前置き アンチくん好き。
グリッドマン見てんだけど、アンチくんが腹グーグー鳴らしたり飯もらったりするの見るたびに「ううううぅううう~~」って意味分かんない音がなる不具合、俺から取り除いてくれませんかね。ホントガキとメシの取り合わせに弱い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
本題
SSSS.GRIDMANを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
学園祭。閉鎖されたドミニオンたる学園の扉が開かれ、外部の介入を許す日。定められたルールが破られ、外部の介入により変化と祝祭が加速される日。
ゼロ・アワーに向け、対立と融和は複雑なダンスを踊る。あの子は怪物で、友達で。その友情すらもプログラムされたものだとしたら
というわけで、崩壊してきた日常を祝祭の中に繋ぎ止める、転倒した回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
オタクとリア充、戦争と友情、対立と対話、過去と未来、怪獣とヒーロー。
色んな場所に引き裂かれたものが、果たして配置された間隙のとおりにいがみ合い、ぶつかりあえば良いのか、己を問う回である。
それは裕太たちがあの作品世界で生きる、彼ら自身の人生の物語であり、それと同時に作品を作り出す創作者の自己言及である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
元々そういう色が濃い作品だが、オタクである自分をニヒルに、メタフィクショナルに突き放してみつつ、その視座がキャラと作品を駆動させるエピソードとなった。
私小説でありつつエンターテイメントでもあるというのは、あらゆる私小説(と娯楽小説)が目指すところであるが、それに成功しているのはとても偉い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
バリバリ勇者シリーズへの、隠すつもりのないラブレターが暴れまわる自己言及的な今回は、TRIGGER版”おたくのビデオ”と言えるかもしれない。
そこら辺の話は後でするとして、まずは作品内部の視座からいこう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
第6話で怪獣少女の接触を受けて以来、茫漠とした日常は段々と崩壊し、あかねちゃんがプログラミングしたグロテスクな現実が、だんだんと顔を見せてきた。
それは倒すべき敵の姿と同時に、一少女としてのアカネちゃんの顔も照らす。
メシはまともに扱えない。命はけして大切にできない。大事なものは足蹴にして、やりたい放題し放題。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
『怪獣を作っているから』『神様だから』という設定面だけでなく、とにかく皮膚感覚的なあり方のレベルで、アカネちゃんは違和感に満ちた怪獣として描かれてきた。https://t.co/A42TyBCQP5
首尾一貫しない態度。怪獣ヲタクのくせにリア充を装う欺瞞。欲望をせき止められたら即ギレな幼児性。倫理観の薄さ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
アカネちゃんの『うわぁ…』感は非常に生々しく、『ああ、そういう人はいる。声は上田麗奈じゃねぇし二次元美少女でもねぇけど』という感覚を、積極的に煽ってくる。
そういう『隣の怪獣』感は彼女への共感を弾いて、『まぁ怪物だししょうがねぇかな』という割り切り/諦めを生み出してきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
冒頭、アカネちゃんの”眼”を描くカットは、確実に彼女を意思疎通不能な『怪獣』として扱っている。
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しかしアンチくんにしろ怪獣少女にしろ、『怪獣』とヒーローは交流可能で、そこで手をはねのけてしまえば世界の真実も、人間を受け止める優しさも滑り落ちていってしまう、というのがここ二、三話の物語である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
怪獣は臭いし、メシも食う。人間やヒーローと同じように生きているのだ。
今回はそんな、アカネちゃんの人間的な姿、そこに収まりきらない”怪獣”性を同時に描いて、それにどう反応するかで味方サイドのキャラ描写をするエピソードだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
今どきJKの外装にスタンダードな倫理を詰め込んだ六花は対話を、早口オタクの将は戦争を、それぞれ求める。裕太は、空白の記憶で足踏みする
アカネちゃんが見せた(あるいは見たいと六花が、彼女にシンパシーを感じている僕が)人間性は新しい事実であり、同時に見慣れたキャラの新しい側面を彫り込む道具でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
それは対立を生み、内省を生み、対話へと繋がっていく。形だけ整っていたグリッドマン同盟が、真実同盟になる為の触媒になる
