、子供が生きたり死んだり、なんかを学んだり巧くセックスできなかったりしたまた、話は進むのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
そこに僕の個人的諦観/期待があることを、明瞭に才覚にさせられるエピソードでした。こういうのを素直に綴るのは、自分以外にはあんま面白くないかなぁ…。
しかしまぁ、そういうのを言葉にして吐き出していかないと、どうにも飲み込みきれないアニメでもある。それが大きいからか、歪だからか、俺向きじゃないからかなのは、まだ見えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
またもや半端な感想となった。素直に書くとこうなるので、どうにも申し訳はない。子供たちが幸せだと良いな。
追記 EDで描かれている『満たされた日本の、それでもせり上がる青春の闘争』みたいなノンキな思春期バトルは、あのクソみたいな世界でクソガキであり続けることをシステムに強制されている子供たちには、天地がひっくり返っても到達できない贅沢であり、それは別にアニメの中だけじゃなく地球上のありとあらゆる場所で現実に存在してる『遠さ』なんだよってことに、俺はかなり本気で自覚的であってほしいわけです。
ダリフラマジ難しいなと思うのは、わざわざ杉山勝彦呼んできて、『顔の見えない大人が、性と労働を搾取する構造を持ってしまっている』アニメのEDを、わざわざ欅坂を露骨に匂わせた絵で気持ちよく仕上げてくるような部分で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
手の込んだ皮肉なのか、脊髄でやりたいことやってんのか判別つかん。
軍服を着た特別な子供たちのオフェンシブなスタイルは、別に自分たちで選び取ったわけではなく、大きな大きなシステムの一部として与えられて、与えられた側はそれをまとって必死に踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
見えないガラスの天井のなかで、誰かが作った形だけのレジスタンスソングを、大きな利益体が流通させている。
欅坂(が代表する極大化したアイドルという存在)に漂うヤダ味と、あの世界の子供たちは異常なシンクロ率を見せているのだが、それを非常にポジティブな感覚でEDにノンキに乗せてしまっている可能性が、かなり高そうなのが厄介で、難しいなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
他人の心なんて見えはしないし、そういう『つもり』を断言する特権は当然僕にはないけども、なんとなくで感じ取った雰囲気としては、そういう危ういノンキさをどうしても受信してしまって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
そこら辺は、各種ロボアニメの無邪気な引用癖にも(勝手に)感じる。
ヒューマニティを支えている根本をゼロベースで洗い直し、血の通った物語の中で再構築するなら、ポップさだけでなく太くて重いネタもバリバリ噛み砕いて使えば、より効率的なのになと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
エヴァやエウレカより、ロールズやアレント引用したほうが早いだろ。コピーのコピーのコピーやってて大丈夫?
そこらへんの無邪気な軽薄さが、ポップな魅惑になって評判を上げる部分は当然あって、武器でもあると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
ただま、セックスや正義や公平さや教育や責務やコミュニケーションは、かなり難しいから人類ずーっと同じ話ししてるわけで。必要な筆を意識して選べているのか、そこら辺の信頼感が正直薄い。
とっとと120%の確信で、あのEDを『ほんっとに性格悪いな』と笑い飛ばして褒めれるような距離感を、作品と掴みたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
俺ももっと、ダリフラ好きになったほうがいいのかなぁ…。
追記 Sangre Azul
ダリフラ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
ヒロの青い傷は、虚竜の青い血が流れてきてる≒敵とのハーフ≒ゼロツーに近い存在になりつつある証明なんかな。ダーリンは体液交換することで、よりハニーに親しい怪物になっていくわけだ。
その引力に対し、イチゴ達のぎこちない公と記憶がどんだけ仕事できるか。
同じくブルーブラッド(『貴種』の特権)に感染したミツルを、どう使い潰してくるか。(個人的にはクソみたいな主役のスペシャリティ全部ぶっ飛ばして、超絶適応を見えてバリバリ生存してほしいが)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月13日
なかなかイヤーな方向に進みそうなヒント、そこかしこにあるなぁ…はーヤダヤダ。