どろろ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
命は唯生きているが故に、生きることを望む。それすらも罪というのなあ、嬰児は高らか、鬼か。
荒れ果てた末世の礎とするべく、我が子を贄に繁栄を得た醍醐の一族、その国。生存を渇望する百鬼丸のあがきが数多の幸福を乱す時、父も弟も母も、その死を希う。
運命の果て、血が流れる
そんな感じの中世ハードコア因縁絵巻、兄弟親子相克の地獄絵図である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
野心と一体となった責務を、血まみれで果さんとする醍醐。
母の愛を願いつつ、理想の光、現実の闇の間で悶える多宝丸。
奥方の装束を脱ぎ捨て、己の血で宿命を刻み付けんと走る奥方。
赤子のように、無邪気に哀切に活きる百鬼丸。
誰も間違ってはおらず、同時に根源的に間違えてしまっていて、そんな人達の思いと重責が、枯れ果てた乱世に入り交じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
奪わなければ生きられぬ世の中が悪いのか、生きようとする命が悪いのか、ただ生きることに満足できない人が悪いのか。
宿業、あるいは縁。人間存在を縛り付ける鎖が重い。
今回は醍醐家のロイヤル・アフェア…を軸足に、百鬼丸がこの1クールで手に入れたもう一つの”家族”…どろろ(と、道連れたる助六)を描いていく話だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
例外なく百鬼丸の死を願う血縁と、無邪気に純粋に、再開を喜び呪詛を呪詛する仮初の縁。どちらが”本物”であるか、この作品は簡単な答えを出さない。
1クール目折り返し、来週は休み。まだまだ続く…というか、風雲はこれからさらなる急を告げるターニングポイントに、なんとも重たいエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
簡単に『これが答えだ!』と息継ぎをさせてくれない、楽じゃない視聴。しかしこれが見たいから見ているのだ。アンタも、オレも。
さて物語は、醍醐が物語の開始時に決断した現実の闇を、多宝丸も受け入れていくかというところを焦点に進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
母の愛を奪い続けた兄を、それでも兄と呼び、人のあり方を吠える。多宝丸の生き様は、化け蟹退治の武者絵巻のように、鮮烈で眩しい。
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母を指弾する多宝丸。灯火、温もりたる優しい炎は、それでもあくまで母の側にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
清廉潔白な白面を、父の一喝が曇らせる。
兄一人の命、国全ての重さ。秤にかけてはいけないものを、決断しなければ皆が死ぬ乱世。そこを生き抜く決断を、闇に染まった父は既に果たしている。
光と闇、両方を顔に背負った多宝丸は、母の涙も、父の怒りも飲み込めてしまう、賢い子供である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
人が人としてあるべき道理、己の中の寂しさすらも受け止めてしまえる器量と優しさが、むしろ今は辛い。
純粋な子供が、純粋でい続けることを許されない世界の歌。
それは物取りすらじさなくなったどろろや、春をひさいで口に糊していたミオ、斬魔機械として活きるしかない百鬼丸と、貧富は違えと同じ悲しみである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
それでも露悪にならないのは、なんとか必死に生き延び、動物以上の”人”としての在り方を、子供らが求める様を活写しているからか。
ただ殺す、ただ奪うではない人のあり方がとても綺麗で、ひどく脆いことをこのアニメはずっと描いてきた。だからミオは死んだし、『戦に負けねぇ!』という気概はどろろに継承されてもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
その吠え声は、助六に希望を取り戻させもする。
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希望への脱出口(それがほろ暗い石の産道なところに、繰り返される性生死詩のメタファーがある)へ身を投げるどろろを見て、助六の瞳には確かに力が宿る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
地獄の底でも諦めず、現実の闇を振り払う気概。子供たちは、確かにそれを持っている。蟷螂の斧であっても、それは尊い。尊くなければいけない。
『兄貴なら、なんとかしてくれる』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
醍醐の家(その延長線上にある国)にとっては帰ってきた災厄である鬼子を、どろろは希望の象徴として強く求める。
実際鬼神を殺し、命を奪うことで命を守ってきた百鬼丸は、ただ己の生存に汲々としてきたわけではない。旅路に魂の交流があり、命のやり取りがあった
そこで与えた生と死は、誰かの絶望となり、誰かの希望ともなる。今までの歩みから得た結果として、どろろは産道を経て闇から生まれ直し、兄を願う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
それを追うように、百鬼丸の心にも新たな出会い、新たな波紋が広がっていく。
実の父から投げられた、『無用の鬼子』という呪い。
野の獣のように、一本の刃のように、親も子もなく生まれてきたのならば、それは傷を産まない。響きはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
しかし百鬼丸の素朴な耳に、その言葉は深く突き刺さり抜けない。
望みうるならば、愛されて生まれ、愛されて生きたかった。野の獣、一本の刀のように、ただ生きただ死ぬのではなく。
そう願い、必死に生きて必至に死んでいったミオの生き様が心に刺さっているからこそ、百鬼丸は父の拒絶を胸に残響させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
国と情を秤にかけるしかない多宝丸と同じように、その生き方は哀しい。あらゆる人のあり方が、多分そんな悲しみを多かれ少なかれ孕んでいる。
…でもここの人達は多すぎッ!
