どろろ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
天上から落ちる蜘蛛の糸に縋って、カンダタは落ちた。
その糸をさかしまに、母が修羅界に落ちる。父が火宅に滑り込む。兄弟の業が燃え盛る炎の城に、全ての因縁が決着する。
命を拾ったその先で、人生は続く。不確かな未来へ、刃を捨てて歩いていく。
ただ、前へ。目を開いて
戦国無残絵巻、感無量の大決着。どろろ、最終回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
己が積上げた業の深さ、残酷の極みに腰を落として本気で向き合いつつ、蜘蛛糸のようにかすかな希望を確かに手繰り寄せ、キャラクターをニヒリズムから掬い上げる見事な終幕でした。
ありがとう、どろろ。素晴らしいアニメでした。
実際感慨無量なのでこれで終わりでも良いけども、まぁくっちゃべり人間として蛇に足を付けようと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
今まで積み上げた記述を信頼して、語らない要素がとにかく多い最終回。見れば判るし伝わるのだが、あえて言語化していこうと思う。
まぁ、見てくれよ…みんな必死に生きたんだ…。
兄弟相討つ修羅の城に、父と母が顔を見せる。Aパートはその決着であり、実父である醍醐景光はあくまで領主の仕事場…戦場から動かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
家庭を顧みず、あまりにもグロテスクに直喩的に『家族を仕事の犠牲にした』男は、ビジネスの現場から離れることを許されない。ある意味、昭和男の葬式であろうか。
”柱の傷は一昨年の”と、童謡に歌われるのどかさ。それとはかけ離れた火炎地獄の中で、多宝丸の目は過去を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
思い出がいっぱい詰まった城は、俺のものだ。頑是ない叫びは幼く、二人ははじめての兄弟喧嘩に興じる。
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この時、鬼神の目は閉じられ、多宝丸は人の目で人の生を見ている。兄がそうであるように、身体の中にうごめく鬼だけが、多宝丸の全てでは当然ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
そこには兄弟との思い出があり、母への慕情があり、差し出された花の色があり、己を見てくれない寂しさがあった。
差し出した花を、ただ受け取って返してほしかった。消え去った兄ではなく、自分を見てほしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
国のため、父の跡を継ぐため。”公”を吠えていた鎧があぶられて、その奥にある多宝丸の”私”が見据えられる。それは人の目で見据えられるものなのだ。
己に未だ残る人情を切り伏せるように、刃を振り回す弟に、百鬼丸は取り戻した喉で問う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
『お前は手に入れているはずなのに、なぜ飢える。なぜ取り戻したがる』
それは人の喉で投げかけられる、弟への、そして己への問いかけ。なぜ俺たちは、乾いた獣のように…
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鍔迫りの果てに、百鬼丸の刃は多宝丸の額を斬る。垂れた血が、人の目を奪う。鬼の視線だけで見れば、世界は灰色、刃は黒い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
兄弟は傷つけ合うことで、同じ視界を共有する。怪物の視界、貪り奪うものの視界。
それは武将としての己しか手に入れられなかった、醍醐景光の視界でもあろう。
奪い奪われるが世の常。貪るのをやめれば、ただ食われるだけ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
後に息子にとうとうと訓じる醍醐の世界認識を、子供たちは一時共有し、そこから離れていく。
刃で繋がるしかなかった兄弟は、刃を止めることで分かり合う。そこに行き着くまでは、斬り合うしかないのが修羅の定めだ。
奥方が沈み込む井戸の底は、すなわち冥府である。ここに降りて戻ってくるのはあまりに難儀で、奥は死を覚悟して地の底に降りる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
大罪人のカンダタに、釈迦が哀れをかけて垂れた蜘蛛の糸。それを逆にたどって、奥方は子供たちの領域に素足で降りていく。
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その果てには夫である景光ではなく、無縁の薬師、我が子もう一人の父が待っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
開かない扉を向こう側から開けて、手を差し伸べてくれる相手は結婚という”公”の繋がりではなく、我が子を人として慈しんでくれた”私”の繋がりによって選ばれた。
