平家物語を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
殿下乗合事件の顛末は、資盛を伊勢に謹慎させることでひとまずの落ち着きを見た。
権勢の裏に揺蕩う恨み言は、未だ確かな牙を持たぬまま唸る。
無明の未来を知らぬまま、女達は婚礼の駒と嫁ぎ、庵に後生を祈る。
運命の渦は、びわの新たな家族を静かに飲み込んでいく。
そんな感じの栄枯盛衰譚、女達の第二話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
未だ平家の栄華は絶頂なれど、びわの青い瞳が見据える未来への道は静かに舗装され、徳子は幼き帝の元へと入内していく。
その先に待つのは壇ノ浦の渦、大原の御幸であるが、穏やかな日々の中にその気配は感じられない。
しかし権勢と寵愛の儚いこと…そこを離れ念仏に後章を祈る方の潔さは、後に祇王寺となる庵に集った二人の白拍子が、よく教えてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
出家は門前払いを食らった自分を守り、引き立ててくれた恩人に、唾を吹きかけるような清盛の業…彼が取り憑かれる”面白さ”への、静かなる反抗とも見える。
後に建礼門院となる徳子の末路も、あの雨の竹林の心地よい涼しさに、果たして慰められるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
今まで悲しい未来を見るばかりだったびわの瞳は、俗世の無惨を離れて祈る人々に微笑むけれども、同時に姉と慕う女を飲み込む運命もまた、見据えてしまう。
徳子にすがるびわの姿は、はたから見れば子供の駄々、姉恋しさに泣く幼子の哀れと思われよう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
しかし彼女は物語の結末を、一寸先の闇を確かに見てしまっていて、その無情に泣きじゃくるのだ。
これを共有できるのは、闇に怯え灯籠を集める重盛のみである。
情を知り分をわきまえ、後白河院、あるいは藤原家と平家の衝突の間に立つ彼は、同じく権力に食い込んだ平家の楔である平滋子と同じく、一門唯一の両親である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
その重心が揺らぐことで、栄華の足下に踏みにじられていた怨嗟は、刃を携えて運命を燃やし始める。
そんな未来を幻視しつつも、びわを取り巻く”平家”はひどく暖かく、優しい家族のねぐらとして描かれていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
自分のもとを去っていった母、美しく優しい姉、無明を見据える同志であり守ってくれる父。
みな悪逆と罵られる”平家”の縁で、びわの元に戻ってくる。
そしてその温もりも、枯れ果てる蔓草のように儚く去り、奪われ、消えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
あるものは出家し、あるものは入内し、あるものは死に果てる世の習い。
さよならだけが人生と、撥に乗せて歌い上げる心根がまだ定まらぬまま、びわは純朴で幼い子供と、未来を見据える巫女、二つの顔で人生を進む。
そんな物語である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
第1話において重盛も徳子も、膝を曲げてびわの目線に降りてくる仕草で、その人情を示した。
しかし彼らの父…”面白さ”の怪物・清盛は、同じ仕草でむしろ、その凶暴な在り方をびわと視聴者に伝えてくる。
(画像は"平家物語"第2話より引用) pic.twitter.com/l7hNiN37vZ
この物語はびわという、”平家”の屋根に新たに迷い込んだ子供を中核として、家族の物語として”平家物語”を再話する視線があると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
伊勢に送られる資盛を見送る人々には、殿上人の驕りはない。
雪に傘もささず、我がこの辛い未来を少しでも共有しようとする、暖かな情愛がにじむ。
これに対し、珊瑚の巨木も華やかな権力の座で、家族を駒に婚礼の網を編もうとする清盛入道にはなんとも情がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
というか、欲と情が常人の枠を大きく越えて溢れ、誰も彼を理解し得ない感じだ。
ぎろりと巨大な瞳でびわを見据え、猫の子のように怯えさせる掌には、力強さと怖さがある。