想いを背負って”家”と対峙する時、百鬼丸は垣根の上に立つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
”家”を守るための境界線、他人を”家”に入れないための結界を、正統な血縁たる百鬼丸は乗り越えられない。だが(醍醐がそうしたいように)完全な部外者とすることも、また出来ない。
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このとき”見下ろす”立場にいるのが、流浪者であり身体的ハンディを背負った百鬼丸なのが面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
『頭が高い!』と吠えるはずの貴種は、現実に膝を屈した精神の在り方を反映して、高貴なる野蛮を”見上げ”る。定住民が身を置く、粘着質の宿命に捉えられている。
当たり前の日々を過ごし、土地と血縁に縛り付けられr活きる”街”の人々。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
その中に、ミオを害し己も殺されかけた一人の兵士がいる。百鬼丸が鬼に落ちかけ、どろろの叫びで人にとどまった証。
それは祝福ではなく、災厄を連れてくる兆しだ。
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邂逅の果てに家族は再び別れ、多宝丸は低い視線から領国を見て回る。父が背負い、その後継たる自分が背負うべき重み…土の匂いを感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
光に満ちた繁栄を抜けて、たどり着いた地獄堂。平和の代価、国家の腸に、少年は分け入る。
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悪徳の気配を感じ取りつつ、百鬼丸は父が選び取った闇を、己の顔に写し取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
生きるためには、仕方がないことなのだ。
奪い、奪われる世の習いを飲み込み、誰かのために殺す。その当たり前の因果を、多宝丸は飲み込み大人になる。なってしまう。
その決断を弱さやズルさと思わせないために、ここまでこの青年を活写してきた筆がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
青雲の志がある。鮮烈な武勇がある。英明な知恵がある。情と理を解する柔軟な心がある。
百の宝を持っていても、否だからこそ、青年は世界の事実と己の責務を見据え、闇を居場所と定めてしまう。
農民棄民から奪うばかりの『悪い侍』にも、暴虐に至るまでの道程がある。捨てた光があり、それでも諦めきれぬ未練があり、だが刃を止めるには至らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
あらゆる対立の奥に潜む、苦悩に満ちた人間の顔。それが強く刻み込まれているからこそ、多宝丸の黒い仮面は痛ましい。
一方どろろと百鬼丸の”兄妹”は、地獄堂よりも明るい森(自然物。人間の領域の外側。非定住民の居場所)を歩いていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
無邪気に家族の再開を喜ぶどろろちゃんが、救いでもあり地獄でもあり、どういう顔で見ればいいかわっかんねぇ!
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光がどろろと百鬼丸の側にあることは、多宝丸が打ち捨ててしまったものが人に欠かせぬ、大事な大事な宝であるという製作者の意識を反映している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
国の重たさ、関係ねぇ。侍の責務、関係ねぇ。親が子を、弟が兄を、素直に愛せない世界は間違ってる。
それは、正しい。
だが正しさがそれ単独では無力であるからこそ、乱世は乱世である。正しさを横に押しのけても、不義なる生存を掴む。それもまた、ただ生きようとする命の在り方だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
そこから自由になりきれない人間だからこそ、森のなかにも影はある。あらゆる場所に、影と光は混在するのだ。
醍醐の国の守護神たる、ただの板切れ。それを涜神せんと矢を射掛ける朝倉軍。ばんもんにくくりつけられた助六を、上から見やる構図が戦列で恐ろしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
国境線。戦争と平和の際。その周辺で、異質なる緑の炎が燃える。
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朝倉軍は狐火があればこそ、ばんもんを超えられなかった。間接的な繁栄だけでなく、直接的な暴力としても、鬼神は醍醐の国を守っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
その両方を、百鬼丸の生存は殺す。影の中で殺戮が始まり、戦争の導火線に緑の日が宿る。化外の民は、そこを飛び越えて怪物と戦う。混在する現実と夢幻。
運命の邂逅を前にして、多宝丸の表情は闇に陰り、母は重い衣装を脱ぎ捨てる。祈るだけだった日々に背中を向け、己の命を棄て童子の前になげうとうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
当事者としての決意は、血によってしか刻み込めない。それも乱世の理か。
