イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

日々は過ぎれど飯うまし:第7話『ずっと忘れないと思う 』感想ツイートまとめ

 日々は過ぎれど飯うまし 第7話を見る。

 ゆる~く大学でのサークル活動を追いかけてきたこのアニメも、遂に折り返し。
 合宿回もフンワリ幸せな感じかなぁと思っていたら、来ましたよ重めの一発が…。
 過去を共有する仲間から弾き出されている寂しさを、物わかり良く飲み込もうとしたくれあの懐へと、引っ込み思案が意を決して強く踏み込み、星空に永遠を告げる。

 まるで青春のど真ん中…今まで紡いできた柔らかな日常が特別な決意をしっかり支える、頼もしい手応え。
 初顔合わせの第一話から、食文研という場所、そこで得る経験がまこにとってどういう意味をもっているのか、丁寧に積み上げたからこその勝負回でした。

 

 まことくれあが特別な関係を築く/気付くという、極めて大きな変化が目立つ回ではあるのですが、合宿自体のトーンは今までの日々と大きく変わることなく、日常の延長線上にある。
 それは皆に出会ってからの”いつも通り”が、なだらかで特別な幸せにみっしり満ちているから異物感が薄いのだなと、ここまでのクール半分を思い返す仕上がりにもなった。

 「ずっと忘れない」と、小っ恥ずかしい想いを堂々告げれるようになったのは、合宿という特別なシチュエーションがあってこそかもしれないけど、胸にこみ上げる思いは、ここまでの騒々しくも楽しい日々が、じっくり積み上がって生まれている。
 まさに”日常系”…素晴らしい。

 

 ずっと興味を持っていたけど踏み出せなかった、食事を作り楽しむという営為。
 偶然に巻き込まれ運命に導かれ、食文研という場、四人という人と出会ったことで、まこは自分の”好き”に素直になれた。
 そうして作り出す食の体験は美味しく楽しく特別で、楽しい日々を彩り自分たちを繋げてくれる、特別な媒介であり続けた。
 そういうモノをまこが生み出すことで、ずっと望んでいた誰かと触れ合う時間、自分の”好き”で他人が笑ってくれる体験が、まこの中に積み重なっていく。
 自分じゃない誰かが開けてくれた扉から、思わぬ経験に踏み出すことも多かった。
 まこがそんな出会を楽しむ姿を、このアニメはずっと書いてきた。

 そういう力みのない当たり前の幸せを、作品の舞台が生み出す場所なのだとしっかり積み上げてきたことが、今回炸裂する青春の花火を、とても鮮やかにしていたと思う。
 まこが告げた「ずっと忘れない」がキラキラで空疎なキャッチコピーで終わらず、彼女の魂から自然と湧き出てきた本当だと思えるのは、こういう大振りな感動をぶん回さず、当たり前にみんなで飯食って笑った日々のスケッチが、しっかり刻み込まれているからだ。

 

 そして騒々しいダメ人間共のフォローを頑張ってくれる、どこかツルンと奥行きがないようにも感じていたくれあが、周囲の眩しさ故に顕にした微かな影。
 これが一気にキャラの陰影を深め、コクを出してくれた。

 その寂しさも当たり前のものだと、喉の奥に飲み込んでしまうくれあの物わかりの良さを、食文化研で他人の顔をしっかり見ることを学んだまこが見落とさず、ピザの支度に問いかける。
 そんな小さな思いやりは、人間と人間が肩寄せて隣り合うためには必要な潤滑油であり、これもまた二人が作り上げてきた関係から、すごく自然に染み出す気遣いだった。
 ハジメマシテのぎこちなさから始めて、一緒に歩いたあの時間、この思い出をしっかり削り出してくれたからこそ、くれあの意外な陰りも、まこがそこにちゃんと目を効かせる意味も、グッと際立って見えた。
 こういう、人間が人間をちゃんと観てる距離感書いてくれると、作品好きになるね…。

 

 お話が始まったときのまこは、悪い想像ばかり膨らませて一歩を踏み出せず、他人の顔もしっかり見れなかった。
 そんな彼女がここまでのお話しの中、誰かが自分の料理を食べて浮かべる表情や、自分が誰かと一緒にいて感じる喜びに目を向けるようになったからこそ、今回くれあを見つめる視線がある。

 くれあの大人びた社会性が、ダメ人間の集いをどんだけ支えているかもここまでたっぷり描かれたが、そうして繕った分厚い外皮の奥には、賢く解決できない不定形の感情が、もちろんある。
 でもくれあは余りそれを外に出さず、他人に預けないことで、他人を支えられる自分を作っている人だ。

 無理も無茶もしていないけど、どこか頑なな軋みがあるくれあの外装から、思わずこぼれ落ちたため息を、拾い上げれる自分をここまでの六話で、河合まこは作ったのだ。
 それは大いに意味があることだし、そう為るための揺りかごとなった食文化研究会は、小さいながら立派な社会だと思う。
 そんな場所が作り出し追い求める、食と笑いに満ちた楽しい日々…このお話がタイトルに刻みテーマと追いかけるものが、何を成し遂げうるのか。
 花火に照らされて新たに生まれていく女たちの関係が、折り返しにしっかりと告げてくるエピソードだと思いました。
 こういう中間地点叩き込めるアニメ…”強い”ぜ。

 

 

 

 

 

 

画像は”日々は過ぎれど飯うまし”第7話より引用

 というわけであまりに特別な色合いの思い出から始まる、勝負の折り返し。
 今回はまことくれあの紡ぐ未来が、喪われたと思っていた過去を取り戻す再生の物語でもあるので、この気合の入った描線は全く正しい表現だと思う。
 まこが忘れられぬ思い出として刻む、どう考えても世代2つくらいぶっちぎってるノスタルジアに、途中参加のくれあは混ざれない。
 ひつじちゃんがあざとい萌え萌え仕草をぶっこみ、下田の景色も麗しい夏合宿に伸びる微かな影を、まこがしっかり見つめているカットが幾度か入る。
 こうして誰かを気に掛ける視線を、飯愛でる日々は育んだのだ。


