イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/12/31

・神撃のバハムート:第12話『Rage of Bahamut
『冬アニメ最終回の、可愛い女の子が消えてしまう方』こと神バハ最終回でありました。
真ん中に総集編は挟んだものの、第一話で見せたクオリティを落とさないどころか、更に跳ね上げるようなリッチな走り切りを見せ、無事完走してくれました。
コンテ演出に山下明彦さんを引っ張ってきた結果か、ややジブリっぽいモーフやアクションがちらほら見えて面白かったです。

最終回も神バハらしいてんこ盛り具合で、開幕三十秒で死亡フラグを立て一分で回収するベルゼビュートさんの仕事っぷりは笑いが止まらなかった。
起こってることだけ見ると駆け足なんですが、油断を咎められて無様に死ななきゃいけない理由を事前にしっかり積んでいるので、唐突感はなくガッツポーズだけがあるというマジック。
キッチリ死体殴りキメて、アザゼルさんもシリアスキャラに返り咲いたしな!!
……ホントそれでいいんですか、アザゼルさん

もう一つの巨悪マルチネとの決着も、ファバロの復活劇やら賞金稼ぎの腕輪ギミックやら、二重三重に盛り上がるポイントを仕組んだ手早くも満足感の高いもの。
チャンバラを見せるだけで、すでに正気に返っていると判る演出力の高さは、やっぱスゲェぜ。
このアニメの世界律だと、正面からのパワー勝負だと人間は神魔には勝てないわけで、親友の腕を切り落とす覚悟(此処でリタの台詞をリフレインさせているのがニクい)込みでのビッグトリックで、ファバロらしい勝ち方をするこの決着は無茶苦茶気持ちよかった。
やっぱ小憎らしい悪役にいいように蹂躙された挙句、弱っちい人間が知力と覚悟で横っ面を殴り飛ばす展開は最高やな。


早々に人格のあるボスとの決着を付けた後は、バハムートという荒れ狂う暴威……というか、運命の翻弄された幼子アーミラ救済という真実のミッション開始。
バッカスはおろかハンサにまで活躍の機会を与え、右に左にの大立ち回りも楽しかったですが、何よりも最後の最後で切ってきた『ファバロの大マジ顔』が心を沸騰させてくれました。
ファバロは常に軽妙で小ずるく、薄汚い男として描かれていました。
頭も赤アフロだし。

しかし最終決戦の局面においてはじめて、最初は視聴者もバカにされていたアフロがストレートになり、表情の描写もドストレートな美青年に変わり、『あのファバロが一切ふざけていない』という異常事態が発生するわけです。
これは11話我慢して我慢して、タメにタメた結果として刺さる、ストイックな演出だったと思います。
親の敵と対峙した時ですら軽口を忘れなかった男が、大真面目になるほど『アーミラを消す』という決意は一大事なわけです。


『ストイックであるが故に刺さった』というのはラストのキスシーンもそうで、あれはアニメ史上に残る名シーンだと思うわけですが、11話に至ってファバロとアーミラの間には分かりやすいラブシーンはない。
彼らの関係は兄と妹というか、庇護者と幼子というか、どちらにせよ男女の関係が深まるようなイベントは皆無でした。

しかし血沸き肉踊る冒険の旅を共にする内、アーミラの天真爛漫さにファバロが、ファバロの洒脱な優しさにアーミラが、お互い惹かれ合っているのは台詞ではなく実感として視聴者には分かっている。
彼らの冒険には、視聴者も同行しているからです。
この感覚を生み出すことができる事が、神バハがリッチなアニメである最大限の利点であったと思います。

一切の説明なく、しかしそうするしか無いと視聴者が心から納得できる関係の変化。
しかしそれは永遠の離別に近しい、哀しいキスでもあるわけで、せり上がってきた喜びとこみ上げる悲しさが合体して、もうどうしていいのか判んない所まで心が持ち上がっていく。
もしそれまでの話の中で、一言でも「俺……アイツの事……」とか言わせていたら、ここまで刺さる盛り上げは出来なかったでしょう。
『今までの映像見てりゃわかるし、視聴者の首根っこ掴んで画面を見させる力がこのアニメにはある』という確信がないと、とても出来ないシーンだったと思います。


最後の決断はいわばマルチネに勝利した裏返しでして、『矮小な人間は、神魔のチカラを左右出来ない』という世界律は、けしてひっくり返すことは出来ないわけです。
そういう残忍な世界の中で、こ汚いどチンピラが旅の仲間であり、惚れた女でもある幼子にいったい何ができるのか。
代償として足も吹っ飛ぶし、お釣りで世界も救えるけど、重要なのは『ちっぽけな人間が、決意を見せる』ことなのです。