そんなふうに、バラバラである現状は冒頭、それぞれの姿勢で明瞭に示されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
ヒーローとして、覆いのない現実に常にさらされている裕太。彼が背負うシンプルな正義を、共有できないまま影を向き、硝子に覆われる六花達
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空に浮かぶ偽物の街、怪獣少女との対話。この世界が偽物である実感は、グリッドマンと『為って』戦う裕太にしか、ダイレクトに与えられない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
あるいは裕太だけが、この偽物の世界で『本当』なのか。
どっちにしても、離人の街そのものな硝子は、まだ同盟の二人を覆っている。https://t.co/SaJLKXvC4E
結局グリッドマンの戦い(を通じて見える虚構性)は、六花にとってはそのスケールの大きさから、将にとってはオタクとして待ちに待ったフィクションとの高すぎる親和性から、そして共通して、二人が『選ばれた戦士』ではないという事実から、実感からは程遠いのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
それが同盟の現実であり、アカネとの接触を通じて顕になる。一話で乗り越えさせるのは今風のストレスコントロールであるし、将や六花のニンの良さだなぁとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
雨降って地固まる。ぶつかり合いを経て、同盟が将だけ言ってるオタクの寝言から、”みんな”の言葉になれたなら、喜ばしいことだ。
三人はバラバラの方向を向きながら、世界の日陰者、真実を知ってしまった孤立者として同じ場所にもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
世界の真実が語られる場所が、軒並みゴミゴミして『リアル』なのはとても面白い。今いる現実が仮想でしかない事実は、快適ではないのだ
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PCも家も自分のものにならない、子供たちの楽園。外部から弱いものを守るシェルターであり、特権的に異物を排除する聖域。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そこで営まれる『現実』から排除された、現実という異物。そのゴミの中でしか、英雄たちは自分を語りえず、また怪獣と対話することもない。
ヒーローは日常には不必要なゴミという、なかなかオタクらしいニヒリズムに満ちたセッティングで、僕は大好きである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
その上、オトコノコ同盟がおんなじ方向(戦争の方向)を向いて、六花ちゃんが孤立してしまう瞬間も、抜け目なく切り取ってくる。頭が良くて性格が悪い。素晴らしい。
将が(画面越しの僕ら男オタク、メイン視聴者層の気持ちを代弁するように)『対話より戦争、血湧き肉躍るアクション、戦いのための新しい武装』と吹き上がる中、六花ちゃんはこれまでと同じように、スタンダードな倫理を背負い、対話を思考する。友達と殺し合いとかありえないっしょ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
将は『感情でしか行動しない』とボヤくけども、理性的に戦争を準備する『男の考え』は、血湧き肉躍るバトルを待ち焦がれるガキっぽさに染められてないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そういう反論を飲み込んで、場が荒れる前に身を離す辺り、六花ちゃんはデキた子である。内海がだいたい悪い。
六花ちゃんは幻想的なバスの中で、アカネちゃんと対話する。隣の席に座るわけでも、落ち着いて平和な状況ではないけども、なんとかマトモなコミュニケーションを発火させ延焼させ、戦争に支配されたこのアニメを友情物語に焼き直そうと頑張る
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
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アカネちゃんを『友達』と言い切り、そのアプローチに神様が答えた今回はアカ六派戦勝記念日としてカレンダーに刻まれるだろうが、ともかくオタク的興奮とはリア充らしく距離をおいて、マトモな判断をする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
彼女はずっとそうだったし、それを肯定するのはキャリバーさんだ。https://t.co/3pIBX4d4PB
過去の引用、あふれるリスペクト、うんざりするノスタルジーと興奮。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
徹底的に”オタク”なこのアニメに平静なマトモさ、ベーシックな強さを持ち込んでいる六花ちゃんは、時に裕太よりも主役っぽい。狙ってそう配置されているのだから当然だけども。
