平家物語を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
福原遷都は半年の夢と終わり、平家の人々は京へと戻った。
十重二十重に反乱の声が聞こえる中、清盛の怒りは南都を焼き、自身を焦がす。
あらゆるものが儚く散っていく定めの中で、徳子は泥中の蓮華たらんと、我が子を優しく抱く。
時代はその手ごと、平家一門を沈めんと荒れていた。
そんな感じの去らば怪物、南都も清盛も燃える平家物語第7話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
一代で自身を太政大臣の高みに押し上げ、一門を栄華の極みに至らせた強烈なエゴの持ち主が、遂に斃れた。
あらゆる場所で恨み骨髄の武家団が、平家を滅せんと刃を研ぐ中、エンジンを失った船が何処に行くのか。
重盛の子供たちならずとも、否応なく未来を予感する頃合いであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
世界を描く色彩も少しくすみ、弔問の色合い、花が枯れ散る季節の匂いに満ちている。
笛に遊び、歌に興じれた黄金時代は、もう終わったのだ。
花は咲けば散り、春が終われば冬が来る。
(画像は”平家物語”第7話から引用) pic.twitter.com/8vwH2gOKCp
人は生まれれば、必ず死ぬ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
そんな巡りは、咲いたこと、春めいたこと、生まれたことをけして否定はしない。
同時に華やかな幸福が、終わっていく寂しさを打ち消すわけでもない。
混ざり合いつつ背中合わせな生き死にを、様々な顔をした一個人も、それの寄り集まった”家”も、それぞれ駆けていく。
秋から冬にかけての情景が色濃く描かれる今回、椿の花がことさらよく落ちる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
それの赤は河原に晒された首であり、街を焼く炎であり、平家の旗印であり、流れる血なのだろう。
鮮烈な赤は常に水の雫、河の流れとともに在り、涙は奔流となって運命を押し流す。
(画像は”平家物語”第7話から引用) pic.twitter.com/oFAZECdx2J
椿花も盛りを過ぎて、あとはぼとりと落ちるのみ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
後の時代に武家の花と歌われる、桜の潔さを平家一門の末路に置かないのは、とてもこの作品らしいな、と思う。
猛き武士として新たな次代を担うには、あまりに雅に過ぎた人たちの群像。
その終わりを彩るには、寒さに耐えて咲く椿の色が似合いか。
押し寄せる終わりの気配に、皆震えながら覚悟を決める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
父も祖父もいなくなり、びわの青い瞳に未来を尋ねる維盛の動揺も、それを厳しい言葉で諌めて”武士”に戻そうとする資盛の優しさも。
乱れ、それでも家名に恥じない己として散らんと藻掻く人々は、気づけばもう子供ではない。
疫病、戦乱、あるいは謀略。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
様々に命が短い時勢にあって、平家一門はそれぞれのあり方で、それぞれに咲いた。
あるいは、咲こうと願った。
それが未生の蕾に終わったのか、見事に咲ききったのかは、後世に判断するのが難しいと思う。
ただ、生きて咲いた。
その事実を刻みつけるのが、このアニメか。
三男世代がきららアニメみたいなほんわか交流する中、時勢は儚く転がっていって、高倉上皇の命も散っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
『無抵抗に殺されてこい』と告げる清盛と、告げられる配下の間には分厚い柱がおっ立つ。
かくして、南都が血を吸う。
(画像は”平家物語”第7話から引用) pic.twitter.com/buEm6cM0MA
入道袈裟を身に帯びて、血腥い闘争に身を投じ続ける清盛も、法性を神輿に担ぎ上げて、勇ましく血を求める坊主共も、同じ穴の狢。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
憂いを残したまま死んでいく上皇の、残念を解く経文を上げるには、どうにも役者不足である。
現世に生臭くしがみつく、政治的アクターの一つ。
この時代の”寺社”の顔(の一つ)も、しっかり切り取ってくるアニメである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
同時に祇王達の出家、今回徳子が後白河法皇に返した今様と、信仰が無常なる世間にどれだけ救いかも、ちゃんと描いているのは良いバランス感覚と言えよう。
仏も餓鬼も、同じ屋根の下に住んでいるのだ。
清盛の激情に抗することも出来ず、重衡は再び寺を焼く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
