アイドルタイムプリパラを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
強きものは聞け、弱きものの怨嗟を。賢きものは見よ、愚かなるものの絶望を。
暴力的に振り回される『みんな』に、どうしても取り込みきれない切なるエゴイズム。紫色の殺意が夢の中で微睡むとき、永遠を踊った少女が一人、死に飛び込む。
さあ、アイドル始める時間だ
というわけで、女児アニフィルターを最大限活用しつつ、害意と絶望、テロルに至るどん詰まりの焼け焦げを描くエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
物分りの良い『みんな』ではなく、欲望も身勝手さも兼ね備えた『わたし』一人として向き合ってくれる存在がいないパックの寂しさ、虚しさが、容赦なく暴れるお話であった
システム改変をかなり圧縮かけてやった、前回までの流れ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
そこで空いたスペースを何に使うか疑問であったが、前作主人公が背負うものとその限界点、『眠り』に偽装された『死』の重たさを扱うのであれば、確かに時間がいる。
らぁらが背負って飛び込んだ三年半は、パックを救いきれない。
アイドルタイムのクライマックスは、らぁらが背負ってきた『みんなアイドル、みんなともだち』という題目から、どうしてもはみ出してしまうパックの身勝手を追う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
それは2期ラストでひびきが飛び込みかけ、らぁらがロジックなく暴力的にせき止めた感情に、かなり近い。
共同への意志。『みんな』にまとまっていく志向は、生物種としての人間にとってナチュラルなものだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
弱い生物が群れを為し、意志を疎通し、『みんな』になる。そこでの幸福は最大多数であり、運用している限りは不幸な人はいない。
不幸な人は、もう『みんな』じゃないから。
ひびきは幼少期の経験から、『みんな』のもつ凶暴なエゴイズムに傷つけられ、圧倒的に美しい『わたし』(それはボーカルドールという静止した『あなた』への視線から生まれるのだが)へと脱皮しようとした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
電子的な羽化登仙、実際的な自殺であるそれを、優しいらぁらは当然止めた。
『みんな』でいることに絶望していたひびきが、『みんな』から離れていくこと。それはあらゆる人を背負って成立する真中らぁらの、彼女を主人公とするプリパラの理想を壊してしまう、あまりにも危険な個人主義だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
野放しには出来ない想いを強引に繋ぎ止めて、二期の物語は終わる。
そのケアのため、三期でさんざんエピソードが積み上げられ、ひびきは自顔のない『みんな』ではなく、手の繋げる『あなた』を信じることで、『みんな』へとコミットできた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
『みんな』を飲み込めないひびきが『みんな』になるためには、彼女を主役とした一年だけでは、全く足りなかったのだ。
元々ファンや強敵といった『他者』へのチャンネルを開け、美しいものを自分以外にも見ていたひびきですら、その願いを『みんな』と接合していくには手間がかかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
『みんなともだち、みんなアイドル』は、無謬の教理じゃない。そこからはみ出してしまう『わたし』の思いは、過去も今も沢山ある。
一万年二人きりで発酵(あるいは腐敗)した、パックの情念。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
ガァララに一万年『二人きり』を強いてきたシステムは、かなりあっさり変化してしまった。ガァララ自身は、しゅうかとの出会いもあってその変化にコミットできる。
世界は変わって、わたしも変わる。閉じた場所から開けた海へ。
物分りよくそれを納得できる、あるいは納得できなくてもそれに寄り添ってくれる他者がいて、対話のチャンネルがある場合は、それも可能だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
パパラ宿の少女たちは皆、『みんな』が『わたし』らしくあれるプリパラの福音に懐疑的なところから始まり、ゆいと交流しながらその意味を内面化していった。
今回の大災害、また自分の未熟さがパックを取り逃し暴走させた事実を前にして、ガァララはかなりの急成長を遂げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
『しゅうかがイヤって言うから、ダメ』だった破壊や独善は、ファララとの和解もあって『そういうものだから、ダメ』へと変化している。『みんな』が共有する価値を内面化しつつある。
それはしゅうかに特別に選ばれ、優しく愛される恍惚に包まれ、自分を取り巻く世界の変化を体感できる特別な主体として存在している、ガァララだけの変化だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
声が黒沢ともよで、美しい女の子で、特別な衣装とステージが用意されている『アイドル』の特権だ。
