イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルタイムプリパラ:第3話『ゆめかわ! メイキングドラマ!』感想

アイドルの白地図に描け夢色スケッチ、新天地に降り立ったピルグリム・ファーザーズのアイドル開拓記、今週はメイキングドラマ。
プリパラのステージングに欠かせない要素であるメイキングドラマを作る過程の中で、ゆいが何故ステージに立つのか、そのための障害になるもの、助けになるものを描いていくお話となりました。
成果物として新メイキングドラマはしっかりあるんですけども、むしろ夢見がち過ぎるゆいが『何か』を見つけていく過程、らぁらが先輩アイドルとしてそれを導いていく道のり自体が、とても魅力的でした。
新主人公が夢に向き合う喜びを全力で加速させつつ、らぁらがこれまで学んできたこと、シリーズが積み上げてきたものもけしてないがしろにはしない。
新シリーズとして、良いポジションを確保しながら進んでいると思います。


というわけで、メイキングドラマを探して右往左往する今回。
実は結論はちゃんと頭で出ていて、『沢山の女の子を、プリパラに導く。『夢が叶う』『可愛くなれる』という希望を『みんな』と共有する』というイメージから、今回のお話は始まります。
アイドルがアイドルとしてショーアップされ、特別な時間を手に入れるのは、観客と自分自身に夢を与えるため。
そういう公益性をゆいはちゃんと持っているわけですが、それに自覚的なわけではありません。

アコヤ貝か深海魚のような、虹色夢見がち目をギラギラ言わせる時、ゆいの妄想は自己中心的です。
ゆいが主人公である以上、アイドルタイムは自分が頑張って自分が掴み取るシンデレラ・サクセス・ストーリーになるわけですが、それではステージにわざわざ立つアイドルにはならない。
プリパラはアイドルという自己表現をテーマにしていて、王子様に抱きとめてもらって幸せになれるシンデレラが、理想の形ではない。
むしろ自分の魅力に気づいていない女の子たちをステージに惹きつけ、精一杯の歌と踊りを見せることで『私もああなりたい!』『私もああなれる!』という気持ちを盛り上げることこそ、成功の鍵となります。

ゆいが今回たどり着くメイキングドラマは、『魔法が使える自分』で視線を止めるのではなく、その先にあるステージと観客、『魔法を受けて、いくらでも夢を叶えられるあなた』にまで広がっています。
三期アイドルをやってきたらぁらのように、明瞭な言葉で伝えられるわけではないですが、ゆいは今回メイキングドラマに悩むことで、『自分が何故アイドルをするのか』『アイドルとはどういう特別な豊かさを持っているのか』について、一つの答えを手に入れました。
お話の結論が空から急に降ってくるわけではなく、最初から自分の中にあって、しかし見えにくくなっているものを、他者のアドバイスや自己洞察を経てたどり着く形なのは、良いなぁと思いました。


そういう視点で見ると、ゆいの妄想の中でらぁらがネズミの御者であり、王子様でもあるのはとても意味深です。
一つには、ゆいが非常に強く自分を持っていて、自分の人生の主役は間違いなく自分である(らぁらはあくまでサポートであり、主役にはなりえない)という自負を持っていること。
アイドルとして高いステージに立ち、自己を表現する以上、自分を強く持っていることはとても大事です。
そういう強さは優しさと対立するものではなく、むしろ叶えたい夢を自分で引き受けているからこそ、それをサポートしてくれる相棒への感謝も言葉にできたりするのでしょう。
狂気渦巻くプリパラ時空、主役が埋もれないためにはぶっ飛んだキャラ付けだけではなく、『アイドルである理由』『私でなければいけない理由』を明確に意識した、意志の強い女の子であることが求められるわけだし。

同時に、ゆいのシンデレラ・ストーリーはらぁらがいなければ始まらなかったし、夢のゴールに先乗りしている神アイドルとして、らぁらをかなり重要視しているのも見て取れます。
実際、何も知らないからこそエンジン全開で夢に突っ走っていくゆいの道を、らぁらは巧く舗装し、導いている。
過剰な妄想に浸りそうな時は正気に戻し、迷った時はアドバイスし、何をすればいいか分からない時は自分の経験から助け舟を出す。
アイドルタイムの主役として、自分の物語だけを全力疾走しているように見えて、ゆいはらぁらによって支えられ、導かれている自分の物語を、かなり客観視出来ているように思えます。
この『出過ぎないけど存在感があり、その立ち位置に納得がいく』先代主人公っぷりはなかなかレアで、上手い場所に据えたな、と思っています。