びわの眼ははるか遠くに燃える命を見据え、それを薪と燃える怨念が、平家一門を焼く未来もまた、幻視したのだろうか。
赤く、青く、運命は燃えていく。
(画像は”平家物語”第7話から引用) pic.twitter.com/Ckc33FgsRk
鴨川の水のように、一度付いた火は制御できない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
配下のため、唇を噛んで決断した”灯り”は、風に煽られて都を燃やし、重衡の心も焼く。
これも全て、一門勃興のための薪。
そううそぶいて全てを飲み込める清盛のような、怪物の胃袋は常人にはない。
その清盛すら、平家棟梁と見込んだ重盛の死、くすぶる戦乱の予感に当てられ、髑髏の怪物を見た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
人の身一つに受け止められる以上の運命が目の前に溢れた時、人は慄き、妖しいものに囚われる。
では望むと望むまいと、”それ”を見てしまうものはどうしたものか。
びわは義父であり同志でもあった重盛から継いだ眼を抱えたまま、野に生き下っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
”平家”の屋根の下にいたからこそ見れたものを抱えて、今度はその外にいればこそ見れるものを探しに行くのだろう。
待つのは心を焼き尽くす炎か、全てを押し流す水か。
くすんだ色合いの正月に、独楽は回っていつしか止まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
未だ玩具で遊べる清経・敦盛世代と、正月の集まりに顔を出さない”おっとう”世代の対比がエグいが、南都炎上の重罪に怯える重衡の心は、念仏三昧で晴れるのか。
解らぬまま、栄華の独楽は止まろうとしている。
(画像は”平家物語”第7話から引用) pic.twitter.com/R5NrnFjTNt
高倉上皇儚くなった後は、義父たる後白河法皇の後宮に入り、安徳天皇と平家の地位を安堵せよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
清盛の相変わらず身勝手で、一面においては確かに”家”の皆を考えた…しかし娘の気持ちは度外視な提案を、徳子は毅然とはねのける。
尼削ぎの刃は、すなわち覚悟の証。
(画像は”平家物語”第7話から引用) pic.twitter.com/MjEzZYFKfn
ここで我欲の怪物に、娘との交流に失敗した当たり前の父親の顔をさせるのが、このアニメらしいな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
徳子が出家を持ち出して親を脅さざるを得ない心の震えは、我が子を、女を、政治の駒としか見れない男にも、勿論ある。
あるからこそ、皆こうなっているのだろう。
南都から吹き付ける生暖かい風はびわを怯えさせたが、同じ瞳でもって、死してなお妻子を包む上皇の姿を見もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
目に見えじとも、喪服の徳子はそれを信じて操を立て、忘れ形見たる安徳天皇を抱え、強き母として生きていく決意を固める。
だが、しかし。
その先は、言わずとも否応なく描かれるだろう
望まず流された場所に確かな幸せがあり、それが儚く散ってなお、心に残るものがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
”許す”ことを己に任じた徳子が、人生の杖と縋ったものもまた、運命の渦の中で奪われていく。
それに押し流されてなお、徳子はすべてを許し、愛することが出来るのか。
時代は、ここで見せた平穏と強さも試していく
高倉上皇の死は後白河法皇の復位と、平家のさらなる衰微も意味する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
物言わぬ亡霊の優しさは、あまりに生々しい政治のうねりの中で、果たしてどの程度の力を持ちうるのか。
あるいは炎に燃やされた怨念こそが、無間地獄の扉を開けるのか。
(画像は”平家物語”第7話から引用) pic.twitter.com/DFGVwn1TIt
浄土の蓮華はあくまで、板に描かれた美しい偽り。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
牛頭馬頭悪鬼の挽く火車こそが、栄華を極めた平大相国最後の乗機と夢を見て、二位尼は涙をこらえる。
現世の灼熱地獄のように、燃え盛る清盛の末期。
最後に見せたのは、敵の首をあくまで求める苛烈な武士…であり、娘の機嫌を気にする父の顔だった。
木曽殿挙兵の報を受けて、ギラリと眼光を輝かせた清盛も。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
非情の提案を徳子に断られて、なんとも言えず頭を撫でた顔も。