 くれあは周囲を良く見て、自分が何をすべきか、共同体に何が足りていないかをしっかり確認できる、大人びた人間だ。
 そんな彼女が自分の中の寂しさを漏れさすのは、おそらく全く無意識で、気づいて優しくして欲しいサインではないと思う。
 無意識だからこそ、そこで漏れる思いは一番にケアされなければいけないわけだが、明るい日差しと楽しさに満ち溢れた日々はそういう重たさを、つい置き去りに駆けていく。
 こういうネアカな速度に、中々ついていけない陰の存在だからこそ、落ち着いて周りを見渡し誰かを気に掛ける…古舘くれあみたいな視野が、まこに宿っているのは嬉しい変化だ。

 ここまでくれあの物わかりの良さに甘える形で、程よくクズな四人がドタバタ青春楽しめていた部分もあるので、彼女が気づかれケアされる側に回って、硬い外装の奥に抱えていたものを吐き出せる回になったのは、とても良かったと思う。
 それはくれあが担ってきた共同体のバランサー役を、一欠片でも背負える強さがまこに宿ったからこそ、引き出せた弱さだ。
 その寂しさも古舘くれあの大事な一部なんだから、置き去りに”楽しい食文化研”が運営されていくのはアンフェアで、まこの変化はそういう大事な公平さを、ゆるふわ大学サークルにもたらしうる。
 そういう成長の連鎖が感じられたのが、大変いい回でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”日々は過ぎれど飯うまし”第7話より引用

 通り雨が行き過ぎて朝焼けは眩しく、少女たちは思う存分美しい海に遊ぶ。
 今回は特に美術が頑張った回で、下田の特別感をグワッと背景に叩きつけて、普段は言えない気持ちを引っ張り出すパワーを生み出していた。
 まこくれ弾頭が抉った感情爆心地がデカすぎて目立たないけど、何かとトボけたひつじちゃんが、しのん部長にサラリと感謝の気持を届ける場面とか、バカンスゆえの浮かれた特別感満載でとても良かったです。
 こんな風に機会を捉えて、普段は言葉にならない素直な気持ちをちゃんとプレゼントできる間柄は、見ててつくづく良いなぁと思う。

 こういうサラッと感に比べ、まこはくれあが早朝に預けてくれたものに答えを返すのに、結構時間がかかる。
 これをピザ生地の仕込みと重ねて、すぐさま素直に心を言葉に出来なくても、美味しくなるまで待ってくれる関係として描く時間経過も、また良かった。
 色んなヤツが集まるからこそ面白いサークルで、心が繋がるまでのやり方もまた様々だ。
 手間がかかればこそ特別に美味しく仕上がる手作りピザも、食文化研ご自慢のメニューなんだから、まこだけの受け止め方と下ごしらえで、受け止めてしまった思いに向き合っても良い。
 そういう豊かさが、下田の美しい日々にしっかり宿っていたと思う。

 

 もっといえばどんな状況で何を作るか、レシピの選択から地道な下準備までしっかり描いて、食事を口に運ぶ瞬間だけが”食”ではないと描いてきたこのアニメだからこその、リッチな熟成期間でもある。

 深夜の飯テロをウリにしつつも、そこまで食だけにガッツイてないバランス感覚が、逆に食事という営為を多角的に描く足場になってるアニメだと、僕は思っているけど。
 そうやって準備したり悩んだり、色々考えたりする時間があってこそ、一緒に分け合える特別な一皿が美味しいのだと、ここまでの物語にしっかり練り込んで仕上げてきたからこそ、朝に受け止め夜に返すまでの気持ちの下ごしらえを、微笑ましく見守ることも出来る。

 

 

 

 

 

画像は”日々は過ぎれど飯うまし”第7話より引用

 かくしてスペシャルな夕食に心を満たし、美しい夜に思いが繋がる。
 訥々と不器用に、誠実に己の中を探りながら正しい言葉を探すまこの姿が、相変わらず人付き合いそこまで得意とは言えず、でも食文化研の日々から誰かと触れ合う意味を見つけた(あるいは取り戻した)彼女の、必死な”今”が滲んでいてとても良かった。
 それは喪ったと思っていた大事な思い出を、新たな仲間と取り戻していく日々でもあり、ずっともう一度、誰かと話して笑っていたいと、まこは思っていたのだ。

 大学生が抱えるには少し幼い、ひたすらにひた走る浮かれた楽しさを、ずっと待ち望んでいた自分を、まこはくれあの思いを受け止め、それに相応しい言葉を一日かけて探り、意を決して美しい夜空に手渡す中で、思い出し取り戻していく。
 そうやって今目の前にいる人に誠実に向き合うと、思わずくすんだ思い出が活き活き色を取り戻していく描写が、繋がらぬはずだった過去と未来を結び直していて、大変良かった。

 ここにあの時いた二人がいなくて、くれあがいるという変化が、逆に相手が変わり時が流れても、とても大事なものを取り戻せるのだという不思議な事実を、鮮明に際立たせていた。
 それは誰かの代わりではなく、どうしても繋がれない寂しさを抱えた友達が心から笑えるよう、懸命に言葉を探したからこそ掴める奇跡だ。

 

 まこがくれあに紡いだ言葉には、一欠片の嘘もない。
 小っ恥ずかしいくらいにキラキラで真っ直ぐな青春が、偶然の出会いに手を引かれて飛び込んできて、そこで自分の”好き”を楽しく追いかけていたら、凄く特別なものと出会えた。
 それはここまで積み上げてきた物語にどんな価値があるのか、見守らせてもらった僕達に手渡してもらう営みでもあり、六話分の視聴に報いてもらってる感じで大変良かった。
 ちょっと生き方が不器用だけど、生真面目で嘘がないまこの良さが素直に出た言葉だから、けっこう扱いが難しいくれあの寂しさにもベストフィットして、二人は互いを新たな名前で呼び合う。
 まるで、幼い子供のように呼び捨てで。

