イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

武士道の逆襲

菅野覚明講談社現代新書。「大和魂」でも「士道」でもなく、「武士道」についての本。例によって親父殿が買ってきたのを脇から略奪して読んだ。前回読んだ同じ作者の「神道の逆襲」はセンセーショナルなタイトルながらも足腰のしっかりとした丁寧な神道論であったので期待しながら読んだ。
期待通りだった。江戸太平期に儒教をバックボーンに成立した「士道」でも、富国強兵策のための名分として捏造された、新渡戸稲造的「大和魂」でもなく、今昔・平家から甲陽軍監、そして鍋島の葉隠れと、戦闘者としての武士がその拠所とした「武士道」を、丁寧な記述と腰の据わった資料との四つ相撲で分析している。
戦場にて殺し殺される存在として己を位置づけ、そのために在り、そのために名と家を惜しむ武士という存在。その生態が自動的に導いたのは「死ぬときはよろしく死ぬ候」とでもいうべき、死の否特権化である。
それは異常である。ここを間違えてはいけないと、僕は思う。どうしようもなく西洋倫理が魂の後ろ側までこびりつき、飯の食い方まで西色に染まった今の僕(たち)にとって、武士の死に方はやはり異様、なのだ。なんの躊躇いも気負いも無く死ぬその態度を、安易に判った、といってはそれは不誠実だ。
この本はその異様性を十全に意識し、武士道をあくまで(現在価値観から見て)異様である、とする。しかしその異様には、価値の上下はない。ただ違う、ということであり、作者の(そして僕の)興味は「いかにして」違うかということにあるのだ。
その問いには、作者の学者としての分析力・資料読解力・筆力が遺憾なく答えている。古典資料に直接当たりつつ、現在の武士道理解をも的確に解体・分析・比較しつつ、豊かな語り口で武士道の「異質さ」を取り上げてきた。安易な武士道講釈本がはやる中、あくまで学究の方法論でしっかりと編み上げられこの本は、筆者の卓越した構成能力で非常に読みやすく、身のあるものになっている。名著。