神撃のバハムートVirgin Soulを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
セピア色の過去。ジャンヌとエルの人情紙風船。今後のキーマンとなるだろうジャンヌ側の事情を、一話使ってじっくり掘り下げるお話。
VSの空気を反映してべっとりと重たく、答えが出ないエピソードだった。色々考えるのが、僕のVSの楽しみなのだ
冒頭の悪魔鎮圧任務が色々面白かった。まず過去編であることを色で納得させるセピア色と、少女が差し出した赤い花束の対比が良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
それはこの過去でもまた、流れる血の赤が話を押し流すガソリンとなることを暗示する。灰色の世界で、赤だけが特別な色なのだ。
もう一つ特別な色(?)があって、それは光である。神そのものたる光はジャンヌの腹にやどり、エルは『神それ自体』を意味する名前のとおり、血の穢れなくこの世に産み落とされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
灰色の世界で、あまりにも無垢なエルの笑顔だけが輝く。あまりにも美しい。ムガロちゃんマジ天使……。
しかし因縁とシャリオス不退転の決意は二人を追い詰め、エルは悪魔の血(それは赤くない)によって洗礼され、母の手により翼をもがれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
苦痛を伴う去勢を経て、エルがムガロとなり、少年は少女に変わる。
天使はそもそも性別を持たないものだが、ムガロの変化はそれとはまた違う、痛みと血がある。
天からの恩寵としてジャンヌに宿った救いは、ジャンヌ自身の手によって血を流す人の子に貶められる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
光り輝くからといって、それは無条件の聖性を宿すわけではないし、赤い血を流すからといって、残忍と死だけがあるわけではない。
人倫の極限で、母が子を活かすべく選んだ刃が流す赤は、痛く重い。
少女が差し出した花束。ムガロの背中から流れ出す血。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
赤は赤心の赤であり、世界の果てので唯一許された、血まみれの祈りだ。『こんなろくでもない世界でも、幸せに生きて欲しい』という幼稚な願い。
それは叶えられない。それでも願わずにいられない。赤だけが鮮明な世界は、過去のものではないのだ
シャリオスはそういう幽き願いを視界に入れつつ、別の生き方を選択する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
少女が肉塊に変わってしまうような状況から、人間を保護するべく。神の恩寵を待たず立ち上がり、無造作に王冠をかぶる。
必要なのは決意と武力。他人の死体を踏みにじっても、愛するものを守る決意。
それは皮肉にも、エルのために悪魔の死体を蹂躙し、死体をもう一度殺すことを選択したジャンヌと同じ道だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
周囲から侮られ、立場に似合わぬお飾りだと揶揄された二人の道は、王宮と辺境、正反対に離れていく。しかし魂の畢竟で、二人は悪魔を踏みにじっても人を生き延びさせる決断を同じく選ぶのだ。
神を、悪魔を、他者を踏みにじることでしか生存が許されない世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
エルとジャンヌがまるで奇跡のように、誰も傷つけないまま木の実を拾い集めて命を繋ぐシーンは、儚い人の夢でしかない。荒野はジャンヌの命を繋ぐには荒れ果てすぎ、そこで見た夢も黒い暴力に踏みにじられていく。
それでも、親子はソフィエルを匿い、命を護ることを選んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
そしてそれが、二人の運命を決定的に分け、赤い色に染めていく分岐点ともなる。
世界は無邪気な優しさを、あり得ない奇跡を許してはくれない。あるいは叩き潰され赤い染みに終わり、あるいは追い立てられて獄に繋がれる。
とにもかくにも、VSとはそういう物語なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
大暴れする悪魔を騎士団が討ち果たした時、為すべき正義が果たされたと喜ぶ民衆が、後に悪魔を奴隷と化し、コロッセウムで狂乱することになる。
叩き潰された少女の意趣返しのように、ゴーレムが褐色の悪魔を肉塊に変える。
殆どのモノは人間、神、悪魔(あるいは種よりも狭く『私』)という枠から出ようともしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
シャリオスは枠から出る叡智を持ちつつ、決意を持って人の守護者であることを任じた。それは一つの選択(正解かどうかは解らない)だ。
融和を選ぶにはあまりに厳しい世界で、奪う側に回る決断。
枠を踏み越える優しさ、共感能力はとても正しい。少女も、レジスタンスの悪魔も、振り下ろされる拳で肉塊に変えられてしまう命を見て、僕らはとてもつらく思う。そこに変わりはないのに、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
だが、そういう祈りとは関係なく拳は振り下ろされる。シャリオスは神に戴冠を祈らない。