皆、本当のことであったのだろう。
固定され腐敗した身分制度の犠牲となり、人生の下流に甘んじるより荒波起こして、世を変える。
大事を成し遂げた男も、また死んでいく。
真っ赤に燃えた福原の水平線に、重衡が南都の炎を幻視しているのが、傷の深さを物語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
それこそ清盛が抱いていたような不屈の意気なしでは、けして覆せない苦境を飲み干すには、重衡はあまりに人間的である。
怪物と噂されるものも、父であり人であったと描くのが、この物語の視点ではあるが。
重衡が見ている幻の炎は、罪悪感の楔となって確かに彼に突き刺さり、その揺らぎが戦に響き、一門を実際に焼きもするだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
過酷な現実に思わず見出した幻は、いつしか形を持って世界を飲み込む。
事ここに及べば、異能の瞳のあるなしは、あまり関係ないのかもしれない。
清盛の館も燃え、びわは見ることしかできない己を、重盛の亡霊に問う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
答えは返らない。びわの異能は、耳ではなく瞳にあるのだ。
水面に揺らぐ儚き影のように、大きな流れの中で何も出来ない己を、びわは見据える。
そして一人、また一人と、家から去っていく。
(画像は”平家物語”第7話から引用) pic.twitter.com/EAEIYxXqVZ
待ち構える未来に慄き、びわに運命を問うた維盛の弱さを、資盛は厳しく問いただす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
その言葉こそが、ギリギリのところで資盛に武家の矜持を、父なき世界にそれでも進まねばならない”おっとう”の生き様を取り戻させる。
歌と恋に明け暮れる腕白小僧も、気づけば男の顔である。
もはやこの家は、子供を優しく守ってくれるシェルター、懐かしき黄金の揺りかごとはなってくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
苛烈さを装いびわを遠ざける資盛は、そんな現実をしっかり見据えて、自分に今できる最善を不器用に突き出した。
びわも清経も、皆それを知っている。解っている。
何しろ、ずっとここで共にいたのだ
一家の大黒柱たる清盛が斃れ、家族ごっこも終わりの時を迎えたが、そこに示された最後の矜持は、寂しくも優しく、強いものであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
”ツンデレ”と片付けるにはあまりに悲壮なものが、次男坊の両肩にずしり、食い込んでいるのも解る。
武士であるにはあまりに弱い兄を、それでも武士たらしめんと…
悪口で奮い立たせる言葉の奥に、何も変わらず兄弟の優しさを感じたから、維盛も怯えを飲み込み、矜持を保てたのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
皆言葉にはしなくとも、目には見えなくとも、そこに確かに宿っているものを感じ取りながら、家から出ていく。
出たとしても、三界火宅なり。
それは承知の上だ。
平家の屋根から優しく追い出されたびわに、歴史の火の粉は降りかからぬ…か?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
猫と道連れの旅が何処に行き着くか、オリジナルの物語に興味をそそられつつ、喪服を着替えた徳子は毅然と背筋を伸ばし、夫のいない内裏に立つ。
(画像は”平家物語”第7話から引用) pic.twitter.com/n853iI4lxX
今様好きの法皇に返した、竜女成仏の歌は華やかに、母となり女となった元少女の強さを奏でる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
五障を背負い、悟りから遠いとされている女も、無限の許しをずっしり腹に沈め、血と涙に濡れた泥の中から花を咲かせられる。
清盛と並ぶ怪物はその境涯に見とれつつ、己も包む泥の深さを思う。
その小さな体を抱きしめれば、全てを許せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
徳子があまりに苛烈な世界に己を繋ぐ錨とする愛子が、はたして波間に消えてなお、彼女は全てを許せるのか。
経文唱えて念仏三昧してりゃ、仏性を宿し安らかに生きれるような形式主義を、この物語は許しちゃくれない。
それでも、夫を失い父を失った徳子がここで歌った思いは、風に吹かれて消えるわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
他でもない後白河法皇が編んだ”梁塵秘抄”に残る今様を、ここで徳子に境涯の証と歌わせる演出は、風雅で優しくて、武家の娘らしい強さがあった。
そんな自分を、運命と思惑に流されながら、徳子は選んだのだ。
