風が強く吹いている を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
”選ばれざるもの”の王様であるキングも、神童の導きによりチームに加わった。アオタケの10人は同じ服を着て、全員で走る。
まずは記録回、初めての実力勝負。そこで見えてきたバラバラの現状、目指すべき頂き。
春の終わりの十人をスケッチする、初の実走回。
というわけで、7話目にして初めて”競技(の試走)”をする駅伝アニメである。”チーム”が一応形になるまで、全体の1/4。のんびりしていると取るか、土台をしっかり作ったと見るか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
アニメ版は群像劇としての側面をより強めているので、各キャラの掘り下げ深めるとこんぐらいは使うか。
ここに至るまでにも色々あって、その中でキャラクターの背負っているもの、価値観と強みはちゃんと描かれていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
年齢もフィジカルもバラバラな10人が、それでも一つのタスキを握って、一つのゴールを目指して走る。その凸凹とした噛み合い方(あるいは噛み合わなさ)は、走らずとも見える。
のだが、実際走って見えてくるものも沢山ある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
仲間ではなくライバルと、本気でせめぎ合う競技会。大学陸上のトップと、肩を並べて自分がどこにいるのか確かめるチャンス。ド素人集団が、世間の厳しい評価にさらされる現場。
そういう強い試練に飛び込むことで、群像の表情はより鮮明になっていく。
今回の物語は結果や数字よりも、そういう表情を、今の段階の実像を、視聴者に見せる回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
実際に競技を走ってみて、感じた緊張、疲労。こみ上げてくる嘔吐感、上がらない腕、丸まる背筋、焼き付く肺。コースを剥奪しようとぶつかりあう体。練習とは全く違う空気。
そういうモノを全部ひっくるめて、ハイジは10人に体験してほしかったはずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
自分がどれだけ至らず、またどれだけ出来るか。個人としての力量、チームとしての結びつきが、どれだけ弱いか。
それを実感することでしか、”箱根”は現実になってくれない。惨めさや弱さに向き合うことで、夢は近づく。
しかし実際走り、弱さやキツさに向き合うのは厳しい。それもまた、陸上競技の、人間の本当の姿だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
現状、アオタケの面々はそういうキツさに向き合う素直さ、タフさを獲得しきれていない。六話溜め込んだ”イケるムード”が、実際全然イケてない状況を、今回のエピソードは伝えてくる。
前回キングが帰還したことで、チームはなんとか10人になった。同じラインに並び、晴れの舞台に向かう青年たちの雄姿は心強い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
が、同じユニフォームを着ても”箱根”への姿勢はバラバラで、ハイジの想いだけが先走っている。
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チームの輪から一番遠いのは、一番早く走れるカケルだ。陸上を、駅伝をよく知っているからこそ、チームの緩んだ空気は気に食わない。自分が見えている風景を、残りの九人が共有していない事実に苛立っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
みんな同じ気持ちで、同じガチさで走って欲しいのに、自分は一人だ。
チームについていけず、1人で先頭を走っていた高校時代と、カケルはなにも変わっていない。榊が埋めれなかったその距離を、アオタケの面々は埋めれるのか。埋めるつもりがあるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
そこら辺を計測するのも、今回の競技会の目的となる。https://t.co/A9KEHh8xu8
カケルが走る孤独な領域に追いつくには、神童がキングにやったような真心勝負だけでは足らなくて、同じ速度・同じ強さで競技に挑める実績がいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
そういう厳しさが当たり前だったカケルにとって、結果が出ないド素人共は仲間の資格がないし、走る権利もない。
ここら辺のズレは話が進むと強く描かれるようになるが、物語冒頭、競技場についた段階でもしっかり描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
ようやく帰ってきたトラックの空気を、懐かしく吸い込むニコチャン。無邪気な双子。その明るさと軽さに、苛立つカケル。
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それぞれ経歴も重たさも実力も違うからこそ、ぶつかり合い分かり合っていくチーム。その個別の表情が、よく描かれた出だしだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
ピチピチユニフォームを煽られるシーン合わせて、体格と折り合いをつけて”陸上”に戻ってこれたニコチャン先輩の喜びが、よく出た回だった。推しが幸せ、俺も幸せ。
ド素人とロートルの感慨はしかし、ガチ勢のカケルには甘っちょろいものでしかなく、思わず想いが衝突しそうになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