裕太は常に、その背中を追いかけるように進んでいく
僕の中のマトモな部分を体現し、作品に焼き付けている六花ちゃんに対し、将はダメダメなオタクの部分を嘘なく反映し、間違え続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そこら辺の座組は白紙の裕太を真ん中に挟んで、作品を勧めるエンジンになっていて面白い。正論だけでも、快楽だけでも、お話は面白くならないのだろう。
『マトモなことをする仕事』な六花ちゃんを、大人として登場からずっとフォローしているキャリバーさんが、今回アンチくんとのコンタクトを確保したのは、一貫性のある描写だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
食事を与え、諦めず話す。連絡先を知り、ズレてても話す。大事なことだ。
アンチくんは初登場から『食べる』存在であり、そんな彼にマトモな食事を与えないことが、アカネちゃんの怪物生の表現でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
今回、そんなアカネちゃんから見捨てられたアンチくんは闇に倒れ伏し、迷って”ホーム”へとたどり着く。
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アンチくんの食べ方はいわゆる”犬食い”で、マトモなコミュニケーションではないけども、ともかく腹は膨れ、ママさんの愛情は無駄にはならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そういうマトモな場所に、片目という代償を払いつつアンチくんがたどり着けたのは、とても良かった。マジガキを暗闇に腹ペコで置き去り、許さねぇからよ…
そんなアンチくんを怪獣だと断じて警戒するのが、将担当のボラーなのは面白い。対話の六花・キャリバー組と、戦争の将・ボラー組。保護者と子供は同じ倫理を背負い、同じ行動を取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そこで戦争の興奮が肯定され得ず、少しの後ろめたさとともにオタク的興奮に水ぶっかけられるバランスが、僕は好きだ
それが一般流通する『マトモ』な価値観だから、形だけでも従っとけ、というよりは。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
それが善いことだから、その善さを再確認するためにはそれと相反するオタク的興奮も、ちゃんと作品内現実として描写しなきゃ嘘だから。
六花と将、キャリバーとボラーの対立は、今回描かれる。
過去の遺産への過剰な思い入れと、オタク的アイデンティティに満ち満ちた引用のパッチワークで話を作りつつも、そういう部分に自分らしい手触りが残っていて、作品の心臓として駆動し続けているのが、僕がこの作品を好きな理由なのだろう。多分。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
ガラス一枚隔てた”現実”のなかで異物なのは、アンチくんも新世紀中学生もおんなじだ。場違いな侵入者はあるいは異物として追い立てられ、あるいは赤い境界線をまたぐ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そういう存在を受け入れられるほど、仮想の日常が崩壊しつつあるのだろう
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異物なのは世界の真実を知ってしまった少年少女もまた同じで、彼ら彼女らは軒並み、肩身が狭そうに明暗の強い世界をさまよい歩き、境界線を越えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
ジャンクショップの赤い敷居を、異物がまたぐシーンが印象的にリフレインするのは、良い演出だ。https://t.co/81VfQoqdaG
アンチくんがヒーローたちの”ホーム”に入ったのは、それが緊張をはらみつつも善いものだと描かれたのは、六花ちゃんが抱える当たり前の倫理、友達を諦めきれない当然の感情もまた、いつか優しく向かい入れられる予兆なのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そういうありきたりなハッピーエンドを、この作品が好きな僕は望む。
キャリバーさんが手に入れた電話番号が、どんな交流を創ってくるのかは今後のお楽しみであるし、散々に虐待された子供がようやくタラフク食って、まともに話ができるようになったのは、とにかく有難いことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
ホント勝手に生み出しておいてよぉ、顔を切ってメシを食わさず…そういうのはマジよぉ…
これでアカネちゃんを『カッッス! 人間失格!!』と切り捨てられるなら、色々悩まずに住むのだが、このアニメは描写が鋭く的確なので、どんなキャラにも好意を抱かされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
巧くて強い相手をアニメにする時は、割り切れないモヤモヤを抱えてみることになる。その曖昧さが良いのだ。
