イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/11/21

・ selector spread WIXOSS:第7話『あの嘘は傷跡』
今週のWIXOSSメガバイオレンス(物理)は腹膝蹴り1、腹パンチ1、腹キック1。
心へのダメージはだいたい全員、あきらっきーは重態。
そんな感じの硝子の檻・少女変、二期後半戦開始でございました。

開始1分40秒で見事なキッチンシンクが決まり、晶をボロクズのように捨て去ってからのウリスさん自分語り。
龍騎の朝倉というか、オモイデ教の中間さんというか、血みどろのグチャグチャの中で他人を傷つけることでしか、生を実感できないタイプのサディストでした。
効率がいいのでメンタル攻撃を好むけど、必要ンラ即効性のバイオレンスを躊躇わない節操の無さが生々しい危険性を強調しておりグッド。
いや最悪だけどさ……行動原理としてはわかり易いけど。

その欲望に飲み込まれる形でぶっ壊された晶ですが、キ印としての器が違ったというか、何というか。
『ボロ雑巾を一番惨めに見せる方法は飾ること』と板垣先生が行っていましたが、二期のあきらぶりー株価上昇作戦は見事なもんで、解っていた結論とはいえ心が痛い。
登場人物中一番の人格強者である一衣あたりが拾って、どうにかリカバーしてくれんもんか。


ほいで以って主役は、綺麗になったイオナさんに白いのを注ぎ込んだり、かつての相棒に腹パンチしたりした。
劇中一番のドブゲロ人間ウリスを敵に配置し、晶を贄にしてその残虐性を強調したおかげで、二期頭から罹患してたバトル恐怖症もなんとか克服し、ようやくスタートラインに戻った感じがします。
魔法少女と願望機というテーマ組だと、自己犠牲の独善性というのは絶対に扱わなければいけない問題であり、悩みの隘路をウロウロしたのはここら辺を扱い直すためだったのかなぁ、とか見ながら思った。

こうして思い返すと、ウリスさんがるぅ子のルリグになったのは、影の側から光を当てることで主人公の独善を削り落とすという大事な仕事をさせるためだったんかね。
タマ公が相棒だと、どうしても愛友情正義のキレイキレイストーリーに引っ張られていくわけで、闇が光に憧れる過程を描くことで、光の持っている胡散臭さと魅力が見えてくるというか。
2クール前半6話の総括っぽいバトルだったと思います。

そして綺麗になったイオナさんがadminの身元をパナしにかかったので、繭さん管理者権限でBANしにかかった。
いや知ってたけどさ、あなたがウリスとはまた違うタイプの根性ドブゲロ人間だってことは……。
タマにしても晶にしてももそうですが、イオナさんもまた低い印象から馴染みを持たせて高く上げるWIXOSS式演出法が華麗にキマってるキャラクターであり、横暴の犠牲になると心が痛むやね。

物理的脅威という意味でのBOSS・ウリスさん、クソみたいな詐欺システムの発案兼運営という意味でのBOSS・繭さん。
BOSSたちのオリジンが公開され、クライマックスに向かってまた一歩、破滅の足音を高めるWIXOSSでありました。
壊れてしまった晶の拾い方もひっくるめて、今後のまわり方がまた楽しみでありますネ。

 

・ 天体のメソッド:第7話『私のなくしたもの』
クールも折り返しを過ぎて、汐音ルート攻略開始という感じのお話。
とは言うものの、今回の焦点は母を取り戻すべく苦闘する乃々香と、兄貴攻略に奮闘するノエルなわけですが。
ノエルはホンマ、霧弥湖の中学生全員落とす勢いやで……。
素晴らしい。

このアニメにおいて怪獣の顔看板が『子供時代』のメタファーであることはかなり分かりやすい部類だと思うわけですが、湊太攻略では最前線に出てきて大活躍しました。
既に役目を終え、ボロボロで打ち捨てられた顔看板に執着しているのはノエルだけだし、こはるを筆頭とした三人娘はその執着に共感することなく、墓参りに行ってしまう。
しかし過去にしがみつく取り残された子供を放っておかないのがこのアニメでありまして、前回美味しい思いを一切しなかった湊太が、逆転満塁ホームランで華麗にポイントを荒稼ぎしていきました。
Gレコのラライアとノエルは、『俺の好きなこの子に優しいので、俺はこのキャラが好き』という感情を励起する意味合いで、似た仕事をしていると思う。

