イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ガッチャマンクラウズ インサイト:第10話『seeds』感想

テロリストが野に放たれ、匿名の暴力が王様を殺す無軌道な状況の中で、ヒーローが見参する回となりました。
ゲルサドラにはじめ、ツバサにゆるじい、累に総裁Xと理詰夢がぴったり付いて、顔と名前のあるヒーローたちは目を覚ました。
ヒーローの力で空気に立ち向かっているけど、さてはてそんな巨大なものに蠱毒な英雄が立ち向かえるのか? という所で次回に続きました。


見事に脱獄を果たした理詰夢は、潜伏させていたVAPEを最大限活用し、敵の武器を逆手に取る形でメディア攻勢を敢行。
綺麗に世論を誘導し、ゲルサドラから産まれた『くう様』がゲルサドラを排除する状況を作り上げます。
前回ジョーさんが理詰夢のようにテロリストになったのと同じく、ジョーさんが選挙の時に使った空気の誘導を、理詰夢が使う形ですね。
理詰夢は累のシャドウであると同時に、ジョーさんのシャドウでもあるんだなぁ。
……空気を操ろうとして見事に失敗したジョーさんと、理詰夢は同じ道を歩くってことかな、これ。

一期で空気に流されてテロリストになった梅田が、娘を庇って死んだ(『くう様』に喰われた人が帰ってくる保証がない現状、この表現でいいと思う)のは、立川事変とそれに関わったガッチャマンが、世界を変えている良い証明だと思いました。
理詰夢のメディア戦略に利用されたとはいえ、結果としてゲルサドラ打倒の原動力になるわけで、皮肉というか宿命というか。
人間消失自体は身近に起きているのに、センセーショナルな編集を通し、マスメディアを介して空気に撒き散らされないと状況を認識できない(そして一度認識すれば、過去も未来もかなぐり捨ててその色一色に染まる)人民の姿は、極度に戯画化されているが生々しい。
このお話がフィクションである以上、空気を染める凶器であるメディアを抑え、最適に活用したものが無形の暴力を操れるというシニカルな認識だけではなく、そこから一歩踏み出すヒント(もしくは希望)が欲しくなりますね。

猿(APE)を心底嫌悪するVAPEである理詰夢と猿を分けるのは、ViolenceのV、つまり暴力の行使権です。
全てをひっくり返す暴力の無根拠性を理解した上で、覚悟というか確信を以って行使する理詰夢は、根っからの革命家なんでしょう。
GALAXという巨大同意形成装置を用いて世界をアップデートしようとした累とは、資質は同じでも手段が異なっているわけです。
なので、確固たる個を持ち声を上げる勇気を持っていた梅田娘には、非常に優しい。

そして累くんにも優しい。
わざわざ『オマエがどうあっても見たくなかった世の中に俺がしたけど、ヒーロやめたお前はそこで寝てるだけだもんな。ぜってぇ立ち上がったりすんなよ!!』と言ってくる辺り、マジで好き過ぎ。
同意ではなくあくまで暴力による強制に依拠するVAPEのやり口が、有事の劇薬としては有効でも平時の常備薬足り得ないことをおそらく理詰夢は理解していて、だからこそ累に立ち上がって欲しいのだと思います。
猿と唾棄している人間のカルマが自分にとっても他人事ではないことを認識しているからこそ、彼は己の集団を『暴力的な猿』と名付けた。
それは多分人間が猿でいてほしくないという願いに通じていて、その体現たる累に過大な期待を掛け、自分を打倒してくれることを確信しながら、彼はテロリズムを行使している。
神に創造されたから絶対に勝てないことを認識しながら、神の存在を証明するために対極に立つ悪魔みたいな、拗らせた愛だな。


ツンツンするだけツンツンしたので理詰夢はとっとと下がり、累くんに飴を差し出すのは電子ヒロイン総裁Xです。
はじめに促された人格発達はどんどん加速し、プログラムの範囲を超えた意思を持った別種の人間として、累くんに魂籠もった言葉を叩きつけていました。
宇宙人と近所付き合いをしなきゃいけなくなったんだから、電子人類くらい誕生するよね、そりゃ。

累くんが立ち上がる切っ掛けが、累自身の言葉だったというのは、彼のファン(つまり僕)には嬉しいところです。
人類の改革者として苛烈に走ってきた彼が、『くう様』の用意してくれる安息に堕ちるのはまぁしょうがねぇ。
しかし彼の理想主義は立派に事をなしてきたし、今現在進行中の事態を突破できる可能性はまさに、過去の爾乃美家累にある。
だから、累の創りだした総裁Xが累自身の言葉を思い出させる展開は、彼自身に彼が救われる良い流れなだと思いました。

サドラにしてもツバサにしても累にしても、今回立ち直った人たちはみんな、自分で考えることで空気に流されるのを止めて、悪い流れを反転させました。
闘うべきなのが空気である以上自発的な思考は必要なんでしょうが、そこに伴う痛みと孤独をどう引き取るかは、気になるところです。
自分の考えをしっかりと持って、反発覚悟で言葉にすることが痛くて辛いからこそ、『くう様』が安楽と監視で日本を支配する展開には説得力があるわけで。
全体の中で個として正義を実行する勇気を持つ孤独なヒーロー(≒ガッチャマン)に、顔のない集団全てがなれば空気に勝てるという落とし所かなぁ。
これだと、GALAXとクラウズの理念にも合致するし。
しかし『空気に流されるのをやめるという空気』は綺麗にカテゴリー・エラーなので、ここも巧く乗り越えないといけないだろうな。
どういう説得力をお話の中に盛り込んでくるのか、楽しみですね。