パックは醜い。生き方も言動も行動も、外見も声も醜い。人間の形をせず、性別すら不明な怪物として、誰も彼(あるいは彼女)を特別には愛さない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
パックに語りかける時、アイドルたちは『みんな』の一人として喋るのだ。『みんな』を内面化してしまったガァララですら、そうなのだ。
『み~んなアイドル、み~んなトモダチ!』は綺麗だ。パワーもある。じゃなきゃ、四年半も走れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
だがそれは、『アイドル』たり得ないマスコット…人間未満の未熟な存在は『みんな』に内包されない可能性を、常に孕んでいる。
歌えないパックに、アイドルたちが振り回す歌の喜びは異物…毒だ。
アイドルたちは当然、『みんなアイドル』に救済され変化したのだから、彼女達にとってそれは善だ。作品内の社会(『みんな』)も、そこに隣接する僕らの社会もまた、彼女達の健全な自己達成を、大枠で肯定するだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
そのマスな強さが、自省をアイドルから切り取ることにも繋がる。
旅の回想が活写するように、『二人きり』で閉鎖された世界は楽しく美しかった。『あなた』と『わたし』しかいない世界でも、食べ物は美味しく、風景はきれいだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
パックの怒りと苦しみは、そういうマスからこぼれ落ちる個人的な体験から湧き上がっている。それは確かにあったのに、無くなってしまった
パックは幸せになれる。『みんな』になれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
ゆいが言葉にする夢は、当然事実だ。そうでなければ『みんな』自体が破綻する。しかしそこには常に、重たい現実が立ちふさがる。虹色の夢だけ見ていれば解決する世界だけが、この世にあるわけじゃない。
今回荒れ狂う暴力を前に、子供たちはつくづく無力だ。小さくて、弱い生き物たちはパックがむき出しにした実力を前に、逃げ惑うことしか出来ない。小さい手で殴ってみても、効きはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
パックが壊し、挑戦しているのはプリパラという具象だけではないのだ。
どうしても『みんな』になれない身勝手さの中に、血が滲むほどの切実さと、取り返しがつかないほどの歪みがあること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
そこに血の通った『わたし』として向かい合えない独善が、『みんな』を振り回す行為の中にはあること。
少女たちの夢が、ときにありえないほどに無力であること。
プリパラが見てみないふりをして進行してきた矛盾が、瓦礫の中から湧き出してくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
それは過去にも何度も語られたもので、例えばファルルやジュリィを描く時の『死』の色濃い質感や、ひびきの理想が持っている一部の理、それをすくい上げるために積んだエピソードの量などからも見える。
アイドルタイムを『アイドル不毛のパパラ宿開拓地』として、ゼロから『プリパラがそこにある意味』を照らす形で進行したのもまた、そういう運動の中にあると、僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
白紙から書き直すことで、プリパラの総体をもう一度スケッチし直す。この位置ねんはそういう試みで(も)あったろう。
その臨界点として、パックの暴走とその阻止がある。歌は力を持つ。暴走を止め、言葉を届かせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
でも、耳障りの良い理想を歌う言葉の中には、『わたし』がいない。いても、出会ってしまった圧倒的に正しい『みんな』の光にかき消されて、熱量を失ってしまっている。
ガァララとファララ(『双子が歌って怪獣制御』て、モスラかよ)も、三年半の思いを背負うらぁらも、『あなたの歌』を歌わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
歌うのは『みんなの歌』であり『わたしの歌』だ。私はこうしてパックではない『あなた』に出会って、『みんな』を大好きな『わたし』になれたよ、と。
システムによって、また個人的な歪み(あるいは愛)によって、『みんな』を是とする価値観、またその実感から遠ざけられていたパックに、その価値観は届かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
歌は届く。アイドルはそれだけの力を持っている。だがそこに乗るメッセージにはパックがいない。特別な『あなた』として受け止めていない
ガァララが変わることが出来たのは、独善に見えて『みんな』に接合されていたしゅうかが、本気でガァララを見たからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
『特別なあなた』として一人の少女を愛し、ぶつかり、自分が傷ついても善を教える。そういう熱量があってこそ、『わたし』は『みんな』に繋がる。
ゆいがにのやみちるを変え、あるいはミミ子が変化する切っ掛けを与えられたのも、虹色の巨大な夢が冷たい『みんな』を、熱量のある『あなた』の集合体として向き合ったからだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
