輪るピングドラムを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
けして留め得ぬものを求めて、子供たちは闇に沈む。
救済の残り香が、微かな温もりが、全てを焼き尽くす炎となる日は、暴走した地下鉄のように奈落に落ちていく。
置き去りにした思い出が、夢のなごりを訪れたとしても。
もうそこにあるのは、美しい棺だけだ。
そんな感じのテロルの決算、爆炎と屍に満ちた最終章である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
10年前も辛かったが、10年越しに見てもやっぱり、辛い。
妹を、恋した人を救いたい。
その祈り一本で突き進んできた少年は、結局呪いを振りちぎれずに、生者を食らう呪いそのものとなった。
ここに虐待の再生産、カルトの子供がカルトそのものになっていく不可逆と、復讐が無限に連鎖するテロルの構造が重なって、フィナーレは大きくて空疎な、顔の見えないものを沢山巻き込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
運命、社会、あるいは倫理。
冠葉を追い詰めるモノたちは、けして顔を書かれない。
あるいは顔のある存在が亡霊だけだと思い込んでしまったことが、彼の判断を壊していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
死の国に呼ばれている、そこに旅立つ覚悟を幾度目か固めた陽毬を描く、青白い肌の色、そこにかかる髪の毛の繊細さ。
終わりが近づき、死美人のエロティシズムは凶暴に温度を上げてきている。
前回空っぽになった…空っぽであったことが暴露されたトタンの家は、嘘っぱちの家族の美しい棺である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
そこにダブルHが訪れても、陽毬はもういない。
しかし高倉の姓を持たず、テロルの犠牲者として生き延びた少女が、消えるはずだった思い出と真心を受け取る。
陽毬に優しくしてもらった子供たちが皆、色とりどりのマフラーを付けていることが、とても印象的な出だしである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
それは氷の世界を生き延びるために、穴だらけの寂しさを埋めるために手渡された、一つの傷、一つの癒し、一つの祈りである。
アリアドネの糸のように、運命の赤い糸のように。
生きる寒さを凌ぐ道具を手渡された子供たちは、その残影を探して冬の街を彷徨い、今回は答えに至らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
物語の渦中にあるのは、マフラーを失いテロルに向かった兄と妹達…その優しくて悲しい闘争である。
陽毬の決意にも、真砂子の懇願にも、冠葉はもう、止まることがない。
彼の目は死者ばかり見ているし、つまり生者が死者になってしまう重たさ、死者から託されたもので生きていける生者の輝きを見れていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
多蕗とゆりが、愛憎の刃でえぐられ死の淵に立ち、そこから戻ってきたことでたどり着けた領域。
たとえ儚く消えるとしても、一度きり、それだけで良かったのだ、と
生まれつき欠けたものを愛で満たされた経験を、反芻しながら歳経ていく、無様な生存者達。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
冠葉はそういう立場に、己を落ち着かせることは出来ない。
ずっと、主役たちの不可分な暗喩として描かれていたペンギンが、今回はぐっと身を乗り出して演出に食い込む。
一号はサンちゃんが差し出すグラビアには目もくれず、人生を語る生真面目な本に夢中になって、少女を置いて闇に沈んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
冠葉が尻軽なプレイボーイでいられること、その軽妙さで背負ったシリアスを遠ざけてきた意味が、非常に残酷な形で暴かれていく。
あの懐かしき、ドタバタと笑えた日々。
サイコストーカー女が”M”だ何だとワーワー騒いで、巻き込まれ系主人公が当惑とともに寄り添って、兄貴は時に賑やかし、妹は健気で可愛く…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
第1クール序盤のコミカルな空気は、今やどこまでも遠い。プリクリ様も出てこないしなッ!