六花ちゃんのアプローチは、結局アカネちゃんを動かせない。信号のモチーフは形を変えて再登場し、今は通行止めな現状を、シンボリックに活写してくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
強く歪んだ魚眼、眼に突き刺さる赤。血に似た色合い。
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六花ちゃんが代表し、僕の中の”マトモさ”が作品世界に居場所を見つける足場は、しかしそのマトモさ故に時に無力だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
それがアカネちゃんに届いて、身勝手な神様が友情を取り戻す時、多分このジュブナイルは終わるのだろう。だから、今はまだその時ではない。https://t.co/iniECystyo
その片鱗を見せつつ一時停止されるのは、裕太と六花の恋、あるいは失ってしまったマトモな倫理への憧れも、同じことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
怪獣の住む、異常な色彩の街。変身ヒーローである裕太はあくまで、そちらの側に身を置く。
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自分の背負うマトモさの無力を嘆く六花と、記憶を失い変身英雄の聖痕を刻まれた裕太は、強く隔たれている。それは現実と非現実の距離、ヒーローと彼らが守る一般人との間の距離だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
(オタク的引用を衒学するなら、モロボシ・ダンとアンヌ隊員の距離、となるか)
それでも裕太は、グリッドマンの白紙で自動的な正義だけを『自分がするべきこと』として引き受けるのではなく、六花の等身大の優しさと強さを『自分がしたいこと』として受け止める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
境界線を越えて身を乗り出させるのは、青春のニトロ、恋の風を背に受けているからだ。
異常な世界の中でマトモな感覚に思い悩み、戦いの中で友情を求める。そういう血の通った感覚があって初めて、白紙の正義は一報的な暴力ではなく、正義としての機能を獲得できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そういう引力に裕太は惹かれているし、非常に生っぽい感情にも突き動かされている。
ラストカットを、恋が青春を殺す決定的瞬間に使うのが最高に良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
百億の星の中で、あまりにも特別に輝く君。その光が、裕太の目を奪う。マジックアワーの茜色の中で、流れる黒髪は初恋の色彩で、永遠に刻まれる。
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この素敵な想いが、どういう形にまとまるのかも、今後楽しみなところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
あかねちゃんのいう通り、六花がプログラム人格だとしたら、友情だけでなく恋もその起源を疑っちゃう賢さが、六花ちゃんにはアリそうなんだよなぁ…裕太の特権的な『本物』描写と合わせて、怖くも楽しいところ。
学園祭を舞台とした今回は、この亜に目が言い訳のしようもなく身を置くオタクっぽさと、学園というドミニオンにおいて支配的であるリア充のムードが、境界をあやふやにするエピソードでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
見よ、このスタイリシュなカウントダウン。
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ジメジメした薄暗がりの中でダンゴムシのように生きてるのが心地よいクソオタクとしては、この絵が持ってる陽性の”気”は『ケッ』って感じだけども、それも酸っぱい葡萄。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
可能なら充実したいけども、そこに馴染めねぇ心象とか、それを許さねぇ能力の不足とか、色んなものでマトモさからは遠い。
そこに繋がるグギグギしたコンプレックスを、アカネちゃんの現実改変の不気味さと合わせて描いてきたのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
いや、キングジョーめいた追加パーツを付けても、陽キャの人たちはフルスクラッチの怪獣、褒めてくれないと思うよ。
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環境音が包囲する生っぽい世界から、BGMが鳴り響く虚構の戦場へ。この作品がずっと続けている演出法は、リア充攻略アイテム『フルスクラッチの怪獣』が出たシーンでも維持される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
