白い砂のアクアトープを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
新エリア開設の重責は、新人企画担当には荷が重い。
肩に食い込むストレスを、迷子のイルカを見つめることで晴らしていたくくるに迫る、水族館ウェディングの企画立案。
何のために、仕事をやっているのか。
誰も教えてくれない迷路の中で、息が詰まって、そして…。
そんな感じの上げ潮終わりッ! 地獄めいたストレスに主役も視聴者も押し潰されそうな、夢の跡先アクアトープ第20話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
答えを求めつつ現状に溺れていくくくるを大変鮮明に演出した結果、異様な生々しさで彼女が置かれている状況が迫ってきて、力強い凄みのあるエピソードとなった。
くくるの視野の狭さと息苦しさに、間違っちゃいないが完全正当でもない諏訪さんの上司っぷり、ビジネスシーンの頑なな冷たさが絡んで、なんともまどろっこしいエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
ケツの青い主人公がどこで間違えてるか、かなり容赦なく彫り込む作風が、窒息性の空気を更に加速させる。
くくるが背負ってる魚中心主義が、現代社会においては何かを置き去りにしていることは、第1クールから既に示唆されていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
人間である顧客を最優先に考えるウェディングプランナーさんの”理”を置き去りにした、”魚の結婚式”は、そんな彼女の現在地を残酷に浮き彫りにする。
諏訪さんがくくるに任せた荷重は、そんな現状を思い知らせ、成長の媒介にするための処置…でもあるんだが、あまりにも言葉足らずで情がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
あの人、状況を客観視できるのが強みで、客観視出来すぎるのが弱みなんだな…自分は自分、他人は他人と適切な距離を引いて、それが冷たい孤立を押し付けてる
これはがまがま(の子供であるくくる)の緊密な家族主義の裏側でもあり、何でもかんでも身内に引き込むなぁなぁ主義が、おじいの夢を窒息させ、瓦礫に変えたとも言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
諏訪さんが冷徹に私情を切り離し、客観的な数字で全てを判断しようとしてるのは、その轍を踏まないためだろう。
そして他人にそういう信念は関係がないので、唯一直系の部下であるくくるに自分の思いも、仕事の先にあるヴィジョンも伝えはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
そんなものを共有しなくても自分は動けるし、圧倒的な仕事量も処理できている。
そんな客観視が、アップアップなくくるには伸びていない辺り、諏訪さんも完璧ではない
このお話は色んな主体が様々な問題にぶつかり、それを克服していく群像劇だが、同時にくくる主観で話を支える一人称主義はかなり徹底されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
くくるに見えないものは極力、視聴者にも分かりにくく共感しづらく描くことで、話の印象をぶらさず、一つの視点に固定して進めている感じがある。
さり気なく映像にヒントを紛れ込ませて、ククルに見えている世界の外側、そこにある答えを示唆もしているが、強く印象的な”絵”で視聴者の感覚を握り込むことで、後に視野が広がった時の衝撃を最大化している感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
がまがまがもう限界だと気付いた時の、インパクトと納得は未だに瑞々しい。
今回描かれていく窒息性の空気も、そんなくくるの主観を通じて描かれていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
今回のエピソードにおいて、青くて活き活きした自然はとにかく、くくるの手の届かない所に配置される。
自由で、為すべきことが解っていて、強く輝いているもの。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第20話より引用) pic.twitter.com/o44D5Pv0R3
鳥もイルカも魚も、くくるが触れ合いたい…エゴイスティックに癒やされたい命はガラス、あるいは波の向こう側であり、そこに接近していく自由は”仕事”に縛られて遠くにあり続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
ただ閉塞を描くのではなく、目の前に在るのに飛び込めない理想を間近に置くことで、それを強化する描画。
こういう所を徹底的に重ねていく映像構築は、やっぱこのアニメーションの強い力であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
くくるが現状をどう感じ、何に救いを求めているのか。
すっかり明るく楽しい負けん気が鳴りを潜め、諏訪さんの側にいることが不快な恐怖になってしまっている描写と合わせて、よく染みる。
くくるを閉じ込めているものは常に人工的な檻の中にあり、それは青く自由な自然と対比され続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
諏訪さんが柵の向こう側、遠い存在である描写は既に幾度も積み重なっているが、今回はくくるも人造物の奥に幽閉され続けている。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第20話より引用) pic.twitter.com/xb9NY3FXzE
