『フードトラップ』(マイケル・モス著、本間徳子訳、日経BP)読了。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
サブタイトルは『食品に仕掛けられた至福の罠』、英字タイトルは『Salt,Sugar,Fat』。
英字タイトルのとおり、加工食品産業のなかで塩分、糖分、脂肪分がどう扱われ、健康を害し、富を生み出しているかを追った本
タイトルから受けるイメージは、いつもの様に食品ヒステリーというか、選択権のない消費者に悪しき食物を与え、文字通り『食い物』にする大企業告発、『新しい正しさ』の啓蒙本、というところだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
確かにs『食の安全』にまつわる言説にはそういう金切り声がつきまとう。
しかし読んでいくうちに、筆者が『食の安全』に対し強い問題意識をいだきつつも、誰かを悪者にして自分の立場を高めようという小狡い政治意識が薄い、優秀なジャーナリストであることが分かってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
その誠実な姿勢が逆に、筆者の主張に力を与え、読ませる吸引力にもなる。
この本で扱われる大企業の幹部たちは、みな知的でスマートで、節度をわきまえた存在だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
悪の大企業の幹部としてイメージを膨らますことなく、それぞれの個性と物腰を持った一個人として、様々な意見と実績を持って、筆者との対話に応じる。そこで描かれるのは悪の器官ではなく人間である。
企業もまた、それぞれの利害を追求しつつ、様々な場所に目配せをするスマートな存在として描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
利益を追求し、消費者団体と国家機関に圧力をかけ、同時に己のアイデンティティに疑問を持って、製品消費を改善していく、人間的な組織。それがこの本で扱われる企業だ。
それを基本姿勢にした上で、顔の見える個人が巨大な消費構造に飲み込まれていく過程を、この本は『食』を足がかりにして捉え続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
安価で、長期保存が効き、美味しいものを。
消費者のニーズ、変化していく世相に対応し、『必要なものを、必要なだけ』という企業倫理に素直な『良い企業』
それが生み出すのは、人間の脳が『美味い』と感じるものと、人間の体が必要とする(許容できる)食品のギャップをつく、巧妙な商品戦略だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
過剰に糖分が入り、脂肪に満ち、塩分が効いた食品が脳をドライブさせ、至高の感覚で人間を飲み込むメカニズムを、食品加工会社は巧妙にメソッド化している。
それは様々な原料と製法を組み合わせる商品開発の現場だけではなく、成分表示でまほうをかけるたり、商品のイメージを自在に操るマーケティングの部分でもそうだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
『なにが良いか』ではなく『なにが売れるか』を追い求める資本主義のメカニズムは、様々なものをなぎ倒しながら加速し、巨大化する。
そしてそれを求めるのは、安価で手軽で美味しい食事を求める消費者の本能でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
過剰な糖分と脂、塩分が快楽を暴走させるように、コンビニエント性という第四の価値を加速させられた我々は、自分たちが何を食べているのか、何を食べるべきかという認識を、忙しさの中で喪失しかけている。
ヘルシーなラインナップを『みんなの健康のために』用意すれば、売上が落ち、コストが上がり、株価が下がって『株主に配当を渡す』という企業の倫理に背中を向けることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
それは『やらない』言い訳ではなく、『実際にやった』結果として、筆者の綿密な取材に裏打ちされて提示される。
ウォール街と家庭とコンビニエンスストアと、加工食品会社とPR企業。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
『食べる』という根本的な欲望に根ざした巨大な消費構造自体が、3つの成分に猛り狂わされる食欲と同じように、制御を失って加速し続けている。
それを活写することで見えてくるのは、巨大な資本主義社会それ自体だ。
誰もが自分を見失い、選択権も決定権も失う状況。と言うかむしろ、失うように巧妙に戦術が組み立てられ、様々な手管によって欲望を加速されている構造。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
この本の中で切り取られているこの絵の中では、消費者は無垢なる存在ではけしてないし、企業もまた同じだ。これは皆の問題なのだ。
塩と砂糖と脂分がどれだけ人間を狂わせ、快楽を生み出すか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
それがどう人間を壊すかと同じくらいかそれ以上に、この本ではそこに筆が割かれている。
『味覚・食欲の快楽』という身近な感覚を重視することで、欲望がドライブし制御不能になった状態は遠い何処かではなく、親しい問題として認識される
身体的感覚と社会構造を重ね合わせ、加速する欲望のタピストリを活写する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
この狙いを達成するべく、筆者は綿密な取材を積み重ねる。重役に話を効き、食品科学の叡智に切り込み、実際の消費構造を調べ上げ、そこにある不正、囁き、嘘と誠実さを丁寧に切り取りっていく。
それが分厚い説得力の根本であるのは、言うまでもない。政治的な主張でも、頭のなかにある『かくあるべし』でもなく、実際に目の前にあって、しかし見えにくくなっている真実を丁寧に再構築していく、現実の積み直し。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
ジャーナリズムがなすべき根本が、この本に説得力を与えている。
『食』を切り取りつつ、より普遍的な構造にメスを入れたこの本は、アメリカという舞台を扱いつつ、日本にいる僕らの話でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
ネスレやフリトレーを取材したこの本のレンジは、日進やカルビーや雪印が大手を振るうこの国も、見事に捉えているわけだ。
何を食べるか、何を好むかという個別性は違ったとしても、そこに供給される加工食品、それを生み出す食品産業と株式の母体は共通のものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
そしてそれこそが、塩と砂糖と脂肪分を破滅的に供給する、現在の『食』のエンジンであり、ホイールでもあるのなら、この本は日本のことも書いているのだ。
大きなものを取り扱いつつ、皆に身近な『食』を扱うことで、論を飲み込みやすくなっている本だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月29日
大企業の巧妙な戦術、人間の意外な脆さが露呈していく筆には、一種のミステリとしての楽しさもある。恐ろしいだけではなく、面白く、愉快な本でもある。非常に良い読書だった。