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ミオを害した侍を前に、百鬼丸は再び鬼に変じようとする。再び、どろろが必死にしがみつき、殺戮を止める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
殺し、害されて生き延びた侍もまた、罪悪感という地獄にとらわれている。まさに三界火宅なり、擬人何処にありや。
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侍は鬼の気迫を前に震え上がり、言い訳を口にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
誰かの命令で、誰かのために殺した。
俺じゃない、俺じゃない、俺じゃない。
醜く、哀しいくらいに当たり前の自己防衛。そのありきたりのつまらなさが、なんともやるせない。百鬼丸の勇姿、多宝丸の清廉と全く区別なく、これも人の有り様なのだ。
母は『私じゃない』という言い訳を、衣と一緒に脱ぎ捨てた。多宝丸も国のため兄を殺す決断を背負う時、上着を脱ぎ捨て己を晒す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
対して父の鎧は、黒く重く剥がれない。野心は貴種の責務。己と国は一体。不遜に断言する在り方は、未だ崩れない。
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『服を脱ぐ・着る』という仕草が、状況に対する決断の強さ、揺るがない魂の在り方を証明する演出は、肌感覚があってとても良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
これまでは『ものを食べる』という仕草に重点されていたが、今回は衣食住の”衣”が大事にされている印象だ。”住”もまた、境界を描く中で通奏低音のように響き続ける。
諸肌脱いで己を晒した多宝丸の刃を、百鬼丸は受け止め、切り返す。刃が片目を刳り、貴種はその玉体を損なう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
失うことで、既に失ったあなたと同じ立場になるのなら。殺戮の道具でしかお互いを伝え得ない、悲しき兄弟の対話。その果て。
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百鬼丸の盲た心眼が魂の色を見据えるように、多宝丸の失われた視界も何か新しいものを見つけるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
はたまた、父の背負う闇をより多く吸い込み、覇道を睨みつけるのか。
後半一クール、まぁ確実に地獄絵図である。そこをくぐり抜けることでしか、見えぬもの、描けぬものがあるのだ。
さておき、安全な部屋で赤子を念じ続けてきた母は、戦場に身を投げうち、その赤子に己の声で『死ね』と命ずる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
垣根越しにかけられた『ぼうや』の声に、『無用の鬼子』という呪いを打ち消す光を見てきた百鬼丸にとって、これは苦しい。
父、弟、母。全ての血縁は、己の命を見限った。
来世に欠けたる菩薩の救いを、母は確かに鬼に見ていた。百鬼丸もその心眼で、母の血が生み出した奇っ怪な光を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
それが災厄の兆しなのか、救いの吉兆なのかは、これまた後半クールに持ち越しである。
赤子を乞い願う母の涙を、片目で見る多宝丸が哀しい。
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母の血で刻まれた絶縁状を前に、どろろはつばを吐く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
『こんな楽園、少しでもいてやるもんか』
百鬼丸は、その言葉を後追いできない。すがって引き剥がされ、幾重にも血を重ねても、それでも切れぬ情の縄。それが失われた貴種の柔らかな感情を、未だに縛り付け、血を流させる。
同じく捨てられた子供であったはずの助六は、兄弟の旅路には同行せず、再開なった母の胸に己を投げ込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
国と国との軋轢、戦争と平和を隔てる境界線。そこに巻き込まれつつもたくましく生き延びる人々の中で、確かに生き延びた家族の絆。
どろろはそれを羨まない。素直に微笑み、祝福する。
その陰りのない顔こそが菩薩の微笑みである…あってほしいと思いつつ、激動の後編、終了である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
重い、辛い、出口がない。”どろろ”である。
ミオの死を持ってある種の決着がついた”守子唄”に対し、百鬼丸の家族問題は国を巻き込んで長く長く響き、多分話が終わるまで終着しない。
コイツが悪い、コイツが正しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
そうはっきり境界を引けるのならば、どれだけ楽だろうか。しかし我欲に我が子を差し出した醍醐にすら、僕らは為政者の理を見てしまう。百鬼丸の死骸の上に成り立つ、平和の暖かさを見つけてしまう。
楽にはしてくれない。僕らもまた、百鬼丸と一緒に境界線に立つ。
善が善として、悪が悪として機能し得ない乱世。それこそが、この物語最大の主役なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月27日
そう思わされる、前半戦折返しでした。明暗を的確に使い、醍醐が背負うもの、母が飛び込んだ場所、多宝丸が受け入れたものを鮮明に見せる演出、最高でした。
次回も楽しみですね。