自然が織りなす複雑な曲線と、多彩な色彩と輝き。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
これに対比するように、くくるを取り巻き縛るものは(たとえ木の質感を生かしたナチュラル素材であっても)どこか直線的で、単調な残酷さで切り取られる。
それは彼女が身を置く環境を、自分のものとして引き寄せられない認識の反射だ。
半歩踏み違えば重篤な抑うつに入り込みそうな、離人感と気の晴れなさ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
あらゆるものが薄暗く見えて、何処にも自分がいなくて、何もかもが誰かに押し付けられたかのような感覚。
我が事と引き受けると、なんとも生々しく息苦しい性の苦しみに、新人社会人は囚われている。
※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
×性の苦しみ
○生の苦しみ
この描写はシンプルな自然/人工、田舎/都市、あるいは自由/経済という対比に収束するものではないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
この作品は魚を水槽に閉じ込めるエゴ、水族館がわざわざ自然を扱う不自然についてずっと自覚的であったし、その上で都市に自然がある意味、そこで人が働く意義を、くくる主役に考え続けている。
作品の中心にある主観として、くくるはこの分断に自分なりの答えを見つけ出し、都市に入り混じった田舎、自然と共同できる人工を引き寄せ、身を置き、生み出さなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
館長の言葉を借りれば、それこそが『スケールの大きいアクアリスト』という事だろう。
そしてくくるは現状、そこからはとにかく遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
自分がなぜ仕事をしているかも、諏訪さんや館長やおじいが寄せてくる期待=重責の意味も、”仕事”の荒波の中で見えなくなっている。
自分で気づかなければ意味がないことなので、周囲も答え言わないようにしてるしね。もうちょいヒントと助け舟出しても…
っても、この物語が子供が大人になるジュブナイル、様々な年代の境目に橋がかかりうるお話として展開している以上、やっぱくくる自身が苦しみ迷い、その末に自分だけの答えを見つけなきゃ、意義がないんだろうしなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
風花や夏凛が差し出してる手も、見えなくなるくらい限界だしね。
くくるがたどり着くべきバランスポイントは、人工文化の粋たる”液晶の中の海”として、画面に幾度も顔を出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
それはあくまで生の体験の代用品であり、くくるの苦悩を上滑りしていく嘘っぱちとしてしか、現状描かれない。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第20話より引用) pic.twitter.com/HtUZCTglR0
しかし人工のフレームの中に海の命を切り取るアクアリウム…物語のメインテーマであり舞台それ自体が、ここに転写された人工の海達、イデアルなプシュケを扱う場所であり、”仕事”であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
これらの映像を遠く見るしか無いくくるの現状が、如何にして描き直され、己に近いものとして捕らえ直されるか
それをこの、深い谷のようなエピソードの後に続く物語は追うのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
自分のやりたいこと、やるべきことと、出来ること、現状見えている世界の落差が精妙に描かれていて、ストレスフルながら強く納得できる描写に仕上がっているのは、大変に巧い。
クオリティをこういう使い方するの、とても好きよ。
物語はくくるを包囲する山のようなTo Doをスケッチし、海の少女はストレスのはけ口を迷子のイルカに求める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
導きなく群れからはぐれ、どこに行けば良いのか分からなくなっているバンちゃんに、くくるは両親と死別した己を強く重ねていく。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第20話より引用) pic.twitter.com/9SINJhoF6f
慣れない企画仕事は出来ない自分を浮き彫りにし、無力感が空回りの痛みを強化していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
なまじっか目の前の仕事にかじりつくガッツと、上向きに持っていける資質があるだけに、深く入った日々を周囲が認識しにくいのは、なかなか厳しいところである。
がまがま解体を告げに来たおじいが、貝の遺骸に満ちた場所に足を置き、くくるが常に波のかかる白砂に立っているのは印象的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
引退し老齢のおじいは、死者たちの静止した世界に近い場所にいるのに対し、くくるは何もかもが流転し、だからこそ生きている領域に身を置いている。
おじいもかつてバリバリ生きてバリバリ仕事をしたからこそ、貝殻置き場からイルカの面倒見に駆り出されもするのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
