『弟の夫(田亀源五郎、双葉社)』読了。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
ゲイでガイジンで、疎遠だった弟のパートナー。父子家庭に青天の霹靂のごとく訪れた異物との奇妙な日常、そこからの勇気ある跳躍を経て、主人公が家族と弟の死、よりオープンな世界を是するまでの物語。
間違いなく世評どおりの傑作であり、非常に面白い漫画
圧倒的に上手く適切なマンガであるのだが、まず良いのは4巻という長さ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
全てのエピソード、全てのコマが『ごくごく普通の、偏見も公平さも持ち合わせた一人の男が、マイクが代表する世界、背負う弟の死を受け入れられるようになるまで』という物語に必要で、カットするところがない。
ゲイや公平性、多様性、プライドや博愛。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
かなり大きな倫理について語る物語なのだが、この漫画はとにかく普通に漫画で、離婚や弟との死別でネジ曲がりつつなんとか居場所を確保している男が、小さな、しかし決定的な人生の裂け目を乗り越えて自己を獲得していく、コンパクトな物語に仕上がっている。
弥一が持つ偏見や小心さは非常に身近で、過剰な衝突を妄想で済ましてしまうところまで引っくるめて、コミカルなアイコンというよりは生身の人物である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
ストーリーも絵も、一市民、一人の父親であり人間である弥一の遍歴に相応しく、非常にコンパクトで切実に展開する。そのサイズが非常にいいのだ。
疎遠だった弟が外国で同性結婚をして、死んでしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
そこへの当惑、ゲイという異物を家に向かい入れる抵抗感。
一巻序盤で描かれる弥一のリアクションは、非常に嘘がない、普遍性のある現代ニッポンの本音だと思う。積極的に排除するほどではなく、理屈では大事だと判っていても、距離がある。
魔法のように日本の風景が変わって、ゲイや片親家庭が偏見なく向かい入れられる未来を、この漫画は描かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
風景は非常に繊細で生々しく、肌触りがあるまま展開していく。変わっていくのは唯一つ、弥一の心だ。荒々しく思えて非常に内省的な弥一はモノローグを多用して自分と向き合い続ける。
無意識に『恋愛=男女』だと考えてしまう自分。『ゲイ=セックスモンスター』という偏見に支配されている自分。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
ぎこちない日常に、マイクを素直に受け入れられない自分に傷つきながら、弥一はじっと自分を見つめ、じっくりと自分を変えていく。その穏やかな歩み方に、焦りはない。プライドだけがある
この漫画は『自分の鏡像』をよく切り取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
鏡に写った自分、影、妄想の中の自分、あるいは夢、回想。
自分の延長線上にありながら、自分ではない存在と向かい合いつつ、ごく普通の中年男性・弥一は自分の中の偏見、マイクという男個人、それを包む日本社会と対話していく。
それはつまり、この漫画が双子の弟、その喪失に向かい合うまでの物語だからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
序盤、涼ニの顔はけして描かれない。カムアウト以来疎遠になってしまった弟と、弥一が向かい合っていない以上、鏡に写った双子の顔は描けない。それはつまり、失ってしまった寂しさに蓋をして、目を背けているからだ。
Miss you。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
失ってしまったものへの哀惜と、どう向かい合えばいいか分からなかった弥一は、マイクと飯を食ったり、トレーニングをしたり、温泉に行ったり、様々な時間を共有することで、ようやく四巻で弟の顔を見る。
男同士が結婚式を挙げる姿を『素敵な式だね』と心から言えるようになる。
つまるところ、この話はそういう話なのだ。一巻で酔っ払ったマイクに包容されたとき『このホモ野郎!』と言いかけた男が、あるいは挨拶代わりのハグを受け止められなかった男が、ガイジンのホモを家族として包容できるまでの物語。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
そこに至るまでの全てが、4巻に纏まっている。
4巻でのハグにおいて、弥一は敷居をまたぎ、『家』の外側に自分から出ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
それが当たり前だと思っていた偏見。見て見ぬふりをしていた、自分の中の悲しさ。マイクという異物の到来、それとの対話がなければ閉じこもっていた殻から、弥一が飛び出したことを見事に描いているシーンだ。
ゲイやガイジンという(悲しいかな現代ニッポンでは)『異物』(になるしかない)を扱いつつ、ここまで広範な支持…『この漫画はマジすげぇ』という評価を受けたのは、やはりそういうコンパクトで体温のある人間の変化と成長を、一歩ずつ嘘偽りなく描ききれたからではないかと、ぼくは思うのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
作者の冷静でありつつ、優しさと怒りと抗議に満ちた視線は、様々なものを切り取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
片親家庭として善意の偏見を受けているマイノリティたる弥一が、『同病相哀れむ』的な理解を、同じマイノリティであるマイクには向けられない姿とか。
積極的な排除ではなく、『空気』で喉を締め付ける社会の眼とか
ここらへんの微細な空気が成立しているのは、作者の漫画技量が図抜けていることが大きい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
擬音を極力減らし、無音のシーンの中で表情の微細な変化を読み取らせるコマ割り。背景を大胆に省略し、心象を絵に塗り込めたシーンの雄弁さ。漫画の巧さが、難しいテーマを日常に乗っけて食わせている。
そういう語り口の絶妙さが、激しく漫画的な盛り上がりに欠けつつ、だからこそ身近な物語…弥一やマイクを『自分の鏡像』として見られる物語を、じわっと読ませる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