最後ファバロが義足になってるのは、腕を失ったカイザルとの対比にも為っていて、巧い作りだなあと思います。
「可愛い可愛いアーミラちゃんが消えちゃったのに、男衆はノンノンと生き延びんの?」という疑念も、足一本払ってればある程度納得いきますしね。
……話として収まりが良いし、悲劇で感動させてやるぞ! みたいなイヤらしい意図も感じなかったので納得はしとるんですが、それはさておきアーミラ嬢にはもっと生きてて欲しかったな……。
いや判ってんねんで、生き残ったらダイナシいうんわ……しかし……かかし……(似非大阪人インストールで処理ループ発生)

ともかく世界を救い、神におもねることなく真の騎士となったファバロは、ケチで小汚いチンピラに戻り、美しい水道橋の上をひた走るわけです。
第一話で『ハー、サイゲーム? ゼニゲバのクッソ汚いソシャゲ会社のアニメっしょ?』と舐め腐ってたアニオタの横っ面を、作画で張り飛ばしたあのシーンに、しっかりと戻ってくる。
行きて帰りし物語』というお話の基本を抑えて、爽やかな風を吹かせて終わってくれました。
良いアニメだった……。


振り返ってみると、『とにかく面白いものを見せる』『スカッと楽しんで、最高にいい気分になれるアニメを作る』という気概を持ったスタッフが、有り余るゼニを適切に与えられるとどうなるのか、その答えでした。
総べてにおいてリッチなアニメで、作画効果美術は言うに及ばず、音響とBGMまで徹底的に分厚い。
そして、その分厚さが物語の中でしっかり仕事をしていて、台詞の水気を絞り切れ味の良い演出を生み出す仕事を、しっかりしている。
巧さが上滑りせず、物語の中に居場所があるわけです。
それはファンタジーというジャンルとも大きく関係していて、異世界をまるごと製造できるのであれば、これほど胸の踊る分野も無いんだなと、再発見させられる思いでした。

そういうリッチな世界の中を、自由にファバロ一行は駆け抜け、旅の洗礼を受けながら変化していく。
細かい仕草でキャラクターを見せるのが巧かったので、微細な変化もしっかり視聴者に届き、どうしようもないクズがだんだん変化していくドラマ、石部金吉のリーゼント野郎が柔軟さを手に入れていく過程を、丸のまま楽しむことが出来た。
ただただアクションを見せる、世界を見せるのではなく、あくまで足場をキャラクターにおいて、成長の物語という背骨を崩さなかったのは、本当に素晴らしかったです。

特にアーミラの無垢さ、優しさは丁寧に描写されていて、過剰な力を持った危うさ、背負わされた運命の重さといったカウンターウェイトも相まって、見事なヒロインでした。
いやまぁ、俺の好みのど真ん中にピンズドってのはあるけど、それを差っ引いても、物語が進行するモチベーション役として、主人公が変化していく触媒として、凄く仕事をしていた。
はー……いいヒロインだったなぁ……でもなぁ……(ループ発生寸前)

リタを筆頭にバッカス、ジャンヌといったサイドキック、まさかの伏兵ミカエル様などなど、キャラクターの扱いは端役に至るまで気が利いてました。
悪役としても凄まじく憎たらしいマルチネに、策士策に溺れたベルゼビュートさんなどなど、安心してBOSSを任せられる連中ばかり。
キャラの座組が丁寧かつ綺麗だったなぁ。


バトル物・戦争者としてみると、『神か悪魔の力を借りないと、神と悪魔には人間は勝てない。ただし正面からは』という基本ルールを最後まで守り、超絶パワーでぶっ飛ばす気持ちよさも、小気味良い策略で裏をかく楽しさも、両方大事にしてくれた印象です。
光弾撃ちまくり建物壊れまくりの超神話バトルも、様々なテクニックが行き交うチャンバラも、トリックで一本取る頭脳戦も、とにかく圧倒的クオリティで全部盛りという贅沢さ。
それがキャラクターの表現にも繋がってんだから、ホントリッチよ、このアニメ。

『とにかく面白いものを見せる』ということがどれだけ大変で、どれだけ素敵なのか、思い出させてくれたような、胸がすく快作でした。
いやー、いいアニメを見た。
ありがとうございました。

 

・天体のメソッド:第13話『はじまりのそらから』
『冬アニメ最終回の、可愛い女の子が帰ってくる方』こと天メソ最終回でありました。
時間をたっぷり使い、情感をこれ以上ないほど醸しだしてノエルが帰ってくる話。
纏めてしまえばそれだけの最終回なのですが、ほんとうに必要なこの24分間を引っ張ってくるために今までの12話が用意されていたわけで、一切の問題も文句もねぇ。
素晴らしいアニメだった。

