※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
感想中、今回を『第5話』と全面的に間違って表記しています。正確には『第4話』です。
Free!-Dive to the Future-を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
水の中でも溺れる魚、呪いを発する魔女たちの怨嗟、勝利は未来を連れてこない。
郁弥と向き合うべく大学に向かった三人は、遠野日和の過剰な庇護に妨げられる。
失われた日々。遠い思い出。
かすかな光を覗かせつつ、全てが自由になる瞬間は、まだ遠い。
そんな感じの、中盤のタメ回。石原監督の画面センスが縦横無尽に暴れまわり、不穏さや未来への予感を画面に塗り込めることに成功していました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
全体像を明言せず、なんとなく体感させるエピソードなので、画面の語彙力がリッチなのはとにかく強い。色んなことを語るお話だった。
今回のお話はフラストレーションが溜まるように出来ていて、三人組は問題の当事者である郁弥に接触できないし、勝負をしたところで関係は改善しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
しかし表面的な結果が全てでは当然なく、郁也の拒絶、日和の保護、三人組の呑気さは多層な意味を背負わされている。
今回最もアクティブに動いている日和に目を向けると、彼は2つの顔を持っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
岩鳶で傷つき、今も溺れ続けている郁也の保護者としての顔。
郁也を守るために、彼を傷つける(と日和は認識している)過去から遠ざける鬼。
“外面似菩薩、内心如夜叉“とは女性を形容する言葉だが、だいたいそんな感じ。
この二面性はかなり早い段階で示されている、郁也と三人組を合流させないよう、情報を操作しているシーンの表情の切り替えは、彼が2つの顔を持つことをスマートに見せている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
鬼の顔を、郁也には見せられない自覚も。
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分厚い圧力を表情一つで出しててとても好きなシーンだが、日和は自分が正しいことをしているという確信が、おそらくない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
何か間違っていて、バレたら嫌われるような行為で、しかし郁也を守るためには仕方がない。三人組へのキツいアタリに潜む罪悪感を、画面はしっかり切り取ってくる。
郁也の私室での会話にしても、『先輩が目をかけている、リレーという公的行為に参加して欲しがっている』と、外部への接続を見落としてはいない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
郁也との閉じて特別な空間を志向しつつ、”部”という開かれた場所の意味も同時に見据えてしまう賢さ、公明さが、日和にはある。それが彼を苦しめる。
薄暗い場所に閉じこもる特権は常に郁也のものであって、日和自身は結構光に向き合っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
より良い競泳、より良い友情、より良い発達。水の中で(つまり過去と現在の間で)溺れるのではなく、しっかり水を掴んで泳ぐ郁也の未来は、日和と世界に繋がっていて欲しい。そういう願い。
そんな日和のポジティブさを、中学時代から出れない郁也は拒絶する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
椅子には二人分スペースがあるのに、わざわざ遠ざける。
同じ部屋(現在という時間軸)にはいるが、隣には座らせない。それは現状、岩鳶水泳部の美しい思い出の居場所なのだ。
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否応なく切断され、傷ついたままアメリカで泳ぎ、思い出に溺れる。そんな郁弥を助けたのは三人組ではなく、日和(と夏也)その人だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
だが郁弥は中学時代の思い出ばかりに耽溺し、ずっと自分の隣りにいて、自分を大事にしてくれた日和を見ていない。優しさだけを窃盗し、報いることをしない。
郁弥が暗い場所から出るためには、中学時代からの愛憎に決着を付け、トラウマを克服するだけでいいのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
離別から再開までの中間地点に、確かにあった光の意味を、大事にしなくても良いのか。
薄暗がりの中の光は、果たして誰か。
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歩けないほど傷ついてしまっている人魚姫とは、一体誰なのか。誰が水の中で溺れているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
日和を敵役として強調し、今後に繋がるヘイトコントロールを積み上げているようにみえて、郁也の狡さ、日和の報われなさと空回りを、丁寧にカメラに捉えるエピソードであったと思う。
郁也の拒絶は三期が取っ組み合うべきメインクエストで、それが封じ込められた場所は特権的に暗い。霜狼大のプールとか、悪魔城と間違えるほどの禍々しさである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
そこに辿り着く前の障壁として、日和は便利に使われている。
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『お前の泳ぎは、不幸を呼ぶ』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
遙に呪いの言葉を投げかけた日和は、魔女としての自分をうまく強調した。
しかし同時に、郁也を守りたいのに守れない、見てほしいのに見てくれないフラストレーションも、丁寧に積まれていたように思う。
倒されるべき魔女であり、不満を感じ、改善を求める一人の主体。
そういう存在としての日和を予感させるのが、今回のエピソードの狙い(の一つ)であるなら、それは見事に成功していると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
正直、痛ましい。愛し守っているのにその方法が間違っていて、愛する対象から充分な報いを受けない人は、常に痛ましい。
それが物語構造への奉仕も伴うと、かなりキツい。
憎まれ役は物語のガソリンで、彼らがいい仕事をしてくれないとエンジンは回らない。あるいは便利な潤滑油、都合のいい進行役。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
しかし物語世界に生を受け、一人の人格(キャラクター)として陰影を持ってしまえば、役割だけを押し付けるのは痛ましい。
日和は、どういう風に今後扱われるのか?
