平家物語を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
時に、平安末期。
平家一門は栄華を極め、その傲慢は民草の血を啜り、大乱の兆しを孕み出していた。
父を刃にかけられた少女・びわは、平家頭領の長男・重盛と出会う。
互いの水晶淨眼が見据える死と滅びが呼応し、嫋々と運命が鳴る。
嘉応二年、であった。
そんな感じの山田尚子×サイエンスSARUが、古典文学の本道に挑む第一話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
かの天才、京都アニメーションを出ての一手目ということで期待は高まりハードルは上がっていたが、美麗な表現と静かな情感、テーマを見据える確かな視線と豊かな手付きがしっかり感じられ、見事なスタートとなった。
このアニメは綾織りのように重なった”語り”のただ中にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
古川日出男が現代語訳…というより、作家の視座と意志を持って再構築した原作は、史実に確かにあった平家の興亡を下敷きに、複数作家の思いと文芸を織り交ぜて生み出された、事実と解釈のアマルガムである。
年表に無味乾燥な事実として乗っかる、人間の生きたり死んだり、一門の栄えたり滅びたりに、世の無常、戦の無念、そんな残酷に花咲く思いで色を付け、物語として読み直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
己の目で見据え、魂で感じたものを口で語り直し、文に書き付けて、何事をかを問う。
史実や原典を読み解き、語り直す所作一つ一つが、作者達の意志を照らし、あるいはそんなものでは揺るがない怜悧な現実を浮き彫りにしていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
既に結末は決まった物語。
ネットで検索すれば…あるいは図書館に行って頁をめくれば、主要人物がどう生きどう死ぬかは、沢山の書物に既に記されている。
その上で新たに、山田尚子とそのスタッフが、アニメーションという手段でもって語り直すものには、ひどく新鮮で鮮烈なものが映る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
その鏡となり、僕らの代理人として物語を切り拓いてくれるのが、アニメーションオリジナルの主人公、びわである。
この第1話は、彼女がどんな少女であるかをよく語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
『平家にあらずんば人にあらず』と、華やかな屋敷の奥で勝ち誇るものたちが、一体何を踏みつけにしているか。
父との死別は、平家の傲慢と残酷をまず、鮮烈に突きつける。
(画像は”平家物語”第1話より引用) pic.twitter.com/cYDktCFp7A
びわは後に”平家物語(≒このアニメーション)”を語る口承の主体であり、その青い瞳で時代を見る存在として描画されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
盲た父の杖代わりとして、世界の有様を伝えていた繋がりは残酷な長刀の一線で切り裂かれ、血飛沫が現世を見る瞳を隠す。
残った水晶眼に見えるのは、咲いては散る花のあり様だ
ぼとりと落ちた椿は、後に野ざらしにされる一門の首のように一筋朱を宿して地面に落ち、あるいは壇ノ浦に舞う綾絹のように水に踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
びわはその眼をもって、平家に殺された父が見ることを許されなかった未来を、時代の末路を見届ける立場にある。
これは目の前の箱で『平家 末路』と検索かければ、その終わりがどんなものであったか超越的に知ることが出来る僕らの立場と、奇妙に重なり合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
びわはこの物語の結末を知っている。
平家ならざる…つまり人ならざる彼女は、その歴史に介入できず、運命は変わることはない。
流れ落ちる水がさかしまにはならないように、時も運命の一定方向に流れて落ちる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
見えるから、何かが出来るというわけではない。
見えてしまうから、何かをしたいと望むものだろうけども、そういう方向での報いをこの、平安の空気を見事に誠実にヴィジュアル化した作品は、びわに許さないだろう。
それは栄華を誇る、平家一門も同じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
死体も野ざらしな京の街が嘘のように、宴に酔いしれ傲慢を飲み干す人々。
『面白い』ためならどんな不遜も野心も食い散らかす、天下の平清盛を筆頭に我が世の春であるが、これがあっけなく醒める未来を、僕らはもう知っている。
父無し子に落とされたびわを拾い救う平重盛は、”娘”となるびわと同じく異形の瞳を持つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
それに見えるのは未来ではなく過去であり、清盛が省みることのない犠牲者の無念、己の後悔である。
因果は巡り、滅ぼすものは滅ぼされる。
(画像は”平家物語”第1話より引用) pic.twitter.com/E0x6VOq8bx
そんな理と人の情を重盛はよく知っていて、刀の柄に手をかけた配下を制する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
それが抜かれると何が起こるか、よく描かれたからこそ、重盛の謙虚と慈悲は砂漠の一滴のように、見ているものによく染み込む。
雪の冷たさも届かぬ宴では、見えぬ一門の悪行…それが踏みつけにするもの。