天使の子を宿したジャンヌ。悪魔の血の洗礼を受けて、天使ではなくなったムガロ。すべての種の立場が分かってしまうカイザル。人間の守護者を『裸の王様』だと断罪するニーナ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
主人公サイドはみな種の枠を、『私』の枠を越境している。それは優しさの反映であり、それだけでは終わらない。
エルの優しい笑顔、童話のような穏やかな暮らしがあっという間に打ち砕かれる世界の中で、彼らが持っている祈りは無力だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
ただ祈るだけでは、全ては振り下ろされる拳で打ち砕かれてしまう。その理不尽さを己の力と選んだのが、無造作な戴冠を果たしたシャリオスだ。それはシャリオスだけの力ではない
理不尽でむき出しな力が全てを押し流す。荒野のルールが支配的な世界の中で、いかに祈りが無力であり、どうやって祈りを力に変え、世界を変革し、誰かを守っていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
シビアな状況とそれが生み出す厳しい問いかけを、親子の遍歴の中で見せるエピソードだったと思う。
今回の話はどんよりと重たく、出口もない話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
が、そこかしこに希望の兆しみたいなものがあって、そこにすがって先を見たくなる。だからこそ、淡い光が踏み潰される無残さがしんどいわけだが。
これを表現するのに、『刃物』が印象的に使われていた。
最初ジャンヌが握っている剣は、何の役にも立たない。少女は救えないし、自分を侮る部下にも勝てない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
それを疎んで王都を離れたジャンヌは、鍬を手にする。しかしそれを握る手つきは剣を扱うそれで、地面を耕す生き様は、聖女として岸として守られてきた彼女には遠い。ジャンヌは刃物を巧く扱えない
そんな日々の中で、唐突にエルが宿る。人理を超越した胚胎は、刃物土地を必要としない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
神の恩寵そのものであるエルは、ジャンヌが巧く獲得できなかった食料を運び、人生に光と潤いをもたらす。ジャンヌはナイフを握って馬を削る。他人に勝つためでも、似合わぬ仕事をするためでもない刃物。
それがエルに喜びを与えられていたのは一瞬で、親子は追い詰められる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
ジャンヌは鋏を握り、かつて切り落とさなかったへその緒の代わりに、エルの翼を去勢する。死体から更に血を搾り取る。
ジャンヌは刃物を巧く扱い、我が子の命のみはすくい上げた。しかしそれは、あまりにも寂しい器用さだ。
刃物が機能しない世界から、刃物を必要としない世界へ。そして、刃物でしか何かを切り取れない、守れない世界へ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
今回ジャンヌとエルが辿ったのは、バハムート以降(そして以前)の世界の縮約図だ。みな刃物と血に絡め取られながら、何らかの決断をする。残忍を、惰性を、あるいは無力な祈りを。
あんだけ重たい話を引っ張ってきて、一発で『いつもの雰囲気』に戻してしまうニーナには独特の圧力がある。バカなだけ、ともいう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
刃物と血の世界の中で、龍はどういう道を選ぶのか。その無邪気さが救いになる気もするが、エルの光はあまりにも無力だった。ニーナにも厳しい波が押し寄せるのだろう。
それでも僕は、赤い祈りとともに主役の頑張りを願いたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
生っちょろい現実世界に生きる視聴者として、『こっち側』に近い答えを背負っている彼女たちに、諦めてほしくないなと思う。
それに答えるように、堂々と脱獄宣言する女たちがとても頼もしい。そういう無責任な光は、やっぱり大事だ。
祈る人々の無力さを見ると、暴力的な世界で暴力を選んだシャリオスの必然性はグッと際立ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
それは世界の理不尽さに押し流されての『仕方のない』決断であると同時に、意思を込めて選び取った覇道でもある。ジャンヌ親子と同じく、それは人生の重みを宿した『道』なのだ。
皆迷いながら、あるいはその迷いを内側に閉じ込めながら、己の道を選ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
ニーナは未だ、道のあることを知らない。
ジャンヌやアザゼル、シャリオスやカイザル(彼も道半ばか)といった、『Way』を選び取った人々の生き様に触れることで、ニーナなりの決断が物語に刻み込まれ、道となる瞬間。
それがいつくるのかは解らない。ジワジワと舗装されつつはあるが、決定的な転機というのは未だ見られないと思う。(じゃないと、ジャンヌの過去聞いてあのリアクションは出来ない)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月10日
しかしそんな彼女の迷い路、そこで切り取られる無数の問いかけに付き合う道が、僕は楽しい。このアニメが好きだ。