イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ジル・ドゥルーズ

クレア・コールブルック、青土社。シリーズ「現代思想ガイドブック」の一冊であり、アフターモダン文学と哲学の巨人、ドゥルーズに関するハンドブック。
先のホールの本と同じように、この本もまた回答を出さない入門書である。起源や本質を否定しながらも、仕切りのない混沌に陥らない、ドゥルーズの圧倒的な知性(とその難解)を読みほぐしながら、この本はあえて挑発的に、ドゥルーズに踏み込めと、呼びかける。
モダンが前提としてきた大文字の存在の崩壊を語る現象学構造主義もまた、その背中に実は大きなものを背負っている。カフカ、ウルフ、ニーチェベルグソン……。ドゥルーズはさまざまな作者「について」語りながら、その内側/外側に存在する「あるものがあるものとしてただある」場所「を」、ドゥルーズの知性のみがそれを知性的に、ポストモダンが多々批判される「無限後退相対主義」ではけしてない形を使用して、語る。
この本はそのような存在としてのドゥルーズを、簡潔にまとめたハンドブックである。ドゥルーズの著作は広範だし、膨大だし、難解である。言葉にすれば逃げて行ってしまうような、それでいて、とても困ってしまったことになっている僕らの周りの世界と僕ら自身への凄まじくクリティカルな言説。その、困難なドゥルーズの言説と、そこから生成していく僕らの「あるということ」への思索の入り口として、この本はとても優れていると思う。
ポストモダンは、ファッションとして消費された。今は、ダサい、そうだ。でも、僕はそうは思わない。ポストモダンの思想家として、1980年代から積極的に著述を繰り返している人たちは、とても誠実に、僕達のことに付いて述べている。「僕達のこと」だ。それは切実で、たとえば朝ごはんに食べたハムエッグの味と繋がっているような、そんな事象だ。
そして、ドゥルーズほどに(圧倒的な難解さを確かに孕みながらも)「僕ら」が建っている場所にコネクトしている哲学者=文学者はおそらく、いない。彼の理論どおりに、彼は常に書き、語り、述べた。ドゥルーズは常に、一体のアクチーブだった。そんな、稀有な存在であるドゥルーズへの足がかりとして、この本はとても良い。名著。