神撃のバハムート Virgin Soulを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
なにものが、無辜なる幼子の犠牲を贖うことが出来るのか。答えの返らない問いを前に、涙を食い殺して顰め面の戦備えを整えるものたち。憎悪で繋がるワタシとアナタ、それは恋より強い絆。
とにかく重たい全面戦争前夜、あるいは幼年期の終わり。
ムガロの死…というよりも、生の終わりから始まるエピソードである。希望も込め、生きてくれるものだと思いこんでいただけに、あの情け容赦のない命の終わり方はキツい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
音声は飛ばしているものの、必死に生きようとする荒い呼吸、消えていく灯火の重さがずっしりと共有される。
呆然と、自分を刺した理不尽を見る子供の目。土気色になっていく肌と流れる血。無力。一瞬だけ流れて消える涙と、固まる覚悟。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
地すべりのように状況が戦争へと流れ着く今回は、ムガロの死という巨大な理不尽が全ての足場だ。だから、その死を真正面から描き切ったのは、正しい演出だったと思う。
しかしまぁ、それは辛い。あの子が死ぬべき子供ではなかったからこそ、ジャンヌは戦士に戻り、アザゼルは戦争を唆し、ニーナは笑顔を忘れた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
その思いを僕も共有できているのは、なかなか得難い物語体験だ。だからこそ、重くて痛くて辛い。笑いや恋という、逃げ場所…潤い、か、がない。
窒息しそうな重苦しさを残して、ムガロは死んだ。そこから全てが地滑りしていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
決定的な破局を叩きつけられて、とっとと道を定めてしまう大人たちの迷いのなさが、怖いし哀しい。アザゼルが流した二筋の涙は、ムガロとの思い出であり、愛の残滓であり、最後の甘さだったのだろう。
同じように表情を固め、迷いなく天界へと帰還するジャンヌ。王に乞われても握らなかった武器を手に、聖戦を呼びかけるその姿は、決めつてと拒絶に満ちている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
アザゼルがルシフェルを前に、紛争を煽ったように。置いてきたはずの過去が、ムガロの代わりに墓場から這い出して、彼らの足をつかむ。
過去への帰還という意味では、ファバロですら半分そうだ。アサレンドの凶行を、ファバロは隠さない。妹分のロマンスのようには。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
その時手入れしている刃は、彼が殺意を取り戻していること、暴虐非道の賞金稼ぎだった過去に帰還していることを示す、冷たい鏡だ。
しかしファバロは、努めてクールな『大人』であり続けようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
アザゼルとカイザルの憎悪のぶつけ合いを前に、否定しようのない事実だけを告げ、状況を導こうとする。
ニーナの心に軽い態度を演じながら入り込んで、彼女を支えようとする。
そして、皇帝の心を決めつけようとはしない。
ファバロは『本当のことは分からない』という。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
アザゼルとジャンヌが、神と悪魔に陣営を分けてもムガロへの愛、無念と憎悪で繋がり、『王の殺意がムガロを殺した』という幻影に飛びついたのとは、反対の態度だ。
煮え切らないとも、慎重だとも言えるだろう。
それが褒められるべき立派な態度なのか、感情に蓋をした冷血漢の対応なのか、僕には判別しきれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
憎悪に押し流されつつも、感情を押し殺して状況を作ろうとするアザゼルとジャンヌも、ある意味手段をわきまえた『大人』だ。そういう凄くむき出しの生々しさが、今回物語にみっしり詰まっている。
ニーナもそれに叩きのめされ、無邪気な少女であることを止めてしまう。ムガロの死体を前にしても泣けないまま、掃除という日常を繰り返し、それが思い出の洋服で破綻する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
楽しかった日々、生きていた鼓動、なけなしの思いやりと笑顔。そういうものが無くなってしまうのが、王の覇道なのだと思い知る
スラムの地獄を見ても湧いてこなかった実感が、ムガロの死によって膨れ上がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
王が他人を踏みつけにし、奪うことによって富をもたらすということは、ずっとそういうものだった。百億の悲嘆と千億の遺骸が、綺羅びやかなロマンスの足元にはずっと埋まっていたのだ。気づかなかっただけだ。
そういうものを叩きつけられてなお、『よく分かんない』といえる程、ニーナも子供ではなかった。…バハムートの暴走により父が死骸になった時、そういう時代はすでに終わっていたか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
押さえ込んでいた感情が涙となって溢れた後、死を受け入れた彼女はファバロに言う。『王様の話を聞かなきゃ』と
それは2週間前までの、ロマンスの延長線上にある気楽なコメディでは、もうない。ファバロがボウガンを突きつけ、殺してでも止めると冷酷に言い切ったのと同じ重さが、ニーナの決断にはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
兄貴分の領域までニーナが上がってきたのを喜ぶべきか、幼年期が切断された痛みを嘆くべきか。
