アニメガタリズを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
思いだけではアニメは作れねぇ! 迫る納期、揺らぐ心。むせ返るほどの嫌がらせのなかで、みのあの『好き』が奇跡を起こす!
パロ元と現在進行系のシンクロを見せる、アニ研勝負の学園祭後編。『内』に切り込んでいった話が『外』に開放される展開が、気持ちのよいEDに繋がった
そんなわけで、先週に引き続きアニメ制作&発表回である。アニメ究極のインサイダー『制作スタッフ』のリアリティに生臭ーく、ディープに迫っていった前回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
アニ研内部に沈み込んでいく展開は今回反転し、家族や運動部と言った『外部』に広がっていくことになる。
もともと色んな所の強力をもらって成立しているアニメ制作だが、今回はみのあパパのヲタバレがいい方向に転がったり、アニメド素人のお姉ちゃんの言葉が道を示したり、お母さんに振り付けしてもらったり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
部室を出ての家での交流が、八方塞がりな状況を打破していく。
親父のディープオタク伏線はコミケ回で既に埋めていたわけで、列整理とコール本配布でラストの大逆転をお膳立てする準備は、色々やってたわけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
凄く脈絡なく、親父繋がりでテム・レイネタ投げてくるのは思わず笑ってしまった。OPの『前回のラブライブ!』っぷりと合わせてキレてるな。
アニ研ですっかり鍛え上げられて、アニメを見て語る側に立ったみのあは、今回アニメ監督としての仕事を完遂する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
それはただアツい語りに憧れてたひよっこオタクから、情熱を形にできるオタクになったということだ。オタク文化のインサイダーとして、一人前になったのだ。その良し悪しは別として。
なので、かつてみのあが背負っていた『何も知らないからこそ、真実にたどり着ける』という仕事は、お姉ちゃんが担うことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
ここら辺の変化は、実際出来上がってなんとか形になってるアニメ、本編に侵食してきたED含めて、非常に感慨深かった。みのあ…立派なオタクになって…。
伸びた背丈が邪魔をして、本当の気持が見えなくなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
アニメオタクになったからこそ、まっすぐな情熱を見失いかけてたみのあと、既読をチェックできるLINEテクノロジーを関連させるのは、ちょっと面白い演出だった。
既読は見せかけで、みんな本気でみのあの思いに応えていた。自分の好きに本気だった
自分の『好き』を素直に追いかけられなくなる足踏みは、かつて仲間たちが囚われ、みのあが開放した足踏みでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
救う側と救われる側が入れ替わるちょっとした逆転を見せられると、お互い支え合ってる感じが強くなって、やっぱ良い。ただ真っ直ぐ進むみのあの熱意が、回り回ってみのあ自身を救う。
『好き』って語れるのって良いもんだね、というみのあの原点、
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
それは家庭でとどまらず、アニメに関係なさそうな運動部を巻き込んでいく。アニ研の外側、無関係そうに見えるジョックスだって、アニメに触れてた過去がある。今の『好き』を足がかりに、十分語る熱量がある。
そう気づけたのはとても良い
それは『アニメが好き』という限定的で内向きな思いで繋がったアニ研が、それを外側に拡大していく運動だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
作品を作り発表することと同じように、観客を積極的に巻き込み語らせていくことも、アニメを広げ、アニメが『好き』な自分たちを広げていくことになる。
先週まで、身内でディープに語り合っていく快楽と強さを深掘りしていただけに、今回ぐっと世界が広がること、そのための活力が狭くて深いオタクの繋がりから生まれていることは、凄く良いなと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
全く違う場所へ飛ぶエネルギーは、今までやってきたことの中にしかないのだ。クソオタクは負けねぇ
かくして観客は集まり、時間ギリギリまで粘ってかき集めた熱意がスクリーンに映し出される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
先週の超絶テクニークなオタク力は薄まり、アニ研は等身大の高校生になる。絵は拙く、演技は硬く、DATにはお母さんの声が入る。爆発シーンのハーモニーだけ過剰クオリティだ。
その拙さが、逆にアニ研の青春をどっかにぶっ飛ばすのではなく、一歩ずつ進む当たり前と接合してくれたと、僕は感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
彼らはクソオタクで、自分たちなりに必死に頑張って、でも届かなくて、そしてそれで良いのだ。あれはTV放送されるアニメではなく/と同時に、学園祭の出し物、青春の1ページだから
あの拙いアニメを笑って良いのは、アレ以上の何かを作った輩だけだし、その大変さを知っている者は嗤わないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
『お前らよくやったァ!』
ステージ最後の感極まった声は、気づけばクソオタクのトンチキ青春群像に共感し、彼らを好きになっていた僕らの声なのだ。
拙いとは言えあのアニメ、色々工夫がしてあって良いと思う。ヘロヘロビームで必死に尺を作ったり、背景のクオリティはかなりのものだったり、魔法少女の菩薩みたいな表情に味があったり、脚本の趣味が一部で暴走してたり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
そういう本気が伝わったから、観客も本気で楽しんでくれたのではないか。
そう考えてあの上映成功に拍手してしまうのは、このアニメがすっかリスキになっている僕の贔屓目、アバタもエクボかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
でも何かを『好き』になるのって、そういう偏りを必ず含む。それを自覚した上で、他人にも届くように伝えていく行為が、『語る』ということなのだと思う。
そういう意味で、部活ガタリズは運動部の『好き』とアニ研の『好き』の偏りを巧く重ね合わせて、お互い盛り上がれる重心点を見つけた企画なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
他人にも通じる熱意を、適切な客観性を宿して『語る』ことで、熱狂は内にこもらず外に拡大し、善い結果をもたらす。そういう風通しの良さ、好きだね
そして中野先輩の得意領域、3DモデルによるアイドルステージがEDに来る、と。コール即合わせは、鍛えられたドルヲタの基礎教養だなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
お母さんは伝説のアイドルか何かなのだろうか…マイクをおしゃもじに持ち替えていたので、多分マスカレードの片割れだったんだろうな。斧ネタはもうやったしなぁ
あまり強調されないところなんだが、どんだけピンチになっても、有栖が漫画金持ち力を封印し等身大で立ち回っていたのも、良い描写だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
みのあがオタクの現場に飛び込んで学んだように、有栖もまた、自分の手で作り苦しむ意味を自分のものにしたのだ。
拙くても自分たちらしく、嘘なく語り切る。伝わるように誠実に、工夫を凝らして相手を見て。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
自分が今まさにやってる『語る』という行為が持ってる、閉鎖された力と開放に向かう可能性両方を笑いとともに飲み込まされた感じで、スッと背筋の伸びる回だった。とても良かった。
かくして学園祭を成功させ、存続を勝ち取ったアニ研。会長を露骨洗脳してる理事長も出てきて、話はまた別のところに行きそうである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月27日
ネコの次回予告がA終わりに入る所含めて、色々イレギュラーな面白い回だったなぁ。らきすたのカラオケEDも、もう十年前かぁ…来週も楽しみです。