それはつまり、アカネちゃんの充実した生活、態度、性格が嘘っぱちだ、とい証明だ。
オーイシお兄さんの上がる主題歌が鳴り響く戦場も、キラキラ輝く青春と恋も、オタクがワクワクするものはぜ~んぶ嘘!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そう思い直すと、すんげぇ捻じれとニヒリズムに支配された、いかにもオタク的、ガイナ直系TRIGGER印の演出だなぁ、と思う。やっぱコレ、雨宮哲版『トップをねらえ2!』でしょ。
(こっからダリフラと絡めたウザトークが三時間分、自分の興味ある部分だと突然に興奮する将そのままの語り口で展開されたが、意味がないので省略する。こっちは自分らしくやりきってくれ、TRIGGERさんよ。https://t.co/KOJ2etBVfbとかhttps://t.co/sQ1aVIsfzAとか読んで(投げやり))
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
アカネちゃんが現実改変能力を、怪獣出現とか世界維持とか人格プログラムとかでけーでけー神の領域だけでなく、陰キャの妄想そのまんまの『みんなの人気者なワタシ(ただし、自分らしさを譲るのはなし)』実現のために使うのが、イタくてイタくてキツかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
それは、僕を照らす鏡だからだ。
アカネちゃんはああいううふうに、怪獣の話がしたかった。でも『現実』では出来なかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
何でも出来る神様の力を手に入れて、作り直したのは『もう一つの現実』
全く新しい世界を作り上げなかったのは、自分を受け入れない世界を、憎みつつも愛していたからじゃないか。
ホントはみんなと、仲良くなりたかったんじゃないのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そんな強がりを身勝手に妄想して、『ああ、もうこのこの物語は一方的に切り捨てるものじゃなくて、俺の身につまされるお話として受け取るしかねぇんだな』と、白旗を上げた。
ズリーよまじ…声が上田麗奈でおっぱい大きい上に悲しみを背負うとか
気に入らないものを全部蹴飛ばしてしまう幼さで、アカネちゃんは問川を殺し、世界をプログラムした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
それが取り返しのつかない過ちなのか、リセット可能なミステイクなのか。それはまだまだ、世界の真相がわからない以上不明だ。そこに、救いへの希望もある。
何もかも自由になる神様のはずなのに、勝手に学園祭は復活し、お客さんは怪獣を倒し、友人プログラムは自分を指弾してくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
アカネちゃんが本当に神様じゃない不完全さが、彼女が迷妄から抜け自分を取り戻す一助となる構成は、なかなかに良く出来ている。世界は不完全だからこそ、完全さに進んでいく
もしアカネちゃんがそうやって『退屈から救われ』て終わるなら、その足場は対話を早々に諦めてしまう将ではなく、粘り腰でしがみついた六花にこそあるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
戦争映画じゃなくヒーロー物語にするなら、そういう形で進めていくのがスタンダードで、正解でもあろう。
将と対話しながら戦争の方を向いて、新しいパワーアップを考えていた裕太は、その力強さを維持したまま(何しろ、殴って改心させなきゃ納得しない相手なんだから)、六花的な倫理を白紙に書き込んで、やりたいこととやるべきことを、一致させられるのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
コレもまた、今後の見どころであろう。毎回見どころが増えて、どれもしっかり進んで面白いのは、リッチで楽しく良いことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
それがモチーフをなぞるだけでなく、自分なりの尖った映像言語、テーマ性への掘り下げで見せられるのは、なんとも幸福なことである。俺このアニメ好きだな。
余談になるけど、第2話でグリッドマンに『救われた』先生が、眼鏡の奥の瞳を輝かせて生徒と向き合うようになったのは、グリッドマン=裕太の救世主的特権を保証するものなのかは、結構悩ましい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
もし全部グリッドマン明王のご神徳です、となると、それは現実を書き換えるアカネちゃんと変わらない。
リセットされる世界の中でも、自分を変えるチャンスと継続する変化というものはやっぱりあって。それを断ち切られてしまうからこそ、命を奪う行為は仮想の中でも良くなくて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そういうふうに今まで語られたものを鑑みると、やっぱ『切っ掛け』なのだろう。https://t.co/coa2RdJnGF