アイドルタイムのらぁらは無印の『お姉さんたちに取り囲まれた、特別な子供』という立ち位置ではなく、『同年代の子供達と対等な距離で、周囲に影響を及ぼしていく英才』というポジションにいます。
目立たないようにゆいを支え、パパラ宿のプリパラをゼロから盛り上げていくらぁらの姿は、『みんな』が最初からあった無印時代には、なかなか見れないものでした。
男子プリパラに押され、在るべき『みんな』がいないところから物語が始まったアイドルタイムにおいて、らぁらは『みんな』を再獲得する物語を歩いている、と言えるでしょう。
それは『みんなトモダチ、みんなアイドル』というモットーに支えられ、縛られていた無印とは別の角度から『みんな』を捉えていく物語で、同時に核となる部分では無印と同じ、とても大切なものを視野に入れている。
こういう冷静なテーマ性の再確認、自分たちが何を描いてきて何を描いていないのかの把握、新しいものを描くためには何を用意するべきかの手際が、らぁらのポジショニングからは見える気がします。


三期分の経験に支えられ、『正解』が最初から分かっているらぁらに対し、ゆいは何も知らない愚者として、愚者だからこそ可能な熱気と速度で物語を牽引していきます。
ゆいがとにかくプリパラに、アイドルに夢をたくさん持っていて、情熱があること。
そしてアイドルタイムに魔法をかけられ、ステージで夢が叶う喜びを素直に表現することが、このお話に勢いをつけているのは間違いありません。
補強されたトンネル、形になったメイキングドラマ、だんだん増えていく人間の観客、新しく建造されたカフェと、ゆいの情熱(とらぁらの導き)がちょっとずつ形になり、努力の手応えがあることも大きいでしょう。

今回ゆいが悪戦苦闘していたメイキングドラマ造りは、漠然としたアイデアが観客に伝わる表現になるまでを、コミカルに追いかけたものと言えます。
ゆいが妄想していた魔法はシンデレラからの借り物で、短い時間でスパッと観客の心をつかむ簡勁さに欠けていました。
らぁらの言葉からアイドルの存在意義を学び、『三分』『鳩時計』『三日月』という三題噺にアイデアをまとめることで、漠然とした『妄想』ではなく、他人を感動させもう一度プリパラに足を運ばせる『夢』が生まれる。
そしてその土台は、三歳の頃からたっぷり積み上げたノート(に具体化した、山盛りの熱意)が支えている。
ドタバタ楽しいコメディの中に、『いかにして少女は表現者になるのか』という物語が芯を入れていて、見ごたえのある話でした。

今回の話しに限りませんが、ゆめがアイドル一年生としていろんなことを学ぶ中で、らぁらが常に隣りにいて、一緒に汗をかいてくれる描写が細かくあるのは、とてもいいと思います。
アボガド学園は現状締め付けがキツいので、それに反逆しながら二人だけの思い出を作っている感じが、なんだか懐かしくも羨ましい。
一緒に妄想したり、トンネル掘ったり、キグルミ着たり、ラーメンとおにぎり食べたり。
起こっていることはアニメ的でトンチキなんですが、その一つ一つが特別な出来事で、それを共有することで友誼が深まっていく実感が伝わるのが、凄く良い。
プリパラ不毛の地を開拓していく奮戦記としてだけではなく、見知らぬ地で少女と少女が出会い、絆を深めていくお話としても、アイドルタイムは凄く切れ味が鋭いと思うのです。

らぁらがアイドルの先輩としてゆいをよく見て、よく支えている善さは先程指摘しましたが、ブッチギリ妄想族のように見えるゆいが思いの外、らぁらに感謝とリスペクトを示すのも、見ていて気持ちがいいです。
プリパラの物語かららぁらが学び取った結論を、惜しげなく与えてくれることにちゃんと『ありがとう』というし、『やっぱ神アイドルなんだね!』と尊敬もしてくれるし、コメディに忙しい展開の中で、そういう真心の描写が蔑ろにされないのは、プリパラらしいなと思います。
らぁら自身が見つけ出した結論も、パラ宿で出会ったお姉さんたちに教えてもらったもので、それが場所を変えてゆいに繋がっていく展開も、善意と敬意の連鎖を感じて、なんだか良かったです。
『なんか良いこと言う、ちょっと偉そうな年上』のロールモデルとして、みれぃが即座に出てくるところが最高……みれぃ好きかよコイツマジ……。


