イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

心が雨漏りする日には

中島らも、青春文庫。親父さんが仕事で買った本に引用されていた一節を気に入って買った本をらもマニアクスである俺が横から略奪した、というちょっと複雑な経緯で読んだ本である。
その一節とは「こころだって、からだです」という言葉だ。オッケー、オーライ、その通り。この本はバリバリの躁うつ病患者にしてジャンキー、重度のアルコール依存症患者中島らもが、躁うつ病について語った本だ。
さて、この本の存在は知っていた。僕はらもが好きだ。とても好きだ。でも手には取らなかった。
まず背表紙にある「ほんとうのあなたに出逢う−青春文庫−」 ウンコ召し上がれである。僕は本一冊で「ほんとうのあなた」なんかに出逢いたくない。そんなイージーでエクスペンダブルな手段として、活字を噛み砕きたくない。僕にとって活字は救済手段ではなく飯だ。上手いものもあれば苦いものもあり、上等なものもあれば下劣なものもある。
だがそれはどちらにせよ、砕かれて僕の一部になる。僕は本に出会うのではない。本を略奪し、蹂躙し、食い散らかして、何かを手に入れるのだ。それは読み終わった後のため息一つでもいいし、マルクス兄弟バフチンが繋がるポイントへの詩想でもいいし、奥歯を噛み締めるような絶望感でもいい。どんな形であれ、何かを略奪するために、僕は本を読むのだ。
だからこういう「易い」本は敬遠することにしている。当たったことはなかったし、胎が減ってるときに空気のような文字を食わされても、腹はすいたままだからだ。帯にはこうある「破天荒、波乱万丈」 ひどくセンセーショナルなキャッチ。クソ喰らえだ。
だが、らもはらもだった。「今夜、全てのバーで」で出逢ったときのように、彼はそのまま自分の悲惨な体験をさらさらと語っていく。彼は小説家で、しかも良い小説家だ。頭がいいし、考えがある。その視線と視点で、自分の中をこねくり回していったセロトニンアセトアルデヒドについて、ただ語る。
それは彼自身が語った言葉を引用すれば「砂浜に流れ着いた乾いた骨のように」清廉なうつへの答えであるし、その言葉は「もどりが付いていて僕の胸から抜けない」 彼は言う。病院に行け、薬を飲め、他人に頼れ。
コバヤシという人間の精神病理体験については書かない。僕はらもほど強くないので、語りすぎるだろう。ただ、個人的な実感からいえば、確かにその通り、僕もそうしてじりじりと付き合って、ここにいるわけだ。
僕の好きな中島らもは、やっぱりいい文字を書く。そんな中島らもが僕は好きだし、これからも好きだろう。そう思った読書だった。少し、中島らもが好きなコバヤシの話になったのは、まぁご愛嬌ということで厚恕願いたい。