重盛はそんな権力の掌から、新たな我が子と迎い入れたびわを遠ざけ、守る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
二人の白拍子の物語を見ても分かる通り、清盛の側に女があるということは、性と婚礼にまつわる欲得に絡め取られ、無慈悲で過酷な目に合う、ということだ。
未来視のない重盛にも、その運命は良く見える。
清盛も後白河法皇も、形の上では頭を剃り上げ仏道に入りつつ、首までどっぷりと権勢の泥、欲望の海に沈んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
都を離れた庵に身を潜め、俗世の華やかさ、虚しさから距離をとった二人の白拍子が選んだ未来に、近い場所にいるのにそれを選べない。
むしろ僧形は、欲を操るための軽装化ですらある。
徳子も父の指す欲望の盤に乗せられ、妻となり母になる女の体を、己の自由に出来ぬ立場にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
色気より食い気、バクバクお菓子食べまくりのかわいいかわいいびわちゃんとは違い、否応なく子を孕み、血を繋いで家をもり立てる道具としての自分を、受け入れる立場である。
子供であり女であるびわを主役とするこの物語は、権勢の渦の犠牲になる弱者の息吹を、かなり強く引き受ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
家族にしか見せぬ自然体をごろんとびわに預け、幼くして妻となり未亡人となった妹を語る徳子の瞳には、権勢の道具と弄ばれる者たちのため息が、色濃く反射している。
形の上では出家し引退したはずの、男の大人たちの傀儡として家に嫁ぎ、あるいは家の看板にされていく子供たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
”平家”に親しい立場に守られつつ、平の姓を持たないびわは、その苦しみを間近に感じつつも、政治と権勢のコマにはならない。
その猫のような特権的自由が、徳子には眩しいのかも知れない。
※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
×平の姓
○平の氏
それが定めと諦めつつも、血の繋がった妹との朗らかな日々を懐かしみ、時にだらしのない仕草もする姫君。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
その人間味が時代の潮目に揉まれた時、どんな哀しみが襲うのか。
あまりに悲惨すぎて、追悼ポエム(”建礼門院右京大夫集”)捧げられるくらいだもんな…。
びわの美しい憧れであり、平家という”家”の純粋なる善さを体現する徳子の書き方は、大変に良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
桜貝のような足爪を弄るカットに宿る華やかな体温は、彼女が遠い存在ではなく、弾むような感情を宿した生身の存在であると教える。
びわと同じく、心を弾ませて近くによりたくなる存在。
作中最強のヒロインとして徳子を仕上げることで、このあと彼女を襲う運命の無情、権勢の無慈悲が遠い出来事ではなく、当たり前の人間に降りかかる宿命なのだと、伝える仕事もしてる感じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
好きになればなるほど、間違いなく地獄…なんだが、好きにならずにいられない。エグい描き方だよ…。
後白河院と清盛。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
二匹の禿頭の怪物も、徳子とはまた別種の実在感を宿している。
貴人にふさわしく、床を引いて御簾を降ろした密やかさの中で、白拍子を愛で今様を吟じる。
今風に言うと、夜を徹してラップバトルみてーなもんだからな後白河院…。
(画像は"平家物語"第2話より引用) pic.twitter.com/bWx24B44Te
同時に御簾に隠されぬ家族の肖像もそこにはあって、後に徳子が嫁ぐ高倉天皇も、大人びた顔で父の眉をしかめさせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
日の本の中核にあるはずの皇の立場も、ここにおいてはただの父と子、大人と子供の距離感である。
喉を痛め、子の育て方に迷う家庭人。
その肖像と、権力の怪物は同居しうる。
ニラ湯の生臭さは袈裟で隠せぬ欲の臭いであると同時に、当たり前に喜び悲しむ法皇の垢でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
