イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

Go! プリンセスプリキュア:第46話『美しい・・・!? さすらうシャットと雪の城!』感想

個別エピソードも終わってそろそろクライマックスな王女戦記、その前に迷える衆生を救うのだ! という菩薩的なお話。
敵幹部の中でもだめっこどうぶつとして、人間文化に共感を示し『美しさ』を追い求めてきたシャットさんが、一体どこに行くのかを取りまとめるエピソードでした。
同時に雪の城を作る過程でこれまで登場したモブを総まとめで出してきて、クライマックス直前の取りまとめとしても良く出来ていたのがグッドでした。

『強く』『優しく』『美しく』というプリンセス的価値観は、これを達成していくことでメインキャラクターが成長していく、作中で称揚されるべき価値観です。
トワイライトに恋をし、ダメ幹部として人間世界を彷徨い、第33話でシャムールと触れ合ったシャットさんは、『美しさ』という一点で主人公サイドに共感を示す、かなり特殊な存在です。
破壊と絶望しか知らないディスダークにとっては見下すべき出来損ないですが、主役の価値観からは歩み寄れる存在という、不安定な立ち位置。
商店街を彷徨う序盤のシャットさんの姿は、敵にも味方にもなりきれない半端な立場(別の言い方をすれば対話の可能性)をよく表しています。

これまでのお話しの中で『美しさ』に引き寄せられ、ディスダーク的価値観から一歩踏み出そうとしているシャットさんの姿は、アイメイクという文化に集約しています。
これはトワイライトのツリ目メイクがそうであったように、己の『美しさ』と『強さ』を捏造する強がりでもあります。
不安定な自意識を暴走させ、それをプリキュア折伏された後アイメイクが溶けかかっていたのは、それをし続けなれば自己を規定できない状況から脱出しかかっていることを、ビジュアル的にも表現しています。
ここら辺の歩みはトワイライトからトワへの変化を歩み直すことであり、かつての自分を傷ついたシャットに見たトワが手を差し伸べるのも、倫理的にも物語的にも当然といえます。

その上で、トワの手を弾きシャムールのマフラーを受け取る今週の展開は、『お決まりの展開』から一歩踏み込むというプリプリの手法を踏襲した、面白い広げ方だといえます。
ここで道を改め勇気を持って優しさの道に踏み込むという、トワが手に入れた『美しさ』をそのまま受け取るのではなく、ボロボロにぶん殴られ本当に無一物となったシャットさんが今一度自分を見つめなおし、自分らしい『美しさ』を手に入れるよう背中を向けるのは、より広がりのある展開といえます。
その旅立ちを後押しするように肉球マフラーだけを手渡し、しかし孤独の闇に陥らないよう見守る暖かさを伝えるシャムールの教示者っぷり、それを拒絶しないシャットさんの希望含めて、とても良いまとめ方でした。
シャムールが代表している『戦後の夢』『教育者が戦争の中で出来る貢献』の意味を減じないためにも、シャットさんがトワイライトの引き立て役から、一個の『美しさ』を持った人格に成長するためにも、最終決戦での彼の活躍(と生存)を期待したいです。
……ホントな、かっこ良く死んでENDとかマジ許さんからな、無様に生き残ってシャムールに生き方を学んで欲しい。


せっかくシャットさんが猫ちゃんモードになって大暴れしたのに、決着はかなりあっさり付きました。
それはシャットさんが戦闘能力のないヘタレだということではなく、今回の闘争の主眼が暴力にはないからだと思います。
シャットさんが今回戦っていたのはプリキュアという敵ではなく、ディスダークの価値観にも主役の価値観にも自分を収められない、どこにも居場所がない焦燥と自暴自棄なわけです。
だから、自分自身を見つめなおす氷の鏡が、戦闘という緊迫した状況でも顔を出す。
あそこで見つめていたのは醜いかんばせだけではなく、憎悪と焦りをどこに向けて良いのかわからない、自分自身の精神的醜態でもあるわけです。
そして、それを醜いと認める一種の素直さ、迷いの中にある幾ばくかの救いもまた、あの鏡には写っている。

本当に憎悪に焼かれた存在がどうなるかというのは、第11話でクローズさんが一度目の死を迎えた時に、この作品はとても印象的に示しています。
差し伸べされた手を振り払い、怒りのままに的確に相手の死を願って自分の暴力を振り回す姿には、とてもインパクトが有りました。
翻って今週のシャットさんは、あの時と同じように獣に姿を変えても暴力を誰に向けて良いのか分からないまま、藻掻くように暴れ続ける。
雪の城を壊すというショボい暴れ方も、不安と苛立ちをどこにぶつけて良いのかわからない、シャットさんの中途半端な状況(=変化の兆し)の現れなのです。

そんな無様なシャットさんの姿を見て『助けよう』と言えるのは遙の人徳ですが、それはクローズさんとは分かり合えず、憎悪をぶつけあった結果殺すしか無かった後悔が関係しているのではないかという読みを、ついついしてしまいます。
殺すことでしか止めることが出来なかったクローズさん(まぁ復活したわけですけど)に、はるかが見せた無言の表情は、後悔に満ちているように思えました。
あの時の苦い思い出があればこそ、苦悩のままに暴れまわるシャットさんを見捨てるのではなく、『助けよう』という慈悲の結論を出せたのではないかと、僕は期待混じりに思うわけです。
善の善たる存在ではなく、善の心を持ったまま悪の道を進む存在をこそ助けなければいけないというのは、正しく聖人の道でありまして、プリキュアが子供のために造られた理想主義的なお話であればこそ徹底しなければいけない、妥協のないテーマの追求があの一言(とその前景となるクローズの憎悪)には込められていたように感じるのです。


今週はシャットさんを掘り下げると同時に、そのシャドウであるトワが手に入れたものも効果的に浮かび上がらせるエピソードでした。
屋根もなく完封に晒されながら、すべてに見捨てられ寄る辺がないシャットさん。
暖かな寮の中で談笑しながら、帰るべき場所を振り返る余裕を見せるプリキュア
毎回適切で鮮烈な対照の使い方を見せてくれるプリプリですが、今回アバンの比較は非常に分かりやすく、的確だったと思います。

トワが小さな希望を込めて作り始めた雪のお城を、学園総動員で作り上げていく展開には、色んなモノが詰まっていました。
身の回りのことが何にもできなかったトワの庶民的な成長であるとか、プリキュアが守り触れ合ってきた人々の肖像であるとか、ノーブル学園という舞台がどういう団結の美しさを持っているのかとか、プリキュアには出来ない夢の守り方を華麗にキメるゆいちゃんであるとか。
そういうものを何一つ持たないシャットさんの怒りが、一度それを破壊してしまうことも含めて、クライマックス直前に相応しいサブイベントだったと思います。
……これまでは下手に動かすと主役を食うので前に出せなかったらん子先輩が、『もう話数もねぇしメインの話も終わったし、ガンガン良いだろ!』とばかりに出番多いのは素晴らしいですな。

というわけで、己の中の虚無と矛盾に悩み、藻掻き、暴れまくる一人の魂を見捨てず、再起の道を自分の足で歩かせたお話となりました。
『夢は最終的には自分の足で歩いて行く道』『でもその道は、誰かの温かい支えがなければ歩いていけない道』という、作品全体を貫くメッセージに一切背かない、尊厳のあるお話だったと思います。
年が明ければ後一ヶ月、決戦も最終段階ですが、今回一つの可能性をつかみとったシャットさんがどういう決断をし、運命を選びとるのか。
僕はとても楽しみです。
死ぬなよ、シャットさん……。