自分でもアオタケのヌルさに苛立ってるくせに、榊に煽られるとキレそうになるところが、カケルのマジめんどくさい部分だ。なんだかんだ、チームメイトのことは好きなんだなぁ…。
そんな暴発の間に立ち、決定的な衝突が起きないよう目を配るのは、ハイジの仕事(の一つ)である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
チームメイト相手、あるいはイヤミなライバル相手にぶつかりそうになるたびに、間を取り持つ描写が入る。
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エースとチームを執り成そうとするリーダーの努力は、実際に走って高まりきった情熱と不満に押し流され、カケルは暗い影の方向に、1人で走っていってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
そういう結果が出るけども、ハイジが不器用な陸上バカと”みんな”を繋ごうとしているのは事実だ。
そんなハイジの過去を知り、大学陸上界のトップに君臨する男、藤岡。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
競技全体の高貴さ、強さを象徴する難しいキャラクターを、しっかり描写するのも今回の仕事だ。
おごらず、緩まず、強く走り、息も姿勢も乱れない。修行僧めいたストイックさだけでなく、カケルの走りを見て声を掛ける優しさもある。
『コイツが”トップ”なんだ』という説得力のある造形と描写で、とても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
ハイジとの過去を匂わせたのも、良い布石だ。
アオタケ相手のハイジは無敵のリーダーであり、強引にみんなを”駅伝”につれていくエンジンでもあるので、人間味が薄い。しかし彼にだって、傷があり過去がある。
膝のクローズアップ、いい位置につけてもトップには喰らいつけない走り。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
横幅広い今回のカメラは、日常を描いていてはなかなか彫り込めない”人間”としてのハイジも、しっかり切り取る。藤岡との親しい会話も、その一つだ。
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ランニングの姿勢、表情に各人の実力が丁寧に反映され、現状が良く見える。フィジカルな作画をサボらず、キャラ描写に生かしていくこの作品の強みは、”競技”の場でこそ映える感じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
練習場面でも抜け目なく使われていたけども、今回は特に強い。
最後まで乱れない”持つもの”に対し、ド素人達は苦しく走る。練習に参加していなかったキングは早い段階から顎が出て、それなりに走れていた優等生組も、終盤はフォームが乱れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
キングは最初っから最後までヘロヘロだが、彼の強さは別にあるから…
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※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
キングは最初っから最後まで→王子は最初っから最後まで
同じド素人でも、練習への向き合い方、持ち前の資質によって、”出来ない”度合いは違う。最終的にヘロヘロになり、規定記録を突破できないのは同じでも、そこにはグラデーションがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
集団を書く上で大事な”ムラ”を、見逃さず走りの作画に乗せてくるのは、やっぱり良い。マジ苦しそう。
スタミナが削れてフォームを維持できなくなり、体が前屈してくる。肺が圧迫されて空気が吸えなくなり、腕のフリが鈍る。カラッカラの肺が焼け付いて、足は縺れ、ゴールは遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
長距離終盤のヒーヒー加減が上手くアニメになっていて、とても良かった。そこに囚われない、上位競技者のタフさも。
トップランナーは、涼しげに走る。苦痛それ自体と同化したように、表情を荒げることなく走り切る。その乱れなさが強さだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
藤岡の走りの描写は、そういう競技性を見事に写し取っている。アフリカ勢のハングリーさも、カケルの情念も追いつけない涼しさ
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走り終えてなお背筋を伸ばす藤岡の視界には、息を荒げ必死に追いついてきたチャレンジャーではなく、過去を乗り越えて走るかつての仲間が写っている。激重感情の予感…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
これで冷たく弱者をあしらうのではなく、ちゃんとカケルの走り、それが目指す”箱根”を暖かく見守っているところが”格”である。
マナスの力走が、ムサのキャラクターを照射する形になったのも面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
同じ”黒人ランナー”とくくられがちなふたりだが、出身国も経済状況も”走り”に載せた重たさも、全く違う。
そして、ムサが自分に欠けているとパニクった”ハングリーさ”むき出しで追っても、マナスは藤岡に追いつけない。
アオタケの10人がそうであるように、走る人すべてが様々な事情、思い、実力を秘めて、孤独に走っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
