アイドルタイムプリパラを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
青い朝焼けに向けて、船が出る。時間を飛び越え、運命を書き換え、悲しみの宿命、昼と夜との境目を乗り越える正しさの船が。
それに乗れさえすれば、全てが報われる。一千年の軋轢も、身勝手な夢も。全てを背負って船は出ていく。
正しさの船が、正しさの海へ。
嘘を言うな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
世界が救われても、僕は救われない。僕を置き去りにして、正しくなっていく世界と、正しくなってしまう彼女なんて認めない。
だから、みんな死んでしまえばいい。
船が出る。正しさの船が、正しさの海へ、正しくないものを置き去りにして出ていってしまう。
そういう物語。
先週に引き続き、相当な圧縮率で展開する最終局面である。準備にたっぷり時間を使ったワリに、過去編はかなりアッサリな感じであったが、開けたスペースを何に使うか楽しみでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
そして食い足りない、ということはない。むしろ過剰であるし、異常に正統でもある。
例によって例の如く、見るべきもの、言うべきことが山ほどあるので、ザクザクとやっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
話の主軸は、前回『わたし』と『あなた』と『みんな』の関係を、しゅうかと向き合うことで適正化できたゆい、彼女のチームメイトである。彼女達は『みんな』を背負い、運命を変える。
プリパラは夢さえあれば、なんでも叶う理想郷だ。虹色の夢は妄想との区別がなく、ミーチルの『プー大陸』という嘘っぱちは、最終局面で実際に奇跡を起こす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
狂人だからこそ夢を信じ切って、現実を書き換えうる。ゆいとパパラ宿、ミーチルとプー大陸は相似の関係にある。
地上の楽園を作り上げ、少女たちの心を開放し、時間を巻き戻し、運命を変える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
夢は常に現実を書き換え、新しくなった世明は『みんな』を乗せて幸福に進む。沈むはずだった島は繋ぎ止められ、混じり合うはずもなかった昼と夜は公平さを取り戻す。
『わたし』から出発し、『あなた』に出会い、『みんな』を背負ったマイ・ドリームは、そういうことを果たす天命がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
眼の前にいる『あなた』を蔑ろにしない(出来ない)から、『みんな』の大切さも判る。その公平さと共感、人間が群れる動物である以上スタンダードである『正しさ』を受け止める。
それはプリパラでずっと描かれてきた物語であり、非常に大事なものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
『み~んなアイドル、み~んなトモダチ』
プリパラはその旗を掲げ、その旗で夢を包んで先に進んできた。『みんな』を適切に視界に入れながら、腐敗せず、『わたし』と『あなた』を混じり合わせながら、正しく進んできた。
そして、そこから弾き出されるものが、絶対にいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
どれだけ精妙な定義をしても、どれだけ『みんな』の横幅を広げても。『わたし』と『あなた』だけの関係で構わないと、『あなた』との掛け替えのない約束を『みんな』に繋げられない存在がある。
愚かだ。間違っている。無様で身勝手で、醜い。
だがそれは、本当に起きてしまうことで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
群れる動物であると同時に、完璧ではない動物でもあるヒトは、どうやったって『みんな』からこぼれ落ちる存在を見落とす。
正しさの船に乗れないパックは、死体を盗み出し、不要に夢を盗み、ガァララを覚醒させる奇跡は主役に掻っ攫わられる。
『みんな』にコミットできない以上、ガァララ個人の生き死にの話であると同時に、彼女を『あなた』として愛する人、昼と夜との宿命に巻き込まれている『みんな』の問題となっている自体に、パックはコミットできない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
正しくない手段は、正しい問題解決に影響を及ぼしえない。船には乗れないのだ。
きれいなドレスを着て、オーラ(衆生の救済者たる菩薩の証明)を背負って奇跡を起こす、素敵なアイドル。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
彼女達は正しく『みんな』と向き合った結果、『わたし』らしく在ることが皆の幸福、論理/倫理的な正しさと接合できている。正しく在れた彼女達の夢は、意味在る形を常に為す。
対してパックは、『ボク』らしく在ることが常に間違いに繋がっている。侵すべきではない死体の尊厳を身勝手に踏みにじり、夢を集めても体を醜く膨らませるだけで、問題解決は全て彼の手の届かないところで行われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
『正しさ』に積極的に背中を向けた彼は、『正しさ』が執行される場から気にされない