あの時撃てなかったファバロは、ニーナに『何か』を見ているのだとおもぅ。助けれなかったアーミラ、父親を奪われた過去の自分、かさぶたになっても出血する心の傷。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
そういうものが、目の前で変質してしまう残酷を前に、ファバロは軽口を失ってしまう。皆が真面目な顔になっていく。
VSはずっとそういう話で、ニーナが実感しようがしなかろうが、悪魔は闘技場とスラムでバンバン死んで、天使は人間皆殺しを計画していて、むき出しの死体と凶器で満ちていた。元来シリアスな話だったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
コメディとロマンスでヴェールをかぶせていた世界のリアルが、ムガロの死で噴出した形か。
『ワタシの大事な人を奪うなら』とニーナは言う。彼女の視野は別に広がったわけじゃない。スラムの現状を見てなお、自分ごととは思えなかった時代から、そこまで変わったわけじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
ただ、己の半身と思える愛しいものが、理不尽にもぎ取られる痛みで、強制的にまぶたを開かされただけだ。
カイザルが追い求めていた、神と悪魔と人間が共存できる道。その前には、ムガロの死のような分厚い理不尽が、ドンと立ちふさがっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
その重たさを前に、現実を暴力で動かす道を選んだものがいるし、それでもなお、曖昧な場所に人間のまま立とうとするものもいる。道を定めきれないものも。
妄想をたくましくしてみると、シャリオスもまた、彼ら(そして僕ら)にとってのムガロのようなかけがえないものをもぎ取られ、その重さで子供ではいられなくなったのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
巨大な理不尽に復讐し、己の証を立てるために王冠を被り、死と契約したのかもしれない。
そして、世界を満たす理不尽への憎悪は、共通言語にはなりえない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
お互いがお互いを理解しないまま、あるいは理解してもなお、譲れぬ一線を引いて殺し合う。
腰まで砂に埋まってなお、喉笛を狙い合うスペイン式決闘にも似た、残響して和合しない、憎悪と復讐の連鎖。
『話を聞きに行く』ニーナが、ファバロが、カイザルが立ち向かわなければいけないのは、そういうものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
『許す』と言葉にするのは簡単でも、それを行うのはあまりに難しい。手を取り合うという理想は、ムガロの血で汚れた過去を、己の中で荒れ狂う憎悪を、丸ごと飲み込むということだ。
神ならぬ人の身に…というか神すらもあまりに人間的にすぎるこの世界で、果たしてそこまでの『許し』が可能なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
アレサンドの人間的揺らぎを『不可解』と言ってしまうカイザルは、己の理想に鋭く、真っ直ぐにいられるのか。
子供ではいられないほど辛いことがあっても、子供であり続けれるか。
そういう、一切先の読めない問いを思いっきり叩きつけてくる回だったと思う。これから先どうなるかは、さっぱり分からない。それほど剥き出しのものが襲い掛かってきて、色んな人を押し流す展開となった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
ここまで来たら、もう真正面から理不尽と憎悪、そして恋と取っ組み合うしかなかろう。
相変わらず芝居の濃度が濃いアニメで、それを読むことでパット見の情報以上のものを手に入れられもする。その分、引っ張り込まれて苦しいわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
アザゼルの表情の変化、それを台詞で語らないことが、彼の心を貫いた痛みを重たく伝えてくれた。涙が乾いたあとは、ただまっすぐに復讐に赴く足取り。
ジャンヌもまた迷わないのだが、立場は違えど『ムガロを愛していた』という強い連帯が、期せずして神と悪魔の同時攻撃を可能にしてしまうのは、あんまりにも寂しい偶然…必然か、だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
ルシフェルとガブリエル、二人の権力者に向かい合う時、二人の『大人』はむっつりと仮面を被り、怒りも涙も流さない
シャリオスの血でしか贖われない、愛が奪われた空白。胸の中で荒れ狂う嵐を押し殺してしまえる物分りの良さ、目的のために手段を握り込めてしまえる賢さが、とにかく辛い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
感情のままに振る舞える愚かさは、思い返せば生易しい特権だったのか。シャリオスもまた、ニーナをそういう目で見ていたのか。
アザゼルがルシフェルを前に、凄く冷静に利益を提示し、論拠を示しているのが、なんかキツかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
包帯悪魔だった頃は胸の中の憎悪を堂々とさらけ出していた彼が、テロルの瞬間に叫んでいた彼が、本当にやりたいことのために『大人』になろうと務めている。その努力は、凄く痛く見えた。
アザゼルとカイザルがいがみ合う、剥き出しの世界の実相を前にして、ニーナは身を縮め、耳をふさいでいた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
そのすすり泣きを前にして、矛先を収めるだけの優しさは、まだアザゼルにある。煮え切らないルシフェルを前に、いら立ちと憎悪を全開にしてしまう激情も。