老人が既に過ぎ去った場所に、若人は今正に苦しみ藻掻きながら飛び込むしか無い。
状況を整え、時にヒントを出しても、溺れて泳ぎ方を覚えるのは本人しかいない。
本来個別の命であるはずのイルカに、自己を過剰に投影する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
本人が気づいていない危うさに、”姉”は当然目を向けている。
僕は動物の過剰な擬人化は危ういと思うし嫌悪するところだが、”仕事”として動物を扱うアクアリストにその徴候があるのは、更に危険だろう。
檻の中に囚われる動物は、人の癒やしのために生きているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
たとえ限定された空間であっても、そこには個別の命、それを扱う時絶対必要な尊厳があるべきではないのか。
一つのことに目が行くと一直線なのはくくるの長所で、そうなると他の全てを置き去りにするのは、まぁ短所であろう。
そこをどっしり構えて広い視野で補いつつ、個人の苦しみにしっかり寄り添う短さも兼ね備えてるのが、宮沢風花という人なのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
ここでヤバさに気づいてる描写があるのは、今回炸裂した爆弾が全部をダメにはしなさそうな安心感に繋がり、大変ありがたい。
とまれ、スーダラな飼育部部長と怜悧な営業部部長の火花なんぞを描きつつ、くくるの”仕事”は重さを増している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
地獄の鞘当を安全圏で黒くほくそ笑む二人を横に、これ見よがしの立て看板が危険信号を出す、雲の多い夜。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第20話より引用) pic.twitter.com/9bsw9NVs6j
雅藍堂さんって見た目(あるいは表面的な書かれ方)よりいろいろ考えてる人で、だからこそうみやん相手に愚痴の盃も干してたんだろうけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
諏訪さんが他人と目を合わせず処理してる数字だけじゃ、人間が触れ合う仕事は回っていかない。
その信念が、構えた所を極力見せないテキトー主義に繋がり…
対立も生む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
夏凛ちゃんが見て取るとおり、仕事に対するスタンスが真逆な二人はお互いを認め合わず、しかし部署を別れて仕事は回る。
そしてくくると諏訪さんは、対等に当てこすれる関係でもないし、一瞬バチバチして自分の居場所に戻れる距離感でもない。
上司と部下の権力勾配が、重くのしかかる。
くくる自身、押し付けられている諏訪イズムの何が不満で、自分がどうしたいのか言語化出来ていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
曖昧であやふやで、だからこそ対処がしようのないストレスの出口も正論と”仕事”で塞がれ、くくるの水位は上がっていく。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第20話より引用) pic.twitter.com/Bcxv92jtyI
魚ならざるくくるは溺れる動物であり、水を自在に乗りこなす領域にはまだまだ遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
積み重なっていくタスクとファイル、オフィスを埋め尽くす人工物。
その噛み砕き方をまだ知らないし、出来ないことが焦りと辛さを生んでいく。
おじいのように、盃に満たして飲み干すには程遠い。
館長代理を任せた時から、おじいは孫に対して柔らかく見えてかなりハードコアな対応をしてると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
過大なタスクをあえて投げて、放任した上で潰れる寸前での覚醒を待つスタイルというか…。
可能性を信じてるとも、監督者責任を放置とも、親なき子が自力で泳ぐための、最後の教えとも言える。
くくるは他人が自分に何を期待しているか(自分が他人に何を期待できるか)を、上手くつかめない少女としても描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
ここら辺、生まれてすぐ親からはぐれ、群れの泳ぎ方を教えてもらえなかった子供としての陰りが、強く伸びてるところだと思う。
巧い甘え方、知らないんだよなぁ…。
その欠落を自然とのふれあいで満たしてきた結果、くくるは極端に魚中心主義に寄っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
そのスタンスは、人間社会では上手く形にならないということを、空回りするプレゼンが教える。
とにかく魚に負荷がかからないように、人間を脇役にした企画。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第20話より引用) pic.twitter.com/9lkgsGrwQn
その未熟さも含め、大変今のくくるらしい提案である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
ぜってぇ事故ると知りつつあえて口出しせず進ませたのは、やっぱ諏訪さんの期待感の現れだと思うのだが。
色んなモノを犠牲に、地獄めいたストレスの中でかきあげた”仕事”が砕けて、くくるの心は絶賛赤信号である。ヤベーぞ!