結論が出た所で『ノエル帰還記念第円盤祭り』でも開催したい気分ですが、ひとまず13話の感想から。
前回凹むフェイズは済ませておいたので、残りの時間は柔らかな情感や豊かな世界、綺麗な汐音の余裕っぷりなどを魅せつけるのに使ってました。
あと全体的に衣装がイヤらしかった……現役JC達はさておき、ママンなにそのエロゲみたいな縦セタ……。
改変後の汐音が脅威のグイグイ系レズとしてガンガン行っていて、手は自分から繋ぐし、ノーモーションで泊まりに行くし、自分としては『おめでとう、飯能とか流川とか行ったらどうかな?』としか言いようがねぇ。

汐音の麦わら帽子の飛び上がり方が露骨にUFOだったり、最後までメタファーとしての仕事を完遂した顔看板だったり、世界が移り変わる象徴である向日葵(花言葉は『何時もあなたを見守っています』)だったり、アイテムを有効活用した演出のキレも今までどおり。
物品に大量の意味を込めて、時間を圧縮するテクニックはこのアニメ、不動の第一戦術だったなぁ。


そうして圧縮した時間は、作品世界の豊かさを高めるためにずーっと使われていた。
天文台で円盤を呼んだ時、というか兄貴が「でも心のなかに穴が開いて、イライラするんだよ!」と叫んだ瞬間にノエルの帰還は完了してたわけで、そこら辺もまた、13話続いていた劇作の方法論から出ない見せ方。
根本的に、このアニメは心の置所が定まれば問題は解決するお話であり、意味分かんないことをほざいている乃々香の苦悩に共感しようと三人が決めた段階で、ノエルが帰還する条件は整ったわけである。

むしろ豊かさを描写する時間を稼ぐために、あえてシンプルで夢見がちな問題設定をしている部分すらあって、でもそれは現実の厳しさを描いていないとか、非人間的な物語が展開されているとか、そういうことではない。
心象と現実に優劣はなく、あるのはあくまで相補的な関係。
心のあり方が整えば、それこそ死ぬほど面倒くさい女の子として11話過ごした汐音が、円盤のない世界で見せた頼もしさのように、現実世界での立ち回りも変わってくる。
五人の心がにっこりになって、でも六人ならもっとにっこりになれるというのであれば、ノエルも帰ってくる。

そうして手にれた世界は豊かで、穏やかで、魅力的で、心を更に豊かにしてくれる。
相互侵犯的に世界は書き換わっていって、より良くなっていく。
顔看板も傷を思い出し、円盤が無くなった世界でも、円盤がある世界で手に入れた思い出と、それを導いてくれた女の子は消えなかった。

それは理想論かもしれないけど。
結局のところ、現実の激浪が全てを飲み込んでいくのかもしれないけど。
僕個人としては、信じてみたくなるお伽話だ。

そんな感じで、可愛い可愛いノエルちゃんは青年たちの真っ直ぐな努力と、手に入れ直した素直な思いで帰還しました。
湖には沈みませんでした。
これしか無いエンディングに、迷いなく突き進んでくれたスタッフには感謝の言葉しか出ねぇ。
あー、良かった……。


終わってみると、非常に素直で、かつ野心的なアニメでした。
ノエル達が過ごした日常はとても柔らかく、キラキラして魅力的です。
この優しい時間は圧倒的に久弥直樹という人物のサンデーパンチであり、色んな人が魅入られ真似しようとして果たせない、一種の呪いみたいな強さを持っていたと思います。
エロゲーがジャンルとして隆盛し衰退し、別ジャンルにその種子を運んで大体15年。
『エロゲっぽさ』『エロゲの良さ』の(控えめに見ても)大きな部分を生み出した人物が、自分の強さを徹底的に洗い直し、再生産したことが、このアニメの第一の強さだったのではないでしょうか。

少しエキセントリックな台詞運び、過剰な感傷と優しさ、心象と合致した風景の使い方。
僕がかつて魅了された強さは相変わらず天メソにもあって、しかしそれは無論、昔と同じことを何も考えずやればいい、というわけではない。
そこには『画面に何を写し、視聴者に何を感じさせるべきか』という映像の基本がどっしりと横たわっているわけです。
これを果たすためには、演出を考え、レイアウトを工夫し、美術に魂を入れ、シーンごとの雰囲気を的確に醸し出し、視聴者に届くようにアニメを作らなければいけない。
そしてこのアニメは、その単純で困難な行為に圧倒的に成功している。


