イマワノキワ

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ブルーアーカイブ:第5話『友達なんかじゃない!』感想ツイートまとめ

 ブルーアーカイブ The Animation 第5話を見る。

 カイザーコーポレーションの非道を探るシロコ達だが、掴んだ証拠は状況を一気に解決するには足りず…という塩梅のお話。
 今更ながらこのアニメ、大筋としての進展は一話一個くらいに抑えられてて(大体、説明セリフを交えて最初にやっちゃう)、残った隙間で沢山いるキャラのほんわかサービス場面を詰め込んでる作りなんだな。
 ソシャゲ原作なのでそういうシーン味わいたい人がメイン支持層だろうし、ワチャワチャやってるのは門外漢にも見てて楽しいもんだが、ややストーリーと世界観の全体像が見えてくるのが遅く感じてきてもいる。難しいね。

 

 アルちゃん社長率いる便利屋68が、対策委員会と並ぶメインユニットとして結構尺を割り振られている印象。
 『先生が隣についてるシロコ達と、ついていないアルちゃん達で道の進み方を対比する感じなのかな?』という理解だが、ホシノの薄暗く冷たい現状把握、セリカ当然のブチギレっぷりに対し、68側のほんわか悪事が温度差凄かった。
 人が人として生きるとはどういう事か、そのためには何をすべきで、何をしてはいけないのか。
 教える人がほぼいないっぽいので、子ども達が迷える人食い虎になっちまってる…。
 教育インフラが破綻した、紛争当事者国みたいだぁ…。(そこまで洒落にならないシリアスさは、おそらくあえて描写に混ぜられてはないけども)

 アルちゃんへの感情がどうとか全部横に置いて、ハルカの行動が一瞬真顔になるくらいヤバイわけだが、悪意なく『そう生きるしかない』って感じは滲んでいたので、彼女個人を責める気にもならない。
 どんだけドンパチしても爆破されても、人死はでない…んだけど、大事なものは壊れていく奇妙なバランスでもって、暴力が描写されるこのお話。
 取り返しがつかない、あるいは再建コストが高いなにかをぶっ壊す行為が、どのくらいの悪なのかイマイチ、自分的に測りかねているってのはある。
 僕らの常識だと『ダメだろ!』ってことは、作中人物全員当たり前にやってるので、見続けるなら是非を測るメジャーを新調しなきゃいけない。
 しかし作品世界の成立背景がわりとフワッとぼやかされているので、導きもヴィジョンもないまま倫理の荒野を漂流し、とりあえず銃握って撃ち合いで解決するキヴォトス・スタンダードがどんだけの異常事態なのか、今更ながら判断が難しい。

 

 ふんわり世界の善性を信じて甘い行動に出る後輩たちを、冷たくシビアにせき止めるホシノの言動には、裏切られ続けたからこその賢さと、だからこそ仲間を傷つけさせないという決意と、不在なる生徒会長の志を継いだ痛みが良く滲んでいた。
 ぐーたら猫ちゃんにああいう顔されると大変弱いが、子どもにさせて良い表情でもない…と、思って良い世界なのか。
 先生が世界で唯一子どもに優しく出来る特権故に、プレイヤー・キャラクターたり得ている”先生”っぽいのが、ここら辺の測りにくさをより強めていると思う。
 彼はフワッと実効のない決意と善意を出し続けるが、授業はしないし悪人は殴らないし、ホシノが覚めた眼で真意を観察し続けるのも結構納得な、信用しきれない大人だと思う。
 まだ状況を未解決にグツグツ煮込むためには、悩める生徒の頭越しに先生が全てを解決してしまうような展開は面白くもなんともないわけで、彼が実効のある何かを手渡せない不自由な立場だってのは、まぁまぁ理解できる。
 ただまぁ、子ども達は辛そうで、あの人”先生”だからな…

 異常状況に当惑し濃いキャラに圧倒されているだけでなく、もうちょい手応えのある何かを果たしてくれたら、彼を軸に作品全体の見取り図を作ってけるわけだが、僕が”先生”と呼ばれる存在に期待する働きかけを、あんましてくれないのは正直気になる。
 マンモス校(という名前に擬された大国)の助けは、すなわちアビドスの背骨をへし折る介入になりうるという、ホシノの悲観的情勢分析を乗り越える希望を、率先して引っ張って彼女を助けてくれるのが、一番納得行く”先生”っぷりかな。
 五人で一番大人な…大人になるしかなかったホシノだけに、これ以上荷物背負わせてちゃダメだろ、やっぱ。

 

