イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/01/06

 

神様はじめました◎:第1話『神様またはじめました』
イケメンゴッドとポンコツ娘がラブでコメディするアニメの二期。
二年ちょっとのブランクがあるはずなのに、一期のストロングポイントを淀みなく振り回しまく安定感は凄い。
やや焦り気味のテンポ、ぱっぱとラッシュするギャグ、ザクザクと進む展開。
面倒くさい男の子、バカな女の子。
良かったポイントをほぼ変化させることもなく、素直に届けてくれるのって凄いやね。

一期で培った奈々生と巴衛のキャフフ空気を無理くり壊すことなく、キュンキュン成分多めで仕上げてくれているのは嬉しい限り。
自分はどこに出しても恥ずかしい、むくつけき三十路ド真ん中をのこでありますが、時々乙女成分の補充をしたくなる瞬間があり、このような乙女向けのアニメを見ることを趣味としております。
このアニメは柔らかく暖かな笑いと一緒にそういうもんを届けてくれる造りになっておって、無理なく見れる所が好みなわけです。
欲しい所に欲しいものがぶっ込まれるアニメというのは、何にせよありがたいものでござんす。

巴衛がとにかく『出雲に行くな、いいから行くな』言っているのが、独占欲からなの庇護欲なのか、はたまた両者は判別しにくいものなのか。
そこら辺は今後の展開で見えてくるんでしょうな。
アイツめんどくせーからなぁ……早くKURAMAさんにフォローしてもらわないと(DATENソング聞きたいだけ勢)

その上で、物語の柱になりそうな出雲行きとか、式神護くんの誕生であるとか、巴衛の伏せられた過去だとか、手早くパパっと見せている腕前も、安心して見れる要因。
キュンキュンサプリメントを効率よく摂取するためにも、やっぱお話の形がある程度しっかりしてるのは大事でありまして、笑いと恋とお話、みんなバランスよく手際よく纏められた、安定の滑り出しだったのではないでしょうか。
この恵まれたスタートから、どういうダッシュを見せるのか、期待が持てる第一話でした。

 

・探偵歌劇 ミルキィホームズTD:第1話『妖精たちは森に隠れる』
ついにミルホも四期目、『ふたりはミルキィホームズ』スタッフで送る探偵×アイドルアニメ。
ミルホでアイドルつーと、サマースペシャルで沼田さんと久太がやりたい放題やった記憶が。
今見返すと、全体的に多いけどね、AKBネタ。

さておき、メインをミルホの四人に戻し、おおまかな筋としては『盗まれた歌を取り戻す』という形に。
いい意味でも悪い意味でも蓄積のあるシリーズなので、『ふたり』を経た上でのリスタートとしては、ワイワイガヤガヤしていてなかなか良かった。
ボケっぱなしのクズ集団に見えて、要所要所で真摯なところを見せてくれると安心できるネ。
自分は『ふたり』も好きですがね。
主にカズミのクッソ面倒くさいところと、強キャラぶってたお兄ちゃんがあっという間に崩れていくところが。

アイドル方面を積極的に彫っていくのかなぁとも思いましたが、一話を見る限り、弾丸超特急なミルホに茉莉音さんが振り回されるのが基本構成っぽい。
つまり、軸足はあくまで探偵コメディ……なんだが、あんだけ露骨に言ってるとそのうち歌うし踊るだろうな、ミルホだし。
『盗まれた歌』をエレメントという解りやすいパーツに組み替えたのはグッドですが、クライマックスが毎回エレメントとの知恵比べだけだと高速で飽きるので、早めに変化球を投げて欲しいところ。
G4が出ねーとか多分怪盗帝国も出ねーとか、色々変化もある新シリーズですが、『ミルホらしさ』を保ちつつ新しいことをするという難題、どう解くのか。
楽しみに二話を待ちたいと思います。

 

ユリ熊嵐:第一話『私はスキをあきらめない』
『百合で熊で嵐! ユリでクマでアラシです!!』とばかりに始まった、イクニチャウダー改めイクニゴマモナカの新作。
お話を一言でまとめると百合で熊で嵐なわけだが、普段のイクニを更に上回るメタファーと舞台演劇的カット割り、攻めた色彩のラッシュで、『起こること全てが隠喩、もしくは詩である』と考えたほうが気分が楽になる、そんな圧倒的にワケワカンナイアニメ(超褒め言葉)だった。
とりあえず、分けわからないなりにまずは溺れるのがいいな、と思った。
溺れるだけの水量と熱量は、既にあるのだ。
とは言うものの、ゴボゴボとイクニ汁飲まされているだけでは勿体無いので、少し読む方向で感想を書く。