 大学生としてちょっと大人びてきて、楽しい日々の背後は面倒くさい色々が支えていると、年齢設定に相応しい描写をしっかりやってきたからこそ、ここでまことくれあが自分の中の子どもを取り戻し、一緒に走り出すシーンは感慨深い。
 気楽なように見えて、ゆるふわ美少女大学生なりに取りこぼしたものが確かにあって、でもそれは共に過ごす日々の中で、ちゃんと取り戻せる。
 そうやって思い出に立ち返り新たに掴み取ることで、新しい扉を開けてもっと眩しく、素敵な日々を紡いでいける。
 そういう時制を超えた希望を見つめながら、朗らかで楽しい物語を作ってくれることが、俺にはとても嬉しい。

 

 というわけで特別な場所と時間に、胸の奥から微かな寂しさと大きな幸せを引っ張り出して、新たな絆を女たちが紡ぐエピソードでした。
 こういうド直球のイイハナシはあんまやんないアニメだからこそ、腰を落として真っ直ぐ関係性構築で殴りつけてくる一発がよく効いて、大変良かった。

 同時にこのスペシャルな一撃は、地道に丁寧に日々を積み重たからこその高火力で、すごくこのアニメらしい面白さでした。
 くれあが弱さを、まこがそれを受け止めれる強さを。
 今まで見せていなかった新たな善さを手渡し合うことで、より強く私達らしく繋がれた、その先へ。
 日々は続いていく。
 次回も楽しみです。

LAZARUS ラザロ:第7話『Almost Blue』感想ツイートまとめ

 それは、憂鬱と天界の色。
 常時曇り空の高度資本主義社会から、カメラが既に終わった社会の海と空へ一瞬移り変わる、LAZARUS第7話である。
 大変良かった。

 

 話としては最悪AIカルト村で小さなヒントを貰って、幾度目かの回り道からまた一歩、黙示の中核に近づいていく感じ。
 自分がこのアニメを読むときの基本的な見立てである、聖杯探求と黙示録の構造が作中でも言及され、メタ的な支柱が立った感じもあるけど、まぁそらー見てれば分かる部分でもあるか。
 環境保護メッセージがダイレクト過ぎるきらいはあるが、そもそもそこら辺超無骨で真っ直ぐな話でもあるので、下手に曲げずに抒情性投げ込んできた手触りは良い。

 機械の偽神が遺したダイイングメッセージを巡って、ラザロは世界各地バラバラに飛びつつ、七話分の蓄積(これを示すのが冒頭の大失敗バーベキューであり、リーランドのセンチメンタリズムだろう)がお互いを繋いで、妙に静かな親密さが旅路に宿る。
 ハプナとスキナーという中心に翻弄されながら、遠回りにぐるぐる彼の思考の奇跡を巡り、遠いところから近いところへ、だんだん理解を近づけていく歩みは、ドルイド教の渦流迷路みたいで面白い。
 無駄に思える歩みの中、意味を見出すのならばそれは道を示す遺物ではなく、旅それ自体に宿るのだろう。
 そういう意味で、ただ沈んだ島を見た今回の足取りは、より作品のコアに近く感じた。

 

 

 

 

 

 

画像は”LAZARUS ラザロ”第7話より引用

 今回描かれる海と空は、 『青い海、白い雲!』という爽快なステレオタイプから見事に外れて、どこか重苦しく閉塞感がある。
 前回結構ボロクソにいった、クリエーターとしての自分たちの足跡をトレースするような足取りから少し離れて、滅び(つまりはかつてあった生活の残骸)に満ちた美しくなりきれない、青い廃墟を写し続けるカメラには、僕らが身を置く人殺しな温度の夏の先を、確かに見ることが出来た。
 それはハプナが人間を殺し尽くした後、地球に戻ってくる景色であり、人がいればこその美しさはそこから、拭われ去っていってしまう。

 塵芥を離れた桃源郷とするには、ホコリまみれの人間社会の色合い、錆びた匂いの貧富がずーっと長く滲んでいる、僕らの日常と地続きの、青い滅び。
 その美術が持っているイメージ喚起力、薄汚れた暗さから段々と、スキナーの思考をアクセルたちと一緒に体験していくようなグラデーションでもって、明るく美しく滅びの顔が見えてくる演出は、大変良かった。

 

 そこは確かに静かで美しく、しかし水に飲まれた残骸は「私たちはここにいた」と告げていて、あくまで墓場の匂いがする。
 それを”美しい”と感じてしまうこと自体が、泥臭く活きるしかない人間性(生身の自分たちらしさ)を無化する、極めて無責任な審美眼に繋がっている感じがして、陶酔した後に青ざめた。

 クリスがこの青に何故涙したかは、彼女の過去に追いつかれるところで終わった物語の続きが語るのだろうけど。
 預言者が告げたとおり災厄と不和と戦争の気配が世界に満ち、それでもなお”観光”出来てしまうこの終末世界の風景が、彼女が独白する青いセンチメンタリズムに、巧いことカウンターを当てていた気もする。
 その感傷が向いているのは、人の汚濁から開放され本来の姿を取り戻した自然であるけど、クリス自身もまた世を汚して生きていくしかない俗人であり、もしかしたらスキナーもそうなのだろう。
 そういう生身の存在感が、ハーシュとの過去、レンブラントの光に照らされた個人的な感情に繋がっているかも、先を見ないと分からないわけだが。

 

