日々は過ぎれど飯うまし 第7話を見る。
ゆる~く大学でのサークル活動を追いかけてきたこのアニメも、遂に折り返し。
合宿回もフンワリ幸せな感じかなぁと思っていたら、来ましたよ重めの一発が…。
過去を共有する仲間から弾き出されている寂しさを、物わかり良く飲み込もうとしたくれあの懐へと、引っ込み思案が意を決して強く踏み込み、星空に永遠を告げる。
まるで青春のど真ん中…今まで紡いできた柔らかな日常が特別な決意をしっかり支える、頼もしい手応え。
初顔合わせの第一話から、食文研という場所、そこで得る経験がまこにとってどういう意味をもっているのか、丁寧に積み上げたからこその勝負回でした。
まことくれあが特別な関係を築く/気付くという、極めて大きな変化が目立つ回ではあるのですが、合宿自体のトーンは今までの日々と大きく変わることなく、日常の延長線上にある。
それは皆に出会ってからの”いつも通り”が、なだらかで特別な幸せにみっしり満ちているから異物感が薄いのだなと、ここまでのクール半分を思い返す仕上がりにもなった。
「ずっと忘れない」と、小っ恥ずかしい想いを堂々告げれるようになったのは、合宿という特別なシチュエーションがあってこそかもしれないけど、胸にこみ上げる思いは、ここまでの騒々しくも楽しい日々が、じっくり積み上がって生まれている。
まさに”日常系”…素晴らしい。
ずっと興味を持っていたけど踏み出せなかった、食事を作り楽しむという営為。
偶然に巻き込まれ運命に導かれ、食文研という場、四人という人と出会ったことで、まこは自分の”好き”に素直になれた。
そうして作り出す食の体験は美味しく楽しく特別で、楽しい日々を彩り自分たちを繋げてくれる、特別な媒介であり続けた。
そういうモノをまこが生み出すことで、ずっと望んでいた誰かと触れ合う時間、自分の”好き”で他人が笑ってくれる体験が、まこの中に積み重なっていく。
自分じゃない誰かが開けてくれた扉から、思わぬ経験に踏み出すことも多かった。
まこがそんな出会を楽しむ姿を、このアニメはずっと書いてきた。
そういう力みのない当たり前の幸せを、作品の舞台が生み出す場所なのだとしっかり積み上げてきたことが、今回炸裂する青春の花火を、とても鮮やかにしていたと思う。
まこが告げた「ずっと忘れない」がキラキラで空疎なキャッチコピーで終わらず、彼女の魂から自然と湧き出てきた本当だと思えるのは、こういう大振りな感動をぶん回さず、当たり前にみんなで飯食って笑った日々のスケッチが、しっかり刻み込まれているからだ。
そして騒々しいダメ人間共のフォローを頑張ってくれる、どこかツルンと奥行きがないようにも感じていたくれあが、周囲の眩しさ故に顕にした微かな影。
これが一気にキャラの陰影を深め、コクを出してくれた。
その寂しさも当たり前のものだと、喉の奥に飲み込んでしまうくれあの物わかりの良さを、食文化研で他人の顔をしっかり見ることを学んだまこが見落とさず、ピザの支度に問いかける。
そんな小さな思いやりは、人間と人間が肩寄せて隣り合うためには必要な潤滑油であり、これもまた二人が作り上げてきた関係から、すごく自然に染み出す気遣いだった。
ハジメマシテのぎこちなさから始めて、一緒に歩いたあの時間、この思い出をしっかり削り出してくれたからこそ、くれあの意外な陰りも、まこがそこにちゃんと目を効かせる意味も、グッと際立って見えた。
こういう、人間が人間をちゃんと観てる距離感書いてくれると、作品好きになるね…。
お話が始まったときのまこは、悪い想像ばかり膨らませて一歩を踏み出せず、他人の顔もしっかり見れなかった。
そんな彼女がここまでのお話しの中、誰かが自分の料理を食べて浮かべる表情や、自分が誰かと一緒にいて感じる喜びに目を向けるようになったからこそ、今回くれあを見つめる視線がある。
くれあの大人びた社会性が、ダメ人間の集いをどんだけ支えているかもここまでたっぷり描かれたが、そうして繕った分厚い外皮の奥には、賢く解決できない不定形の感情が、もちろんある。