今回の湊太は顔をペンキで汚して必死に何かに取り組む子供でもあり、ノエルの頑是無い願いを魔法のように叶えてあげる大人でもある、過去と未来の中間に立っている存在なわけです。
その前後に伸びる眼差しというのは、このアニメの基本的な動作ラインであって、様々なキャラクターが様々なシチュエーションで、大人と子供、もしくは過去と未来の間で迷ったり、バランスのとれた行動を取ったりする。
今回で言えば、乃々香の心の整理がつくまで墓参りへの同行を強要しなかった父と、カレーを焦がしてしまうダメな父は同一の人物なわけです。
『相矛盾するようにみえる大人と子供、成熟と未熟、過去と未来は一つの人物の中で同居していて、相補的な関係にある』というのがこのアニメの人格の捉え方の基本だと思う(そして僕はそこに強く共感している)わけですが、今回の湊太はどちらかと言えば『子供の心を忘れない大人』的な描かれ方をしていたと思います。


一方、今回の乃々香は『大人になろうと頑張っている子供』であり、友人の助けを受けつつ、七年間心の底に沈めていた母の死を受け入れることが出来ました。
彼女にとって母の死が傷となっているのは、今までのエピソードで見せた奇妙に繋がらない回想シーンでも感じ取れていたことなので、決着が付いたのは良かったと思います。
柚季がいなければそもそも墓参りに行こうとすら思わなかったわけで、善因が善果に繋がってくれてるのは安心しますねホント。

受け入れた過去が未来につながる足場だとすれば、クッソ面倒くさい反応しつつも過去への縁を求めて墓参を欠かさなかった汐音との記憶が、母を受け入れたタイミングで思い出されるのも納得の行く流れ。
この後は回復した記憶を足がかりにして、汐音の止まった時間を動かしにかかるのでしょう。
あの子色々めんどくさいけど、乃々香好き過ぎて凝り固まってるだけなので、キツイの一発ねじ込めば行けると思いますよ。
前回ノエルが可愛い爆弾投げつけて、貫通しやすい環境整えてくれてるし。
……今回も重要なメッセージを中継してるし、ホントノエルの人たらし能力は凄い。

そんでもって、2つのグループが合流・分岐する形でラスト。
顔看板が過去のメタファーだとすれば、今回のラスト、継ぎが当たって塗り直され、「こういうのもいいよね」と打ち捨てられずに名残ることを許されたあの怪獣は、この作品でこれまで、そしてこれから思い出がどう扱われてきたかのメタファーでもあると思います。
それを受けて流星群の思い出にたどり着くのであれば、汐音の心の置所がどうなるか、安心して見守れるというものです。


……汐音の過去が動き出して、中学生たちの問題がだいたい解決した後、ノエルがどうなるのかはあえて考えないようにしてますがね正直。
ノエルは星宮いちご並に成功しすぎたキャラクターかなぁと少し感じていて、彼女が喪失されて物語に決着が付くには、深く刺さりすぎてるように思う。
『イノセントな過去に決着をつけて、また世界の美しさを思い出すことが出来ました! 有難う、そしてさようなら天使!!』という凡百な視聴者(つまり僕)が想定する終わり方をお出ししても、俺は納得しない。
ノエルを消すなら、消すに足りるロジック(このアニメならメソッドか)を提示してくれないと困るけど、このアニメならこっちの矮小な予想を飛び越えてしてくれるとも思ってます。
俺がノエル好き過ぎて頭おかしい人だってのも知ってるよ、ウン

そういうハードルの上げ方をしてしまうアニメってのは稀有なアニメでもあって、そしてこのアニメは、少なくとも僕にとってそういうアニメなわけです。
丁寧に地ならしをして、心残りと仲直りをして、さぁこれからは汐音だ。
続きが楽しみです。

 