 ともあれこの中間地点、カタルシスの予感だけは静かにたたえながら、どこか呑気に平和に楽しく、破滅の周囲をグルグル回り続けているお話しが、バカンスに立ち止まればこそ一瞬、芯を見せてくれた感じがあった。
 4つの地点に別れつつ、皆同じ青と廃墟を見て、一人お留守番のエレイナもまた、画面越しお菓子を積み上げ、青い世界を一緒に楽しむ。
 意外に若い実年齢を確認しあい、利害とプロ意識以外にお互いを繋げる何かを、じんわり確認しながら、ラザロは滅びを目前にした世界を揺蕩う。

 その歩みで確たる何かが掴めたわけではなく、完全な空振りってわけでもなく、生得的無痛症の集落というヒントを回収して、ラザロはまた返ってくる。
 その歩みが、スキナーの辿った思索を追いかける試しであることを作中人物も自覚しつつあるが、それはそれとして、彼らは透明に綺麗になりきれない生身の人間であるはずで、このお話はだからこそ面白い…はずだ。
 滅びも当然だとする美しい達観を、人々の生活を飲み込んで静かな青い終わりを跳ね返す何かが、彼らと彼らが見てきた猥雑な近未来には確かにあるはずで、しかし未だラザロは答えを見つけ出していない。
 しかし、近づいている気配は確かにある。

 

 そこら辺を改めて、非常にゆったりとした筆致で描き直すエピソードで、大変良かった。
 既に滅んだ島に至る前、未だ人間の領域であるマニラやら石垣島やらが、寂れて薄汚く貧しそうな色で描かれていたのが、俺は好きだ。
 第2話のスラムと同じく、そこは人が生きてるからこそ埃っぽくゴミまみれで、だからこその美しさが確かにある場所だったから。
 一つの答えを示す青い廃墟たちも、人の世と隔絶した絶対の異界としてではなく、不在故にかつてそこに存在した営みを感じさせる、独自の色合いを宿していた。
 人工と自然が織りなすその混ざり合いと、混ざりきれなさは、近未来を透かして現在を見る、このアニメだけの色だと思う。

 この猥雑で魅力的な色彩が、話の中心にいる聖人預言者からは全然感じ取れないのが、ちょっと気になるところではあるが。
 あるいはそういう”人間”な部分こそが天使のアキレス腱になるからこそ、ラザロはスキナーが何を見てどこにたどり着いたのか、グルグル回りながら近づいていく歩みを、積み重ねているのかもしれない。

 

 そう思える回だった。
 大変良かったです。
 曇り空の街から離れたことで、青空も海も贅沢品になってしまったあの世界のリアリティが伝わってきたのは、回り道しながら転がる物語が何を描くのか、予言してる感じもあった。

 滅びは思ってるほど悪くなさそうだが、終わるわけにも行かない。
 次回も楽しみ。

九龍ジェネリックロマンス:第7話感想ツイートまとめ

 九龍ジェネリックロマンス 第7話を見る。

 次第に暴かれていく幽霊都市の謎と、反比例するように深まる因縁。
 鯨井Bの死が輪郭を得ていくほどに、九龍という街の異常性が暴かれ、そこと深く繋がった地縛霊のような令子の異質性が見えてくるのは、中々特異な質感のビルドゥングロマンスで面白い。
 おそらくこの蜃気楼が生まれる特異点となった鯨井Bの、(幾度目かだろう)命日が迫る中で、工藤はどんどん無防備な脆さを見せてきて、逆に安心する。
 戯けた態度の奥、愛する人との離別を抱え込み続けた彼の心は、令子や僕らが想像するよりずっとボロボロで、このミステリはそんな生存者の悲哀に一歩ずつ近づいていく旅でもあろう。

 僕はこのアニメ、弔意がうっすらと作品全体に…しかし明瞭に張り巡らされているところが好きだ。
 令子はオリジナルである鯨井Bを羨まず、愛する人を縛る悪霊がどんな存在だったかを、一個ずつ知ろうとする。
 それはジェネリックでしかない自分を健全に知っていく歩みでもあるし、愛着に近すぎて街も女も、その全体像が見えない工藤の代わりの客観獲得でもある。
 令子が街と鯨井B…そのアマルガムたる己を知っていくことで、工藤は自力では抜け出せない愛と死の鎖から解き放たれ、恋人の思い出が詰まった九龍の残骸から出ていくことが出来るのだろう。
 その時、令子はどうなるのか。
 不穏な空気も漂うが、愛は永遠と信じたい。

 

 まぁ金剛不壊なるダイヤモンドであっても、それを模したジルコニアであっても、たった一つの思いが込められた貴石には代わりがない。
 幾度目か終わってしまった九龍への、もはや巻き戻らない時へのノスタルジーに陶酔しつつ、どこか冷徹にそれが終わってしまった事実を見据えて、それでも諦められない人間の業を抱きしめながら、どうすれば思い出の外側へと己を…あるいはその胸の中へ閉じ込めてしまった愛を、解き放つことが出来るのか。
 そんな問い掛けへの一つの答えとして、適切に悼むことで新たに進み出す道を、このお話はずっと見つめている。

 それは喪われた過去がどんなものか、真っ直ぐ見つめることから始まる。
 楊明は整形する前の自分を母の名残とともに思い出すことで、暗い部屋の中に閉じ込められた。
 消えてくれない自己認識が己の形を引き戻す中で、令子は令子に楊明が見せてくれた嘘っぱちが、自分をどう変えた本物であったかを伝え、その友情があるべき/なりたい自分を取り戻させる。
 そうして過去に呪われた亡霊ではなく、未来へ進み出せる生者へと戻った彼女は九龍の外へと進み出せるが、死者の後発品たる令子はそうではないと、今回のラストは告げる。
 九龍という箱の中に閉じ込められた令子を、誰が観測するかは難しい問題だが、そらーまぁ彼女が愛し、見つめてほしいと思っている男以外にはなかろう。