歩きスマホを止める。生徒個人の顔を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そういうありきたりな変化は、今回六花に引き寄せられる裕太が目指すものであるし、彼はそれを自覚する前から世界の修正力を越えて、そういうことを成し遂げ得たのだ。かけがいない切っ掛けを創って、誰かに託す。無作為の善をなして、変化の兆しを作る。
それは良いことなのだと、同じ第2話でキャリバーさんは六花ちゃん(を通じて裕太、そして僕ら)に語りかけてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
だからそういう変化が形をなして、リセットを繰り返す世界の中でも有効なのだとわかったことは、僕は良いことだと思うし、思いたいところだ。https://t.co/6p1pNdJjVi
さて、本人に苦言を呈されるくらいに大張正己な、あるいは超合金DXフルパワーグリッドマン・グレート合体な戦闘シーン。まーバリバリである。オタクである。溢れるケレンに大興奮である。https://t.co/6p1pNdJjVi pic.twitter.com/Vm0qjzuIT8
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そのパスティーシェな映像的興奮剤投与に血圧アゲつつ、将の戦争主義が確実に肯定されていない本編とのギャップを思い、色々と考える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
それが備えなければ正義も守れない状況、六花の平和主義が取りこぼす部分をバリバリな演出で、良い作画によって無言で支える形になっているのか。
はたまたTRIGGERが憧れるガイナ的放埒なる才能主義を擬態し『やりたいからこそやってる』のか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
その判別は、製作者ならざる僕にはわからないし、今流通する作り手の言葉を拾い上げたところで、真意には迫れないだろう。創作者は大概シャイでホントの事言わないし、言うと物語が壊れるからね。
一つ言えるのは、将も僕らも作りても、『こういう』のは好きだ、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
『こういうの』があったからSSSS.GRIDMANという『続編』が今放送されているのだし、オトコノコ的な大興奮戦闘は、時に六花ちゃん(が背負うマトモさ)に冷たい視線を向けられつつも、愛すべき興奮に満ちてる
そうやって世間様の眼差しを受け止め、それもまた自分の物語に取り込みつつも、どうしようもなく高ぶるオタク的感性、オトコノコ的戦闘主義も肯定してしまうバランス/不徹底が、僕はやっぱりチャーミングで好きである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
しょーがねぇじゃん、好きなんだから。
円谷もサンライズもガイナも、エヴァもウルトラマンも勇者シリーズも、好きだからこそこんだけのモンができた。グリッドマンが好きなオタクだからこそ、グリッドマンの続編が作れている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そういう制作陣の捻じくれた好意を、オッサンのように腹が突き出た将が背負って間違え続けるのが、僕は好きだ。
裕太は通じなかった説得の代わりに、”偽物の怪獣”として学園祭をぶち壊すことで、命を守る。巨大なグリッドマンにしか出来ないことを、戦闘以外でも魅せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
その”怪獣”の演技はつまり、新条アカネへの接近でもある。
©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会 pic.twitter.com/E9bcHT7eeU
日常を蹴っ飛ばさないようにチョロチョロと、必死に”怪獣”を演じる裕太に対し、アカネちゃんは今までどおり、問答無用でぶっ壊す。ミニカーのように自動車を蹴り飛ばし、奪って壊す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
話し合っても、何も変わらなかった。穏やかな非オタク的交渉は、オタク的特撮の中では無力なのかもしれない。
しかしそこで諦めずに、手を伸ばしてみることで初めて、世界の真実も見える。怪獣少女と向き合い、話し合ったのは他ならぬ裕太なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
だからこの話は多分、私とアナタ、ヒーローと怪獣の和解の話になるのだろう。そのためには、お互いの立場を知る転倒が必要になる。
そういうお話のオチが、性役割を転倒させる男女逆転喫茶(男装喫茶・あるいは女装喫茶という言葉を使わないナイーブさが、マジで好き)で付くのは、まぁ見事な作りである。ヒーローは怪獣を、怪物は人間を、それぞれも転倒しながら模倣する
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