なぜ、景光ではなく寿海なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
寿海は侍という立場を捨てた男であり、罪の捨てどころ、己の死に場所を探し続けている。命と希望を次代につなぐと同時に、もう楽になりたかったのだろう。
終わった物語を終えるべく、終わっていない因果を紡ぐべく、母と父は手を携え、火宅に踏み込む。
母もまた、死を覚悟していたと思う。多宝丸の方を見ず、失われた長子ばかり見ていた結果、御簾の奥で現実に向き合わなかった結果、我が子は修羅に落ちた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
生きる定めの百鬼丸に道を示し、死にゆく多宝丸に膝を貸して、冥府の旅路伴仕る。
そういう形でしか、もう母は母でいられない。
命の果てのどん詰まりが、紅蓮と燃える城の中。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
粉塵が一瞬視界を奪い、目明きになれた多宝丸は戸惑い、ずっと盲ていた百鬼丸は勝機を掴む。奪われ続けていたことが、最後の最後で勝敗を分けた。
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一瞬の暗がりの中で、百鬼丸は赤ばかり見えていた視界に、緑を思い出す。託された祈り。確かに自分が掴み取っていたものを思い出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
それはどろろとの旅路の中で、血まみれの殺戮の中で、そこでも確かにあった歌との出会いの中で、彼が見つけたもの。
世界は、血と炎だけで出来ているわけじゃない。
それを思い出した刃は、柱に新たな背比べの傷を刻む。多宝丸の刃を折り、命を取らない一撃は、彼が己の眼で世界を見据えた結果選び取ったもの。どろろとの旅路が与えたもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
ここにたどり着けたのなら、数多の無残も、かすかな輝きも、全ては無駄ではなかった。ここにたどり着くために、それはあった
ここでもやはり、赤い血潮に負けず多宝丸は人間の方の目を開き、兄を見ている。額の傷で四眼となり、ようやく仏相が整った感じでもある。(三眼で描くのなら、普通は額の中心に縦に配置することになる。”三つ目がとおる”の写楽のように)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
傷が、血が、鬼神を仏に変えたのだ。
兄に上回られ、負けた自分を認め膝を曲げることで、多宝丸は人の心を蘇らせた。死地の土壇場まで追い詰められた兄弟は、お互いの喉笛を狙い合う哀しみから離れ、許す道へと歩み寄る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
そうは問屋がおろさねぇ。借りた力が、多宝丸を鬼へと変えていく。地獄、最終幕である。
鬼神の力は高利貸し、高いツケを払うことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
兄を滅せんと城の基礎から登る鬼神。『醍醐の国の土台は、このようなおぞましいものに支えられていたのだ』と、怪物の異様はよく教えてくれる。
父の業を精算するように、差し出されるむき出しの目玉。
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最後の鬼神を切り貫く時、百鬼丸の瞳は閉じられている。白黒の世界だけを見据える瞳に頼らず、斬るべきものを見据える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
それは斬るべきではない弟を前に、刃を止めた決断の裏側だ。
心眼、浄眼。
血みどろになってようやく仏の領分にたどり着けたのは、兄弟同じなのだ。
正式な権利として刃を振り下ろし、鬼神を滅して己を取り戻す。百鬼丸最後の一撃を終えて、刃をつないでいた布が解けていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
かつて岩を動かせず、ミオの命も守れなかった刃の手。誰かを傷つけることしか出来なかった腕が、もう一つの可能性へと開放されていく。
陸奥と兵庫を殺したときではなく、醍醐の城の基礎となった最後の鬼神を倒したときにこそ、百鬼丸の手は開放されたのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
そして世界を見据える瞳は、怒りに任せて奪った弟から差し出されることで再獲得される。
取り戻すこと、差し出すこと。百鬼丸の奇怪な身体を通じて、贈与の意味が描かれていく
新しい世界の光に怯え、瞳を抑える百鬼丸を、母が優しく抱く。炎よけの打ち掛けはマリアのヴェール、観音の袈裟。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
子を失った哀しみに囚われ、子を蔑ろにする矛盾。祈りだけにしがみつき、公と私の間で揺れた哀しみ。母の巡礼がようやく、炎の中で終わる。