 みゆきちゃんもだんだん過去が見えてきて、初期のケンが取れてきたけども、亡き母への複雑な感情だとか、グエンくんへの愛だとか、蛇鎖の奥に熱く燃えている思いが、彼もまた迷い己を見つけるべき九龍の子どもだと語る。
 客人たる工藤たちと異なり、九龍で生まれ九龍を捨てた(蛇沼の子として故郷を殺しすらした)みゆきちゃんは、ただ素敵な異郷としてあの街を見てはいない。
 深い影と強い後悔を宿し、それでもなお惹かれてしまう夢の残骸から、復讐の道具足り得る何かをすくい上げようと街に迷って、ふと捨てたはずの自分が見える。
 そういう場面が、今回みゆきちゃんに多かった。
 グエンくん…早く復縁して、傍で支えな?(一番支えたいのはグエンくん本人定期)

 母と蛇沼の関係、九龍への思いをストイックなみゆきちゃんは語らないが、そうして覆い隠したものにこそ本当の思いは宿っていると思う。
 さんざん傷つけられた(証が、体に刻まれた蛇の刺青だろう)みゆきちゃんが、これ以上傷つかないために身に着けた悪辣の鎧は、工藤がシリアスに恋人の死を…それを飲み込んで繰り返す異常な状況を考えないように、演じている軽薄と良く似ている。
 そうやって浮かれたふりをしていれば、終わってしまったものの終わりと向き合わなくてすむ。
 空に浮かぶジェネリック・テラも、そういう弱くてどうしようもない、極めて人間らしい業の結晶なんだろうか?

 人は終わってしまったものを諦めきれないからこそ、そのコピーを作りオリジナルを蘇らせようとする。
 でも生まれてしまうものは独自の性質と美点をもった後発品であり、どれだけ偽物と蔑まれようとも、生まれてしまった思いを支えにたったひとり、”本当の自分”でいたいと願う本能を持つ。
 何も持たぬからこそ、幼く純粋な令子にそんなジェネリック・ロマンスは色濃いけども、だんだんみゆきちゃんの過去が見えてきて、あの人もまた何かの代用品として生まれ、そんな自分を振りちぎるべく色んなモノを利用しようとして、悪辣になりきれない幼子なのだと思えてきた。
 蛇の仮面を被った赤子…好みの味だぜぇ!!

 

喪われてしまった自分たちの原点が、そこに宿った愛がどんなものであったかを、ちゃんと見つめなければ殯は終わらず、生者が死者の国から出ることはない。
 夏は盂蘭盆の季節でもあり、出口のない九龍に鯨井Bの亡霊を閉じ込めた工藤にとっても、故郷の思い出を裏切りつつ惹かれるみゆきちゃんにとっても、終わってしまったものを見つめる強さが、今必要なのだろう。
 彼ら自身にとってだけでなく、彼らを愛し、後ろめたさに支配されていない真っ直ぐな瞳で、”本当の自分”を見つめてほしいと願う、恋人たちにとっても。

 同時に死者と思い出が生者を見つめ返し、縛り付ける愛着の重たさと強さも、このお話はしっかり描く。
 というか令子やグエンくんが恋人を求める生に満ちた視線は、鯨井Bや亡き母が工藤やみゆきちゃんを引っ張る死者からの/死者への視線と対立するものではなく、それを理解し融和するまでの歩みを、業への愛しさ込めて綴ってる感じもある。
 終わってしまったものを綺麗サッパリ忘れ去って、前向きに進んでいくのが人として正しいとしても、あまりにそれは寂しい。
 忘れ去らず、残り香に涙しつつも、胸の中受け取って抱きしめて(閉じ込めるのではなく!)、思い出とともに生きていくという、難しい道へどう進んでいけば良いのか。
 悩み多き青年たちと一緒に、物語も身を捩りながら九龍迷宮を歩んでくれている感じが好きだ。

 

 死者が自分を忘れぬようひまわりの呪をかけ、じっとこちらを見つめているというのは、やはり過去の顔をちゃんと見れない弱さの反射なのだろう。
そこには大きすぎる離別の悲哀が宿るから、工藤は喪われた夏を蘇らせ前に進まず死者の共寝をし続けているわけだが、他でもない鯨井令子が一緒に外へ出て、前へ進もうとしている。
 それは後発品特有の変質というわけではなく、始まりも終わりもない永遠を望んだ(と、工藤には思えた)鯨井Bが秘めていた、もう一つの可能性の発露だと、僕には思える。
 不思議な後発を通じて、「もっと私と貴方を良く知って!」と、死者が語りかけてきた…とも言えるか。

 ミステリアスで退廃的な鯨井令子の影が、終わらない夏を刻む九龍の蜃気楼にも反射している感じだけど、それは工藤が知ってる/捕らわれている鯨井Bの顔なんだろう。
 街の外では存在できない己の限界を思い知らされた令子が、その衝撃にも歩みを止めず進むだろう先で、彼女は己を知り、つまりは先発品である鯨井Bを、後悔に囚われた工藤よりもクリアに知っていく。
 それは無垢で無知であるがゆえの奇跡で、エデンの林檎が作中重要なモチーフに選ばれていることに、新たな納得を加えもするが。
 そうして暗い影の幻想を剥がされた、ジェネリック九龍とその亡霊の素顔は、結構ピュアな普通の色合いなんじゃないかと思っている。

 

 令子がイヴだとすると九龍城は追放されることを約束された楽園で、そこから苦難に満ちた世界へと進み出すことで、人間の歴史が始まっても行く。
 既に終わってしまっているエデンの檻にしか生きられない令子を、どう九龍の外でも活かすのかという難問が、新たに浮上したが、死者と適切に付き合う方法をずっと探っているこの物語、蜃気楼の中確かに”本当の自分”を瞬かせていた令子という存在を、嘘にしない道を必ず掴んでくれるだろう。
 それはこのお話独自の答えとなるはずで、それを見届けるために見続けている部分は大きい。