ハードコアな闘争の物語は、作者は十分以上に書ける。"銀の華"や"ウルトゥース"の激しく背徳的で、切ない物語を見れば一目瞭然だ。
しかしこの漫画において、そういう熱のある展開は妄想として可能性を示唆されつつ、あえて選択されない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
マイクを『このホモ野郎!』と罵ることも、善意の偏見を向けてくる教師に抗弁する展開も、現実には起こらない。弥一郎は静かに優しく激情を飲み込んで、穏やかな道を選択する。
波風が立つ『見せ場』を想起させつつ、あえて外して穏やかに進めていく運びが、ゲイ受容という尖った題材を穏やかに飲み込ませる魔法に、一役買っているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
非日常の見世物として、僕らが想起してしまう可能性を、頭ごなしに消去するのではなく、パラレルとして認めつつ選択しない表現法。
それが、マイクと弥一が和解し、弥一と涼ニが和解し、弥一と弥一自身が和解するまでの物語を、『感動的な使い捨ての読み物』という領域を超えた、凄く身近で当たり前の日常として受け入れさせているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
そこで可能性まで捨て去ってしまったら、完全なファンタジーになっていたのではないか。
そういう誠実で微細なバランス感覚は、弥一が自閉し自衛していた状態(ある種のクローゼット)から抜け出す描写からも見れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
弥一は『鏡に写った自分』として他者を見ながら、己を見つけ変化していく。自分と似た誰かだからこそ、橋をかけて歩み寄ることも出来るのだ。完全な異物とは対話できない。
それはとてもエゴイスティックだが、人間の一つの真実だと思う。孤独な存在として自分がありつつ、それを前提として他者に手を伸ばさざるをえない存在。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
去りゆくものをMiss youと思うのは、どれだけに通っていても他者には絶対になれない、しかし他者を求めざるを得ない人間のカルマ故だ。
孤独と融和の矛盾に引き裂かれた人間存在が、どうやって他者を認めていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
よく考えたら自分とよく似ている存在を、鏡の中で、影を見て、双子の面影を認めつつ諦めることで、適切に是認していく。どうなるかわからない不安ていな他者を、そのまま肯定していく。
それは『ゲイでガイジン』なマイクという、分かりやすい他者だけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
献身的に成長を見守る『身内』の夏菜とも、未来がどうなるかは解らない。どれだけ愛しく思っても、他人は他人であり、それはけして寂しいことではない。プライドを持って、個人の道を祝福してやればいい。
弥一がそういうゴールにたどり着けたのは、他者という『鏡写しの自分』を見つめることで、自分がどういう存在なのか、把握しコントロールしているはずのエゴがどれだけ傷つき、制御不能になっているかを見つめた結果だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
弥一自身もまた、弥一にとって他者だったし、常にそうあり続けるのだ。
『弟の夫』との奇妙な、しかし真実人間的な同居生活を通して。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
弥一のコンパクトで体温のある変化を通じて、ゲイというメインテーマを内包しつつ超えたより大きな場所へと、作品を自然に導けている手腕、熱意、誠実さ。
それがやはり、この漫画の非常に強い部分なのだと、完結して思う。
弥一とマイクがハグするまでの物語は、ゲイとストレートが和解するまでの物語だ。それと同時に、もっと大きな、エゴと他者性にまつわる真摯で、叙情的で、面白い物語でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
そういう重層性がミッシリと、4巻の中に過不足なく詰まっていること。語りきれていること。
それはやっぱり、とんでもなく偉大なことだし、非常に単純に面白いことだなぁ、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
派手なことは起きない三週間の、長くて短い人生の物語である。傑作であるし、神棚に飾っているより常に持ち歩いて、何度も見返したくなる漫画である。
完結おめでとうございます、ありがとうございました。
追記 涙の表現法
追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
色々好きなところがある漫画なのだが、直接的に涙を流すシーンが一巻のマイク以外なく、クッションをかけているところが特に好きだ。
それはキャラクターのプライドを守る表現であり、涙が持つ凶暴な共感性を繊細に排除し、視聴者に自発的に歩み寄らせる戦略でもある。
涙を流すということは、血を流すということだ。自分と同じように痛みを感じ、感情があるということで、だからこそ物語に必要な共感を強制的に発生させる記号として、便利に使われもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
『あ、これはオレの話だ』と思ってもらわないと(劇作としてもテーマとしても)機能しないこの漫画、涙が少ない
大泣きをど真ん中から描かなくても(描かないからこそ)、読者がじわりじわりと一歩ずつキャラクターとテーマに接近し、想像し、共感する。させることが出来る漫画的腕力を、作者が信じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
だからこその表現だと思う。
第6話ラストの滲む月の表現など、その極地だろう。
ストイックにコマの中に何を収めるか、コマの外側で何を想像させるかを制御しきった結果、生まれる詩情。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月15日
それがこの、ひどく素朴でロマンティックなお伽噺を、真っ向から食わせている大きなパワーだと感じた。キメ所での圧力と温度がとにかくとんでもないのだ。勝てる所で勝てる漫画はほんと強い。