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母が祈った仏は、かつて百鬼丸を贄の宿命から救った。はじき出された先が修羅の道だとしても、菩薩の加護がなければただ食われただけ。祈りは、物語の最初から届いていたのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
そこに、寿海が新たな祈りを添える。それは母の顔をした観音。人間の業すべてを飲み込み、それでも救済を祈る仏の形。
刃ではなく、祈りを携えて人の道を行け。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
寿海が手渡す仏像には、自分が走りきれなかった道を子に託す父の願いがこもっているように思う。
それを受け止められるのも、柔らかな手を取り戻したからであり、かつて寿海が義肢で刃を包んでくれたからでもある。父の巡礼も、また炎の中で終わる。
生き延びる苦しみ、死ぬ救い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
母と寿海は、多宝丸と共にこの炎の城で終わる。それを逃げだという人もいるだろう。生きて償い、生き続けろという人もいるだろう。
だが、彼らの背負い続けた重荷を思えば、それを下ろすべきタイミン具で下ろすこの幕引きを、僕は責められない。
母は膝を貸し、寿海は戸板で炎を防ぐ。ヨセフというよりは、苦難の道を進むメサイアのような、重たい防護。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
それは寿海が背負ってきた業、向き合ってきた人の在り方が、確かに誰かを助けていた証明のようにも思う。
それは強く、重く、だからもう、終わりにして良い。僕はそう思った。
かくして、子で繋がった義の家族は、もう一人の子供に寄り添う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
死にゆく多宝丸はやはり、人の目を開けている。鬼の目は己の覚悟を込めて、己の指で潰してしまった。
俺は護国の鬼ではなく、人から生まれた人の子。その幻想を抱えて、荼毘の煙が上がる。
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柱の傷は一昨年の、五月五日の背比べ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
子供の尚武を祈る節句を記念して、柱に刻む思い出が、灰燼に帰す城に刻まれていく。
それは本気で命を取り合った証明であり、その先でたしかに一瞬、分かり会えた救いの証明でもある。それが儚く消える虚しさの結晶でもある。
Aパートを貫通する”柱の傷”のモチーフは本当に見事で、刃を握るしかない侍の辛さ、子供でしかない兄弟の痛ましさ、確かに城に刻まれた幸福な思い出を、ギュッと濃縮し伝えてくれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
そこに、確かに幸福はあった。灰と消えるとしても、この火宅まで手に入れ、失いながら進んできた。
そういう全てがある、最終決戦でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
苦しく悲しいが、優しく美しくもある。”どろろ”そのもののような場所から、生き延びたものたちは泥濘を抜けて這い上がる。蜘蛛の糸を掴んで、生きるべき場所によじ登っていく。
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今まで肩を借りていた百鬼丸が、取り戻した手でどろろを掴む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
カンダタは他の亡者を蹴落とすことで、蜘蛛の糸を断ち切り地獄に逆戻りしたけども、どろろと百鬼丸はお互い分け合うことで、宿命の地獄から生きて戻る。
その時、支える役割は変わりうる。力強く、己の手で未来をつかめる。
それは同時に、誰かから奪うことかもしれない。燃え盛る炎の城は、どうにもならない世の無常を強く焼き付ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
『あんたの因果の節目だ。よく見ておきな』
百鬼丸が取り戻した視界に、世の美しさも醜さも焼き付いていく。
さらば、父母。さらば、弟よ。
火炎地獄への抜け道を、どろろを導きに生へと帰還する直前。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
百鬼丸は寿海の顔を見ただろう。母の顔を見ただろう。
そして可能ならば、炎の奥にうずくまる弟のかんばせを、しっかり見据えてあげて欲しいと願う。鬼の目を潰し、最後に『兄上』と確かに呼んでくれた男の表情を、焼き付けてあげて欲しい。
母に愛されぬ哀しさ、後継武士たることを望み続ける父。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月24日