 令子と彼女を愛する人達が、どこにたどり着くか。
 白紙の記憶に刻まれた、たった一つの恋を追う、このジェネリック・ロマンスの終着点は、やっぱりそこにある。

 

 令子が九龍に縛られた迷宮の申し子であると明らかにされ、みゆきちゃんがそこを一度捨てた(そして戻ってきた)九龍の子どもだと解ったことで、群像を繋ぐ鎖がより鮮明になった感じはある。
 工藤も鯨井Bへの愛とその死がどんなものか、適切に喪に服させてくれない異常状況に、相当参っている素顔を晒してきた。

 段々と、皆似た者同士ででも見えているものが違うし、だからこそ繋がって大事なものを手渡し会える関係が鮮明になってきて、さぁここからどうなるのか。
 僕はとても楽しみだ。
 みんな、幸せな結末を迎えて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”九龍ジェネリックロマンス”第7話より引用

 段々と真相の輪郭が見えてきた物語、かすかな光が男たちのかんばせを照らし、陰影を深くしていく。
 光と闇を一般的なイメージで使わず、影の中にいればこそ見えるものとか、白々しい光に宿る脅迫性とか、複雑な色合いで九龍を照らしているところが好きだ。

 恋人時代に幸せな終わりを告げ、家族となるはずだった夏の終わりを共有している工藤とグエンは、街を出て新たな恋に出会った者と、愛に呪われて光の中に囚われた者とで、一端明暗に離れていく。
 どう考えても停滞する側の工藤が、光の中にいるのが面白い。
 そこは終わらない夏、死のない国だ。(つまりは思い出と死しかない冥界でもある)

 

 工藤が街の外の現実、自分を取り囲む異常事態に気づきつつ、何事もないフリをして令子のいる九龍に立ち続ける隣で、グエンくんは瓦礫を追い出されて恋人と出会った。
 故郷を己の手で殺した切なさに耐えかねて、酒に癒やされようとするみゆきちゃんと彼が出会えたのは、幸せな偶然だったのだろう。
 男でもなく女でもないと己を蔑むみゆきちゃんが、もし男でもあり女でもある豊かさを感じられる瞬間があったとしたら、それは性別を超えてみゆきちゃんを求めてくれる、グエンくんの純情に抱かれる時なのだろう。
 うう…恋の真実が暴かれるほどに、無理して悪辣してる痛ましさが募る…。

 あるいはグエンくんといると、何も飾らない自分になってしまうからこそ、復讐の大詰めに入ったこのタイミングで遠ざけた…ということなのかもしれない。
 実子の思い出に呪われ、ジェネリックテラでの再演を望む”お父様”に、形だけ同じな偽物を手渡し絶望を与える。
 そんな捻じくれた計画に身を投げつつも、みゆきちゃんは自分の目で故郷の亡霊をちゃんと確かめ、そこに宿る熱気にうなされてみる、開けた目をまだ持っている。
 そういう感性を殺せないままに、復讐に取り憑かれた悪霊であろうとするのは、相当に苦しいことだと思う。
 でもそういう自分じゃなきゃ、母からの愛に報いれないと思い詰めてんだろうな…。

 

 

 

 

 

画像は”九龍ジェネリックロマンス”第7話より引用

 みゆきちゃんは偽物なはずの九龍で、自分を助けてくれた裏路地の舞姫たちに、母の面影を見る。
 工藤が足を踏み入れることのない、性と嘘が渦を巻く九龍のハラワタは、生粋の九龍っ子であるみゆきちゃんにとっては慣れ親しんだ故郷である。

 日本人が九龍を見つめる時結像する、ノスタルジックな猥雑テーマパークではない、土の匂いのするその表情を見れるようになったのは、みゆきちゃんが主人公の一人として己の内面、過去、心情を晒してくれるようになったから…って感じだ。
 蛇の仮面を剥いでみると、復讐者やるにはピュア過ぎるこの人…。

 

 無垢なるイヴたる令子に、楽園の外からいらない知恵を授ける蛇沼みゆき。
 …という構図は、狂った夢が壊れてくれない”楽園”として九龍を見ている工藤の視点から描かれたもので、令子自身は己を知り、認めてもらい、九龍の外に出ることを望んでいる。
 この活きた瞬きが鯨井Bにもあったものなのか、無いからこそ彼女は婚礼直前の自裁を選んだのか。
 謎は深まるばかりだが、みゆきちゃんは令子に格別の思い入れのない他人だからこそ、素直に彼女の”今”を見る。
 復讐計画に使える便利で特別な道具では、もう無くなってしまったその意思を見つめてもしまう。

 ここら辺、最初は両腕構えて頑なだったのに、楊明を仲立ちにその地金を見つめて、活きた別人だと認めてしまったみゆきちゃんの恋人とそっくりなんだけども。
 目の前にいる生きた人間を、その属性や思い出ではなく、あるがまま認め受け入れる尊重は、自分自身を大事にして他人と関係を気づいていく、最も基本的な足場でもある。
 復讐に焦がれているようでいて、みゆきちゃんが令子の”今”をずっと見ている(逆説的に、一番見て欲しい工藤が全く見れない)のは、あの人が持つある種の健全さを浮き彫りにして面白い。
 爛れたセックスしているようでいて、蓋開けたら超ラブラブ純愛だしなぁ…。

 

 工藤ではなくみゆきちゃんが教え、開けてくれる令子の”今”は、同時に九龍という水槽に閉じ込められた不自由なモノで、既に終わってしまっている現実に包囲されてもいる。
 ”水槽の中の金魚”というモチーフを、亡霊都市の申し子の象徴として選んだ鋭さがいよいよ活きても来ているが、令子はそんな自分の現状をこの段階では知らない。
 しかし楊明やグエンくん、みゆきちゃんといった、工藤との関係の外側にいる人達と触れ合う中で、否応なく己の限界と歪みを知っていってしまう。
 己を知らなければ、世界の形も見えてはこないし、他人の姿も解らない。
 それこそが、彼女が水槽を飛び出していくために必要な試練なのだ。