・ アイカツ!:第109話『アイカツのアツい風!』
「そうだな……『スペインに吹く熱風!』という意味の『紅林珠璃』というのはどうかな!」とシュトロハイムが言ったか言わないか、アンダルシアからやって来た四人目の女のお披露目回でした。
出だしからして1・2年目のアイカツ!を思わせる、濃い目でアップテンポなキャラであり、このまま行くのかなーと思いきや、3年目らしい深い闇を抱え込んだ女の子でもあり。
凄く三年目のアイカツ!らしいキャラでした。


登場シーンからして奇っ怪なフラメンコポーズ→出崎バリの三パン→「熱いッ!」という定形を三回繰り返し、「あ、キチガイだ。アイカツ! だ」という印象を強く受ける珠理ちゃんですが、その内面は異常に複雑で怪奇だなと感じました。
三年目のキャラクターはどこからし欠点を持っていて、多かれ少なかれ挫折を経験しているわけですが、今までのキャラとはまた異質なマイナスの付け方であります。

『なりたい自分になる』というのはアイカツ! というか女児向け変身モノで幾度もリフレインされる重要なテーマであり、全キャラクターがこれに立ち向かって自己を確立する重要な要素。
あかりちゃんならダメな自分を乗り越えて出来る自分に、スミレちゃんなら人見知りなワタシから外交的なワタシに、ひなきちゃんなら新しさの再獲得。
3年目のメンバーもやはりこのように『なりたい自分』を持っていて、というか欠点と挫折が明確に描写されているからこそ、1・2年目よりも強く『なりたい自分になる』というテーマは表に出てきていると思います。
その上で、珠理ちゃんは『なりたい自分がない』……というか、『母親と同じ人間になりたい/なりたくない』という相反する願いから、彼女の物語をスタートさせているように思えます。


時系列に従って、紅林珠理の行動を並べなおしてみましょう。
大女優の母を尊敬し、その庇護のもと素直にアイカツ! に励んでいた子供時代。
ここを起点として、少し成長して母の偉大さを知って取った行動は『最低限のスタートラインに立つまで、徹底的に鍛錬する』というストイシズムに溢れたものでした。
カール・ゴッチが見たら、即座に弟子にするレベルですね。
幼くして「このままでは母の足元にも及ばない」と自覚する賢さと自己評価の低さは、ちょうど今回シナリオコネをふられたひなきちゃんにも似ていて、どこか寂しい。

かくして己を高め、13歳にしてようやく「そろそろ良いかな」と自分に許可を出し、やって来たスターライト。
『七光は嫌だ』『私を見て』と口にする割には、フラメンコ+エキセントリックキャラで推し続ける序盤の彼女は、一見矛盾しているように見えます。
しかし、彼女が崇拝域にまで達したあこがれを母に抱いているのは、幼児が自分に課すにはストイック過ぎる彼女の歴編を見れば、一発で判る。

『母を愛し憧れるが故に、安易には母の影を踏むことすら出来ない』
『それを自覚して距離を取ろうとしても、結局己の中の母へのあこがれに絡め取られ、同じ形を取り入れてしまう』
『母ではなく自分自身を見てほしいという願い、母と同じ人間で在りたくないという望みも、母への憧れと同時並列に存在している』

紅林珠理とその母、紅林可憐との関係は、強烈な捩じれの中にあって、複合的な距離感を持っています。
そして、紅林珠璃は母親へのコンプレックスをどうするのが政界なのか、どうすれば矛盾を止揚し新しい道を見つけることが出来るのか、解っていない。
解っていないが故に苦しみ、それでも愚直に鍛錬を積み、年単位の時間を過ごしてようやく「そろそろ良いかな」という自認を手に入れた珠璃ちゃんは、笑える見かけよりも遥かにセンシティブだと思います。


そして紅林珠理のコンプレックスを受け止める立場にある母は、あまりに大人物過ぎ、優しすぎるきらいが、今回の描写から感じ取れます。
それは忙しい中時間を作って娘の初挑戦を見に来る姿だとか、大女優という立場を自覚せず現場に隠れてやって来てしまう描写だとか、それが数年間ストイックな修行を積み重ねてようやく世界に出る娘に与える影響を見取れない演出だとか、そもそも娘の意思を最優先して休業をすんなり認めてしまう様子だとか、様々なシーンに見え隠れする。
頭を撫でられたあのシーン、珠理ちゃんはもしかしたら「あなたはお母さんの子供なんだから、演技を続けてみたら?」と言って欲しかったのかもしれません。