それは幻ではなく、確かにあった。
しかしその日々が愛おしいからこそ、冠葉は条理を覆し死を生に繋ぐ呪術を、爆炎と死体を媒介に成し遂げようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
そこにはネジレがある。
本来なら繋がらないものを繋げるべく、ジャンクションを捻じ曲げている存在がある。
でもそれは、眞悧だけではない。
顔を持って、不条理に、そして魅力的に接近してくるその声だけが、冠葉をテロルに落とすわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
むしろ彼を包囲する顔のないものたち、こどもブロイラーと同じく砕けたガラスを降り注がせるものたちも、子供を捻じ曲げていく。
剣山達は、それに足掻いてテロルに墜ちた。
無力な正しさか、間違いきった強さか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
そのどちらかしか掴めない宿命を、高倉の兄弟は背負わされ、この物語を走ってきた。
誰かを殺すことにしか使えない爆薬を、己に縋る妹を振りちぎって、世界に撒き散らす少年。
それはもう、生者ではない。
呪いの入れ物、父母の代理品だ。
あの時弟が妹とともに、外に出ることを選んだように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
冠葉もまた、大事な弟と妹を外に出すために、カルトの内側に残ることを選んだ。
誰かの手を取ることは誰かの手を取らないことであり、一つの運命に身を投げることは、もう一つの運命を投げ捨てること。
そんな残酷さが、ひっそりと描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
ここで陽毬を選べなかったことが冠葉の人生を歪め、その愛を燃やしてもいるわけだが、しかし真砂子とマリオを守ろうと己を投げたことは、とても英雄的な行為だと思う。
墜ちた英雄、腐る果実。
時の残酷さは、イクニ作品では大事なテーマだ。
兄を現世に取り戻そうと、必死に縋る真砂子が痛ましい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
陽毬の命を繋ぐべく、呪いの再拡大に邁進する兄の不退転と同じように、真砂子も己の身も、魂も、顧みてなどはいない。
ただただ愛のために、病身の陽毬が進めない暗い闇へと、共に進んでいく。
冠葉の足取りはより暗く、より深く、死に近い場所へと墜ちていく歩みだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
冥府の重力から兄を引っ剥がす願いは叶わず、真砂子は最初そうであったような凛々しい、すこし狂気を帯びた戦士として、透明な嵐から兄を守って、フィナーレへと進み出す。
それが、悲しかった。
陽毬との兄弟愛、禁断の恋…と思えていたものは、何もかも嘘で、だからこそ本当だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
それが砕けそうだからこそ、冠葉は重力に墜ちていく。
そのネゲントロピーを反転させる唯一の魔法は、許し思い出すことにあると多蕗はメガネを置いた裸眼で見据えたが、その境涯は若人には遠い。
陽毬を唯一の女として選ぶことは、真砂子を選ばない、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
冠葉は一見冷たく彼女を遠ざけるが、決定的に自分から引き剥がすことは出来ず、己を呼び続ける声が聞こえて、しかしそこに戻る…Come backする距離には踏み込めない。
もし、大事な妹を助けようと手を伸ばせば…
その欲深を取り立てるように、赤い血が贖う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
愛を捨てれないからあんな暗く、炎と死体に満ちた場所に沈んだ少年は、ズタボロのペンギンに仮託されて、黒服の男たちに引きずられていく。
畢竟、彼が行き着く所は地獄である。
そこに道連れするのは、陽毬ではない。
真砂子もまた、マリオではなく冠葉に命を捧げることを選ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
その凛々しさは哀しくて、どうにか二人がテロルにも宿命にも燃やされない、穏やかな兄妹でいられた場所はなかったものかと思うけども、それはあの時もう、砕けてしまっている。
あるいは、カルトの子と生まれついた時から…?
その宿命論は、運命という言葉が嫌いなあの二人に投げかけるには、あまりに残酷な結論だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
彼らは変え得ぬものを変えようとし、繋がり得ぬものと繋がろうとした。
そしてそれは失敗する。
何かを選べば何かを手放す厳しいルールが、けして緩まないこの氷の世界では、必ず失敗する。
しかし砕かれた美しい夢のカケラが、ただの虚しい遺骸なのかどうかは、永遠に残る問いかけとして、豊かに残響するべきだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
それを描くために10年前この作品は生まれ、その情熱が振幅し続けていたからこそ、10年越し僕はこのアニメを見ている…のかもしれない。
僕によく響くお話なのは、間違いない
この話数を見終わった状態で、第1話から見返すことになったから、ずっと真砂子が痛ましく、愛おしく、可哀想だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
強く苛烈であることでしか、総身に溢れる情愛を保てない少女。
愛に震えながら、選ばれない哀しさに傷つけられながら、それでも泣かない女。
彼女は物語に立ち現れた時と同じように、凛とした表情で戦いに挑む形で、彼女の物語を終えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
その凛々しさがたとえ、何一つ望みを掴めないとしても、
その潔さはやはり、僕の瞳に突き刺さって消えない。
さよなら、美しい青春の棺達。
ここから物語は、壮絶に死の顎を広げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
あらゆるものが運命に飲み込まれ、身を投げ、既に死する亡霊たちは、その裁きから逃れる。
たった一度しか運命を選べないものたちと、すでにその選択を終えたからこそ舞台の外側に立ち、生者を操ることしか出来ないものたち。
その喜劇が、悲しく決着する
それはカタルシスと飲み干すにはあまりに苦くて、涙味に苦しい結末だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
10年経った程度で、あの(そして”この”)終わりを噛み砕き、消化することなんて出来ないだろう。
だから幾度も反芻する。
未消化のものを、未消化のまま見つめて、そこに映る変化してしまった自分の形をスケッチしていく。
そういう作用が、確かにこの再視聴にはあったな、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
感謝しつつ、ここから先更に新たな棺達が待つ場所へと、物語と僕は進んでいく。
あの時は『どうにかならないか…』と、拳を握りながら見ていたが。
今は『こうなるしかないのだ』と、やはり拳を作り見守る。
次回も楽しみです。
追記 血で繋がっていても、いなくても、”家”は否応なくそれを共有した人々を包み、窒息させ、また等しく繋げても行くのだ。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月8日
真砂子の純情を蹴飛ばす冠葉に、当時は随分腹が立ったものだが、今見返すと彼もまた、己を贄に送り出した妹、それを選んだ自分を守るべく、頑なで苛烈な存在であることを選んだのだと思える。
その強がりは兄妹あまりにも似すぎていて、その不器用が愛しく、悲しい。
ホント悲しいアニメだ…。