虹色エゴイストたる主人公は、そういう部分は一切嘘がなかった。わたしがしたいから、あなたと話す。ずっとそうだった
暴走するパックの涙に悲しみを見る視点は、そういう熱量を失ってはいない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
しかし、なまじっか虹色の視界の先にある巨大な理想を見つけてしまった分、ゆめの語り口には理念の冷たさが宿る。バカなキチガイの妄想は世界を変えて、善として認められた。
だからこそ、個人に届かない瞬間がある。
パックは、臍の緒を切られまいともがく赤子だ。母を失いつつある子供に、理屈が通じるはずもない。そもそも、『みんなは良いもの』という共通観念自体を、社会も個人も、手を取って教えることをしていないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
その重たさは、ガァララの変化を見ていれば納得できる。『あなた』抜きでは難しい。
そこに対峙し、ちっぽけで巨大な一個人の痛みを変化させていくためには、どうしても誰かが『特別なあなた』になってあげなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
『特別なあなた』になれていない、『みんな』の幸福を赤ん坊に押し付けている現状に、目を開かなければいけない。
パックを救えなかった今回、少女たちはそこにたどり着けていないのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
歌が万能の解決薬にならず、第88話で物語を収めてしまった『なんとなく戦って競り合って、勝ってるムード』が停滞(らぁらの夢を思えば、皮肉なことだ)を呼んだ事実が、それをライトアップする。
らぁらを今回犠牲にしたのには、様々な意味があると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
外野席で『危ない!』と叫ぶアイドルたちは、ゆいに迫るリアルな暴力を前に無力だ。身を捨て前に出ること、当事者として身を投げることこそが、友を危機から救い、己を停滞に閉じ込める。
主人公だな、と思う。
らぁらは二年半の物語を超えて、一つの神話を成し遂げた『神』だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
自分が背負う『みんなトモダチ、みんなアイドル』で幾多の困難を制圧してきた実績が、彼女の信念を加速させる。『みんなは善い』という想いを譲ってしまえば、過去に救ってきた人々の想い出を裏切ることになる。
だから彼女は、凄くプリパラ的な『歌が強い』戦いを展開し、ゆいの夢を守ろうとする。『神アイドルになる』という夢を叶えた、前作主人公らしい戦いだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
でもそれは、パックを凍結(ヤシオリ作戦成功ッ!)するだけで、その心を変化させ、物語を落着はさせない。
その展開に、らぁらが主人公であった時代では描ききれない一つの地平へ、この先物語が突き進んでいく予感を感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
歌って、分かり合って、『みんな』に『あなた』を取り込んでいって。
そういうルールでは、せいぜいパックとらぁらを殺すことしか、もう出来ないのだ。
彼女が死んだ(主役をやめることで、一期ラストのファララと同じポジションに、ようやくたどり着けたわけだ)今、物語の解決特権は圧倒的にゆいにある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
らぁらとよく似ていて、でもぜんぜん違うもう一人の主役。彼女が背負うのは『みんなアイドル、みんなトモダチ』と似ていて、違う理念だったはずだ
その強さと意味が、らぁらのいない荒野でこれから試されることになる。凍ったパックの心を動かし、死んだらぁらを復活させうる『強さ』を、どこに置くか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
『みんな』にはもう置けない。それを握りしめたらぁらは、自分と敵を殺す以外の結論に、たどり着けなかったから。
そこを超えた新しい結論、アイドルタイムの最終到達点は、つまりプリパラというシリーズのエンドマークにもなる。ありえないほど大事だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
そのために、これまで描いてきた価値の強さも弱さも洗い直した今回のエピソードは、非常にいい仕事をしたと思う。らぁらを解決主体から外す一手は、絶対必要だ。
そういう『先』への視点と同時に、らぁらを軸にした『前』への視点も鮮烈で、少し泣けた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
コンテンツを背負い、永遠の小学六年生に停滞していた少女の夢は、『成長する』ことなのだ。背丈が伸びて、恋を知って、綺麗で素敵な女の子にどんどんなっていく。
パック(と僕含めたこじらせたファン)が望む永遠の停滞を、主人公は望まない。前に進み、スラっと伸びた虚構の手足に現実が追いつく瞬間を、ずっと夢見てる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
それを押しとどめて、一種のヴァーチャルな纏足を施してきたのが、お話が続いて欲しいと願う僕らの欲望であるという共犯が、とにかく痛い。
