輪るピングドラムを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
深い地の底で、運命の乗り換えが始まった。
きょうだいは透明な刃に引き裂かれ、真っ赤な血を流しながら、愛の証を差し出しお互いを取り戻す。
ああ、蠍の火が燃える。
ああ、銀河鉄道が征く。
何もかも微塵に砕けてなお、ただ一つ残る言葉がもし、あるとすれば…
そんな感じの、ピングドラム最終回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
何回見ても、やっぱり良い。
最終話なのに一番訳がわからなくて、理解を置き去りにした超スピードで全てが進行していくが、しかし奇妙に言いたいことは伝わった…気がする終わり方。
ディテールに拘ると足を取られ、理解を阻まれるけども…
初めて見た時のわけの分からなさと、それでも高鳴る胸の鼓動を導きとして、おずおずと進んでいけば確かに何かを与えてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
思い返せば、ずっとそんな話であったと思う。
なので、この投げっぱなしは自作に嘘をつかない必然の終わりだッ! …と、堂々とは言えない。
まぁ投げてはいるし解りにくい。
その八方破れが自分が見たいと願うもの、そこにあってくれないと困るものを視聴体験に詰め込む隙間になってて、妙に優しく感じるのは、間違いなく僕がイクニチルドレンだからだけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
でもやっぱり、とても良い話であったと思う。
とても悲しく、愛と喜びに溢れたこの結末は、幾度でも嬉しい。
エピソードのほぼ全てがイマジナリーな空間で展開し、メタファーが荒れ狂い回想がカットアップされる、眩暈に満ちた最終話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
感じるべく作り上げられた伽藍を、わざわざ読むのも無粋かな…とは思うが、まぁ気になったところだけ。
眞悧は箱に囚われた絶望を、世界全てに広げて壊そうと呪う。
その囁きに引っ張られて、冠葉はテロリストとなり偽りの復活に縋るわけだが、冠葉と晶馬は既に、幾度も箱を出て、箱を作っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
自分を閉じ込め守るものは、眞悧が想定するように絶対の壁ではなく、血が滲む意思と決意で壊し、より良く作り直す事ができる…可能性がある。
それを成し遂げる代償はとても大きく、命は消えるし思いは試される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
それでも子供たちは皆、諦めてしまった大人たちの冥府に赤熱の思いを抱えて降り立ち、かつて子供であったはずの者たちが出せなかった答えで、世界の壁を壊していく。
そんな炸裂が、最後に網膜を灼いて眩しい。
晶馬はコンクリートの冷たい檻で、陽毬を選び己を差し出した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
冠葉はあの冷たい葬儀場で、陽毬に見つけてもらうことで生きる意味を知った。
そして今回最後に思い出されるように、冠葉もまた己の半分を箱の中から晶馬に差し出すことで、運命を越えていた。
答えはいつでも既に出ていて、しかしそれは忘れ去られ、あるいは間違った形で成し遂げられようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
多蕗の妻となることで、喪われた姉と家族を取り戻そうとした苹果ちゃんは、血縁を越えて運命の列車に乗り込み、喪われたはずの魔法の言葉を叫ぶ。
高倉の姓を冠さない苹果ちゃんが、家族の因縁に途中乗車キメて、親友を救う決定的な役割を果たすのは、とても大事だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
偶然と運命が導いた赤の他人が、友情と愛によって己が燃えるのも気にせず”家”に入ってくることで、このお話は狭く閉ざされた宿命の粘つきから、上手く開放されてる感じがある
苹果ちゃんは自分の意志で、家族でもなんでも無いただの友達のために、己の命を燃やそうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
それを成し遂げる魔法の言葉が、遥か過去になったはずの友情に、掴めなかった可能性にこそあって、ダブルHが三人だけに届く魔法としてアルバムに刻んだタイトルにあるのも、なんとも優しい。
高倉家という箱に閉じ込められ、学校にも未来にも行けなかった陽毬の赤い糸は、確かにそこから出て繋がっていたのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
この微かな導きが、形ある魔法を燃やして悦に入る亡霊の思惑を越えて、奇跡を引き寄せていく。
陽毬を現世に引き寄せるのは、女達の友情…
と、箱のなか育まれた家族の愛情、そこに確かにあった男女の愛である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