清盛と同じく、このように欲も情も持った人間こそが、そのすべてを押し流していく運命の、権力の源に立って、乱に命を飲み込ませていくのだ。
しかしこの段階では、その濁流は未だ静かな伏水である。
家に集う人が当たり前に家族でいられる、穏やかな日々。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
びわは喪われた母の面影を白拍子に見て、思わず駆け寄る。
祇王の穏やかな顔の奥には、嫉妬の炎、情愛の熱が燃えているが、彼女は幼子を前にそれを出さない。
(画像は"平家物語"第2話より引用) pic.twitter.com/MqNFlN71WS
己の尊厳と慕情を泥になげうつような清盛の仕打ちも、黙ってこらえ頭を下げている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
血の繋がらない最高お姉ちゃんに甘え、おっかぁの面影をドタドタ追いかけれるびわには遠い、女の苦しさ、大人の辛さ。
そういうものも、平家の屋根に守られれば否応なく、見えてしまう。
闇を恐れて飾った灯籠が雪景色を照らす中、びわは雪うさぎを作る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
頑是ない仕草に見ているこちらの顔も綻ぶが、しかし彼女が見る”先”が語られた瞬間、それは壊れてしまう。
無垢な色をした幼さはとても脆く、抗いえぬ運命に、権力者の無慈悲に翻弄される哀しさの熱が、ほろりと崩す。
重盛はびわの保護者として…異能を共有する同志として、子供でいられないのに子供であり、女になりきらぬまま女を知っていくびわに、静かに寄り添う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
権勢を極めた武家の棟梁と、身分の埒外にある卑賤。
そんな立場の違いは、この雪の庭にはない。
見えぬからこその苦しさと、見えてしまうからこその悲しさが混ざりあった闇の中で、大人と子供は同じ場所を一緒に見つめて、眼の前の美しさを共有する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
その喜びもまた、雪うさぎのように儚く崩れてしまうだろう。
それでも、その美しさは確かにそこにあった。
そう思えることが果たして、全てが燃え盛り波に沈んだあとの慰めと為るのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
それはこのアニメを見終わったあと、その人生に付き合った僕らが何を感じるか次第であろう。
白髪となったびわが嫋々と歌い上げる感慨は、この穏やかで美しい景色を足場に、豊かに育まれていく。
清廉潔白に身内を戒め、”平家”が世の大敵とならぬよう頭を下げる重盛に、後白河院も唸らざるを得ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
平治の乱においては刀を握り、武によって戦を平らげた男は、それが犠牲に啜るものの危うさを知っている。
平家の剣は、びわの父を切ったのだ。
(画像は"平家物語"第2話より引用) pic.twitter.com/9wXxrmHos7
清盛のギョロ目が見ることの出来ない、一瞬先の闇、その中に潜む過去の亡霊。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
栄華を求めて相争った先に…あるいは名誉を生んだ戦場の足元に何が埋まっていて、自分と自分の家がどんな悲惨を生んでいるかが、よく見えてしまう男である。
そんな彼だからこそ、平家の外に広がる勢力との楔ともなりうる。
ままならぬ運命の賽子は、投げたくないと思っていても天に放れられ、時に死に目を示す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
今はほうぼう、謙虚と憐れを識る重盛が頭を下げて保っているもの…あるいは平滋子が法皇の褥の中、賢く告げて繋げているものが、あっけなく解けてしまったとしたら。
今回の”第2話”は、そういうことも静かに予感させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
堂上平家の立場を皇家と繋ぐ平滋子が、政局にも敏いバランサーとして機能している様子は、これが喪われたあとの惨状を予感させるのに、十分であろう。
…次、もう鹿ヶ谷だもんな。ストッパーをなくした後白河院が、どんだけ暴れるかに注目だッ!