でもくれあは余りそれを外に出さず、他人に預けないことで、他人を支えられる自分を作っている人だ。
無理も無茶もしていないけど、どこか頑なな軋みがあるくれあの外装から、思わずこぼれ落ちたため息を、拾い上げれる自分をここまでの六話で、河合まこは作ったのだ。
それは大いに意味があることだし、そう為るための揺りかごとなった食文化研究会は、小さいながら立派な社会だと思う。
そんな場所が作り出し追い求める、食と笑いに満ちた楽しい日々…このお話がタイトルに刻みテーマと追いかけるものが、何を成し遂げうるのか。
花火に照らされて新たに生まれていく女たちの関係が、折り返しにしっかりと告げてくるエピソードだと思いました。
こういう中間地点叩き込めるアニメ…”強い”ぜ。




というわけであまりに特別な色合いの思い出から始まる、勝負の折り返し。
今回はまことくれあの紡ぐ未来が、喪われたと思っていた過去を取り戻す再生の物語でもあるので、この気合の入った描線は全く正しい表現だと思う。
まこが忘れられぬ思い出として刻む、どう考えても世代2つくらいぶっちぎってるノスタルジアに、途中参加のくれあは混ざれない。
ひつじちゃんがあざとい萌え萌え仕草をぶっこみ、下田の景色も麗しい夏合宿に伸びる微かな影を、まこがしっかり見つめているカットが幾度か入る。
こうして誰かを気に掛ける視線を、飯愛でる日々は育んだのだ。
くれあは周囲を良く見て、自分が何をすべきか、共同体に何が足りていないかをしっかり確認できる、大人びた人間だ。
そんな彼女が自分の中の寂しさを漏れさすのは、おそらく全く無意識で、気づいて優しくして欲しいサインではないと思う。
無意識だからこそ、そこで漏れる思いは一番にケアされなければいけないわけだが、明るい日差しと楽しさに満ち溢れた日々はそういう重たさを、つい置き去りに駆けていく。
こういうネアカな速度に、中々ついていけない陰の存在だからこそ、落ち着いて周りを見渡し誰かを気に掛ける…古舘くれあみたいな視野が、まこに宿っているのは嬉しい変化だ。
ここまでくれあの物わかりの良さに甘える形で、程よくクズな四人がドタバタ青春楽しめていた部分もあるので、彼女が気づかれケアされる側に回って、硬い外装の奥に抱えていたものを吐き出せる回になったのは、とても良かったと思う。
それはくれあが担ってきた共同体のバランサー役を、一欠片でも背負える強さがまこに宿ったからこそ、引き出せた弱さだ。
その寂しさも古舘くれあの大事な一部なんだから、置き去りに”楽しい食文化研”が運営されていくのはアンフェアで、まこの変化はそういう大事な公平さを、ゆるふわ大学サークルにもたらしうる。
そういう成長の連鎖が感じられたのが、大変いい回でもあった。




通り雨が行き過ぎて朝焼けは眩しく、少女たちは思う存分美しい海に遊ぶ。
今回は特に美術が頑張った回で、下田の特別感をグワッと背景に叩きつけて、普段は言えない気持ちを引っ張り出すパワーを生み出していた。
まこくれ弾頭が抉った感情爆心地がデカすぎて目立たないけど、何かとトボけたひつじちゃんが、しのん部長にサラリと感謝の気持を届ける場面とか、バカンスゆえの浮かれた特別感満載でとても良かったです。
こんな風に機会を捉えて、普段は言葉にならない素直な気持ちをちゃんとプレゼントできる間柄は、見ててつくづく良いなぁと思う。
こういうサラッと感に比べ、まこはくれあが早朝に預けてくれたものに答えを返すのに、結構時間がかかる。
これをピザ生地の仕込みと重ねて、すぐさま素直に心を言葉に出来なくても、美味しくなるまで待ってくれる関係として描く時間経過も、また良かった。
色んなヤツが集まるからこそ面白いサークルで、心が繋がるまでのやり方もまた様々だ。
手間がかかればこそ特別に美味しく仕上がる手作りピザも、食文化研ご自慢のメニューなんだから、まこだけの受け止め方と下ごしらえで、受け止めてしまった思いに向き合っても良い。
そういう豊かさが、下田の美しい日々にしっかり宿っていたと思う。