 ”先生”の手が届く範囲はそんな感じだが、その埒外にある便利屋68の歩みは混迷を極め、正直ドン引きであった。
 ナチュラルに人間が人間であり続けるためにはやっちゃいけないことを、ノータイムでぶっこむ爆弾魔の虎と、全てを面白がり煽り立てる小悪魔と、我関せずのクールなバンギャ風味と、見栄っ張りの鎧を脱げずドンドン窮地に追い込まれていくリーダーと…。
 望んでもいない本物の悪事、自分たちに唯一優しくしてくれた存在を傷つけ壊す愚行に、ブレーキ踏む要素が一切ない。
 野放図な自由だけを求め、思いつきを軒並み行動に移した結果、恩を仇で返された大将は本当に可哀想だと思う。

 アルちゃんだってそんな事望んではおらず、全然全体像をつかめていない”真のアウトロー”なる夢に振り回された結果、自由と加害可能性を勘違いした暴虐を誘発して、そのヤバさを真正面から受け取ることも出来なかった。
 見栄坊でブレブレでよわよわな人間味は結構好きだが、一応とはいえリーダーという立場にいて、生粋の爆弾魔が人生の判断全部アルちゃんに預けちゃっている以上、もうちょい背筋を伸ばして世界と自分をちゃんと見ても良いかな、とは思う。
 つうか、貴方が揺らぐと色んなモノが壊れ、ヒトが傷つく。

 これはアルちゃんが代表しているだけで、暴力に歯止めがないキヴォトス全員の業だと思う。
 最後に横殴りキメてきた風紀委員会もそうだけど、身内とはキラキラ青春可愛く楽しんでる風味なのに、その外側にいる人間と話し合い、大事にする行為を、スポッとどっかに置いてきてる感じがある。
 それをアウトローに相応しくない弱さだと、混乱しながら投げ捨てようとしたらハルカが埋めた爆弾に引火して、仲良くなれそうだった人達と一触即発、殺し合い…になるのかも、正直現状良く分かんねぇんだけどさ。
 スゲー極論をぶちまけると、メインキャラ一人くらい死ぬか超大怪我してくれると、この世界における暴力の洒落にならなさ、それが基盤となって成立する倫理基準が定めやすくなる…かな?
 それを爆風で意識失った、アルちゃんが担当する回だった……わけか。

 完全ギャグ時空で、爆裂する火薬はあくまで飾りであって、不可逆に誰かを傷つけるその本質を剥奪された、”優しい暴力”だってなら、まぁそれはそれで飲み込める。
 しかしホシノの暗い顔、セリカのブチギレっぷりを見るだに、やっぱこの世界でも暴力は暴力としてちゃんと暴力的であり、しかし少女たちはそれを行使するうえでの認識や覚悟が、全然ないように思える。
 凄く強い言葉を使うと、キャラがバカに見える時がある。

 

 これはキヴォトスという異常世界では当然の行動が、その背景をしっかり示されないまま作中現実として、描写が積み重なった結果かもしれない。
 ふんわり楽しいムード、女の子可愛さ重点な話作りを 優先してキャラいっぱい出してワチャワチャ暴れさせる展開の中で、そういうキヴォトスの倫理的背骨(それが曲がったり折れたりしてるのなら、それも含めて)を描くのは難しいことかもしれない。
 しかしまー、銃握ってドンパチやっている以上、自分としてはその行為がキヴォトスの中で何を意味しているのか、一本太めの補助線が欲しくなっている。
 そういう意味では、強盗頑張って手に入れた不正の証拠が、(多分幾度目か)苦しい世界を変えうる決定打にならないと思い知らされたホシノの諦観と冷静は、寂しいけど良い硬質さだった。
  ありゃー、適当おじさんの顔は結構な割合で仮面だな…ガキをそんな状況に追い込んでんじゃないよ!

 人間が人間であり続けるために、踏み越えてはいけない線を凄く気軽に、何の自覚もなく無邪気に越えてしまえる、キヴォトスの子ども達の危うさ。
 それが作者も無自覚に生成されているものなのか、”先生”が唯一正せる欠点として用意されているのか、早い所納得できる描写が欲しいなと思う回でした。
 己の在り方、守るべき一線が解らないという意味での『バカ』は、蔑むつーよりも哀しいので、便利屋の面々も状況に流されるのをそろそろ止めて、求める自由を手に入れるためには誰に牙を突き立てるべきなのか、自分で考えたり”先生”に教えてもらうと良いかと思う。
 ”先生”に、そろそろそういうことして欲しい。
 次回も楽しみ。

 

 

・追記 透明無名だからこそあらゆるユーザーのアバターになりうる、ソシャゲ主人公を物語のメディアが変化した時どう描くかは、あらゆるソシャゲアニメの重要課題であり、決定的な回答が未だ出ていない難問だと思う。