価値観と幸福、幸福の分配場としての、輝くステージ。『みんな』の社会は祈りを捧げて、ガァララの復活を希い、実現する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
でも、そこにパックがいないことを、誰も気にかけない。
その孤独は、ガァララとだけ繋がり、他人を踏みにじったパックの自業自得であり、強烈な『みんな』の機能不全だ。
『みんな』と巧くやれないもの。個性の発露が『みんな』を害する方向に行ってしまう存在。『ボク』らしくあることがどうしても、『あなた』の尊厳を認めない形に凝集してしまう魂。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
そういう厄介な反社会存在もまた、『みんな』であり『あなた』であることを内包できなければ、『みんな』は成立しない
今回圧縮された展開の中、『失敗』し続けるパックをあれだけ映したのは、メインスクリーンで展開している『成功』が取りこぼしているもの、『みんな』の『失敗』を、言葉静かに指弾するためだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
お前らは奇跡を起こしてご満悦だが、そこに乗り切れていないやつがいるぞ、と。
お前らが奇跡を引き寄せた身勝手な夢は、こいつも持っているぞ、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
それが誰かの不愉快だから消してしまえというなら、このキラキラな奇跡も浮かれなかったんじゃないか、と。
見たくないんだろうが、この醜い獣はもう一人のお前そのもので、正しさに向かって突き進む物語の埒外に置かれてるぞ、と。
ともすれば『正しさ』ですべてを包み込んで大団円してしまいそうな展開に、パックの描写は泥をぶっかける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
でも、その泥は常にそこにある。
誰かを愛する気持ちは、その人だけいればいいという独占欲と排他を産む。
主役として輝きたい願いは、主役になれなかった時の痛みと憎悪を生み出す。
しゅうかが長い時間と周囲の助けを借りて、ゆいとの敗北を『夢』だといい切れるようになったように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
みみこがアイドルとの出会いを思い出し、受け入れるために旅が必要だったように。
大概のヒトは、それを適切に位置づけ、『みんな』の一員になれる。
痛みも妬みもどす黒い感情も、本来の自分を見失ってしまう迷妄も、プリパラにおいてはラスボスの特権じゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
みんな性格ドブゲロの身勝手野郎で、でもお互い話し合って、受け止めあって、その泥から蓮を咲かせてきた。
プリパラはいつも、勝手な『わたし』が『あなた』と出会い、『みんな』になる。
そういう物語が閉じようとするときに、パックという特大の泥をちゃんと描きに行ったこと、それすらも内包しうる主役の『正しさ』を、ニヒリズムに負けずキラキラ輝かせたことは、とても大事だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
欠点は、長所になりうる。でも適切な使い方を見つけられないなら、それは人を傷つけていくのだ。
プリパラなき現実の世界、あるいはプリパラの中ですら、その尖った個性が誰かを傷つけ、道を間違えていく宿命の哀しさは、毎回描かれてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
だから、プリパラは祈りを込めて『短所は長所』と描き続ける。
視野の狭い虹色の夢、高すぎるプライド、愚鈍。バカさが良さになる瞬間を描く。
大概、短所は短所のままだ。正しさの船は色んな人間の、ドロドロな感情をすくいきれずに勝手に出発し、色んなモノを置き去りにして、それが怪物的に出芽して世界を傷つける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
テロルの世紀となりそうな二十一世紀、そういう正しさの歪さ、願いが呪いになってしまう不完全さは、至る所に在る。
だからこそ、ヴァーチャルな理想郷では、誰でもアイドルになれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
それはピカピカの衣装を着てご機嫌なナンバーを歌い、踊るということ(だけ)ではない。欠点も長所も飲み込んだ一人間を、そのまま『みんな』と接合しうる社会、精神が実現できるという、夢のカタチなのだ。
だからプリパラの『アイドル』は、男も女も、老いも若きも、獣だって区別しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
『アイドル』で繋がる『みんな』の夢、幸福を引き寄せるための『正しさ』への信頼は、あらゆる偏見や区別から自由である。
そうでなければ、正しさの船に乗り損ねるやつが必ず出て、高い塔を壊す。911みたいに。
それはとても実現が難しい理想で、どうやったって船に乗れないやつは出てくる。一つの『正しさ』がもう一つの『正しさ』と衝突し、妥協点を見つけられない事実で、世界はみっしり埋まっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
でも、だからこそ。
プリパラではしゅうかとゆい、ガァララとファララは同じステージに立てる。