もっといえばどんな状況で何を作るか、レシピの選択から地道な下準備までしっかり描いて、食事を口に運ぶ瞬間だけが”食”ではないと描いてきたこのアニメだからこその、リッチな熟成期間でもある。
深夜の飯テロをウリにしつつも、そこまで食だけにガッツイてないバランス感覚が、逆に食事という営為を多角的に描く足場になってるアニメだと、僕は思っているけど。
そうやって準備したり悩んだり、色々考えたりする時間があってこそ、一緒に分け合える特別な一皿が美味しいのだと、ここまでの物語にしっかり練り込んで仕上げてきたからこそ、朝に受け止め夜に返すまでの気持ちの下ごしらえを、微笑ましく見守ることも出来る。




かくしてスペシャルな夕食に心を満たし、美しい夜に思いが繋がる。
訥々と不器用に、誠実に己の中を探りながら正しい言葉を探すまこの姿が、相変わらず人付き合いそこまで得意とは言えず、でも食文化研の日々から誰かと触れ合う意味を見つけた(あるいは取り戻した)彼女の、必死な”今”が滲んでいてとても良かった。
それは喪ったと思っていた大事な思い出を、新たな仲間と取り戻していく日々でもあり、ずっともう一度、誰かと話して笑っていたいと、まこは思っていたのだ。
大学生が抱えるには少し幼い、ひたすらにひた走る浮かれた楽しさを、ずっと待ち望んでいた自分を、まこはくれあの思いを受け止め、それに相応しい言葉を一日かけて探り、意を決して美しい夜空に手渡す中で、思い出し取り戻していく。
そうやって今目の前にいる人に誠実に向き合うと、思わずくすんだ思い出が活き活き色を取り戻していく描写が、繋がらぬはずだった過去と未来を結び直していて、大変良かった。
ここにあの時いた二人がいなくて、くれあがいるという変化が、逆に相手が変わり時が流れても、とても大事なものを取り戻せるのだという不思議な事実を、鮮明に際立たせていた。
それは誰かの代わりではなく、どうしても繋がれない寂しさを抱えた友達が心から笑えるよう、懸命に言葉を探したからこそ掴める奇跡だ。
まこがくれあに紡いだ言葉には、一欠片の嘘もない。
小っ恥ずかしいくらいにキラキラで真っ直ぐな青春が、偶然の出会いに手を引かれて飛び込んできて、そこで自分の”好き”を楽しく追いかけていたら、凄く特別なものと出会えた。
それはここまで積み上げてきた物語にどんな価値があるのか、見守らせてもらった僕達に手渡してもらう営みでもあり、六話分の視聴に報いてもらってる感じで大変良かった。
ちょっと生き方が不器用だけど、生真面目で嘘がないまこの良さが素直に出た言葉だから、けっこう扱いが難しいくれあの寂しさにもベストフィットして、二人は互いを新たな名前で呼び合う。
まるで、幼い子供のように呼び捨てで。
大学生としてちょっと大人びてきて、楽しい日々の背後は面倒くさい色々が支えていると、年齢設定に相応しい描写をしっかりやってきたからこそ、ここでまことくれあが自分の中の子どもを取り戻し、一緒に走り出すシーンは感慨深い。
気楽なように見えて、ゆるふわ美少女大学生なりに取りこぼしたものが確かにあって、でもそれは共に過ごす日々の中で、ちゃんと取り戻せる。
そうやって思い出に立ち返り新たに掴み取ることで、新しい扉を開けてもっと眩しく、素敵な日々を紡いでいける。
そういう時制を超えた希望を見つめながら、朗らかで楽しい物語を作ってくれることが、俺にはとても嬉しい。
というわけで特別な場所と時間に、胸の奥から微かな寂しさと大きな幸せを引っ張り出して、新たな絆を女たちが紡ぐエピソードでした。
こういうド直球のイイハナシはあんまやんないアニメだからこそ、腰を落として真っ直ぐ関係性構築で殴りつけてくる一発がよく効いて、大変良かった。
同時にこのスペシャルな一撃は、地道に丁寧に日々を積み重たからこその高火力で、すごくこのアニメらしい面白さでした。
くれあが弱さを、まこがそれを受け止めれる強さを。
今まで見せていなかった新たな善さを手渡し合うことで、より強く私達らしく繋がれた、その先へ。
日々は続いていく。
次回も楽しみです。























