イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

LAZARUS ラザロ:第7話『Almost Blue』感想ツイートまとめ

 それは、憂鬱と天界の色。
 常時曇り空の高度資本主義社会から、カメラが既に終わった社会の海と空へ一瞬移り変わる、LAZARUS第7話である。
 大変良かった。

 

 話としては最悪AIカルト村で小さなヒントを貰って、幾度目かの回り道からまた一歩、黙示の中核に近づいていく感じ。
 自分がこのアニメを読むときの基本的な見立てである、聖杯探求と黙示録の構造が作中でも言及され、メタ的な支柱が立った感じもあるけど、まぁそらー見てれば分かる部分でもあるか。
 環境保護メッセージがダイレクト過ぎるきらいはあるが、そもそもそこら辺超無骨で真っ直ぐな話でもあるので、下手に曲げずに抒情性投げ込んできた手触りは良い。

 機械の偽神が遺したダイイングメッセージを巡って、ラザロは世界各地バラバラに飛びつつ、七話分の蓄積(これを示すのが冒頭の大失敗バーベキューであり、リーランドのセンチメンタリズムだろう)がお互いを繋いで、妙に静かな親密さが旅路に宿る。
 ハプナとスキナーという中心に翻弄されながら、遠回りにぐるぐる彼の思考の奇跡を巡り、遠いところから近いところへ、だんだん理解を近づけていく歩みは、ドルイド教の渦流迷路みたいで面白い。
 無駄に思える歩みの中、意味を見出すのならばそれは道を示す遺物ではなく、旅それ自体に宿るのだろう。
 そういう意味で、ただ沈んだ島を見た今回の足取りは、より作品のコアに近く感じた。

 

 

 

 

 

 

画像は”LAZARUS ラザロ”第7話より引用

 今回描かれる海と空は、 『青い海、白い雲!』という爽快なステレオタイプから見事に外れて、どこか重苦しく閉塞感がある。
 前回結構ボロクソにいった、クリエーターとしての自分たちの足跡をトレースするような足取りから少し離れて、滅び(つまりはかつてあった生活の残骸)に満ちた美しくなりきれない、青い廃墟を写し続けるカメラには、僕らが身を置く人殺しな温度の夏の先を、確かに見ることが出来た。
 それはハプナが人間を殺し尽くした後、地球に戻ってくる景色であり、人がいればこその美しさはそこから、拭われ去っていってしまう。

 塵芥を離れた桃源郷とするには、ホコリまみれの人間社会の色合い、錆びた匂いの貧富がずーっと長く滲んでいる、僕らの日常と地続きの、青い滅び。
 その美術が持っているイメージ喚起力、薄汚れた暗さから段々と、スキナーの思考をアクセルたちと一緒に体験していくようなグラデーションでもって、明るく美しく滅びの顔が見えてくる演出は、大変良かった。

 

 そこは確かに静かで美しく、しかし水に飲まれた残骸は「私たちはここにいた」と告げていて、あくまで墓場の匂いがする。
 それを”美しい”と感じてしまうこと自体が、泥臭く活きるしかない人間性(生身の自分たちらしさ)を無化する、極めて無責任な審美眼に繋がっている感じがして、陶酔した後に青ざめた。

 クリスがこの青に何故涙したかは、彼女の過去に追いつかれるところで終わった物語の続きが語るのだろうけど。
 預言者が告げたとおり災厄と不和と戦争の気配が世界に満ち、それでもなお”観光”出来てしまうこの終末世界の風景が、彼女が独白する青いセンチメンタリズムに、巧いことカウンターを当てていた気もする。
 その感傷が向いているのは、人の汚濁から開放され本来の姿を取り戻した自然であるけど、クリス自身もまた世を汚して生きていくしかない俗人であり、もしかしたらスキナーもそうなのだろう。
 そういう生身の存在感が、ハーシュとの過去、レンブラントの光に照らされた個人的な感情に繋がっているかも、先を見ないと分からないわけだが。

 

 ともあれこの中間地点、カタルシスの予感だけは静かにたたえながら、どこか呑気に平和に楽しく、破滅の周囲をグルグル回り続けているお話しが、バカンスに立ち止まればこそ一瞬、芯を見せてくれた感じがあった。
 4つの地点に別れつつ、皆同じ青と廃墟を見て、一人お留守番のエレイナもまた、画面越しお菓子を積み上げ、青い世界を一緒に楽しむ。
 意外に若い実年齢を確認しあい、利害とプロ意識以外にお互いを繋げる何かを、じんわり確認しながら、ラザロは滅びを目前にした世界を揺蕩う。

 その歩みで確たる何かが掴めたわけではなく、完全な空振りってわけでもなく、生得的無痛症の集落というヒントを回収して、ラザロはまた返ってくる。
 その歩みが、スキナーの辿った思索を追いかける試しであることを作中人物も自覚しつつあるが、それはそれとして、彼らは透明に綺麗になりきれない生身の人間であるはずで、このお話はだからこそ面白い…はずだ。
 滅びも当然だとする美しい達観を、人々の生活を飲み込んで静かな青い終わりを跳ね返す何かが、彼らと彼らが見てきた猥雑な近未来には確かにあるはずで、しかし未だラザロは答えを見つけ出していない。
 しかし、近づいている気配は確かにある。

 

 そこら辺を改めて、非常にゆったりとした筆致で描き直すエピソードで、大変良かった。
 既に滅んだ島に至る前、未だ人間の領域であるマニラやら石垣島やらが、寂れて薄汚く貧しそうな色で描かれていたのが、俺は好きだ。
 第2話のスラムと同じく、そこは人が生きてるからこそ埃っぽくゴミまみれで、だからこその美しさが確かにある場所だったから。
 一つの答えを示す青い廃墟たちも、人の世と隔絶した絶対の異界としてではなく、不在故にかつてそこに存在した営みを感じさせる、独自の色合いを宿していた。
 人工と自然が織りなすその混ざり合いと、混ざりきれなさは、近未来を透かして現在を見る、このアニメだけの色だと思う。

 この猥雑で魅力的な色彩が、話の中心にいる聖人預言者からは全然感じ取れないのが、ちょっと気になるところではあるが。
 あるいはそういう”人間”な部分こそが天使のアキレス腱になるからこそ、ラザロはスキナーが何を見てどこにたどり着いたのか、グルグル回りながら近づいていく歩みを、積み重ねているのかもしれない。

 

 そう思える回だった。
 大変良かったです。
 曇り空の街から離れたことで、青空も海も贅沢品になってしまったあの世界のリアリティが伝わってきたのは、回り道しながら転がる物語が何を描くのか、予言してる感じもあった。

 滅びは思ってるほど悪くなさそうだが、終わるわけにも行かない。
 次回も楽しみ。