最終的に陽毬の対価は、冠葉がガラスのように砕かれることで支払う。
そのためには光がどこに在るのか、亡霊に曇らされた瞳ではなく、既にそこにある答えを真っ直ぐ見据えられる眼で、確認する必要がある。
最後の舞台と展開されたプリクリ空間の中で、陽毬は透明な嵐に傷つかれ、美しいドレスを引き裂かれることも気にせず、前に進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
やはり最後まで、晶馬はそういう場所に最初に進み出ることは出来ない。
彼はファーストペンギンではなく、立ち止まり周りを見渡す存在なのだ。
ひどく幻想的で痛ましい風景の中、めちゃくちゃ家庭的な思い出が、愛おしい罰として語られるのがなんとも染みる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
子供三人、カラフルなトタンと拾い物の天蓋でどうにか形を繕って、ままごとのように生きた日々をこそ、三人とも守りたかったのだ。
そこにこそ、愛しさの源があったのだ。
それがあればこそ、陽毬は傷ついた素裸のまま冠葉に対峙し、抱きしめその痛みを撫でることが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
第1話では冠葉が捧げ、抱きしめていた裸体であるけども、この最終話でそのエロティシズムは眠りの中略取されるのではなく、おのずから差し出すものへと変わっている。
あるいは最初から、陽毬は守られ抱きしめられるお姫様などではなく、己の意思で嵐に進む高倉陽毬以外の、何者でもなかったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
その温もりに抱かれることで、冠葉は亡霊の毒を抜き、己を導いた光がどこに在るかを思い出す。
それは陽毬が生物として、命を繋ぐことだけを意味しない。
何かを差し出すことの意味は、幼い冠葉自身が最もよく理解っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
誰かが死に誰かが生き残る獣のルール…眞悧が絶対の箱だと理解したものに囚われながら、彼はりんごを半分に割り、二人で生き延びる道を生きる。
その魂の輝きこそが、彼の光だったのだ。
これを思い出させるのは、血みどろの妹の後に続き、己も引き裂かれながら兄の前に立つ晶馬である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
兄弟は皆、己の半分を差し出しお互いを救い、『うっぜーなコイツ…』と思いながら家族として、あの小さな箱の中で生き続けてきた。
その記憶を思い出すことで、世界は変わっていく。
晶馬は陽毬を助けるべく運命を書き換えた苹果ちゃんの、罪を背負って燃えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
命と蠍の日に分割されていく恋人たちの姿は、あまりにも哀しく美しい。
ヌボーっと煮え切らない鈍感系主人公が、どんだけ苹果ちゃんを愛していたか切実に判るのが、最後の最後ってホント…。
兄弟たちは”男らしく”犠牲となり、少女たちはヒロインのように新たな運命を差し出される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
結果としてはそういう形になるが、それが男女かくあるべしという”箱”の生み出した冷たい答えではなく、必死に愛し必死に生きた果ての運命であることは、ここまで見ていれば判るだろう。
かくして眞悧の願いは若人の燃える魂によって打ち砕かれ、奇跡は成し遂げられた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
彼は自分が見ている氷の世界こそが全ての真実であり、孤独に己を捉える冥界に誰かを…同じく運命からはじき出された桃果を隣り合わせたかったのだと思う。
亡霊は、常に寂しがりやだ。
しかしお姉ちゃんはペンギン帽をずるずる引きずって、別々のレールに堂々進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
後ろを振り返ることはなく、繰り広げられた奇跡にも悲劇にも拘泥しない。
この囚われなさが、彼女に囚われ迷いまくったタロジロコンビと、良い対比だな、と思う。
桃果は答えが見えている人で、そこに至る道がどれだけ苦難に満ちていようが、為すべきことを迷わず為す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
世界に子供ブロイラーがあっても、透明な嵐が理不尽に全てを噛み砕いても、足を止めることはしない。
覚者とは、多分そういう人なのだろう。
だが、その周りに集う衆愚はそうではない。
眞悧も桃果と同じく、列車を待たずに自分の足でレールの先へと進めるはずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
だが絶望と孤独は彼を箱に閉じ込めて、けして外には出さない。
それは傍迷惑に愚かであるけども、しかし皆が蠍の火に焼かれてなお、誰かのために愛の為に祈る尊さを、持っているのだろうか?