夢と現実、昼と夜。相争い傷つけ合うしか道がないように思える理念は、実は対話可能で、お互いの顔を見つめ合って和解できるのだと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
そういう祈りを込めて、昼と夜が混じり合う楽曲”リンリン♪がぁらふぁらんど”は演出されている。
それは元々、一つになりうる歌なのだ。
ガァララはファララと抱き合うとき、『大嫌い』を捨てない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
羨ましかった思い、妬ましい気持ち。心のなかで渦を巻いた泥もまた、ガァララを構成する夜の一部であり、『みんな』の一員になるからって捨て去る必要はない。
『大嫌い』と『大好き』もまた、対消滅する対比ではなく、混ざり合うものなのだ
そんな彼女に、『持てるもの』であるファララが歩み寄り、謝罪したことが、小さな描写であったが的確で、嬉しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
『持たないもの』、余裕のないもの、自分を見失っているものが、譲歩し改めるのは難しい。痛みは常に足を縛り付けて、変化を遠ざける。それは正しくないが、常にそこにある。
だからこそ、少しでも辛くない側が歩み寄るしか、昼と夜が融和する道はないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
孤独で恐ろしい夜に自閉する悲しい宿命を乗り越え、過去の痛みとカルマを飲み込んで、新しい世界に飛び込んでいく『正しさ』を引き寄せるために、ファララは自分から歩み寄り、許した。
ファララも他のアイドル同様、『正しさ』には結果としてたどり着いているだけで、それを志向はしていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
『正しさ』は正しいから正しい。理念はどうしても、そういう教条主義的トートロジーに陥るが、アイドルタイムはなんとかして『あなた』と『わたし』の集合体として『みんな』を書こうとする。
抱き合える『あなた』が好きだから。約束したから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
アイドルたちが『みんな』を求める意志は、常に個人的で身勝手だ。そういうカタチでしか、血の通った『正しさ』は駆動し得ない。
そこから離れていけば、理念だけが暴走し、『正しさ』の船は誰も乗せないまま出向してしまう。
逆に言えば、『正しさ』にたどり着くためには、顔の在る『あなた』をちゃんと見なければいけない、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
同じ孤独な夜の種族でも、ガァララはしゅうか(を窓口にして、ガァルルやミミ子、みあ)を大事な『あなた』としてみた。
パックは見ない。『あなた』は常に、ガァララだけだ。
それが出会えなかった不幸なのか、愛しすぎた故の自閉なのか。どっちでもないし、どっちでもあるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
しゅうかとファララがつながり合う足場として、『アイドル』があったことは幸いである。ステージは、観客…『あなた』がいなければ成立しないからだ。
『あなた』だけがいればいい、という、恋に似た感情。皆それに縛り付けられながら、自分に関係のない『みんな』を踏みつけにして生きている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
でも、そんなふうに踏みつけられている『みんな』に、『あなた』も『わたし』も含まれてしまっていて、自閉と害意は『みんなとしてのわたし』を傷つける。
それで構わないと、『わたし』も『あなた』も『みんな』も死んでしまえと、パックは塔を食う。もう、掛け替えのない『あなた』との約束は、彼を縛り付ける重したり得ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
ガァララの為に始まったはずの行いは、もうガァララすら傷つけながら、中心を失って走る。
それは圧倒的に『正しく』ない。初期衝動は見失われ、大事にしたかったものは損なわれ、歪な形の怪物だけがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
でも。
でも、それは本当のものなのだ。主役たちが適切に向き合えた『正しさ』が救いきれないものが、世界には無数にある。それは主役たちの中にすら、確実にある。
プリパラは物語を終えるにあたって、そこを無視しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
正しさの埒外にある、あることしか選び取れない『あなた』もまた、『わたし』はちゃんと見て、話して、『みんな』になっていこうと祈る。
そうしなかった怠慢も、それがパックを傷つける過程も、ちゃんと描く。
それは、凄い大変なことだ。
夜と昼の宿命はけっこうアッサリ書き換わり、精霊たちの生き方を変える世界が到来した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
世界を書き換え、時間を遡るよりも、愛を憎悪に、夢を呪いに変えてしまったただの獣一匹救うほうが、重たいし大事だと、このエピソードの運び方は告げている。
多分、そうなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
