イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

K RETURN OF KINGS:第13話『KINGS』感想

ネットリと絡みあう因果と情念の物語もついに最終回、石版攻防戦も大詰めなKであります。
各キャラごとの因縁、敵役を張ってきた緑クランの退場、宗像さんの能力限界、ネコの正体に王の能力それ自体。
色んなモノにしっかり決着をつけた、K二期らしい終わり方だったと思います。
よく考えると歪な終わり方じゃね!? という疑問が出てくる所も引っくるめてな!

青い連中(+八田)は先週因縁を終わらせたので、今週は白金&緑のターン。
かつて超人を求めたシロには流が、同じ王に仕えた兄弟子を相手取ってクロが、あと殺戮の生存者繋がりでネコにも流が、それぞれ壁になって問題を深化させていく流れ。
お話全体を展開させるだけではなく、気ャラクター個別の物語を終わらせる手伝いもしていて、緑クランは本当によく働くわ。

流の超人理論(つまりそれは過去のヴァイスマンってことだけど)はシロ自身ではなく、ネコの素朴な日常理論で超越しちゃいました。
個人的にKの『超常能力がある日常風景』はビジュアル的な説得力含めて凄く好きだったので、これを否定する形でお話が収まっちゃったのはぶっちゃけ不満です。
現状からの決別こそがこのヌッるいお話の終わりには重要であり、お話を成り立たせていた石版と王システム事態を破壊して終わるインパクトが必要だったってことは判る。
判るんだが、僕色々文句言いつつもこのアニメの世界と物語結構好きで、まるでこれまでの蓄積が無価値で無意味だった(とも取れる)かのように終わってしまう、ネコの頭弱い結論は、あんま説得力を感じませんでした。
能力無しでも日常は獲得できたけど、能力ありでも日常は獲得できたし、特にネコはストレイン能力無しでは死んでたでしょ、っていう。

王の能力で死体を動かしている流を否定するためには、王の能力それ自体を否定するのが一番早いし、グダグダ後悔に決着付けなかった結果色々ややこしいことになったヴァイスマンにケジメつけさせるためには、能力残してナァナァってオチじゃ満足できなかっただろうな、という想像はつく。
磐さんと流(流はもう死んでたわけで、死人に数えるのも難しいか)以外は想定通り死ななかったこのアニメで、聖域のように保護され続けてきたキャラクターが差し出せる最大の生け贄が、これまでの能力物語の否定ということだったのだろうか。
まぁ石版消えた結果世界が具体的にどうなったかは、Angelaの良い感じの曲が流れるEDで仄めかされただけなので、推測でしかないんだけどさ。

シロはとにかく流されていた一期に比べると、積極的に過去の精算と今のクランズマンとの関係構築を頑張っていて、ただ乗りしていた少年のボディを返す所も含めて、結構綺麗に自分のお話を収めたと思う。
自分のエゴのためにぶっ殺した過去の自分(=流)の始末を、墓から蘇ってきた磐さんに任せちゃう所とか最高に気持ち悪いが、まぁそういう特権性がKのキャラ(特に一期からの男子キャラ)には許されていて、それは不誠実さだけではなく隠微な物語的快楽をも持ってきているわけで、徹底的な死体の隠蔽と相まってKらしさといえばKらしさだろう。
正直な意見を言えば、Kのそういう部分は醜悪ですらあると思うけども、その醜悪さが生み出す快楽が適切だったからこそ、2期まで走りきれるくらいの支持を受けていたのもまた事実だし。
僕がその快楽の共犯関係に入り込めないからといって、完全に否定できるわけじゃあない。
気持ち悪いけどさ。


特権的といえば、自分のお話を終えてからボーッと突っ立ていた宗像さんは、石版破壊の棚ボタでダモクレスダウンを巧く逃れ、生存を確定させていた。
見事なまでの特権行使であり、『よく殴った淡島』としか言いようが無い。
最後の見せ場まで『シロが自分のお話を終えるための道作り』だったアンナに比べると、お前ホントに贔屓されてんなぁ宗像……。
でも青に比べると赤のクランズマンが頑張っているように見えたのは、アンナの人徳だと思う。(アンナが好きすぎて視界が歪んでいるマン)