眞悧は思惑を超えられた未達者であるけども、そこには奇跡に辿り着けない数多の人間の顔が、深く刻まれているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
正しさが理解っていても辿り着けず、箱に自分を閉じ込めるどうしようもなさは、確かにそこにある。
その卑小な救えなさを、在る種の慈愛を持って書いてるのが、僕は好きなのだ
ともあれ、亡霊には出来なかった救済を皆が果たし、世界は運命の行き着く先へと進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
そこでは陽毬は病を得ず、家はカラフルなトタン、昭和モダンな家具で飾られていない。
日常に埋め込まれた、キッチュでチャーミングな要塞はもう、彼女には必要ないのだ。
額の傷が、人形に宿ったメッセージが時折、存在しない救済を語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
それも日常と笑顔に溶けながら、TVの向こう側の偶像を見て陽毬は、健康的に笑う。
その隣には、新しく出来た友達がいる。
それは二人の兄貴達が、心の底から望んだ景色なのだろう。
世界は奇跡を当然のように忘却しながら、日々を進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
そこには子供たちを噛み砕く百万の剣が渦を巻き、誰にも選ばれず何も残せない冷たさが満ちている。
誰も、冠葉と晶馬を覚えてはいない。
そのシビアなリアルさが、散々激情をこすり合わせた物語の結末だ。
しかし24話、この物語を見届けた僕らには忘れることが出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
彼らと四匹のペンギンが、少女たちの穏やかな幸福を生み出して忘却の果てへと進んでいくことを。
結局このアニメが、愛の話だったってことを。
輪郭のない、確かに愛されていたという記憶。
それが心を温めているのなら、奇跡は起こるし運命は変わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
そういうポジティブなメッセージが、一切容赦のない残酷と同居しているところに、やっぱりこの作品の魅力を感じる。
答えはいつでも目の前にあって、でもそれはあまりにも遠い。
そこに辿り着くには、何をすれば良いのだろう?
それを問いながら、特急列車のように走り抜けた物語であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
見返してみると、やっぱり面白かった。
キャラクターも舞台づくりもチャーミングだし、鋭い笑いが場を暖め、笑っていたら冷たく殴り飛ばされ、心地よく心を上下させられる、いいアニメだった。
立ち止まり側に立つものとしての晶馬と、先に進み道を拓くものとしての冠葉の対比とか、思いの外精妙にサスペンスを編んでる構成と演出とか、再視聴で気づき直したものが沢山あったのも、とても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
同時に見返しても自分の中の手触りが、何も変わらないことも。
運命を鮮烈に駆け抜けた少年少女たちは、久々に出逢っても泣けるほどに愛おしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
皆おバカで、必死で、誠実に間違えまくり、魂を燃やしながら答えを探していた。
優しさはいつでも直ぐ側にあって、でもその使い方はずっと分からなくて、誰かの手に触れることでようやく、答えが見つけられる。
狂気と因縁の箱に囚われた人たちが、ゴツゴツぶつかりながら隙間を作って、必死に手を伸ばす話だったんだな、とも思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
その先に在るのは希望であり、愛であり、そんな風に名前をつけてしまえばあんまり大仰すぎて、その柔らかな形を取り逃してしまうようなモノなのだろう。
現在アニメの最前線で暴れ倒す俊英達が、作家としての土台を作った鍛錬場としてみるのもまた、10年越しの面白さであったか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
特に古川監督、バリッバリにこの延長線上突っ走ってんだなー、と納得した。
スタァライト劇場版と同じ年に見れたのは、心地よいシンクロニシティか。
既に結末を知っている物語の再視聴ということもあって、普段の時評とは違った感想の書き方になったのも、個人的には面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
僕は普段、アニメをあんま読まないように読まないように、自分の心が震えた感覚に素直に文字を紡ぐようにしてんだけど。
(してんのよ、これでも。)
このアニメに関しては、10年間ぼんやり老いる中で時折、地下鉄に座っているときとか、カレー食ってる時にふと思い出して蓄積し、発酵したものをかなり全面に出して、自分なりの読みを刻んだつもりだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
そんな風に既に染み渡り、僕の一部となってなお流動している作品と、また出会い直す。
それはとても懐かしくて新鮮で、やっぱいいアニメで好きなアニメだなと思いながら、心地よく見終えることが出来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
初見時この最終回を見終えた時の、『これでいいのか…? でもこれしかないのか?』と相反する思いが湧き上がり、身を引き裂かれるような感触は、やはり蘇らない。
でも陽毬のおでこの傷のように、確かにその生々しい痛みは忘却の中確かに刻まれていて、今回僕はもう一度出会えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年12月22日
そういう場所を作り上げてくれて、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。
再編集映画も、大変楽しみにしております。