しかしその個性は何らかのカテゴリーにまとめられ、同じ場所、同じ基準、同じ目標で走る。孤独と協調は複雑なダンスを踊り、バラバラだからこそ強調される共通点がある。
そういう不思議さは、そのままチーム走であり個人競技でもある”駅伝”の面白さに繋がる。『オレ一人が早くても、なんにもならないんだ!』というカケルの叫びも、その凸凹から生まれてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
記録も走りもバラバラな競技会は、作品が一番大事にしているギャップをより強く、鮮明にしてくれた。
その中心を走る主人公、カケル。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
くっそ面倒くさい未熟さ、”陸上”に向ける思いの強さ、向かうべきゴールを定められない弱さ。
ガチ勢だけに、勝負になるとその人格がより強く、はっきりと見える。その表情は、今回も強く鮮明だ。
狙うべき獲物を定めた瞬間の、猛禽のような瞳。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
抱え込んだもの全てが蒸発し、自由になれる”走り”の魔法。
敗北が重たくのしかかる瞬間の、暗い表情。
それを挽回するチャンスが来ないと知ったときの、重い絶望。
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とにかく今回(も)、”眼”の描写が良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
視線がどこに向かっているのか、そこに込められた温度と色彩はどんなものか。それを強く描いておきながら、フッと”走り”が頑なさを壊してしまう瞬間を切り取ったり、敗北の涙は直接書かなかったり、塩梅が良い
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”眼”の描写の強さはカケル以外でも生きていて、カケル→藤岡→ハイジ→チームと数珠繋ぎになる感情一方通行が、とても良く見えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
藤岡さんマジハイジ好きすぎなんだけども、ちゃんとカケルの顔も、いまハイジが大事にしてるチームも見て、視野が広い
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カケルの視野は”走り”でいっぱいで、だからこそ彼は早いわけだけども、それは狭くて危ない。一回の負けで追い込まれ、仲間のゆるさを許容も出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
そんな自分の危うさを、カケルは自分でも持て余していて、それを受け止めてくれる相手として、どっかでハイジとチームに流し目をくれている。
その甘えた視線を、ハイジは真正面から受け止めて行けなきゃいけないわけだけども、彼の目はチームに向いている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
カケルを受け止めるときも、チームの一員として…チームでなければ参加資格がない”箱根”にたどり着くための道具として、見ているように思えてしまう。
ここら辺の冷たさが妄想だとしても、それに似た感情を受け取ったから、キングはハイジではなく、神童で救われたのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
藤岡の強さと優しさに頼ることは、同じチームではないカケルには出来ない。ずっと迷い道の中にいるカケルが、やっぱり頼ることが出来るのは、一番最初に道を示したハイジなのだ
そんな想いが掌から逃げて、カケルが1人チームから離れてしまうところで、今回の競技会は引いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
ハイジが視界に収め、求めるもの。カケルが見据え、掴み取りたいもの。アオタケがチームとして求めるもの。
それはてんでバラバラで、記録以上にヘロヘロだということが、よく判るエピソードだった。
同時に記録を取るからこそ、この作品が描く”速さ”と”強さ”がどういう関係なのか、よく見えた気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
強さと優しさを兼ね備えた藤岡は、速くて美しい。心が強いやつは、ちゃんと結果が出る世界なのだ。ガムシャラさも、自分らしく手綱を付けさえすれば武器にもなる。
そういう意味では、チームで一番強いのは、ぶっちぎりビリッケツな王子なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
周囲のヤジも気にせず、ただただ自分と向き合って王子は走る。キツくても、惨めでも、棄権はなしだ。そういう心の強さは、しかし記録には反映されなかった。心と体の関係も、いろいろ凸凹である。
実際”競技”を走ることで、チームは大きく様相を変えていくだろう。惨めさも喜びも、その実感を強めていく。乱れる心とフォームを、最後まで守り切る強さが試されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
それは個人の中だけではなく、集団に拡大していく。乱れた気持ちに火がついて、カケルは走り出す。チームに背中を向ける。
その暴走が吉と出るか、凶と出るか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月13日
世界で一番大事な”走り”を、自暴自棄にしか使えなかったカケルは、再び”危険人物”になってしまうのか。あの時カケルに追いついたハイジは、アオタケの仲間は、孤独な長距離走者にタスキを手渡せるか。
競技会が終わり、日常が戻ってくる次回、楽しみですね。