ヒトの世界は、認識と祈りで出来ている。パックが『みんな』を受け入れ、『みんな』がパックを認められたなら、お話は終わりだ。
だが、それは何より難しい。愛されない悲しみ、無用である痛みに吠える獣を前に、正しさは何が出来るか。『みんな』は何が出来るか。
パックと同じように身勝手な夢を背負い込んで、それを体の中に抑え込めなくて走り出した夢河ゆいは、一体何が出来るのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
赤ん坊のようにぷっくりと膨らんだパックに、『怯える必要はないのだ』と。『あなたも、わたしと一緒にみんなだよ』と。
伝えてやってほしい。語りきって欲しい。
それが出来た時、アイドルタイムプリパラは凄く当たり前で大事なものを、必死の温度を込めつつ描くと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
正しさの船が、正しさの海へと漕ぎ出す。それが万人をすくい上げる理想となりうるかは、醜い獣に愛の歌を届けられるかに、全てかかっている。
クライマックスである。
アイドルよ、歌ってくれ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
人を愛することが、理想を追い求めることが、いつしか歪んで呪いになってしまう世界の宿命を、それでも乗り越えられるのだと。
高らかに宣する歌を。
それを聞いた時、僕はプリパラが終わることを、自分の中で叫ぶ獣を、ようやく飼いならすことが出来ると思う。
当然気づいているだろうが、パックは僕らだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
『何がプリチェンだ! 死ね! プリパラ終わるな!!』と、愛着ゆえに叫んでしまう獣の心は、簡単に落着点なんて見つけられない。
でもその呪いは、何も生み出さない。新しい物語だけでなく、愛するプリパラすらもバラバラに引き裂いてしまう。
だからパックは、心の逃げ場所を見つけられない僕らの代わりに、またガァララを愛しつつ無力だった彼自身として、『みんな』にならず、『正しさ』に同化されず吠える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
アイツの叫びは、僕らの涙なのだ。
だから僕たちは、何があってもあの獣を、ただ打ち倒すべき敵だなんて、思ってはいけないのだ。
物語は、自分勝手でありながらずっと『あなた』を見落とせない優しい女の子だった夢河ゆいは、多分ガァララも救う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
歌って、踊って、ランウェイを歩いて。アイドルとしてパックの心を慰撫し、共鳴し、理解していく。『みんな』になってくれる。
それはキャラクターの人生であると同時に。
それに魅せられ、その終わりまで見届けることとなった僕らの物語だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
ありがとう、と言いたい。
終わってほしくない願いを、パックに凝集し、その醜さと切実さを消し去らずにちゃんと描いてくれたことに。
『正しさ』が取りこぼしてしまうものを見逃さず、でも『正しさ』を諦めずにいてくれて。
プリパラという船が出る。終わりという名前の海に、全ての物語を乗せて旅立っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
そこに乗せきれない未練と、溢れんばかりの愛を乗せて、今『正しさ』の船が出る。
その旅路が安らかであることを、僕は祈っている。それが呪いにならないためにも、パックとの対峙があるのだ。
プリパラが終わる。アイドルタイムとしてのピークは、おそらく来週に来るだろう。その後に待っているのが、永い永いエピローグなのか、はたまた別の景色なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
そこに思いを馳せつつ、今はただ、俺たちの顔をした一匹の獣が、どこに行き着くかを描ききって欲しい。来週も楽しみだ。
追記 『脚本の人そこまで考えてないと思うよ』が真実かどうかは原理的に藪の中だが、それでも読もうとする意志と行為には、何らかの意義があるのだと僕は思うから、こうして感想を続けているのだ。
パックが『正しさ』にコミットできないボロボロ大人の思いをすくい上げて暴れる構図が、今後より暴力性を増すだろう政治的・経済的な『正しさ』に満ちた(否応なく満ちてしまう)世界に漕ぎ出していく子供たち(と僕ら)への遠回りなエールになっているのは、本当に凄い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
同時にそれは『お友達が自分以外と遊んでるとムカつくと思うけど、それって危ういからちゃんと考えようね』という、シンプルな児童向けのメッセージであり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
同時にそれは、ただただガァルルが好きでずっと一緒にいたパックの愛が、どうして軋んで叫んで血を流す様子のスケッチでもある。
描写は色んな色相を孕んで多様であり、どんなメッセージを受け取るかは自由だ。(勝手ともいう)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月20日
ただ、そこから多様なものを見るためには、豊かさと強さがいる。やや急ぎ足ながらパックの無様さと切実さを切りに来た筆は、多様な意味を想起可能な力に満ちている。