義と仁に満ち、己の魂に真っ直ぐ生きようとした多宝丸は、乱世の矛盾すべてを背負って、なお人を殺さず、最後は己の眼に宿った(宿してしまった)鬼神を殺し、兄の生を切り開いた。
血みどろの聖人、泣き濡れる赤児。
多宝丸…俺あんたが好きだ
男の一大事は戦場で起こる。そう定めて私的領域を背中に置いた醍醐は、唇を噛みちぎり血を流しつつ、妻子の死を飲み込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
長子は国のため、贄に捧げた。ならば末子も奥も、同じように公平に死にさらばえ。哀しいほどに公平である。
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ここは兜の頂点からカメラが降りていって、目が見えない非人間性を経て口元の赤が分かり、ハッとする場面だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
赤はこれまでも、様々な色彩で作品を彩ってきた。最終局面で顕になる、醍醐景光の人間。叫びも後悔も全て飲み込んで、公のための覇道、私のための王道を走る男。
百鬼丸が多宝丸の中に緑の菩薩を見て、鬼神を宿した彼を『人間』と認めた(ことで、自分を鬼ではなく人に収めた)ように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
僕らもまた、醍醐景光という”公”の怪物の奥に、血みどろ涙まみれの『人間』がいることを、この最終回認めざるを得なくなる。だからこそ、みな苦しんだ。多分、苦しみ直すだろう
どろろちゃんは力と優しさのバランスを銭に見出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
業突く張りの我利我利亡者だった第一話に帰還したような感じであり、民主主義と資本主義という我々に近しい価値観を、遠い乱世に強引に持ち込んだようでもある。
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しかし例えば境の町衆、越前の一揆衆、下剋上の機運、商業経済の発達を受けて、武家・貴族・寺社以外の者が権力を持ち、武力(を背景に)以外のパワーで生きる道を見出そうとした存在は、確かに存在している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
最終的に徳川封建体制に集約されるとしても。境の堀は信長の圧力で埋まるとしても。
確かに丸い銭貫目が時代を動かす”力”足り得る時代が、この後にやってくる。ただ主人公に寄り添うヒロインに現代的な感覚を引き寄せたのとは、また違う着地だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
無論、武器を握らなければ力に踊らさずにすむわけではないということは、晩期資本主義の”先”を生きている僕らが一番良く知っているが
眼にも手足にもなってやる、生きる道を整えてやると吠えたどろろの母性(あるいは仁愛、支配欲)を超えて、百鬼丸は自分の血筋に決着をつけに行く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
琵琶丸の言う通り、人を切りすぎ妖を殺しすぎた百鬼丸が、どろろに寄り掛かり幸福になっていく道は、あまり相応しくないのかもしれない。
それとも、取り戻した足で立ち、瞳で見、手で掴む楽しさを、どろろに寄りかからず、一人で成し遂げたくなったのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
どちらにしても、二人三脚比翼の鳥の旅路から、百鬼丸は抜ける。
向かう先は地獄堂、すべての始まり。待つは父である。
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家族を失い、朝倉との戦いは未だ続く。百鬼丸は当然の権利として己の身体を取り戻し、そこに乗った領地安堵は夢と消えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
炎の中で微睡むように死んでいった多宝丸と母に対し、醍醐は現実に取り残され、生き続ける。血塗られた手で掴めたものは、あまりにも虚しい。
百鬼丸の視界にまず入るのは、醍醐の家紋だ。それを背負えばこそ、覇道の夢を見た。多宝丸もまた、それだけを見据えて父のクローンになろうとした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
しかしその輪郭が取りこぼしたものが、ついに醍醐の額から流れる。赤い涙もまた、多宝丸と同じ場所に傷つき、同じように流れていく。
公の修羅は涙を流さない。流せない。それでも魂は吠え、血は流れていく。所詮血塗られた道、奪い奪われが世の定め。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
死して護国の鬼にならんと、多宝丸の無念と一体化せんと、醍醐は刃を待ち受ける。その瞑目した姿は、死に場所を探し続けた寿海とよく似ている。父よ、あなたも疲れたか。