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そうすることでしか、現実と仮想、オタクとリア充、戦争とエロスに駆動するオタク的物語とマトモでリアルでフツーのお話の間に、ブリッジを架ける手段はないのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
まずは、青い空広がる屋上で、お互いにゴメンナサイから。
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ここで『正しい』六花ちゃんが、最後まで計画を押し通して最初に謝るのではなく、将が先に謝って倫理的アドを取るのが、平等で好きである。クソオタクだって、時には正しいことをするのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
ここは過去話でも、少年少女が心を通わせる(あるいはそれに失敗する)舞台となったhttps://t.co/LfZ0fRCV1U
そういう場所で、フツー人とクソオタクが衝突したこのお話が和解で終わるのは、色んな意味で爽やかだな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
空疎だった同盟は、ぶつかりあうことで本物になった。怪獣にしか思えない少女は、思いの外対話可能な相手だと、ヒーローが”怪獣”を演じ、少女が友情を信じたことで見えてきた。
タイトルに有る”対・立”はその実、複雑な転倒の中にある。それは”対・話”でもあったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そんな話の中で、一人ほくそ笑む黒い影。アレクシス・ケリブは何を企むのか。前回蹴り倒したモニタが復旧し、アカネちゃんとの関係も回復だ!
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稲田徹声のヴァーチャル毒親ぶっ倒さない限り、アカネちゃんが暗闇の中求める一筋の光条は、彼女に届かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
そういう場所に裕太の空疎な正義がたどり着くためには、恋と憧れ、友情と団結が大事。
ヒネてスカしてるようにみえて、その実泥臭い英雄物語なのだ、このアニメ。
そういう作品の地金を再確認できて、僕にとって嬉しいエピソードになりました。第1話感想を読み返すと、そういう部分に惹かれて見続けることにしたんだね、僕は。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
オタクの、まともな人の、僕たちの想いが幻想の夏をどう駆け抜け、怪獣とヒーローはどこにたどり着くか。楽しみhttps://t.co/Pn3bB3hQ7P
追記 ボイスドラマ 8.8話感想
グリッドマン、ボイスドラマも聞く。六花ちゃんとママンがキャッキャする話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
アニメ本編は離人性や異質性を強調してる分、こういう当たり前で死ぬほど大事で愛おしい感情を乗せるのが難しいけども、コレがないとヒーローが世界を守る足場は蒸発する。
そこを外部メディアに預けざるを得ないのはちと弱い構造だけども、やっぱここで書かれてることは大事だし、良いもんだなぁと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
アンチくんにご飯をあげたように、娘のことをよく見て、娘も母のことをよく見て、幸福なコミュニケーションが出来ている。理想的な親子関係だ。
こういうママンに育てられたから、あのナチュラルな人間問題高正答率なんだろうなぁと思わせる意味でも、いい話であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月26日
この愛おしさもまた、アカネちゃんが製造した虚構かもしれんつ~疑念が深まったタイミングで、こういう話。いい性格してるなぁ制作陣…。
追記 戦争の中の平和、平和の中の戦争、対比物の強調と融和、物語的体験の特異的価値について。
それはそうだと思います。六花的は平和へのアプローチは、将的な戦争へのアプローチと常に同一の場所にあります。だから、主人公として物語的「正解」を背負う必要がある裕太は、グリッドマンの変身プランも考えつつ、同時にアカネにもアプローチする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
しかしそういう昇華的な真実というのは、なかなか実感しにくい。戦争と平和は背中合わせではなく、対立物でありどちらかしか残らないものなのだという極端な認識のほうが、我々は(愚かしいことに)受け入れやすいという傾向が、確かにある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
だからこそ、中庸は努力して身につける徳なわけです。
そういう両極を見据えつつ、その実両極が融和した真実、そこに至るまでの長いでこぼこ道、不穏な日常と荒々しい戦場を同時並列で描く沢山のコストを、このアニメはしっかり見据えて描いています。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