さておき、びわを取り巻く日々は穏やかに、豊かに過ぎていく…と思わせておいて、のちの富士川の戦い総大将が『鳥の羽音に驚く様子』ぶっ込んでくるの、最高に最悪で良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
ここじゃあ平和な家族劇場で済んでるものが、時の流れの果てに鋭き牙を剥くのだ。
(画像は"平家物語"第2話より引用) pic.twitter.com/M1x4i4Dj31
しかしびわの青い瞳は、このタイミングでは未来を見ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
白い雪庭に艶やかに咲く、椿の赤眦の紅。
音曲と舞が優しく混じり合い、母のように口を拭ってくれる美しい女性との”いつか”を、信じられる今。
それにびわは守られ、育まれ、愛されている。
悲しき未来を見て、しかしそれを変え得ないびわにとって”いつか”は呪いでもあり、今希望であることも知った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
たとえ果たされぬとしても約束は、儚き人の身を繋ぎ温めてくれる。
それが残酷に裏切られ、叶わぬことを知っていても、人は未来を夢見てしまう。
あるいはそれこそが、欲と業から離れられぬ鎖となって、人を苦しみに繋ぐのかも知れないが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
一つ言えるのは、真っ直ぐびわの瞳を見つめ繋いでくれたその掌は、とても美しく暖かであったろう、ということだ。
此処ではないどこか、今ではないいつかで、また。
そんな祈りは業に囚われた生身を滅し、西方の浄土に、海中の極楽に救いと慰みを求める、祈りとも通じていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
雪は溶け、花は散る。
それでもなお、”いつか”を信じる心を持ち続けてしまうことも、また業なのだろうか。
答えなき問の渦中へ、びわも導かれていく。
その前一瞬の雨宿りのように、藤の花咲く春景色が、涙雨から晴れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
懐かしき母の面影を見た人は、約束した”いつか”を置き去りに、表舞台から去っていった。
権勢の巷に背中を向け、念仏三昧に後生を過ごす事は、晴れやかな光がある。
(画像は"平家物語"第2話より引用) pic.twitter.com/wGoiy02UVy
泣かないびわの置き去りな哀しみと、愛憎すべてを飲み込む未来を見守ったあとの晴れ間が、竹林に眩しく対比される名場面である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
祇王があくまで穏やかに、己の中の炎を、それにさいなまれる苦しさを語った時、母の背中が震え、娘がそれを抱く一幕が、静かに描かれるのが良い。
芸をひさぎ、春を売る白拍子を弄ぶ愛と栄華の浮沈に、女達は静かに背中を向ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
そこにはどちらが上か競い合う修羅道の定めはない。
自分を引き立ててくれた恩人の誇りが、寵愛の御座に足蹴にされる無惨もない。
なにか一つを巡って、貪欲に奪い合う餓鬼道もない。
それを確かに見届けたから、びわは慕った祇王の”出家”に微笑むことが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
だがその青い瞳は、姉と愛した人の未来もまた、見据えてしまう。
運命の渦が全てを飲み込む幻視に引き裂かれ、叫ぶびわの声には、尼の旅立ちを見送ったときの平穏はない。
(画像は"平家物語"第2話より引用) pic.twitter.com/YMr29Y1aw6
花嫁装束に美しく縛られた徳子の首にすがる、びわの手が大変小さく描かれていることが、エグい表現だなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
人間の身には耐えられぬ残酷を、否応なく引き受けてしまう異能の少女は、母の面影を白拍子に追い、麗しい姫君を姉とすがる、小さな小さな子供に過ぎない。
しかしそんな存在をこそ、幼すぎる即位と婚礼を政治の道具とする亡者たちは踏みつけにし、戦火は餌食の年を問わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
平家という”家”が当たり前に暖かく、子供に大切なものを差し出してくれる良い場所と描くほどに、待ち受ける過酷は際立つ。
よく制御された地獄だなー…。
ではその苦しさだけが、世の全てなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
重盛と二人見据えた雪庭の静けさ、徳子と食べたお菓子の美味しさ、祈る尼達の颯爽。
欲望の炎、運命の残酷が真実であるのならば、儚く消えていったそれらの輝きもまた、けして嘘ではない。
嘘にしてはいけないからこそ、びわは語り部と為るのかも知れない。
あるいは彼女を愛すべき子供として、無力な傍観者として真ん中に据えたこの物語は、”それ”を嘘にしないために編まれていくのかも知れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
かくして、白拍子達が祈りの場へと去っていった。
彼女たちを置き去りに運命はうねり、全てを飲み込んでいく。それでも、なお…。
次回、楽しみですね。
追記 ”平家物語”に関してはミリしら初見勢を無邪気に演じるには知りすぎてるので、逆に自分の中にあるモノを共有していったほうが、素直な感想になるかなー、という感覚がある。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
今回描かれた祇王と仏御前の物語は、京都大学のアーカイブに大変良い絵巻があるので、アドレスを張っておきます。
挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第7話 祇王https://t.co/aO5HMSmnbJ
二人はパトロンであり白拍子の性を支配する男性でもある清盛の”栄華”という価値観軸を、出家という手段でひょいと飛び越え、彼が中心に渦巻かせた闘争を無化し手を取り合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年1月21日
女性同士の連帯闘争、シスターフッドの物語という感覚を覚える。
あの庵こそ、彼女たちが権力者に勝つ最後の砦だったのだろう