それが個人的には、三期全体の評価を決める大事な足場になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
ある意味で、同じ眼鏡系として怜のリベンジキャラなのかなぁ、と思ったりもする。遙の天才性に同化し、潤滑油として便利に使われる自分を肯定できてしまった怜に対し、日和は魔女として呪いをかけてくる。
『お前、ヤバイよ』と。
それは辛辣だが必要な意見で、今回の指摘がないと遙は自分の魔女性に気づけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
実際、遙は他人を引きつける自分の才覚に無自覚だし、その無邪気さがオム・ファタルの引力を強めてもいる。しかし、二期で無邪気な子供時代は終わった。遙は自分の才に責任を持てる、大人になりかけている。
三期の遙は相変わらず口数は少ないものの、結構明瞭に自分の思いを言語化する。誤解がないよう言葉を選び、やりたいこと、やってほしいことを伝えようと努力する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
それは、コミュニケーションを怠った結果こじれた関係(一期二期の物語)から学習した、彼なりの成長だ。
今回も『郁也にあって、離別を謝罪したい。楽しかった思い出を共有したい』と、願いは明瞭に言語化されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
事程左様に、三期は時間を巻き戻すつもりがない。遙を子供時代に戻すつもりはないのだ。
ならば、己の才の負の側面をはっきり指摘してくれた日和は、大事な鏡になりうる。
引き寄せて溺れさせ、引き込んで勇気づける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
遙(が代表する)の才能は正負両方の顔を持っている。凛ちゃんをこじれさせたのも、再出発させたのも『四人でのリレー』であり『遙のフリー』だ。
旭は遙の泳ぎを見てイップスになり、郁也は今も過去にとらわれ、遙をコピーし続けている。中学時代のように
停滞と執着に他人を引きずり込む力は、未来へと彼らを開放する力と同じ場所から出ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
自分がなかなかひどいことと、けっこう大したことを同時に成し遂げてきた事実と、今後もそれが否応なく続く現実を認識することが、三期で遙が果たすべき課題七日もしれない。今回は、それが表面化した形か。
未来に光が待つとしても、そこに至るまでは長いトンネルが続く。闇の中からヌラリと出てくる、悪しき魔女・日和。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
傾いだ構図とかも巧く使って、トーンをコントロールする技術がとにかく高い。これがキャラの仕事を視聴者に直感させ、予感を作る
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構図による関係性の示唆は、様々な場所に埋め込まれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
冒頭、寺島との軽いコメディ。三人組は対立していた寺島の領域に分け入り、情報をゲットする。自分の要求を伝え、相手の願いを見て取り、妥協点を探った結果、壁は乗り越えられる。
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寺島はあくまで賑やかしのサブキャラだから、その対立は深刻ではない。なので、画面は明るいグリーンで爽やかだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
対立の構図もシリアスに引っ張って屋台骨にするようなものではないので、立ち木の境界線は結構スムーズに乗り越えられ、関係性は友好的なものに変わる。
翻って、三人組と日和の対峙。距離も遠く、縦方向にも大きく離れている。それは問題の深刻さ、キャラクターの心理的距離を反映した配置だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
画面の前には鉄柵が横切り、視聴者の視線を遮ってくる。これを乗り越えないと、問題は解決しないぞ、と。
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この警戒線は今回一話では解決されず、最後の最後まで維持される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
スイマーが分かり合う”勝負”を経て、真琴は日和に歩み寄るけども、日和はその手を取らない。
『過去は郁弥を傷つけるだけ』という思い込みから開放されなければ、手を取れない。
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御子柴先輩がこれまでと同じように、”正解”をい雨役を頑張っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
『過去も友情も、適切に使えば強さに変わる。正解は一つじゃない、柔軟性を持て』と、ミーティングのシーンで吠えていたのは、解決法をそれとなく示唆するレトリックだ。
そう、答えはそれしかない。物語はそこに進んでいく。
しかし傷ついた人魚姫(達)は、正しい泳ぎ方、適切な目標地点がまだ判らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
傷つき、離れ、拒絶する経験を経ないと、真実自分のものとして”正解”を受け止めきれない。青春…というか人間の厄介さを追いかけることで、物語は成立するのだ。
そんな厄介さの象徴であり、犠牲者でもある日和との距離感は、基本一まとまりで描かれる三人組の、微細な強弱を切り取ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
夕日の対峙シーン。二本の木が日和の孤立と拒絶をヴィジュアライズする良い構図だが、立ち位置的には遙-真琴-旭となる
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日和の事情(つまり郁也の現状)に心を配らず、自分の正しさを信じて突っかかってくる旭を、遙は何度も体で止める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
心理的成熟度からいえば、遙の方が旭より前にいるのだ。(この差異が、競技の結果に反映される所がスポ根的である。ロマン主義的競技論)