重盛の瞳(そしてびわの瞳)は未来や死者といった超常を見据えるのだが、だからこそ人間にとって最も大事で、平家一門が蔑ろにしてしまっている当たり前の尊さも、また見ることが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
しかし、死人は帰らないし未来は変えられない。
”見る”ことの無力が、野人と貴種の心温まる出会いに冷たく響く。
重盛は雪も冷たき庭にその膝を曲げ、薄汚い小娘よりも地面に近い場所に、その頭を下げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
あまりにあっけなく、しかし取り返しがつかず奪ってしまったものの重さに、背筋を曲げる感性があるのだ。
これは平家一門の残虐な傲慢が、手際よくびわを襲った直後だからこそ、見るものによく届く。
お互い特別な瞳を宿す二人は、世の冷たさに苛まれてなお咲く水仙に見守られながら、運命的な出会いを果たす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
父を奪った仇でありながら、同じ世界を見てくれる理解者。
びわと重盛の心が重なる様子は、無言の説得力に満ちて力強く、手早く進んでいく。
情念や情感を深く宿しつつ、その描き方がサラリとベタつかないストイシズムは、原作の無常観を宿したものであろうし、また山田尚子の美意識でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
盟友・牛尾憲輔のインダストリアルでアンビエントな音楽情景に支えられ、独自の存在感があるヴィジュアルがずいと、時代と世界を伝えてくる。
嘆き、笑い、必死に生きる人々の体温に対して、風景を切り取る視線はどこか冷静で、なおかつ穏やかな慈しみに満ちている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
これを最もよく表すのが花の描き方で、びわが生きる世界はとにかく、花に満ちている。
(画像は”平家物語”第1話より引用) pic.twitter.com/lWyXoUU25E
それは季節の移ろいとともに散っては咲き、主役を取り替えながら時の河を転がっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
咲くためには散らねばならぬし、永遠を求めても必ず散る。
それでもなお、見事に書き分けられた四季の光の中で咲く花、散る紅葉は美しい。
そんな移ろいは、今美しく思えるものもまた、必ず散る運命を静かに語る
重盛は血がつながらぬ…だが異能の瞳を共有し、平家の罪、死の重さを知る”娘”と同じく、実の子たちにも大変優しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
個性豊かな四人の子らが、当たり前の家族のようにいがみ合ったり、頭を下げたり、同じ花を見て菓子を食ったり。
(画像は”平家物語”第1話より引用) pic.twitter.com/Ql407t1fZH
父を殺され涙に暮れて、張り詰めていたびわの心もふわりとほころび、見ているこちらも自然、柔らかく笑ってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
血飛沫に汚れた地べた、雪の降りしきる冷たい場所から、身を清められ衣を改められ、なおかつ”平家”であることを共用されない。
尊重され、保護され、愛される夢のような時。
重たく冷たいものを常に、青い瞳で見据えつつ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
もう一方の赤い目は、人間としての当たり前の喜び、世界に満ちた美しさも見据えてしまう。
物語の外側から結末を見据えるメタな立場と、作中にひとり生きる実在としての実感が、びわの小さな体に渦を巻いている、とも言えるだろう。
表情も仕草もたいへん愛らしく豊かで、びわの体内に宿る魂の熱、それが漏れて重盛一家に受け入れられる必然を、よく伝えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
不思議な力もあるし、悲惨な運命に翻弄されてはいるが、びわはどうしようもなく笑って泣く、当たり前の人間である。
この描画の蓄積が、彼女をただの語り部…
あるいは視聴者が物語を窃視するためののぞき穴で終わらせない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
辺りを取り巻く花と同じく、びわの生活は豊かに息づき美しい。
そういう場所に取り囲まれれば当然生まれる、心の漣。
それが家族に伝わり、関係が変化していく様子。
子供に与えられて当然の、人の当たり前。
それは確かな真実であり、同時にそれだけが真実ではないと、スッと画面が冷える時がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
舞う蛍火は、未練の灯火。
びわと重盛は共に過去の…そして未来の運命を、闇夜に見通す。
感受性の強い重盛は、己のの栄達を支えるものが良く見える。
(画像は”平家物語”第1話より引用) pic.twitter.com/X8GCUcaELA
新興政治勢力として貴族皇族に蔑まされ、刃の光一つでのし上がってきた一門は、暴力から離れることは出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
入道姿に身を固めた父も、『面白い』を求めて俗欲と踊り、傲慢を正す姿勢はない。
いつか、必ず応報が下る。
それを分かりつつ、重盛は運命を見るだけで、触ることが出来ない。
びわもまた、父の遺品であり己の証明である”琵琶”を抱えるだけで、嫋々とかき鳴らす事はしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
彼女が琵琶法師として”平家物語”を語るのは、今結末だけが見えているものが己の心身を通り過ぎ、暖かな幸福も家族の温もりも、全て露と消えた後になるのだろう。
