イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/08/01

 

・ 残響のテロル
相変わらずザックリと進むアニメだが、今までニヘラニヘラしてるだけだったテロルマシーン二号ことツエルブが、リサに対し積極的に動いたのは良かった。
「クイーンは捨てるべきだったな」というナインのセリフに示唆されているように、リサが瑕疵になってスピンクスは首を落とされるんだろうなぁ。
人道テロで大暴れしたキャラクターが勝ち抜けされても困るんで、終わりの形をチラチラ見せてくれるのは覚悟が決まって助かる。
金魚鉢の底みたいな風景で、閉塞感と開放感を混ぜあわせて狂った青春期を駆け抜けてる彼らの姿は、結構好き。

そしてツエルブが同い年の女の子とロマンスする中、ナインは髭面のオッサンとネット越しに分かり合ってた。
キミは本当に破滅願望強いな……こういう部分でも、ヒドい終わり方しそうでワクワクする。
そして柴崎さん以外の警察の脳髄が完全に揮発しており、ちと緊張感が無くなってるのは困りもの。

話の作り方が深夜アニメとは別のメソッドで仕上がっているのにも、さすがに四話目ともなれば慣れる……というか、アニメの絵でこういう譜割りするのは、なかなか新鮮でいい。
柴崎さんの<神話知識>18が唸り過ぎとか、悪い意味で実写っぽい警察描写とか、引っかかるところは多分にあるが、じわりと人間関係が進展しているのはいい意味で実写ドラマっぽくてグッドだ。
土台をじっくり整えて、そろそろ飛躍がほしいところだが……さてはて、どうなるかな?

 

・ アイカツ
最終決戦に向けて、いちセイとWM双方の説得力を貯める回。
というか、あおい&きぃのプロデューサーチームが、お互いのお嫁さんを自慢する回だった。
お前ら、絶対最初から自分の嫁ねじ込むことしか考えてねぇだろ……。

迎え撃つ立場のWMは、とにかく美月さんが敗北を知りたくてしょうがなかった。
サードシーズンで現役復帰して以来、美月さんからファンへの義務感や自分の才能へのプライド、業界への奉仕意識は見えても、「神崎美月はアイカツを楽しんでいるのか」という疑問が常に湧き出るわけですけども、イイ塩梅に悲壮感出てて決戦の必要性は出てた。
それがいい事なのか、それとも悪いことなのか。
最早俺には分からねぇ。

今回も正解は主人公いちごが見つけていたが、二期もツメに入ったこのタイミングだと、「違っててもいいんだよ!」はセイラに言わせたほうが良かったように思う。
色んな物のしわ寄せを一身に受けた結果、せいらはぶっちゃけキャラが薄く、クライマックスのステージに立つ説得力が薄い。
それは多分、今回みたいに基本他人の提案に頷き続けた結果だと思うわけで、そこをひっくり返して欲しかったなぁ。
髪型入れ替えの所とか、キャラのキャフフな空気は相変わらずいい塩梅に出てるんだが、それだけだとちょっと足らない印象。

 

・ 少年ハリウッド
一話で示唆されていた、キラが殻を破る話。
同時に三話によく似た初代の継承話でもあり、今回はダイチと社長。
夢を走り抜けている最中と、夢が終わった後の話を同時に描く、というのはこのアニメ全体のテーマなんだろうな。

キラは今まで出ていたサジェストどおり、ステージママの期待で雁字搦めにされ、"天才子役(崩れ)"という自己イメージの外側に出れないキャラクター。
夢を走り終えて未だ夢の途中の人物(つまり大人であるということですが)から、言葉を託されて問題を解決するという意味では三話と似た構図なのですが、トミーさんが芸能続けているのに対し、ダイチは大道具という別の場所に移っている。
なのでキラにとってダイチは初代少年ハリウッドのダイチではなく、「よく知らない大道具のオッサン」なんだけど、『看板を外したとしても、人生を導く出会いはある』と強調された感じがして、キラ-ダイチの関係は好きだ。