少女二人の挑戦を輝かせるためには、適切な試練が必要。
というわけで今回は、檻でありシェルターでもあるアボガド学園の描写が濃くありました。
地獄耳子による監視体制、高乃麗フルスロットルなサイレン、総回診っていうがガサ入れなど、かなりのディストピア監獄学園っぷりを見せつけていましたが、そういう圧力を跳ね除けるからこそ、『プリパラ開拓は偉業なんだ!』という作品内部の価値観がクッキリ見えるわけで。
たっぷり笑いを交えつつ、主人公たちが戦うべき抑圧を明瞭に描いているのは、良い作りだと思います。

ババリア校長がWITHに夢中なところを見ても、『いつか』はアボガド学園も管理体制を緩め、自由に夢を追いかけられる場所に変わっていくのでしょう。
しかしそれは今ではないし、主人公の働き方が簡単に実ってしまっては、その輝きを試す場所としての機能も薄れてしまいます。
しばらく学園は『都合の悪い場所』でなければいけないわけで、そこがドタバタトンチキで面白い場所なのは、話が重くなりすぎず、軽くなりすぎずのいい塩梅だと思います。
抑圧代表である地獄耳このキャラがまた濃くてなぁ……鈴をつけることで、音で登場予告をやってシーンの空気を一気に染められるの、マジ発明だと思う。

監視の目を盗んで夜を明かす中で、将来的に運命の仲間となるにのちゃんと邂逅するシーンもありました。
こうやってチマチマ接触があると期待も高まっていきますが、にのちゃんもまた『深夜のランニング』をひっそりとやる、アウトサイダーの仲間であるのはとても良い。
プリパラは子供の身勝手さや猥雑さを否定せず、むしろ積極的に取り込んでいく姿勢が魅力であり、特徴でもあると思います。
主役サイドに『悪い子』が山盛りいて、そんな子たちが生み出すドラマがどれだけ話を盛り上げてくれたのは、ドロシーやらガァルマゲやらまほちゃんやら思い出せば一発ですが、抑圧と戦う小さな仲間としてにのちゃんとゆい&らぁらが接触したのは、そういう面白さが失われていないんだな、という感触をくれました。

問題児だから無条件でリアリティが生まれるわけではないし、綺麗事で作品世界を埋め尽くす方法論にはまた別の苦労があるわけですが、プリパラの『悪い子』の使い方は相変わらず冴えていて、こっからまた面白い転がり方をするんだろうな、という期待感。
今回描写された監獄学園っぷりを見ていると、そういうものが膨らみます。
アウトサイダーなんだけども、魂の芯の部分には善なるものがちゃんと育ってると判る描写が細かくあるのも、お話の強さだね。

そして学園とはまた別の方向から、無茶苦茶な抑圧をかけてくるプリパラシステム。
『筐体の方でも都合があんだからよ、とっととGP成立するぐらいには場所育てろや』と言わんばかりの、キッツい圧力が押し付けられていました。
『ゆいとらぁら、二人三脚で頑張れば結果は必ず出る。学校のルールだって出し抜ける』と示したあとで、別角度からぶん殴ってくるのは面白いなぁ。
いい塩梅にメンターしてたらぁらが予想外の事態に焦ったところで、みれぃが大阪から乗り込んでくる状況作るのもね。


というわけで、メイキングドラマを追いかける中で、新旧二人の主人公がどんなキャラクターで、どんな関係で、アイドルとステージを通じて何を表現していくのか、確認する回でした。
メイキングドラマ制作というイベントを楽しく取り回しつつ、キャラやテーマの芯の部分にしっかり切り込んでいるのが、とても良い。
壁となって立ちはだかることで、物語に波風を生み出してくれる学園の描写もたくさんあって、ゆいとパパラ宿のことがよりよく分かるエピソードだったと思います。

誰もが可愛くなって、夢を叶えられる魔法の時間。
今回確認したアイドルタイムの意味は、今後物語が進展し、キャラクターが増えていく中でまた別の角度から掘り下げられるでしょう。
それは作品のテーマに繋がりつつも個別の表情を持った『別の話』であり、同じ舞台、同じ作品としてのアイデンティティを共有する『同じ話』でもあります。
そういう差異性と合同性を今後どう広げていくか楽しみになるのは、今回ゆいが『妄想』を『夢』に変えていく過程がシャープで楽しい、いいアニメとしてしっかり描かれていたからだと思います。
アイドルタイムプリパラ、今後が楽しみですね。