イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

民族昆虫学

野中健一東京大学出版会。人間と昆虫の相互作用に関する学問の本。サブタイトルの「昆虫食の自然誌」が示すように主に食用昆虫について述べているが、他にも薬用、娯楽、服飾などさまざまな側面から関係を探っている。なお、ここから先虫の話が続くので、そういうのがだめな方は読まないほうがいいだろう。
なかなか耳慣れない学問ジャンルであるが、筆者は地理学を基礎として、虫と人の関係を探るこの学問の専門家になったそうである。人間→昆虫の関係だけではなく、昆虫→人間、昆虫←→人間の相補的な関係を、フィールドワークをメインにした手堅い研究で纏め上げている。その研究は空間的にも質的にも幅広く、工業文明化があまり素進んでいない南アフリカ周辺、半工業化社会といえる東南アジア(中国南部からタイにかけて)、そして国内ダルが故に大量のデータを採取することが出来た日本の中部地方と、幅広い領域に及んでいる。
その幅広さは空間的な広がりだけではなく、工業化による生活習慣・周辺環境の変化と昆虫との関係(主に食をこの本では取り上げている)の変化の相関関係や、地域/民族集団ごとの昆虫との関わりかたの違いなど、一学問領域としての堅牢な視座を備えている。「虫食い」というともすればオリエンタリズムに汚染された見方をしてしまいがちな行為を主題にすえながら、誠実な聞き取りと取材を徹底し、研究対象となる社会において昆虫はいかに発見され、採取され、利用されるのかを鋭く調べ上げたデータは非常に信頼が置ける。
生物学と近接する領域だからなのか、環境を利用し、同時に環境に依存する相補的存在として人間を捉え、環境の一つの表れとしての昆虫を人間の活動の中にどう取り込んでいるのか、を丁寧に追いかけた視座は標本収集的な人類学とは一線を画している。南アフリカの昆虫食の衰微と狩猟生活から定住生活への変化、中国南部における蝶採集の発展と国家規制による衰退、中部一帯に広がりながらもさまざまに様相を変えているクロスズメバチ捕食の調査など、丁寧な調査に裏打ちされた多様な研究成果は、しっかりとした学問所特有の硬さを供えながらも、噛み応えのある内容でぐいぐいと読まされた。
民族/昆虫学というタイトルに偽りはなく、昆虫と言う窓を通して行われた丁寧な民族研究であり、かつ誠実な調査が少ないテーマへの貴重な学究書である。硬い文体と分厚い資料報告は少々飲み込みにくいが、それを補って余りあるパワーに満ちた本。名著。