「夢の継承」というテーマでは、社長-二代目社長も凄く掘り下げていて、むしろ「このアニメ、社長が主人公なんじゃないか」と思うくらい。
少年たちの前では、かつて自分がそうされたであろう「圧倒的に意味不明で、圧倒的に正しい大人」を演じ続ける柊剛人にも勿論悩みや迷いはあって、でもそれをかつての自分の前に出さない矜持を持っている。
かつて自分をアイドルに導いた社長の夢を継承し、頑張っている社長を、同じ戦場で走り抜けたダイチが「よくやっているよ、お前は」と評価するシーンは、なんというか有りがたかった。
いやね、マジ社長はカッコイイっす、大人っす。


開放されるためには抑圧されていなければならないわけで、今回重要なのはキラが囲われている檻が、どれだけ強固なのかという描写。
このアニメの強いところである『派手さのない、スムーズなダイアログ』が親子関係の描写でも生きていて、「お母さん……いや判るよ凄いイイ親だってのは……でもそのなんだ……」という生々しいリアクションを引っ張りだされた。
敵意や害意ですら、自分にコントロール可能な「望ましい反発」として好意的に受け止めてしまう相手に対する、圧倒的な暖簾に腕押し感が良く出ていました。

その上でお母さんがかけた金銭や愛情、好意はマイナスなだけではけしてなく、キラの人生を支えてきた重要なパーツでありまして、それを否定することなく「借りた言葉は、利子つけて返せ」という印象的なセリフで発展的な解決法を示したまとめ方は、凄く良かった。
ただ抑圧に反発して成長するのではなく、抑圧が愛情でもあり、愛情が自分を縛ってもいたと気付くことで、ようやく全てに対する演技をやめて「セリフの一歩向う側にある場所」に辿り着けるという構図は、物語が盛り上がる上で必要な止揚を非常に綺麗に内包していて、カタルシスがありました。
24分でこれだけの要素を十分見せて解決する毛並みの良さは、やっぱ少ハリタダもんじゃねぇなとつくづく思う。
実は今週ハナヤマタにしてもFree!にしても、「親との距離感」をテーマにした青春期のお話が連続しており、アニメ・制作スタッフ事の捉え方・表現方法の違いを見比べるいいタイミングだなぁ、などと思ったりした。

これでキラ少年は道を見つけ、夢に飛び出すことが出来るのでしょうが、少年ハリウッドとしての夢の舞台はまだまだこれから。
とりあえず来週、初舞台という形でビッグイベントが待っていますが、さてはて何が起こるやら。
やっぱおもしれぇな少ハリ。

 

・ Free!
『渚くんの自己改革、もしくは岩鳶水泳部を覆う灰色の雲』という感じのお話。
親の言うことをよく聞く"いい子"として抑圧されてきた渚くんが、キャラを脱ぎ捨ててむき出しになって、最も身近で親しい"世間"である親と戦う決意をするまでのまとめとして、よく出来ていた。
「ニコニコ元気な弟分」という仮面の奥に、なんか隠してるんだろうなぁコイツ……と思わせるキャラであったが、やっぱ腹に一物持っておったか。
そういう部分が表に出れば即座にキャラを掘り下げたことになる、とは言えないが、少なくとも問題が顕在化し、社会との折り合いも付けたのは、渚という少年にとっても、Free! という作品にとっても成長だと思う……後者は『思いたい』のかな。
今回提示された社会性への眼差しが、最後まで完遂されるか否かは、最終回まで見てみないと分からないからです。


問題が表に出るまでも、表に出てからも、遥と真琴は基本的に渚を受け入れ、許容する立場にあるというのは、岩鳶水泳部を覆っている結界そのものを押し付けられる感じで萌えるより不安を覚えました。
思い出を共有していないが故に、必要なタイミングで踏み込み、必要なことをしっかり言える怜ちゃんが居てくれるのは、本当にギリギリのところで岩鳶が腐ることを回避させる肝だと思う。
とは言え一期の遥では先生に連絡もしないでしょうし、真琴の「とにかく場が荒れるのは嫌、みんな仲良くしよう」という目敏い動きも、裏を返せば"部の和"を維持する日本人的感性が鋭いってことですし。
利点と欠点は背中合わせ、ということかなぁ。