平和に向かう六花を『正解』として捉えつつも、戦争に向かう将の中にも平和があり、ちゃんと謝れる
先制攻撃ではなく先制謝罪をこそ、己の戦術として選び取れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
そういうバランス回復を最後に入れてきたのは、非常にテーマと作品に目が良く、世の中を構成する矛盾(と思われつつ、昇華の瞬間を待っている諸概念)に誠実な運びだと思います。
僕は物語的な体験とは常に、そういう矛盾が実は真実背中合わせで一つなのだと体感すること、そのために現実を操作し誘導し異化することに意味があると思っているので、今回そういう運びになったのはとても良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
ご指摘ありがとうございました。適切に答えているなら善いのですが。
追記の追記 世界と個人という対立を、裕太と六花を通じて融和させていく配置について
グリッドマン、みもいさんとの対話に追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
更に言うと、個人としてのアカネを救う六花のアプローチと、世界を守るグリッドマン=裕太のアプローチもまた、対比の中の融和だと言える。
個人の心が世界全体に拡大している、あの歪なツツジ台を舞台にしているのなら、なおさらのことだ。
アカネ個人を救わないと、世界を壊して外側に脱出することも、歪なリアリティを是正して真実を取り戻すことも出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
そのためにはガラス瓶をぶっ壊す大胆な暴力を磨くのは、平和にアプローチするのと同じくらい大事なのだ。将胸はって良いぞ。https://t.co/FkUByruKzs
そういうオトコノコの血湧き肉躍るパワーの解決法は、二話の時点で、あるいはグリッドマンの続編という看板を背負った時点で、丁寧に示唆されたものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
しかし戦争と平和が対立する(ように思える)のには、当然理由がある。アプローチは簡単には成功しない。だから、今回も赤い”止レ”が描かれる
それが青信号になるまでの物語、個人と社会の救済が、別のアクターを通じて成し遂げられ、アレクシスが導く悪しき世界と自己の癒着が切開され、アカネちゃんが『退屈から救われる』までのお話が、多分今後も続いていく。裕太や将が背負えないものを六花が担当し、平和に足らない部分を戦争が埋める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
対立との対話、矛盾の融和は特定の形質を持った個人ではけしてなしえず、孤独の中では同じテーマが永遠に肯定される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
『アカネちゃんは凄いねぇ、賢いねぇ』と肯定を続けるアレクシスは、そんな永遠の停滞、自分にとって都合の良い極端を望んでいるのだ。
その打破は物理的な勝利であると同時に…
倫理的な価値の勝利、精神の力の勝利でもある。その両方を大事に進めていくことで、お話に『おいちょっとチゲーんじゃねぇ?』と首をひねることも少なくなる。ゼロにはならないが、そう努力し続けることが、誠実に物語る、ということなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
このアニメは頭からずっとそういう話し方をしているし、話し方に相応しい描き方をすごーくコストを掛けて維持しているし、それは適切に機能しているとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
戦争と平和、個人と社会。その対立はキャラクターに背負わされつつ、ドラマの流れの中でお互いを交流させ、理解させ、変化させていく。
そういう生的、動的な変化が元気で、ジャンルの中に埋まった死んだ過去に言及しまくる、死ぬほどオタクな作品なのに『今、生きてる』ところが、やっぱ良いと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
今後どういう描写になるのか、とても楽しみだ。やっぱ俺、このアニメ好きだな。
追記 GRIDMANTRPG試論
TRPG的(FEARゲー的)に見ると、PC1裕太のシナリオコネは”グリッドマン(自己)”であり、PSは『世界を救う』なのだろう。PC2六花のシナリオコネは”アカネ(友人)”であり、PSは『アカネを救う』だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
それは同卓の中で、お互い尊重しながら並び立てる。別々のモチベーション、アプローチを絡み合わせる
そうすることで、1人で語っていてはけしてたどり着けない多層で複雑な結末にたどり着ける快楽というものを、まぁそれなりにTRPGやってきた自分はようよう識っている、体験していると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
そういう視座から見ても、やっぱ面白いのよね、SSSS.GRIDMAN。