今回のらぁらの夢を見て、プリパラが終わるし、終わらなければいけないんだ、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
四年間『小学六年生』であり続けた女の子の未来には、当たり前の時間が流れている。プリパラに見た『理想のわたし』に、体温のある生身の身体が追いつかないもどかしさが、それを阻んできた。
永遠に続くと思われていた祝祭が幕を閉じ、当然の日常が回り始める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
そこでは『死』が『眠り』と言い換えられることもなく、剥き出しの殺意と執着を可愛いマスコットで覆う必要もない。(ここらへんは、第1期のユニコンに通じる部分だなぁ。フィルターのかけ方が、プリパラはほんとうまい)
当たり前でつまらない、老いて劣化していく時間の流れ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
僕らのあこがれとして永遠を踊った少女が、生死の土壇場で見る夢がその平凡であるなら、彼女をそこに送り出してあげなきゃいけないのだろうと、僕は思う。
ウェンディは、ネバーランドの冒険が終わることでしか、少女をやめられないのだ。
それでもまだ、お前らは終われないかと、二重三重のフィルターを通して作品に言われている気がした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
少女の青春は、画面とグッズ販促ノルマにとらわれている限、終わることが出来ない。
終わりは一つの開放でもある。あの子はようやく、『みんな』ではなく『わたし』の当たり前の夢に踏み出す。
それを祝いでやってくれという、血の滲んだ祈りの歌が、らぁらの夢にはこもっていたように、僕は勝手に思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
小さならぁらが最初に願った夢が、高校生の未来と完全にシンクロした、手足の長い自分ならば。停滞からの開放は、終わりは、最初から約束されていたのだろう。
物語から一旦脱落し、新主人公に見せ場を譲ったらぁら。アイドルタイムになってからかなり機能体としての仕事が目立っていた彼女の、血の滲んだ内面を、今回のエピソードはちゃんと描いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
それはやっぱ、すごく大事だし、アイドルタイムでしか描けない沢山のものの一つなのだと思う。
それを語りきったのと同じ筆で、身勝手な愛情、かつて見て打ち捨てられた美しい世界に泣きわめく一匹の獣を、ちゃんと描ききらなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
『みんな』を理想としつつ、そこに取りこぼされてしまうどうしようもないカルマもまた、かけがえのない『あなた』なのだと、抱きしめなければならない。
ひびきの時は、幸運にして物語が続き、『みんな』が『あなた』を取りこぼし、塗りつぶした後の物語を描くことが出来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
アイドルタイムに、その余裕はない。残り四話で、『なぜ私は愛されないのか』というありふれた、それ故あまりにも難しい問に、分厚い答えを返さなければいけない。
それは自分たちの投げかけた問であり、問うた物語だから。プリパラ以外に答えることは許されていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
上手くいくかもしれないし、いかないかもしれない。どちらの結末も、三年前、二年前、一年前、僕らは見守ってきた。
だから、祈りつつ待つ。正しさの船が、正しく広い海へと漕ぎ出すように、と。
歌に耳を開き、それでもなお、過去を望んで人を殺すことを選んだパックは、『難しすぎる』キャラクターだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
かつてのんちゃんに舌を出させ、ペロリと総括してしまった過去を乗り越え、『みんな』の危うさを語りきり、それを背負う主役の強さを描ききれるか。来週が楽しみである。プリパラはやる。
追記 ひとでなし達の恋
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
パックがマスコットであることは、女児アニで流せない悪意やカルマをフィルタリングする装置であるが、同時に無性・無年齢・非人間を強烈な感情に叩き込むことで、それが持つ複雑さにラベルを貼らず、ナマのまま提供できている強さがあると思う。
かつてユニコンが、親の情愛、創造主のフランケンシュタイン・コンプレックス、美しいものに出会ってしまった震えを一心に凝集し、ファルルの生と死に飛び込めたように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
ガァララを求めるパックは子供であり、恋人であり、共犯者であり、忠臣でもある。形がないからこそ、それら全てが矛盾なく真実だ
そういう曖昧なものを物語の中の真実として語りうることが、ファンタジーの持つ強力な作用であり、ポップに再調理された現在の神話として、プリパラがずっと活用してきた強さだとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月27日
恋も愛も憧れも。身勝手さも純真も。矛盾する全てがそこにあり、その全てを無理に切り分ける必要などないのだ。