あっという間に玉座から転がり落ち、群衆に追われる立場になったゲルサドラには、はじめがマッチアップします。
サドラが集約した総意が暴走した時、ガッチャマンの力という制御された暴力を駆使しなければ、状況が打破できないというのは面白いところです。
くう様の後ろで糸を引いているV・APEが使っているのと、手段それ自体はおんなじだもんな。
ガッチャマンの暴力とVAPEの暴力、そこを切り分ける分水嶺は何なのかってのは、答えなきゃいけない問題だと思います。

はじめは人類最強の知性なので、自我なき超装置だったサドラが一個知性に既に変質しているのは察しています。
だから、生命が根本的に持っているはずの生存欲求を確認し、その理由を言わせる。
サドラが人間である理由を、『ツバサにもう一度会いたい』という愛にまとめたのは、ど真ん中のヒーロー物語を新しい装いでやっているこのアニメらしい、良い気恥ずかしさでした。
『心に愛がなければ、スーパーヒーローじゃないのさ』と、別の英雄も唄っておりますし。

今回サドラの自我が芽生えた(正確には、芽生えていた自我に自覚的になった)ことで、事態の収集はやりやすくなったと思います。
『くう様』による独裁監視国家という暴走は、サドラが地球人類のエゴを理解せず、それに対処する意思も持っていなかったことが、大きな原因。
自己と他者の間にある境界線を理解したからこそ、今回サドラにも吹き出しが出たのでしょうし、彼の愛が状況を良くしていくことを、僕は望んでいます。
『コントロールを取り戻すことで、強大な力に方向性を付け事態を改善してく』ってのは、一期後半でも描写されてたしね。

総意を吐き出すついでに、サドラが杉田Verから花澤Verに戻ってました。
杉田Verが持ってる生理的な気持ち悪さは、『くう様』の緑色の舌と同じように狙ってやっていて、ざーさんに戻すことで擬似的な悪役からヒロインにチェンジさせるって狙いなんだと思います。
あとツバサとロマンスするのに、ざーサドラでは説得力がないからかな。
しかし自分は杉田Verのサドラが結構好きで、悪意ではなく差異によって事態を激化させてはしまったけど、彼が人類を超越する能力の持ち主で、それを社会の中で機能させようと決意したことそれ自体は、けして気持ち悪いことでも許されないことでもないと思います。
事態が全部丸く収まったと、ざーサドラだけを愛でるのではなく、時々杉サドラにも戻って欲しいなあとか、僕は願ってます。


そしてツバサちゃんはゆるじいと真っ向から話し合い、ようやく自分を手に入れた。
累と総裁X、ツバサとゆるじい、サドラと自分自身と、今回起こった変化全てをはじめが引き起こしている辺り、流石としか言いようがねぇな。
第二次大戦と絡めて空気を語ったのは色々異見もあると思いますが、僕個人としては逃げずに真っすぐ行った表現の勇気を、凄くいいなと思います。

魂が同じ色をしているだけあって、ゆるじいが言ってるのははじめとだいたい同じことです。
見る前に飛んでしまう行動主義が、誇らしい物であるという認識も一緒。
どんだけ頭パープーなまま英雄気取りで酔っ払って、周りの提言も聞かず日本全体巻き込んで大暴れしたとはいえ、良いもんは良いし大事なものは大事だ。
そしてツバサちゃんはガッチャマンなので、挽回のチャンスはまだある。

ガッチャマン大集合からのVS『くう様』は、第3話と巧く対比されたケレン味のあるシーンでした。
あの時は風に押されてツバサが追い抜いた競り合いを、今度は肩を並べて走っていく所とか、象徴的で良い。
やっぱヒーロー集合一括変身は、全ての理屈を蹴っ飛ばしてアガるな、うん。

しかしそういう気持ちよさに冷静にブレーキをかけてくるのもこのアニメの特徴で、『くう様』弱すぎて、久しぶりのアクションの相手としては歯ごたえがありません。
それは多分意図的で、孤独で特別なヒーローが超常の暴力を振るった所で、勝てる相手じゃないからです。
勝つためには世界を変えなきゃいけないわけですが、二期の群衆(クラウズ)は衆愚の極みのような演出を、意図的にされてます。
手のひら返しまくりの盲目の猿であり、理詰夢が嫌うのもよく分かる。
そしてその嫌悪は、理詰夢にとっても僕にとっても(もしかしたらあなたにとっても)、間違いなく近親憎悪でしょう。


ゲルサドラは悪くない、ツバサも悪くない、累くんも悪くない。
悪いのはみんな(クラウズ)。
敵がよく見えたエピソードであると同時に、敵の掴みどころのなさと強大さも見えてきた回となりました。
中心なき悪意に対し、旧世代の孤独なヒーローとしてのガッチャマンと、新世代の社会型ヒーローとしてのガッチャマンは、どう立ち向かうのか。
今後の展開から目が離せませんね。