その『子供』っぽさが何かを救うのか、はたまた破滅につながるのか。わからないことだらけの今回にふさわしく、そこはさっぱり見えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
無言で戦士…殺戮者の装束に着替え、かつての怜悧なる戦乙女に帰還してしまったジャンヌの頑なさも同じだ。全く、物語は予断を許さない局面に飛び込んだな。
そういう極限への引き金を引いたアレサンドは、全く己を捕まえられずにいた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
『神の子』『皆に愛される、満たされた子供』という看板だけを見て、漆黒兵の実情も、奪った命の重さも、何も見えない。ニーナを見守ってくれたファバロは、彼の側にはいない。孤独は報いといえば報いだが、見てて辛いな。
冒頭、彼が歩いていた白い景色は、そのまま心象なのだと思う。ナイフ片手に、その使い所もわからないまま、孤独にすっ転んで憎悪をたぎらせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
愛されなかった自分、愛してくれなかった世界への復讐は、誰も幸せにはしない。世界を巻き込んだ大戦争を後押ししても、彼は殺人の事実すら背負えない。
ニーナが号泣する馬車もまた、彼女の心象だ。ガーリーで、よく整理されていて、適切に距離を起きつつもファバロは踏み込んでくれる。無我路との思い出も、大事に大事に飾ってある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
荒野と馬車。屋根のある場所と、剥き出しの場所。子供たちの立場の違いが、それぞれの行動の違いでもあるか。
荒野から王城へ、血まみれの『大人の証明』を握り込んだアレサンドは、漆黒兵の真実を前に狼狽える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
救国の英雄、覚悟を決めた立派な『大人』は、命を蝕む毒杯を体内に埋め込み、己を捨てて国を活かす。それはまったく、主たるシャリオスと同じ生き方だ。踏みつけにしているものも、また。
他人の命を軽んじるのなら、己の命もまた、軽んじられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
残酷な弱肉強食のルールが持っている、否定しようのない公平性を、アレサンドは当然受け止めきれない。ヘラヘラと表情を歪め、後ずさりしてまた転ぶ。どんどん道が分からなくなっていく。道を教えてくれる、優しい『大人』はどこにもいない。
憎むべきなのかもしれないが、僕はアレサンドを憎みきれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
哀しいなぁという想いが先にたつのは、一種の負の共感…『俺もまぁ、英雄のように毅く決断するのではなく、考えなしに道を踏み外してしまうのだろうなぁ』という感想が、自然と湧き出たからか。
慈悲というのは、世界を俯瞰で見ている視聴者だからこその特権かもしれない。許容できないほどの愚かさと弱さが、アレサンドの歪んだ笑顔からはたっぷり放散されている。そこに誤魔化しはない。ムガロの死体と同じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
それでも。孤独な子供のバカな歩みに、手を差し伸べてやって欲しいと思ってしまう
償って、償いきれるものでもなかろう。人が死ぬことの取り返しのつかなさは、今回ムガロの死体を通じてキッチリ描写されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
それでも、ニーナたちは『許せる』のか。同じ子供を殺すことでしか、愛されなかった不満を世界に吠えることが出来ない子供の愚かさ、弱さ、醜さを。
許して欲しいと、無責任に願う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
そうできなかったからこそ、シャリオスは覇道を歩み、アザゼルとジャンヌは戦争へと突き進んだのだろう。それが普通、弱肉強食の荒野での『当たり前』だ。
それでも。人間はそこを超えて何かにしがみつけるのだと、理不尽に復讐する以外の生き方があるのだと。
このアニメが示すつもりがあるのか、ないのか。それもまた、さっぱり分からない。分からなくなってしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
今回提示されたあまりにも重たい、剥き出しの生々しさ。それに思い切り殴打されたニーナが、どういう選択を果たし、何にたどり着くか…今後の物語描写だけが、それを教えてくれるだろう。
描写の分厚さと説得力が全て。ある意味、非常にベーシックな物語の地平に、話が戻ってきた感じもある。それは逃げ道がない、素手での殴り合いだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
良かれ悪しかれ…たぶん良いことに、このアニメはそういう場所に来た。どこまで走れるか。その先にどういう景色があるのか。最後まで見守りたい。
ムガロの死体を苗床に、非常に巨大で名状しがたいものを舞台に引っ張り上げた感じがある。その試みが、いかなる結末にたどり着くのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
分からないが、一つ判ることはある。僕はこのアニメが好きで、その思いにこのアニメは報いてくれてきた、ということだ。楽しかった、ということだ。
その思いには、『わからない』なんていう曖昧さはない。感情を強く揺さぶられすぎて、未だ自分の中でもまとまっていないわけだが、書いていくうちにそこだけは見えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月11日
残り数話。収まるどころか不条理な荒野へと残酷に開けた物語が、何を語るにしても。僕は多分、このアニメを好きで居続けると思う。