ここのやり取りで、諏訪さんの根っこが見えた感じがした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
彼は『企画の練り直し、一緒に頑張ろうな』とは言わない。
この企画はくくるの仕事であり、他人が実力と尊厳を賭けて果たすべき、手を出すべきではない領分だ。
だから『お前が企画を練り直せ』という言い方になる。
それは自分と他人の境界線を明瞭に引く、都市的で近代的で経済的な生き方である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
しかし海咲野くくるという、弱くて甘えん坊なくせに他人に頼る方法を知らない少女にとっては、ひどく冷たく突き放されたように感じる向き合い方なのだろう。
俺もこの対応されたら、相当キツい。
多分今の距離が諏訪さんにとっては、直系の部下に触れ合えるギリギリの近さで、くくるにとってそれは死に至るほど遠く感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
この赤信号は主観と客観のズレが全く調整されないまま、責任と仕事量だけが増えた結果迎えた、必然の限界点といえる。
よくあるとも言えるし、マジやべぇとも言える。
くくるが慣れ親しんだがまがまの血縁/地域/非経済主義だと、ここまで追い込まれる前に身内が手を差し伸べてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
心のどこかで、そんなふうに柔らかく温かい洞穴が自分を包んでくれることを、くくるは期待し続けている。
しかしそれは、おじいの言う通り水槽の中に護られた、不自由な泳ぎだ。
世の中色んな海があって、自分とは全く違う海を見据えている人もいて、それでも繋がりあえる豊かさを、洞窟の外に広がる厳しい世界は内包している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
そんな風に”大人”な正解を視野に入れるには、海咲野くくるには欠落と過剰が多すぎる。
やっぱ海咲野、クラい女だよな~(これを確認すると嬉しいマン)
誰も自分を助けてくれない孤独の中で、自分がどこにいるかを見失い、目眩の中で全てが砕ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
愛梨ちゃんに、成長した姿を見せて一緒に笑い合う。
がまがま最後の姿を、瞳に焼き付ける。
忙しさと無力、向いてなさに大事なもの全てが押し流された。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第20話より引用) pic.twitter.com/oPyOTCfy75
特にがまがま解体に間に合わないのは、1クールあそこで色んなモノを見せてもらった自分としても、キツい描写であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
追い込む時は徹底的に追い込む作品なので、正しいストレスのかけ方だし、くくるにとっていちばん大事なものをぶっ壊すのが、物語を先に進める最高の起爆剤なのだが…キツいぜ!