 ここでみゆきちゃんが、ジェネリックな令子の現状を一端肯定するような甘言を手渡しているのが、”蛇”らしくて大変良かった。
 工藤さんが好きで、それこそが”本当の自分”の核にあると、一端の人間みたいな悟りを得た令子は、しかしこの異様な都市に縛られ、外で生きていく自由もない、未熟で歪な存在だ。
 その本質に向き合い、未だ不鮮明な真実を全て知らなければ、令子がどういう存在であるのか、解ることは出来ない。
 みゆきちゃんの優しい現状肯定は、ミステリを掘り下げる中否定されること前提の問いかけで、極めて正統はキリスト教神学的な意味合いで”悪魔的”だ。
 この問がなければ、生者は己を見つけられないのだ。

 

 

 

 

 

 

画像は”九龍ジェネリックロマンス”第7話より引用

 工藤はもはや、幾度目かの命日に疲れ果てた表情を隠すこともなく、これを目の当たりにしてしまった令子は一度は決意した”明日”への歩みを、一端引き戻す。
 八月の終わり、愛の命日。
 鯨井Bの死が一つの楔となって、ピザ屋には瓦礫にしか見えない亡霊都市を成立させているのは間違いないっぽいが、では「鯨井令子は死んだ」と認識してしまっている工藤の目は、流れる時を、自分を取り巻く九龍を、どう認識しているのか。
 「それは異常だ」と、己の幼年期と照らし合わせて指弾するポジションに、もう一人の九龍の子どもであるみゆきちゃんが座ったのが面白い。

 

 令子は九龍の中と外を隔てる境界線を、渡ることが出来ない。
 それは過去と未来、死と生を隔てる境目であり、この河を渡れるものはつまり、現在に満足して後悔がない…ということなのだろう。
 後ろめたさがないやつは亡霊を見ないし、ひまわりが自分を見つめているとは感じないのだ。
 しかし後悔とノスタルジー(これを隔てる境界線は、もしかしたら無いのかもしれないが)が結晶化し、正体定かならぬ不可思議を生み出しているこの蜃気楼都市では、死者が闊歩し時が巻き戻る。
 この不条理を祓うべきなのか、そうするとしてどうやって解決するのか。
 謎はまだまだ残り、疑問は深まる。

 令子が九龍の幻影にしか生きられない存在だとしたら、復讐だの愛着だのに縛られた生者が正しく九龍にお別れを告げた時、このままだと彼女は消えてしまう。
 「亡霊祓いはそういうもんだ」という見方もあるだろうけど、どんな形であれ確かに生きていた彼女を見てきた自分としては、どうにか都合に良い奇跡が彼女を九龍の外に、生者が歩む未来に連れて行ってほしいと、望んでしまう。

 

 時限爆弾の起爆装置のように、幾度も切り取られるレトロな時計は、鯨井Bが死んだ瞬間を冷静にカウントダウンしている。
 運命のゼロ地点であろう”その日”がやってきた時、一体何が起こるのか。
 怖くもあるし、待ち遠しくもある。

 足踏みしたり先延ばししたり、愛と死の定めを無かったことにしたり。
 そういう留保に優しい視線を投げつつも、どこから抜け出していってしまう魂の色合い、止まらない時の定めにきわめてシビアなのも、このお話の特徴だ。
 だから何かが決定的に終わってしまう時は、同時に何かが始まる瞬間でもあろう。
 あるいは鯨井令子への愛が彼女の自死によって終わった時に、この物語が始まったのか。

 それを確かめる意味でも、お話しは八月三十一日へ進まなければいけないし、令子は境目を越えられない街の亡霊たる己を、怜悧に見つめなければいけない。
 そこから、全ては始まるのだ。
 次回も楽しみ。

ウィッチウォッチ:第7話『カンニコチャンネル/お茶の心はお茶の子さいさい』感想ツイートまとめ

 ウィッチウォッチ第7話を見る。

 

 

 

 

 

画像は”ウィッチウォッチ”第7話より引用

 肩の力がほどよく抜けた、ニコたちの楽しい日常二編…という感じのエピソード。
 前回ぬるっとお目見えしたサブカルクソ野郎くんがかなりフィーチャーされていて、今後大きな役割があるんかな~って感じ。
 モイちゃんが鬼、カンちゃんが天狗と来て、彼の名字がマガミなので狼男…と踏んでいるが、さてどうなるか。
 こうしてお供が増えていくと、現代版”怪物くん”という趣もより濃くなっていって、藤子の血を今に継ぐ作品として見ている視聴者としてはニヤニヤが深くなる。

 

 AパートはモイちゃんPがダラッとYoutuber始めてみた二人に雷落としつつ、サブカルくんの手を借りてバズれる動画を世に放つまでを描く。
 「飽きた!」で終わってしまうサッパリ感と合わせて、カンちゃんが同居人になった彼らの日常がどんな肌触りか、よく教えてくれる回だったなぁと思う。
 特に考えもなく、なんとなくとりあえずで触っちゃうニコカンと、やるからにはしっかり勝てるメソッドを整え、生真面目に丁寧にやり抜こうとするモイちゃんの、性格の対比が面白かった。
 いちいちガミガミ細かいモイちゃんがいるから、共同生活が成り立ってんだなぁ…と思ったところで、OPの靴整えるカットが腑に落ちる。