しかし刃は兜を貫き、醍醐の命を取らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
息子たちが兄弟に戻り、命がけで喧嘩をした炎の城に、景光は赴かなかった。鬼神に変じる恨みではなく、兄の器量を認めることで多宝丸が鬼を止めたことを知らないのだ。その繋がりが、百鬼丸を変えたことも。
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刃を預け、寿海(”私”の領域を選び取った義父)と母の祈りのこもった観音像を置き去りに、百鬼丸は旅立っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
それはあの炎の城で受け取ったものを、蔑ろにする行為ではない。そこに込められた祈りの重さを知ればこそ、それが生き延びてしまった父の救済並んと願って、彼は刃と仏を預ける。
その菩薩が、妻に似ていることを第後は知るだろうか。戦場を選び取り、家族の火宅に背中を向けた彼は、百鬼丸が受け取ったものを受け取れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
視界は赤く、怪物のそれに近い。菩薩に伸びる手は血に濡れ、救済などないかもしれない。
それでも、父よ。祈りと共にあれ。
刃をしっかり握りしめ、傷つかず傷つけず、正しく振り下ろす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
祈りをしっかり抱きしめ、見捨てず届け、正しく生きる。
人として為政者としてあまりに正しい道を選び取った我が子を前に、醍醐は己の間違いに慟哭する。地獄堂だけが、その声を聴く。
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私人としての感情を殺さず、我が子を贄に捧げず貴種として育んでいれば。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
人としての形を維持したまま、家族皆、国民皆、身内全部が幸せになる完璧な答えを、掴み得たかもしれないという実感を、刃と仏は伝えてくる。
俺は間違えてなどいない。
そう言い聞かせてきた鎧が、ついに砕ける。
国すべてを背負う”公”の重たさは、子と妻を愛し育むより良き”私”であることで真実、達成できた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
誰か一人に国土を背負わせる脆い平和ではなく、親子力を合わせ、伝えるべきを伝えて皆で国を背負う靭やかな安楽が、醍醐の国にあり得た。
その可能性を、賢い為政者たる景光はもう見落とせないのだ。
苦しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
景光が至った土壇場は、彼が圧倒的に公正無私であったからこそたどり着いてしまった彼岸だ。
己のエゴにだけ塗れる愚か者なら、後継長子・百鬼丸という可能性を否定できただろう。己だけが大事の修羅なら、腹を切って過ちを贖うこともできよう。
しかし鬼神が去った醍醐の国は、主なしでは立ち行かない。朝倉との戦も、完全に決着したわけではないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
醍醐は百鬼丸の王才を潰し、醍醐の”公”をより良く羽ばたかせる可能性を殺してしまった悔恨と共に、孤独に玉座に座り続けなければいけない。
苦しい。とても苦しい決着だ。
炎の中、聖母子像のように清らかに死んでいった父・母・子。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
修羅の道の中、己の過ちを噛み締めつつ生き続けなければいけない父。
生きる地獄、死ぬ極楽。簡単に割り切れるものではないが、人生曼荼羅の色彩はあまりに多彩で、答えは簡単には出ない。
どちらにしても、醍醐景光は生き延びた。
そんな兄貴の旅立ちを、どろろは境界線の上で待ちぼうけする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
垣根、あるいは門。人の領域と荒野を切り分ける境の上で、明日をともに進むと信じる少女の歩みは、生まれ直した鬼子の道と別れていく。
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今度はあの農民三人が、どろろの旅路の道連れとなるだろう。銭を力に、己の中の餓鬼と人間のバランスを取るはてない旅路を、少女は歩いていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
漂泊の流浪僧として、武家階級からも定住民からも離れた琵琶丸は、垣根に切り取られた悟りの境地から、その旅路を見据える。無明故、盲は良く見える、か。
刃を折る。適切に使う。琵琶丸は繰り返す人の輪廻から外れた正解を、一足先に掴む立場にいた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
最後も家族の修羅場から遠い場所で、つるべを引いてどろろと百鬼丸を現世に引き戻す”井戸端のキャッチャー”みたいな仕事に落ち着いた。ちょっとサリンジャー的だな、ハゲ。