というわけで、海咲野くくるをガッシガシ追い込むエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
この崖っぷちからどう戻ってきて、腫れ上がった患部をどう切開し、膿を出して絆で傷を塞ぐのか。
谷から這い上がっていくカタルシスに、自分は期待が高まっています。
まぁ、そういうこともあるよな、生きてりゃよ…。
諏訪さんが彼なりのイズムで”仕事”と他人に向き合っていることも、見える話でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
彼は意図的にずっと伏せられ、内面が見えない札として運用されてきたので、ここでくくるを追い込む壁になるのは良い運用だなー、と思う。
彼なりの”理”ってくくる一人称の隙間からずっと、描かれてきたもんだと思うし
ただ人間…特に海咲野くくるって人間には、他者を敬して遠ざけるスタイルって足りない部分が多々あって、彼がキーボードから目を上げて向き合うべき人間の顔を、どっかで見れるようになると良いなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
ぶっちゃけ、そっちのほうが効率も数字も良いでしょ…。
くくるが愛着するがまがまイズムって、親の仇のように描かれてる諏訪さんの冷徹な客観産業主義の、ちょうど逆で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
例えば融和する前の知夢からそう見えていたように、過剰に身内温情主義で、公平な処理がなされていない前時代的で非効率な”仕事”に、簡単に堕ちるのよね。
『立場によって見え方が違う』つうことをくくるは実感できないからここまで追い込まれて、諏訪さんは痛感してるから他人に寄り添わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
そんなよくある人間関係の衝突を、凄い精度と情感で切り取るエピソードでした。
くくるがどんどん、自分のストレスの癒やし手としてイルカ見るの、怖い描写だった
風花ってひと足早く、くくる(と諏訪さん)がたどり着くべき適切な距離感、客観と主観のオンバランスに立ってるから、この状況の突破口になると思うんだけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
これを強調するべく、前回風花エピだったんかなーと、構成の妙味に舌を巻いてるところでもあるんだがね。
まー諏訪さんの無理解な圧力、くくるの主観がガンガン狭くなる展開と合わせてヤダ味凄いけど、上手く良い所に落ち着けてくれるとは思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
風花のフワフワ感も、知夢の頑ななヤバさも、キッチリ良い所に着地させてきた物語だからね…必要なピースをしっかり置いて、活用する技量は高いわな。
あとくくるが櫂くんに超甘えてパンチ打ち込んでる時、『いなくなってから掛け替えなさに気づくんだよ~!』とか吠えてるの、どう考えても特大刃月ブーメランで、浅はか少女が自分の言葉に惨殺される未来しか見えねぇ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
お前なぁ…運命が連れてきた”姉”以外の、最も身近な介添人、マジ大事にしろよ…?
まぁそういう未熟で浅慮なところも含めて、俺は海咲野くくるって人間が好きだから、この作品を楽しく見てるわけだけどね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
主役たちの至らなさを伸びしろとして、人間故の業としてしっかり取り扱う物語が、次に見せる展開はどんなものか。
次週、大変楽しみです。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
風花はくくるの明るい表面の奥、欠落と過剰に満ちた内面に深く踏み込むことで、彼女のかけがえない支え、あるいは鏡になった。
諏訪さんはそんなところには立ち入らず、全く正反対の存在としてくくるに対峙する。
高圧的な上司と、友達であり心の支え。
距離感も真逆だ。
追記 俺は主人公が適切に試され、ただただ無為に肯定される快楽だけを垂れ流しにしないお話のほうが好き。
この後くくるが諏訪さんの内側に潜り彼を知っていく展開の中で、自分の中にある新しい自分、外に広がる新しい世界を見つけられるとしたら、その時このお話は風花の象徴する同調だけでなく、異質性によっても人は変わり、生きていけることを描けることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
というかそれを描くために、諏訪さんはいけ好かなく、反りが合わず、冷たく壁の高い存在として描かれ続けたのだと思うけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
がまがまの家族主義、共感主義だけを答えにしちゃうと、凄まじくアンバランスな結論が導かれかねないからな…主役に強いカウンターを当てるのは大事。
真逆に思える存在すらも、共鳴し共調し生存する道を見つけられる希望を、諏訪さんとの対峙、企画仕事との向き合いで掘り下げられるのなら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
それは自然の保護と共存を一つのミッションとする水族館を、舞台に選んだ意味がさらに深まる一手になると思う。
そういう意味でも、こっからの話運びには期待。
追記 再話、対照、比較、融和。物語の基本的な操作が、大変上手いアニメである。
真逆に思える存在すらも、共鳴し共調し生存する道を見つけられる希望を、諏訪さんとの対峙、企画仕事との向き合いで掘り下げられるのなら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月22日
それは自然の保護と共存を一つのミッションとする水族館を、舞台に選んだ意味がさらに深まる一手になると思う。
そういう意味でも、こっからの話運びには期待。