應用で優しく、無限大の人間力で自分を包み込んでくれる母という毛布。
その心地よさに背を向けたくて南斗水鳥拳のレイみたいな奇怪なムーブを取り、エキセントリックな人格を再構築したのだと思います。
なにしろ、ひなきちゃん曰く「昔はもっとぽわぽわしてた」のですから。
珠理ちゃんの足掻きは一見面白く見えて、寂しく哀しく必死で、とても大事なものだと思います。
この『強張ったもの悲しさの強調』は、3年目のアイカツ!全体の大きな特徴です。


こうして道化師の仮面を被り、天才の息吹を捏造して、紅林珠理はアイカツ!というアニメに登場します。
歪みと捻じれを抱えたまま、かつて同輩だったひなきにも頑なな態度を取り続ける珠璃ちゃんを、しかしアイカツ! は放っておかない。
此処で仕事をするのが主人公というものであり、そして大空あかりはそれはもう大した主人公なわけです。

あかりちゃんはバカなので、珠璃ちゃんが抱え込んでいるコンプレックスの背景や作用、影響などは理解していません。
しかし天才でもあるので、珠璃ちゃんに一番必要な天才の言葉を直感で理解し、相手の心に届けることが出来るわけです。
天才の言葉は魔法のようなもので、年単位で拗れたコンプレックスでも、それを糸口に止揚への道を見つけることが出来る。
今回で言えば「珠璃ちゃんのアイカツ!先生とお芝居がしたい」という言葉が、天才の言葉に当たります。

これが珠璃の心に届くシーケンスは、ストイックにあかりちゃんのキャラ限界を守っています。
「珠璃ちゃんのアイカツ!先生とお芝居がしたい」という言葉から、「紅林可憐の娘でもなく、紅林珠理でもなく、アイカツ!先生なんだ」という結論を導くのはあくまで珠璃ちゃんであり、バカなあかりちゃんはその意味するところを一切自覚しないまま必要なタイミングで、必要な言葉をかけている。
スミレちゃんの時もひなきちゃんの時もあかりちゃんは天才的言動をしているわけですが、その意味を自覚しているシーンは無いです。
万能の天才・星宮いちごを真ん中に据えた物語とはまた違う物語を作っていこう、という意欲と、それを実現するの細やかな演出が光る描写かと思います。

こうして一つの答えにたどり着き矛盾を解消した珠璃ちゃんは、当然のように成功を手に入れる。
一見あっけなく見えますが、その裏にはおそらく就学以前から自分を戒め、人格を変えるほどの孤独な修練がある。
その長い年月をたった一言で解きほぐしてしまう、愚なる天才との出会いがあるわけです。
そういう出会いの貴重さ、素晴らしさを真剣に描いてるこのアニメは、やっぱ良いアニメだと僕は思う。


オーディションを終えた後、母との対話のシーンを見ていても、珠璃ちゃんの捻れたコンプレックスが一段回解けたのは見て取れます。
演技の仕事を辞めると言った子供時代には頭を撫でていた母の腕が、今度は一回止まってから手を取っている。
それは母が珠璃の成長と人格を認めたということであり、憧れと親愛の気持ちはそのままに、お互いの距離感を変化させる第一歩を成功裏に踏んだということでもあります。

今回示された紅林母娘の関係性は、おそらくアイカツ!史上最も拗れたものであり、これを回避するためにりんごさんは仮面アイドルだったのかなぁ、などと思うほどです。
正直今回の描写だけでは、珠璃ちゃんが偉大過ぎる母の影響から離れ、『なりたい自分』を見つけ、辿り着くには足りません。
がしかし、例えばスミレちゃんの変化を見ていても判りますが、3年目のアイカツ!は抱えた矛盾や欠点をしっかり描写すること、そしてそれを緩やかに変化させていくことに関して、強く意識的であるし成功もしている。

この後紅林珠璃と、彼女を取り巻く優しい人たちとが、どう変わっていくか。
それに強く期待できる、素晴らしいデビュー回でした。
いやー、ホントハズさんなぁアイカツ!は。