セントールの悩みを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
ちびっ子共が一生オシャマな掛け合いしたり、すえちゃんを可愛がったり、抱っこしたりされたり、花の名前に思いを馳せたりするだけの話。
賢しいんだか純朴だかよく分からない三つ子の塩梅が、非常に良いアクセントとなってだらーっと進むエピソード。三億点です。
僕はベイビーちゃんが彼ら独自の世界の中で、背伸びしたり暴れまわったり背丈相応に可愛がられたりする話が大好きなので、今回の話し非常に良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
政治と差別を描くエグい筆と、今回ののんびりした柔らかさが同じ作品の中にあるのは、なかなか面白い。硬軟は背中合わせなのだろう。
作画は引き続きへにゃへにゃだが、そこが微妙な味になってる感じもあり。子供の無邪気な世界が切り取られていて、結構良かった気もする。僕この作品好きな上に、好きなテーマを24分垂れ流しにしてくれる脳髄ドンピシャエピソードなので、あばたもえくぼになってるのは間違いない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
三つ子にフォーカスすることで、彼女らのオシャマな感じ、すえちゃんを(当然)面倒くさく思いつつもちゃんと面倒見ている構えない優しさが、何度も見られてよかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
すえちゃんってぶっちゃけ萌フィルターかけた障害者児童だと思うが、そういう存在が当たり前に家庭にいる描写に不思議な足場がある
今回は子供の話であり、大人=女子高生は輪郭部分に引っ込んではいる。のだが、委員長がすえちゃんを抱擁するシーンが三兆回(個人のイメージです)くらい連発され、子供の世界における大人の仕事が肌触りを持って再確認された。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
子供たちを抱いてやれ、優しく強く…。
こうして一本通しで描かれてみると、高校生を囲い込む『学校』とこどもを抱え込む『家庭』、2つの聖域が作品内に用意されているのが判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
強制収容所が林立する差別的世界の中で、そこに身を置いている間は無邪気な個人的善意が優越できる、特権的な場。作中最大のファンタジー。
ファンタジーと知りつつ、そこに特権的な柔らかさと暖かさを与え続けているのは、明暗のコントラストという意味合いもあろうが好きな処置だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
家族や友人、顔を知って触れ合える距離の人しか凡人の想像力は捉えられないし、そこから世界の断層に向かい合う力を手に入れるしか無いのだ。
KD(KodomoDaisuki)歓喜な幼児描写を暗喩としてみると、『花の名前』は形態に依存しない個人個人の資質であり、それを根こそぎ『雑草』とまとめる先生サイドの大人の事情は、カテゴリーでまとめて効率よく行政処理(虐殺含む)せざるを得ない社会の対応、となるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
そういう含みのない、ごくごく素朴なはにゃーん描写として見るスタンスもあるけども、まぁこの根性ねじ曲がった話にここまで付き合うと、あの無邪気な会話の裏は読みたくなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
雑草という名前の草はない。あの世界の皇室ってどうなってるんだろうね。(エグい世界の、多分タブー中のタブー)
Bパートの美人探しも、あれだけ携帯差別取締が厳しい中でミスユニバースやれてる危うさとか、世間の価値より至近距離の温もりとか、色々含みはあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
それはあくまで周辺であって、今回の軸は幼児の幼児力ではあるが。いや、最高です。素晴らしい。Kodomo Daisuki。
三つ子とすえちゃんにとっては、お姉ちゃんが一番美人。保育園の先生も言っていたが、『母親代わりの女子高生』に勝てる存在など、どこにもいないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
イモいジャージで武装しつつ、ちびっこを厳しく慈しむ委員長は、素朴ゆえに文句無しの『善』である。
そういう素朴さが通用しない領域もここまで散々描かれたが、そこからちょっと離れて、セントール達の幼い日常を切り取る話だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
僕らの目を引くエグい差別を受け流しつつ、あの子達はああいうのんきな日々を送り続けている。世界の残酷さと毎日対峙できるほど、凡人は強くも真面目でもない。
でもそれは、無責任ということではないと思う。幼い子供たちは彼女らなりに真剣に、小さな世界で生きている。それより少し背丈の伸びた高校生たちも、彼らなりの日常を必死に生存している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
そういう個人的生活も、大きな社会構造と同じ重さを持っているからこそ、今回の一話が成立するのではないか。
個人と社会。善なる家庭生活と、差別に満ちた社会構造。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月18日
エピソードごとに天秤に乗っかる対比の、どっちに真実の重みを置くか。それは作品ではなく、視聴者サイドが判断するべきものとして委ねられている印象を、このアニメ見てると受ける。ブラックユーモア作品として正しい姿勢だ。来週も楽しみ。