 マガミくんのいちいちスカした陰キャ厨二病っぷりは、生々しくもギリギリ笑えるラインをしっかり保持していて、大変良かった。
 たかだが文化的装飾具の違い程度で「俺はお前らは違う!」と言えてしまうし、言わざるを得ない年頃の切実なヤバさを、大変濃く煮出していてむせる。
 上手く使えばバズれる要素を、肥大化した自我を語り倒したい欲求制御できず潰していく人間下手くそ加減が、今後シリアスな展開にどう効いてくるのか…。
 活かすからこその出番増加だとは思うので、今後の見せ場を期待したい。
 あとモイちゃんとのズレてるのに波長が合ってる感じ好きなので、もっとイチャイチャしてね。

 

 Bパートはニコの魔法で擬似VRしつつ、クラスメイトの困りごとをワイワイ解決ハッピー日常! という感じ。
 こういう風に、魔法を楽しさの増幅器として明るく使いたいからこそ、とっととクラスバレさせて湿った感じにしなかったんだなぁ、と個人的に納得した。
 敵を必要としないニコの魔法は、やっぱ”ひみつ道具”のように毎日を楽しくするワンダーと厄介ごとの種に満ちてて、凄くチャーミングだ。
 これにつきあわされることで、むっつり生真面目なモイちゃんの人生が知らず潤ってる感じも良い。
 ブーブー文句言いつつ、間違いなく楽しいでしょ、この騒がしい青春…。

 清宮さんも清楚な外見に似合わぬ結構なオモシロ人間で、かなりいい効き方してた米蘭嵐くんとかと合わせて、だんだんサブキャラが煮込まれてきた。
 一風変わったクラスメイトたちと過ごす、楽しい日々を見させてもらうのは大変嬉しいので、こういう味のエピソードをどんどん積み重ねていって欲しいなぁ、と思う。

 

 同時にジワジワ、ちょっと骨の太いシリアスが始まるんかな…という気配も感じていて、こっからどういう舵取りしていくかも楽しみだ。
 前回見せたラブコメの冴えにしても、今回感じさせてもらったじんわり楽しい日常の描き方も、色んな強みが元気なこのお話。
 本格的にエンジンかかってきた感じで、次回も楽しみ!

GUILTY GEAR STRIVE: DUAL RULERS:第7話『暗黒の太陽 -Dark Sun-』感想ツイートまとめ

 GUILTY GEAR STRIVE: DUAL RULERS 第7話を見る。

 

 

 

画像は”GUILTY GEAR STRIVE: DUAL RULERS”第7話より引用

 無言で全世界に圧ぶっこんでくる最悪要塞と化したお父様を攻略するべく、全世界からヤシマ作戦めいてエネルギーが集まり、ド派手なビームがブッパされまくる回。
 ”GUILTY GEAR2”めいたメーレーアクションの規模感をぶっちぎり、”GUILTY GEAR SKYSTAGE”ともいうべき撃ちまくり削りまくり戦闘が大暴れしてた。
 ビーム一発で木っ端のようにぶっ飛ばされる、バクテリアお父様の哀れな姿に涙…にしても、ほんっと要塞お父様キモいなッ!

 話としちゃーずーっと巨大要塞ネルヴィル攻略する展開で、全世界の力をプレイアブルキャラに…! 展開も、正直取って付けた熱血感があって全然ノレないけども。
 お父様、主役たちと濃い関係性とか感情とか結ぶことなく、デカいスケールのクライマックスを呼び込むための機能的存在として作品の中に存在してるので、キャラとしては全然グッと来ないんだよな…。
 それでも今回もドバドバ追加される、突き抜けたZ級ラスボス感一つでこっちの目を引くんだから、中々すごい存在だと思う。
 虚空に浮かぶニンマリ顔とか、ホント全てが終わりきってて凄い。
 お前がアニメ時空から出れる要素は、一切ないッ!

 

 ブリジット負傷にバチ切れて、ユニカが吶喊キメて囚われのお姫様ポジにスポッと収まっていたが。
 まともに感情繋いだ相手ブリジットしかいないので、彼女がユニカの動員になるのは展開に嘘ついてない。
 …んだが、本来その仕事をするべきなのはシンって感じもあり、やっぱ残り一話に至ってなお主役とヒロインに決定的な絆が見えないの、なかなかすごい話だなぁと思う。
 それさえあればお話が潰れずに立つ柱なんだが、無数のキャラがハードアクションするのに忙しい中、しっかりやり切る余力が残るか。
 画竜点睛を欠くか否かの瀬戸際なので、膨れ上がったスケールに流されずに頑張って欲しい所だ。

 物語のスケールが野放図に膨れた結果、どうにもダイレクトに拳と感情で殴り合う手応えが薄れてる感じもある。
 宿命に相応しい自分であるために、全てのギアと繋がり世界中を見る選択をしたシンの見せ方にしても、もうちょいフンワリなスピリチュアル味を抜いた感じでも良かったかな、とは思う。
 まぁドカドカ殴り合いやるのに忙しくて、そういう見のある交流やる足場が弱い状況ではあるんだけどさ。
 ここら辺、複数人コンテでクセ強画面構成をツギハギし、ここまで話作ってきた方法論の限界点って感じもある。
 ホント、なんでこんな作り方になってんのか知りたくはあるな。

 絶望の色に空を染め上げる大要塞に、反撃の狼煙一番乗りするのがヴァレンタイン姉妹なのは大変良かったし、集った超人共がみんなで大暴れするのも景気が良かった。
 「ジョニーの船で突貫するなら、どうにかメイ出せんかったの…?」とは思うが、その調子で画面出すキャラ増やすと際限ないからな…。

 

 今週はお父様全然喋んなくて、矛盾だらけのカスボケ薄っぺら寝言を聞けず残念だったので、最後の見せ場となる次回、思う存分クソカス悪役っぷりを叩きつけ、超空に散って欲しいと思います。
 ここまで来たら、ゲスの花道駆け抜けきって欲しい。

 あとシンには、ユニカと心繋げる本命の一発が欲しい。
 そこさえやってくれりゃ、まぁ形にはなるから…。
 次回も楽しみ!