今回の話はかなり良くプロテクトされたお話で、例えば個人と個人の話し合いになるシーンの中身は描写されず、結末がギャグの風体をまとって提示されるだけ。
特に真琴が何をさておいても守りたい「みんな仲良し岩鳶水泳部」が壊れそうなマジの語り合いは、絶対に1-1ではなく、三人-一人の話し合いで行われているわけです。
そして、この3-1の話し合いでは、今までのお話で手に入れてきた「みんな仲良し岩鳶水泳部」としてのキャラクター的立場が、そのまま発話者としての立場にスライドする。

遥は他人に無関心な天才、真琴は空気を読める調整役、渚は場を元気にするトリックスター、怜はクソ真面目に本質を提示する。
これが『みんな仲良し岩鳶水泳部」としてのキャラクター的立場』を簡単にまとめたものですが、日常的コメディーのシーン(つまり今まで視聴者がFree!として受け入れてきた四人の関係性)と同じように、七瀬家での、もしくはプールサイドでの対話シーンでは、この役割に従った発話が行われます。
小学校時代の思い出を共有(共犯?)している遥-真琴-渚の三人では、お互いを傷つけ本音を引っ張りだしてしまう正論は出てこず、しかしながら親との関係、学業と部活というシリアスな問題は正論以外では片付かないので、しがらみの少ない怜が発話者になる、という基本構図。
思うに、別にこの話だけではなく、思い出から孤立しているがゆえに固定した状況を打破する"便利なやつ"として怜が立ちまわるのは、Free! という作品世界全てに共通する「いつもの立ち位置」でしょう。

プロテクトは他にも例えば、両親という社会と対峙する話なのにその姿は一度もカメラに捉えられないとか、徹底的に巧妙に張り巡らされていました。
Free! は様々な意味で「ファンタジーである自作」に対して意識的なアニメだと思いますし、今回の話に見られてプロテクトは、話がシリアスな方向に行ったので目立つだけで、作品全体に貼られた結界なわけです。
それは技術と意識を必要とするし、ファンタジーがファンタジーであることを心地よく維持してくれる、大事な部分だと思っています。


ただ重要なのは「結界を張って何を守るのか」ということで、それはつまり「ファンタジーを見せて何を得させるのか」という問いでもあります。
ファンタジーを維持するための都合の良さを維持するために、ファンタジーから引き戻されるほど都合の良いプロテクトを張り巡らし、結果作品への信頼感と没入を損なわれた(少なくとも僕はそう感じた)一期を見るだに、Free! が良く出来たファンタジーであればあるほど、ファンタジーを見せて何を得させるのか」という問いには、「ファンタジーを見せてファンタジーを見させる」という、永遠につづくトートロジー以外の答えが欲しくなるわけです。
手段が目的化し、目的が手段化する円環構造は、内側に入ってしまえば驚異的な気持ちよさを得られるのでしょうが、けして創作物に対し誠実な態度ではなく、誠実であることはあらゆる創作物が本当に面白くなる、非常に大事な条件だと思っています。

そういう意味では、如何に「いつもの仕事」だったとはいえ、心地よい共犯関係の外側から致命的に重要な問いを投げかけた怜と、そういうキャラクターを置いてあるFree! という作品に、可能性を感じる回でもありました。
怜と先生、そしてそこにコンタクトを取った遥の動きを見るだに、閉じていく傾向に抗う気骨は、鮫柄だけではなく岩鳶のキャラクター(そして彼らを動かす製作者サイド)にもあると、僕は受け取りました。
今回の話はキャラクターを大事にしつつ(何かというと「まぁその辺で」といって問題を棚上げし場の空気を維持したがる真琴とか)、青春期を扱うのであれば必ず必要な「外側」への視線が見られる、大事な話だったと思います。
これが僕の身勝手な受容ではないといいのですが、それもまた、この作品を最後まで見てみなければ、わからないことでしょう。
Free! はやっぱり楽しいアニメだと思いました。
これは皮肉ではなく、ネ。