その清廉を、琵琶丸は少し寂しく思っているのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
全ては執着、我欲無縁。
血の呪い、銭の魔力から遠く離れた聖の悟りから、これからも道を歩いていく衆生は遠い。彼は卓越した剣技と見識を背負って、これからも人の織りなす悲喜劇を見据え、主役にはならない。
でもそういう坊主がいたから、このアニメは面白かったし、とても助かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
泥に塗れ、血に濡れて、答えを探し続ける。
結論はだいたい、琵琶丸が言ってることが正しい。でもそれを実感するためには、因業塗れの泥の中に頭を突っ込んで、思いっきり走っていくしかない。先が見えずとも、進むしかない。
そんな人々が迷い死にしないように、ふらりと袖摺りあって、船を見守ったり、岩を退けたりする存在も、やっぱり必要だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
漂泊の聖人、琵琶丸が見据える世界の真理。どろろも百鬼丸も、そんな正しさを心の何処かに止めつつ、自分の道を歩いていくことになる。
別れた二人の道に、赤い花が咲く。血でも炎でもなく、ただ美しい紅。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
その共通の色合いが、いつか未来に続くのなら。
どこかミオに似た一人の少女が、黄金色の夢の果て、愛おしい人に再開できるのなら。
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そんな祈りを込めて、物語は幕を閉じる。大団円である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
ありがとう、どろろと百鬼丸。
その旅路には色んな事があった。たくさん死んで、たくさん間違えて、迷って叫んで斬って殺され、人間の業と輝きをみっしりと詰め込んだ曼荼羅のようだった。
それと同じ道が、彼らの前には未だ続く。
だがそこにあるのは、赤い殺意だけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
奪われたから奪い返し、貪らなければ飢えるだけの修羅界以外のものを、百鬼丸は見つけた。
どろろは過酷な幼年期の中で、人の在り方を見失わず、必死に抱きしめ続けた。
その温もりが伝わったからこそ、百鬼丸は緑色の祈りを思い出した。刃を止めた。
そしてそれは、どろろだけの祈りではなかった。寿海が、母が、託してくれたものがあった。刃を交えたものから、受け取ったものがあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
怒りに流され、我欲に目を晦まして迷いに迷ったからこそ、確かに真実だと思えるものに出会えた。そういう旅路の一つ一つ、誤りと正しさの一粒を、僕らは見たのだ
略奪と公平、異質と対話、変化と頑迷、殺戮と豊穣。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
重たく難しい問題を多数俎上に載せ、ど真ん中で受け止めたアニメーションでした。
現実の苦さ、血しぶきの重たさを否定することなく、ニヒリズムに陥ることもなく、一歩ずつ土を掴んでキャラクターを、ドラマを前に進めていくアニメでした。
仏教や歴史といった自分の興味領域をくすぐられすぎて、感想が脱線しまくったのも、今となってはいい思い出…なのかな?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
自分は好きにくっちゃべって楽しいけども、見ている方にとってどうなのかという視点は微塵の彼方、あんま考えませんでした。サーセンした。
鬼神の加護が無くなった醍醐の国は、苦しい道を歩くでしょう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
銭の力は簡単にどろろを誘惑し、人の道から外させていくでしょう。
刃を収めたからといって、百鬼丸の業が完全に晴れるときはないでしょう。
でもその苦しさの中に確かに、光はある。カメラが彼らを追わなくなっても、どこかに救いがある
そう思えるエンディングにしっかりたどり着けたのは、よく作品のことを考え、伝わるように物語を整え、良い作画、演出、音響でまとめ上げ届けてくれたから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
いいアニメを、苦しくも面白い、目を背けたくなるけど目を離せない魅力をしっかり積上げ、楽しませてくれたから。
そういう終わりに一緒にたどり着けたのは、いち視聴者としてとても嬉しく、ありがたいことでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月25日
戦国へと向かい秩序が崩壊する一時代を、業にまみれながら駆け抜けていく数多の命。醜さも美しさも、人の全てを切り取ろうとした強欲な物語に、今は感謝と称賛を。
ありがとうございました、お疲れ様。