日和がロジックを捻じ曲げ、”勝負”に勝ちさえすれば全てが丸く収まるようなムードを創った後で、真琴は前に出る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
地面を踏みしめる確かな足腰、強い視線、硬い拳。踏み込むことで、郁弥と日和のことが理解できるなら、”勝負”する決意。
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”男の中の女性性”(“女々しさ“と言ってもいいけど)を武器の一つとするFreeだが、ここの真琴は明瞭に”男の中の男”として描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
グダグダした状況をスパッと切り分ける、決断の気持ちよさ。敗北を恐れず進む決意の光。今回真琴がカッコいいことで、物語に一つロジックが生まれれた感じもある。
『勝負はただの勝負ではなく、人生や心や真実を掴み取る、大事なモノなのだ』というロジック。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
競技に物語性を宿し、熱気を高めるために必須のルールを、日和と真琴は共犯して作り上げる。Free!三期がスポ根として成立しうるためには、この五話は凄く大事になるはずだ。
そこら辺は今後の運び次第でもあるが、とまれ真琴は男らしく勝負に挑み、良いところで負ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
競技者のフロントラインから一歩退いた真琴を、負けが約束された勝負に引っ張り出す計算高さが結構好き。そこまで傷は少なく、真琴の侠気は強調されるマッチメークだ。
心を通わせる熱い勝負を、先述のように日和は拒絶する。“勝負“が何もかも解決してくれるシンプルな時間は、とうの昔に過ぎ去っているし、思い返せば中学時代からそんなものではなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
競技には尊厳と繊細さが常につきまとい、水泳はずっとめんどくさいものだった。
そんな事実に主人公が気づくまでの歩みが、Free一期二期だった、とも言えるわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
同時に水中で躍動する身体は、凄くシンプルに真実を捉えもする。『泳げば判る』というのは嘘ではないのだ。現状、そこにたどり着く材料が足らないだけで。
日和に投げかけられた呪いの言葉を受けた時、遙は後ろに下がる。泳者ですらない貴澄よりも、さらに後方だ!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
それだけ日和の指摘がクリティカルで、大事なモノということだろう。積み上げた成長を引っ剥がし、脆い生身を引きずり出す一撃。
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そういう言葉を投げかけてくれる敵は、憎々しいが大事な存在だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
それが表面化しない限り、過去の自分を洗い直し、現在の自分の真実を見つけ、未来の自分をより良い方向に進めることは難しいからだ。
すでに物語を終えて三期に入った遙は、日和という魔女に対峙することで、ようやく泳ぐべき水を得た。
そんな印象を受けた。だとすれば、そういう大事な問いを投げかけてくる日和の存在意義は大きいし、ただ壁として単機能する存在ではない描写も、多数あった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
ここらへんの予感を、巧く膨らませ物語を仕上げてくれると、とても面白く、僕の好みになりそうだ。期待が高まる。
というわけで、色んな人の複雑な距離感が切り取られたタメ回でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
憎まれ役を一人で担当する日和を、憎まれ役で終わらせない描写の繊細さが、どうにも欲張りであり、期待が高まった。
彼なりの純情に報いる感じで、巧く走って欲しいものだ。そうなるよう、視野の広さも描かれてたと思うし。
どうも僕は物語の主役と同じくらい、進行役、潤滑油、憎まれ役を大事に見てしまうようだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
本筋からすればどーでもいい、轢き潰して問題ない都合のいい存在を、物語世界に生きる一人間として大事にしてほしいと思いながら、創作を見てしまう。
キャラクターの役割を割り切って、主役の特別さだけで走る物語はアツくて強い。しかし時に、その脇目も振らない走りが、物語そのものを損なうことがある。それはなんとも、自己矛盾に満ちた歩みに見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
うむ、Free一期の話をしているよ、当然。
三期からはそういう、主役の特権と閉鎖性を特別視しすぎた過去の語りを、自発的に語り直す空気を感じている。僕がそれを見たいから、身勝手にそう見てしまっているだけかもしれないけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
競技を、他者を、世界を、少年たちの特別なサークルと同じ敬意で描く。内側と同じ熱量で、外側を見る。
そういう視座で進むのであれば、”敵役”である日和の書き方、収め方はとても大事になる。そこに意識があることを示すエピソードでもあったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
そして次回は岩鳶に舞台を写し、楽しい合同合宿。東京の感情沼などどこ吹く風、高校生たちは阿呆で爽やかだ。
東京の重苦しい空気を抜くように、ザッピングされる岩鳶。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
次回への導線を引きつつ、宗介の光と闇を切り取る。ここら辺の手際の良さは、複数舞台の群像劇たる三期を、しっかり支えている。
あと、江ちゃんとのロマンスの予感な。ホンマ三期の江changかわいいな…。
宗介もまた、閉じた堅牢なサークルを睨みつけつつ、”私の男”の特別になりきれなかった、魔女=人魚姫の一人だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月2日
日和を切り取る複雑なカメラが、再起という形で”水泳”に切り込んでいく宗介にも及ぶのか。次回はそれが見えてくる話になりそうだ。楽しみである。