語り部として、傍観者として。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
”見る”ものとして作中に配置された二人は、蛍火の奥に運命と宿命を見る。
重盛が刀で押し付けた滅びが、巡り巡ってやがて戻る未来を、ただ見届けることしか出来ない同志。
びわを見据える重盛の視線には、そんな対等のやるせなさが幽かに香る。
己ではどうにも制御できず、運命を動かすには足りない異能を抱えた同類として、重盛が”父”以外の視線を主人公に投げかけているのは、なかなかに面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
そこには父/子、男/女という定形の権力勾配から、少しズレた関係が静かに宿る。
蛍の夜に静かに燃える、そんな情感。
この庭に宿ったものもひどく虚しいまま、重盛がどう死んでいくかを、僕は既に知っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
だがこのお話が…それを見て語る者達がどのような温度で、どのような距離感で”それ”を描くのか…それがどうびわに残響するかは、見届けるまで分からない。
結末は見えていても、そこに宿る色合いは未だ解りきらない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
びわと重盛が蛍を通じ見据えるものは、この作品を見る僕の視線と、非常に巧妙に絡んでいるように思う。
この混戦が、遠い昔の物語を身近に引き寄せ、ぐいと前のめりにする。
徳子との初対面に、華やぐびわの頬の柔らかさ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
徳子もまた、兄と同じくびわと対等に膝を曲げ、その顔をしっかり見据える存在である。
女であることを拒む幼子に、どこか遠く重ねた自由への憧れ。
女であることの重荷。
(画像は”平家物語”第1話より引用) pic.twitter.com/0Ui5sVII7R
それが重石となって、徳子を壇ノ浦の渦に引き込む未来を、びわの淨眼は見てしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
それが終わりではなく、平家物語中随一の哀切を宿す説話の序章でしか無いことを、びわは未だだ知らない。
終わりに至る道筋と、そこに宿った個別の熱。
花のように咲いて散る、命と魂の尊さ。
女でありながら女でなく、平家でありながら平家ではないびわは、境界線上の傍観者としてそれを見、感じ、運命に引き裂かれた心から流れる血潮をインクにして、琵琶をかき鳴らすのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
”平家物語”を語る者達が皆、そんな熱を宿したからこそ、この作品は千年を超えて新たに語られ、心を動かす。
髪白く蒼の両眼も盲た(だろう)、いつかの未来のびわ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
彼女が語る物語は、正当な調子で”殿下乗合事件”の顛末を平家悪行の始まりと語る。
一代にてのし上がり、世に怖いものなどなにもない”面白い”清盛の人生。
(画像は”平家物語”第1話より引用) pic.twitter.com/ghM0MSYihN
それは重盛一家が”当たり前”に、資盛の幼い無礼を咎め正せそうな機運を、否応なく飲み込んでいってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
一門が切り捨てた存在の痛みに共感できる、武士としては優しすぎ、人としては正しすぎる重盛の感性が、当たり前に幸福な家庭を育むチャンスは、かくして歴史の必然に食われていく。
あとに残るは後白河の盃、飲み干すのは権勢を巡る血みどろか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
かつて盟を繋いで誉れを分かち合った間柄も、時が過ぎれば刃を向け合う。
戦の徒花もまた、咲いては散っていく人の定めなのだろう。
あるいは清盛ならば、それもまた”面白い”…か。
琵琶法師として平家盛衰の顛末を語る未来の”びわ”は、物語の妖精めいて白く青く、もう現実を見る赤い瞳を持たない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
それが、あまりにも惨たらしい運命を突きつけられ、耐えられぬと眼を塞いだ結果なのか。
散ってなお美しく咲いた魂を、間近で見据えた結果なのか。
びわの瞳を通じて、それを見届けるのがおそらく、全11話のこの物語を咀嚼する上で、大事な心構えになるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
『平家にあらずんば人にあらず』
その決り文句に意味を通すためには、”人”の意味を問わなければいけない。
驕り、殺し、笑い、愛し。
尊卑鬼仏の同居する人の在り方を、見て語る。
それがかなり容赦なく刺さりそうな気配と気合が、十分に薫る良い出だしでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
重盛パパのファミリーコメディ味が、後に清算を際立たせるキャンバスとして存分に生かされそうな気配プンプンで、マジ怖い。
可愛いあの子は斬首、素敵なあの子は入水…だもんなぁ…。
まー”平家物語”である以上、その無常は作品の基礎であり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月15日
冷徹な視線でそんな土台を見据えた上で、どんな情けと憐れの…人が生きて死ぬ尊厳の大伽藍を建てるのか。
大変楽しみであります。
崇高と温もりのバランスが絶妙で、やっぱ山田監督つえーな…って気持ちを新たに出来た。嬉しい。