磐さんと流が死んで、その菩提は紫とスクナが弔って、能力が無くなって。
王の力のない日常が帰ってきたけど、それで培われたクランの絆は元気で。
死ぬ死ぬ詐欺でムードを盛り上げたシロもヴァイスマンの肉体を取り戻し、何事も無く帰還して。
掛け替えのない日常を取り戻して、お話は終わりました。

二期のお話を成り立たせるためには緑のクランという解りやすい敵役が必要だったし、彼らを使い捨てのエネミーとして置くことで、確実に二期は一期よりも分かりやすく、面白い物語が展開されていたと思う。
未だ精算されざる未熟を抱えたまま物語を彷徨っていた各キャラクター(伏見、八田、宗像、シロ、クロ辺りか。ホント女は変化しねぇ、変化が許されねぇアニメだったな)も、どこか似た影を抱えた緑のクランズマンと対峙することで問題を生産し、一歩前に出る終わり方を得られた。
一生イケメンがネトネトネトネトじゃれ合っている閉鎖と停滞に苛ついていた身としては、二期の物語展開は全体的に満足がいくものだ。

男たちがいい顔で『昨日までの僕とチョット違う僕』を披露する中、彼らの遊戯を成り立たせるためにお話しの構造を整え、成長のための問いかけをさり気なく投げていた女達のお話は脇に追いやられるのは、まぁそういう話じゃねぇからしょうがない。
物語的には王として頂上にいるはずのアンナの物語でも、女には変化と呼応のチャンスは与えられない歪みこそが、Kを男たちだけの世界として魅力的に浮かび上がらせている原動力の一つだからだ。
峻別は確実に力を生むし、Kはその点においていい目を持っていた。

これは途中参加の緑クランにも言えて、二期での死人は流と磐船だけだ。
もともと死んでいた流の物語は死で終わるしかないし、そもだに悪役として物語に呼ばれた緑の首魁が生き残っても、お話は収まるところに収まらないということだろう。
セットの中で展開された家族ごっこの幻影は、しかしエンドカットを飾るくらい特別な価値と称揚された白米党の団欒と、何が変わるというのか。
欺瞞性が問題だというのであれば、物語が要求するシビアさから的確に守られ、戯画化された家族関係を楽しんでいた各クランとの差異は、僕にはそこまで感じられない。
擦り切れるほどの無防備さと率直さでお互いの関係を深く見つめ、切実に掘り返したキャラクターはこのアニメにはいないし、それをさも『掘り下げました』と演じる欺瞞性と特権性を与えられているメイン・キャラクターたちの方が、僕個人の歪んだ視界からは好ましさを欠いている。
この視点は、一期から続いて二期を見終わっても変わらない、率直な感想だ。
平たく言うと、イケメンがネチャネチャ変わりもしないチャンバラをさも死闘のように演じ続けるクソっぷりは、やっぱ嫌いだ。

結局僕は、Kを消費し楽しむシーンの部外者なのだと思う。
男であり中年でありヘテロ・セクシャルであり、K的な刹那性や快楽優先主義、よくコーティングされたロジックのネジ曲がりに居心地の悪さを感じる物語的嗜好からすれば、見ていたことがイレギュラーな客なのだろう。
でもまぁ、僕はこのアニメが好きだったし、少なくとも二期より一期のほうが好きだ。
それが新入りである緑のクランが良い敵役を演じてくれた結果だったとしても、メインに座らないが故に、自分たちの関係性に埋没することを許された男たちの端女扱いを受けた女達への共感が産んだものだったとしても、二期はやっぱり面白い。

一期に強く感じ嫌悪した不誠実さ、快楽との戯れをしっかり残しつつ(それがKの強さなんだから消毒するわけがない)、緑のクランを使って一つの物語的フォルムを構築しようとした、製作者側の努力。
それは成功しているし、それを目指して(一応)お話をちゃんと終わらせたのは、とても良いことだと思う。
その努力の結果、僕が好きになれるキャラクターがちゃんと居話しの中にいてくれたというのも、ありがたい話だし。
ホント緑と女衆は頑張った……特にアンナ。

こうしてグダグダと文句言いつつも最後まで見てみると、二期はとても面白かった。
KのKらしさに顰めた顔はするけれども、やっぱりそれは事実であり、感謝するべきことなのだろう。
善いアニメだったとはやっぱ言えないけど、好きなアニメになってくれて、僕は嬉しい。
ありがとうございました。