全体を制圧しているトーンが思いの外陰鬱で緊張していたのは、主人公紅羽といきなり喪失されるヒロイン純花が、出だしから日陰者として描写されているからだろう。
一見平穏に見える嵐が丘学園(このネーミングからしてジェンダーSFっぽいよな。ブロンテ姉妹)だが、クマというアウトサイダーを『断絶の壁』によって排除し、内部の規範から離脱するものは『透明な嵐』によって害される、統制的な世界だ。
タイトルにもなっている『私はスキをあきらめない』とはクマの言語でもあるわけで、クマ的なユリである主人公と、わざわざ人間の世界に侵犯してきたユリ的なクマが、教室と世界の地盤を揺るがしていく展開を幻視したりした。

乱入者たるクマが『あの子もこの子もよりどりみどり』状態なのは、蛮種たるクマ以外に公認された暴力が存在しない、不健康で去勢された世界だからなのかなぁ。
純花失踪事件の時、警察来てたけど。
ウテナでもピングドラムでもそうだったけど、社会変革のお話になりそうな気配がムンムンしてる。

クマが『そういうもの』として行使する暴力(こっちには?が付くが。あの子らがブルータルな存在なのは間違いないのだと思うけど、描き方がいちいちコメディなので、どこまでをメタファーとして食えばいいのか、いまいち間合いが判っていない。全部食えばいいと思うけどさ)は開けっぴろげで後悔がないが、百合の花を摘み取るハサミだとか、空から落ちてくるレンガだとか、学園内部の暴力には顔がない。
それは暴力を引き受ける責任がないということであり、クマが百合の花の雄しべをぺーろぺろするのには『ユリ裁判』の承認が必要であるのに対し、顔のない暴力はどんな劇的装置もコメディのタッチも必要とせず、それこそ嵐のように吹いている。
2つの暴力に最速で対面してしまった委員長、百合園蜜子の扱いが気になるところだ。


あとまー、エロスの描写が今までよりはるかに解りやすいというか、比喩表現が比喩に為っていないというか、少なくともメインテーマの一つにセックスがあるんだろうなとは感じた。
『庭いじりをして、手が汚れたから友達』という直線勝負の描写には、思わず声を出して笑ってしまった。
熊が女の子を食べるとき必ず女の子が寝てるとか、受粉する前に切り取られてるめしべとか、露骨なメタファーは他にも多かった。

主役四人が全て、人間のふりをしているときは帽子で髪を覆っているのも、一つには性的抑圧/放埒のメタファーなんだろうなぁ。
屋上でユリ熊乱暴された後、紅羽の髪の毛も着衣も乱れてたし。
特に髪の毛というフェティッシュだけがそうではないんだけど、このアニメのメタファーは『~~である』という一対一交換ではなく、『~~という側面も含む』という一対多交換になるのが、難しいと同時に面白く魔術的であるところだ。
帽子で言うなら、熊のや教室の反逆者といった主役たちの本性をクローゼットしているという味方もできるし。

メタファー的な話をすると、今回一番のキ印シーンである『断絶のコート』での裁判シーンなのだが、あれはすごく素直な『良心の葛藤』の表現でもあるんじゃないか。
つまり、『そういうもの』として自分を認識しているクマも、女の子を食べるのに躊躇いがあって、非常に古典的な天使と悪魔の言い争いよろしく裁判官と弁護士と検察を呼び出してるという見方も、あのシーン出来んじゃないかなあ。
無論それ以外の意味も大量に含んでいるだろうし、そこら辺は次回以降見えてくるとは思うけど。


百合に関しても、例えば『嵐が丘学園』が『バショ』、『クマリア流星群』が『レキシ』とカテゴライズされるように、『椿輝紅羽』『泉乃純花』『百合白銀子』『百合ヶ崎るる』は『ユリ』としてカテゴライズされている。
これは個人的な感触なのだけど、この世界の性別は男/女ではなく、ユリ/熊なんじゃないかなぁ。
とすれば紅羽と純花がひっそりと育てていたタブーとは同性愛ではなく、もっと別の秘密が透明な嵐を呼び込んだんじゃないか、とも感じている。

わざわざユリ/熊という第三/第四の性別を製造したのは、男/女という差異に既に張り付いてしまっている種々のイメージを取っ払って、物語に必要な性別を再構築したかったのか。
はたまた男性性/女性性を一旦ミキサーにかけて、ユリ/熊という別の入れ物に再分配したかったのか。
まだまだ解らないことだらけなので確かなことは言えないが、気になるポイントだ。


全体的に見ると、話数がウテナの1/3、ピングドラムの1/2という事もあってか、最初から寓話としての側面を隠さずぶっ込んできた印象。
だから分かり難いし、むしろ解りやすいというなかなか厄介な出足になったと思う。
しかしこれだけ溺れさせてくれるアニメも滅多にないんだから、肺いっぱいにユリとクマとアラシを吸い込んでから、色々考えるなら考えるといいんじゃいかと思いました。
素晴らしいアニメであり、今後も楽しみで仕方ないです。
スゲェぜ。