まこと立派な境涯であるけども、資盛が”家”を襲うだろう嵐を予見してびわを遠ざけた眼は、全く正しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
それは徳子とその愛子も、当然例外にしない。
びわと違い、徳子は”平家”であることを止めれない。
あくまで平家の一員として、許し生きる事を決めた彼女の壮烈に、運命はさらなる残酷を用意する。
はずみの付いた車のように、色あせた滅びの中を平家はひた走っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
そこで如何に生き、如何に滅んでいくか。
もうそうなるしかない現状を雪の屋敷で、資盛は飲み込み、維盛にギリギリ飲ませた感じもある。
だがここで見せた颯爽を、へし折るくらい重いものが、まだまだ待つんよなぁ…。
思えば序盤の鮮やかな色合、馥郁たる風雅が、泣けるほどに懐かしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
だが資盛が厳しい顔を作って飲み込んだように、時はもう戻らない。
びわが”平家”を外れて見えるものが、一体何なのか。
十重二十重に襲い来る源氏の軍勢が、今回かつての子供たちが見せた凛々しき覚悟を、どう砕き試すのか。
話数はまだあり、花散る季節はこれからが本番である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
それを知りつつ第2話で祇王が仏御前に示したようなフッド感が、過酷な運命すべてを許し飲み込もうとする徳子と、彼女が抱きしめる御子姫君にも通じてあるのは、作品全体が女を、人を見つめる目線を強く示すと思う
(画像は”平家物語”第7話から引用) pic.twitter.com/7pG9bXSm2o
清盛や上皇の…そして未来に待つ平家一門の喪に服すように、彩度の低いカラーコントロールの中で、ここは昔日の栄華を宿して、なんとも明るい色合いである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
その色も確かにそこにあり、また遷ろっていく。
果たしてそれは夢か幻か、はたまた無かったことにしてはならぬ面影か。
次回も楽しみです。
追記 大変に気高く力強く美しい、『これがこの乱れた世界での、唯一の答えなんだ!』と信じたくなる答えを話しの真ん中あたりで出しておいて、とてもこんなきれいなお歌なんかで語りきれねぇ、魂を引き裂いてなお続いてしまうこの世の無残の連発で試す物語が待ち構えてるの、史実も原作もアニメも覚悟あるなー、と思う。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
徳子が後白河法皇に送った今様は、”梁塵秘抄”第116句
女人五つの障りあり
無垢の浄土は疎けれど
蓮華し濁りに開くれば
龍女も仏になりにけり
生来成仏に難しさがある女に生まれつつ、美しい蓮が泥から咲くように、罪障ある竜女すら仏になった法華経に倣って、女たる私も浄土に近づきたい…
と、下手くそながら訳す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
風雅を解する怪物に、自分なりの境涯を彼の得意な今様で伝える見事なアンサーであるが、許しの仏性と同時に女であることの難しさ、それを越えていく意志が宿る一首を選ばせるところに、作品の視座が感じられる…気がする。
そして正しく後白河法皇が見抜くように、泥は続く
ここで示した見事な了解が、ただの絵空事にしかなりえないようなこの世の地獄が、平家の娘として権勢の泥に沈んだ徳子と、何の罪もねぇ安徳天皇には待ち構えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
それでもなお、徳子はこの世界を許せるのか。
今回歌った歌を、再び後白河法皇と会う時も歌えるのか。
そこが気になる、良い第7話だ。
追記 面白くねーもんを面白くしようとして、その足掻きが欠片も面白くない人生の地獄を形にしていくの、”平家”に重ねて描かれた風雅の裏にあるハラワタそのものって感じがして、最高に好き。みんな、幸せになりたかっただけなのにね……。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
面白くねー生き方を必死に堪え、耐えきれず死を望んだ重盛兄貴に比べ、徳子が妻として母としてたどり着いた答えはなんとも風雅で、父が生きていれば目をぎょろりと剥いて『面白い!』と、膝の一つも打った気がする。
らしくない後継者と、翻弄され反発しつつも趣を継いだ娘と。
両方に愛され、繋がりつつも置き去りにされていくびわは、やっぱ清盛の孫なんだろうな、と思ったりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年2月25日
果たして将来、彼女が奏でる”平家物語”を聞いたとき、清盛は『面白い!』と言ってくれるか。
『…まぁ間違いなく、言うだろうなぁ』と思えるのは、活きたキャラクター生成であろう。