良さを生かすためにゼロから作り直すという意味では、天体のメソッドの『子供時代』の扱いは、過去作から大きく変化していると感じる。
久弥直樹という人の作品にはどうしても、美しい過去へのべっとりとしたノスタルジア、今・ここにある現実を苛烈なものと認識し、過去と繋がった未来を夢想する遊離が存在している。
別に選んだわけでもなく時間が勝手に流れて、昔の遊び場から追い出されて流れ着いてしまった、流刑地としての現在。
そういう認識を、僕は幻視していたのである。(そして、それに強い魅力を感じてもいた)

天体のメソッドで特徴的なのは、子供時代の無力さを肯定する描写だ。
花火屋に連絡しても打ち上げ花火は飛ばないし、円盤反対のプラカードを掲げても世間は冷たい。
しかしそれはそれとして、彼らが社会に接続しようとする働きかけは幾度も描写される。
彼らは家業を手伝い、留学や転校を決意する。
普通の生活の中で選択可能な、普通の行動を積極的に取っていく。
それはドン・キホーテの風車めいた空回りだけではなく、地道な性悪を回収できる、当たり前の社会活動として描写されているのだ。

天体のメソッドはお伽話だ。
それはUFOが出てくるとか、世界が優しさに包まれすぎているとか、そういうことだけではなく、ほぼすべての重要な問題が心の置所で解決する、心理優位な世界構造故だ。
しかし同時に、彼らは夢や心だけを重視するのではなく、現実という流刑地で時間に押し流されつつ、その果てにある大人という立場に向けて準備をし、それを肯定していると、僕には思えた。
そしてそれは、なかなか風通しの良い世界の見方だと、とても好きな価値観だと思ったのだ。
すべてが終わった街に、円盤はなく、ノエルはいるのだ。


キャラクターの話をすると、まずノエルになる。
物品に多数の意味を込めていたこのアニメだが、人物としてのノエルも非常に多義的な存在だった。
彼女は失われた母親(「お母さんの揺り椅子に座っていた」)であり、バラバラの子供たちを見守る大人であり、不思議な世界を担保している神であり、忘却された幼年期の無垢であり、ただの可愛い子供でもあった。
つまり作品のテーマ性全てを封じ込めたキャラクターで、不完全な子供たちが必要な要素を取り戻していく時、必ず鏡となるキャラクターでもある。

そういう、お話の核になるキャラクターをとにかく魅力的に描いたのは、このアニメが成功している一番の原因だと思う。
ノエルが笑えば視聴者も楽しく、ノエルが泣けば視聴者も心を乱す。
何よりも、乃々香が願ったように、視聴者も願ったはずなのだ。
「ノエルに消えたままでいて欲しくない」と。
そのシンクロを一般化出来るほどには、ノエルは慎重にその仕草を決定され、狙い通りに好かれた子供だと思う。

神たるノエルは(少なくとも別離の瞬間まで)泣くことも悩むことも出来ない。
それは時間の中で成長し(もしくは年老い)ていく子供たちの特権であって、永遠に子供のままのノエルには不可能な仕事だ。
悩む存在、いつか収まるべき心を別の所においてしまっている存在として、五人は皆魅力的だった。
汐音はちょっと面倒すぎたが、そこもまた愛おしいし、蓄積した重さが終盤の安定性に繋がったと考えると面倒くさくて良かった。
俺が面倒くさい女の子好きなのは別に関係ないでス。

そんな五人の中でも、やはり主人公たる乃々香の誠実さ、力強さには信頼が置けた。
一度心に決めたことはやり通す強さは、ブレることのない行動を生み出し、視聴者に安心感を与えていたと思う。
柚季にしても汐音にしても、頑なな心を抱えた所からそれを解し、真意を解読することで物語が展開していくこのアニメにおいて、何度(表向きの)拒絶を受けても諦めず、真心を探しに行った彼女は頼りになる探偵役だった。

柚季は面倒くさい時期でもノエルに優しかったり、素直になってからはお兄ちゃん子なところを見せたり、芯の部分が柔らかい子でした。
湊太は唯一の男の子として、時に現実主義の憎まれ役を買って出たり、時に大工仕事に腕をふるったりしてくれました。
こはるはナチュラルに鬼畜な瞬間があるので、もう少し湊太に優しくしてあげなさい。
汐音は女の子に対して重力計数高す……素直に言うと、俺こういう面倒くさくて愛情たっぷりぎっしり弁当な子だーーーい好きなのね、ウン。
皆素晴らしい子たちでした。


一度バラバラになった心が過去を思い出し、真意を取り戻し、関係を修復していく話として。
その過程で手に入れた宝物を、過ぎゆく時間の中でも損なわれないとても大切なものとして、何度も価値を再確認する話として。
お伽話として。
とても素晴らしいアニメーションでした。
ありがとうございました。
……ほんと、沈めて終わらなくてよかった……。